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第42話 平静

 話が一段落しても。


 優真は、ほとんどお茶を飲めていなかった。


「……」


 湯呑みを持つ。


 一口。


 テーブルへ戻す。


 それだけ。


 向かいでは、澪の母が何事もなかったようにお茶を飲んでいる。


 その隣。


 澪も同じだった。


「……」


 いつもの顔。


 いつもの姿勢。


 いつもの澪。


 少し顔が赤いことを除けば。


「……」


 優真は視線を逸らした。


 人のことは言えない。


 さっきから。


 心臓がうるさい。


『澪を愛しています』


「……」


 自分で言った。


 母親への説明として。


 契約結婚であることを隠すなら、ああ答えるしかなかった。


 だから。


 別におかしくない。


 問題は。


『優真さんを……愛しています』


「……」


 そっちだった。


 澪が言った。


 自分を見て。


 少し顔を赤くして。


 愛していると。


「……」


 違う。


 あれも同じだ。


 母親への説明。


 そう答えるしかなかっただけ。


 分かっている。


 分かっているのに。


「神谷さん?」


「はい!」


 思ったより大きな声が出た。


「……」


 澪の母が少し驚いている。


「どうしました?」


「いや、何でもないです」


「そう?」


「はい」


 優真はお茶を飲む。


 熱くない。


 なのに。


 妙に身体が熱い。


「優真さん」


「はい!」


「……」


 また声が大きくなった。


 澪がこちらを見る。


「どうしたのですか?」


「何が?」


「先ほどから返事が大きいです」


「そう?」


「はい」


「気のせいじゃない?」


「二度目です」


「数えてたの?」


「はい」


「……」


 優真は目を逸らした。


「ちょっと緊張してるだけ」


「お母さんに?」


「まあ……うん」


「……」


 嘘ではない。


 ただ。


 全部でもない。


「神谷さん」


「はい」


 母が優真を見る。


「そんなに緊張しなくても大丈夫よ」


「ありがとうございます」


「別に、娘を返せなんて言わないから」


「……はい」


「返すも何もありません」


 澪がすぐに口を挟む。


「私は物ではありません」


「そういう意味じゃないわよ」


「では、どういう――」


「澪」


 優真が笑う。


「いいから」


「ですが」


「大丈夫だから」


「……」


 澪が黙る。


「分かりました」


「うん」


「……」


 母が二人を見ていた。


 優真は気づかない。


 澪も気づかない。


 しばらくして。


「そろそろ帰るわ」


 母が立ち上がった。


「もうですか?」


「ええ」


 澪も立ち上がる。


「駅まで送ります」


「大丈夫よ」


「ですが」


「神谷さんと話してなさい」


「……?」


 澪が首をかしげる。


「なぜですか?」


「なんとなく」


「理由になっていません」


「いいから」


「……」


 母が鞄を持つ。


 優真も立ち上がった。


「じゃあ、せめて玄関まで」


「それくらいなら」


 三人で玄関へ向かう。


「神谷さん」


「はい」


「澪をよろしくお願いします」


「……はい」


 優真は頷いた。


「大切にします」


「……」


 隣で澪が優真を見る。


「……」


 また。


 余計なことを言った気がした。


「そう」


 母は少しだけ笑った。


「じゃあ、また」


「はい」


「気をつけて」


「澪」


「はい」


「連絡」


「します」


「絶対よ」


「はい」


 ドアが閉まった。


「……」


「……」


 二人きりになった。


 静かだった。


 さっきまで母親がいたとは思えないほど。


「……」


「……」


 優真はリビングへ戻る。


 澪もついてくる。


 二人とも座る。


「……」


「……」


 会話がない。


 優真は湯呑みを持った。


 澪も湯呑みを持つ。


「……」


「……」


 同時に飲む。


 同時に置く。


「……」


「……」


 優真は耐えきれなくなった。


「澪」


「はい」


「さっきの」


「はい」


「……」


 言えない。


「何でしょうか」


「いや」


「?」


「何でもない」


「そうですか」


「うん」


「……」


 沈黙。


 今度は澪が口を開く。


「優真さん」


「ん?」


「先ほどの発言ですが」


「……」


 心臓が跳ねた。


「どれ?」


「……」


 澪が止まる。


「何でもありません」


「……そっか」


「はい」


「……」


「……」


 二人とも。


 聞きたいことは同じだった。


 あれは。


 母親に説明するためだけの言葉だったのか。


 だが。


 どちらも聞けなかった。


「コーヒー飲む?」


「……はい」


「淹れるよ」


「私が」


「いいよ。座ってて」


「ですが」


「大丈夫」


「……ありがとうございます」


 優真は立ち上がり、キッチンへ向かった。


「……」


 澪から見えなくなったところで。


「……ふぅ」


 大きく息を吐く。


 胸に手を当てる。


「……やば」


 まだ速い。


 一方。


 リビング。


「……」


 澪は誰もいなくなったキッチンの方を見る。


 そして。


 そっと両手で頬を押さえた。


「……熱いです」


 キッチンでは優真が胸を押さえ。


 リビングでは澪が頬を押さえていた。

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