第34話 豆乳プリン
翌日。
キッチンには、昨日までなかったものが置かれていた。
電子圧力鍋。
澪はその前に立ち、取扱説明書を読んでいた。
「……」
一ページ目。
安全上の注意。
各部の名称。
使用方法。
調理モード。
手入れの方法。
順番に確認していく。
「澪」
「はい」
「まだ読んでるの?」
「はい」
「結構経ったよ?」
「現在、四十二ページです」
「全部読むつもり?」
「当然です」
「料理するだけだよ?」
澪が説明書から顔を上げた。
「圧力を利用する調理器具です」
「はい」
「使用方法を誤れば危険です」
「はい」
「安全確認は必要です」
「……ごもっともです」
優真は何も言えなくなった。
「じゃあ、読み終わったら教えて」
「分かりました」
優真がソファへ戻る。
しばらくして。
「……」
説明書を読み終えた澪は、電子圧力鍋の前に立った。
今日作るものは決まっている。
豆乳プリン。
料理教室でゆりから教えてもらったものだ。
卵。
豆乳。
ラカント。
材料も少ない。
工程も単純。
「……」
澪は冷蔵庫を開けた。
卵。
ある。
ラカント。
ある。
豆乳。
「……」
ない。
もう一度確認する。
当然、ない。
「優真さん」
「何?」
「豆乳がありません」
「あ」
「……」
「買ってなかった」
「なぜですか」
「圧力鍋のことしか考えてなかった」
「豆乳プリンを作るために購入したのでは?」
「いや、それだけのためじゃないけど」
「ですが、最初に作る予定でした」
「ごめん」
澪は時計を見る。
「購入してきます」
「俺が行くよ」
「体調は回復しています」
「分かってるけど」
「徒歩圏内です」
「じゃあ、一緒に行く?」
「……」
澪が優真を見る。
「豆乳を購入するだけです」
「卵とか他にも見るかもしれないし」
「卵はあります」
「じゃあ散歩」
「散歩?」
「三日もほとんど家にいたでしょ」
「……」
「身体慣らすついでに」
澪は少し考えた。
「合理性はあります」
「じゃあ行こう」
「はい」
二人で家を出る。
スーパーまでは、それほど遠くない。
澪の歩く速度は、もう普段と変わらなかった。
「大丈夫?」
「はい」
「ふらつかない?」
「ありません」
「しんどくない?」
「ありません」
「ほんと?」
澪が足を止める。
「優真さん」
「何?」
「本日、同じ確認を三回されています」
「まだ三回?」
「まだ?」
「いや、何でもない」
「体調は回復しています」
「分かった」
数歩進む。
「でも、しんどくなったら言ってね」
「四回目です」
「これは確認じゃないよ」
「そうでしょうか」
優真が笑う。
澪もそのまま歩き続けた。
スーパーに着く。
豆乳をカゴへ入れる。
「これで終了です」
「早いね」
「目的の商品を確保しました」
「せっかくだから他も見ない?」
「必要なものはありません」
「プリンに何か乗せたりしないの?」
「必要ありません」
「フルーツとか」
「……」
澪が少し考える。
「いちごであれば、見た目は改善します」
「じゃあ買おう」
「ですが、豆乳プリンの調理には不要です」
「食べたい?」
「……」
澪がいちごを見る。
「少し」
「じゃあ買おう」
「はい」
カゴにいちごが追加された。
帰宅。
澪は手を洗うと、すぐに調理を始めた。
卵を割る。
混ぜる。
豆乳を量る。
ラカントを加える。
「優真さん」
「何?」
「混ぜすぎると気泡が増えます」
「うん」
「そのため、泡立てないように混ぜます」
「うん」
「さらに濾すことで――」
「澪」
「はい」
「実況してる?」
「確認です」
「誰に?」
「……」
澪の手が止まる。
「自分にです」
「そっか」
優真が笑う。
「続けて」
「必要ありません」
「やめるんだ」
澪は無視して作業を続けた。
容器へプリン液を流し込む。
電子圧力鍋へセット。
説明書をもう一度確認。
操作パネルを見る。
「……」
設定。
時間。
確認。
「問題ありません」
調理を開始する。
電子音が鳴った。
「これで待つだけ?」
「はい」
「便利だね」
「調理中に他の作業ができます」
「じゃあ、買って正解だった?」
「まだ完成していません」
「厳しいなあ」
「結果を確認してから評価します」
「はいはい」
優真はソファへ座った。
「澪も座れば?」
「状態を確認します」
「自動なんでしょ?」
「はい」
「じゃあ大丈夫じゃない?」
「……」
澪は電子圧力鍋を見る。
「説明書上は問題ありません」
「じゃあ座ろう」
「はい」
澪はソファへ向かう。
優真の隣に座った。
「……」
「……」
何もすることがない。
電子圧力鍋が調理している。
「便利ですね」
「もう評価変わってない?」
「まだ途中です」
「でも便利なんでしょ?」
「はい」
「そっか」
優真は嬉しそうだった。
「……」
澪はその横顔を見る。
「何?」
「いえ」
視線を戻す。
しばらくして。
電子音が鳴った。
「終わった?」
「はい」
澪はすぐに立ち上がる。
「急がなくていいよ」
「確認します」
手順通りに蓋を開ける。
「……」
容器を取り出す。
表面を見る。
「どう?」
「見た目に問題はありません」
「成功?」
「まだです」
「まだなの?」
「冷却が必要です」
「……プリンって時間かかるんだね」
「待ち時間が大半です」
粗熱を取る。
冷蔵庫へ。
さらに待つ。
優真は何度か冷蔵庫を見た。
「まだ?」
「まだです」
しばらくして。
「澪」
「まだです」
「何も聞いてないけど」
「プリンでは?」
「……そうだけど」
「まだです」
「はい」
さらに時間が経った。
ようやく。
「いいでしょう」
「おお」
澪が冷蔵庫から二つの容器を取り出す。
上にいちごを添える。
「できました」
「美味しそう」
「見た目は問題ありません」
「食べよう」
「はい」
二人でテーブルにつく。
澪がスプーンを持つ。
「いただきます」
「いただきます」
一口。
「……」
澪の動きが止まる。
「どう?」
「……」
「失敗?」
「いいえ」
もう一口。
「おいしいです」
「ほんと?」
「はい」
優真も食べる。
「……あ、美味しい」
「そうですか」
「普通にプリンだ」
「プリンを作りましたので」
「そうなんだけど」
優真がもう一口食べる。
「これ、また作ってよ」
「材料費は高くありません」
「そこじゃなくて」
「工程も簡単です」
「うん」
「電子圧力鍋を使用すれば、加熱中の管理も必要ありません」
「澪」
「はい」
「また作りたい?」
「……」
澪が止まる。
効率。
費用。
栄養。
そうではなく。
「はい」
「そっか」
「次は配合を少し変更してみたいです」
「いいね」
「バニラエッセンスを追加する方法もあります」
「それも美味しそう」
「抹茶も可能です」
「いいね」
「ココアも」
「全部作る?」
「順番に検証します」
「検証なんだ」
優真が笑う。
澪はプリンをもう一口食べる。
「……」
おいしい。
自分で作った。
作りたかったものを。
優真が買ってくれた電子圧力鍋で。
「優真さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「圧力鍋?」
「はい」
「どういたしまして」
「……」
「買ってよかった?」
澪は少しだけ間を置いた。
「はい」
今度は。
合理的だからでも。
効率的だからでもなかった。
「買っていただいて、よかったです」
優真は嬉しそうに笑った。
澪は、残っていたいちごを一つ口に入れた。




