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第29話 昼休みのはずだった

 昼休み。


 優真と直人は、並んで歩いていた。


「最近、あそこのオムライス美味いらしいよ」


 優真が通りの先を指す。


「へえ。あそこ、前からあったよな」


「うん。今日は並んでないみたいだし」


「じゃあ、そこにするか」


「そうしよ」


 ただ、それだけだった。


 特別な理由はない。


 昼飯を食べる店を探していて、たまたま目に入った。


 二人は店の前まで来る。


「Milky Café?」


 直人が看板を見る。


「ここ?」


「そうみたい」


「……優真」


「何?」


「これ、普通のカフェか?」


「オムライスあるんでしょ?」


「いや、そういう話じゃなくて」


 入口には、フリルのエプロンを着た女性のイラスト。


「……メイドカフェじゃないか?」


「え?」


 優真が看板を見る。


「ほんとだ」


「知らなかったのかよ」


「オムライス美味いって聞いただけだから」


「どうする?」


「別にいいんじゃない?」


「まあ、いいけど」


 扉を開ける。


 ベルが鳴った。


「おかえりなさいませ、ご主人様」


「……」


「……」


 聞き覚えのある声だった。


 優真の足が止まる。


 直人も止まった。


 カウンターの奥。


 白いフリル。


 黒を基調としたワンピース。


 エプロン。


 リボン。


 カチューシャ。


 その格好で立っていたのは。


「……」


 澪だった。


「……」


「……」


 三人とも動かなかった。


 澪が優真を見る。


 次に直人を見る。


 もう一度、優真を見る。


「……」


 優真も澪を見る。


 間違いない。


 妻だ。


 家では淡々と家計を管理し、仕事ではネクシアの管理業務をこなし、最近はヨガと料理教室に通っている。


 その妻が。


 メイド服を着ている。


「……澪?」


 優真がようやく声を出した。


「……」


 澪は答えなかった。


 直人がゆっくり優真を見る。


 その顔には、はっきり書いてあった。


 ――お前、知ってた?


 優真は小さく首を横に振った。


 知らない。


 何も聞いていない。


 澪は二人のやり取りを見た。


 そして。


「……二名様ですね」


 業務に戻った。


「いや」


 優真が思わず言う。


「澪」


「二名様ですね」


「……はい」


「こちらへどうぞ」


 押し切られた。


 澪が歩き出す。


 二人は顔を見合わせる。


「……行く?」


 優真が小声で聞く。


「ここまで来て帰れるか?」


「だよね」


 二人は澪についていった。


 案内された席に座る。


 澪がメニューを置いた。


「こちらがメニューです」


「……」


「……」


「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」


「澪」


「勤務中です」


「はい」


「ごゆっくりどうぞ」


 澪は一礼して離れていった。


 優真はその後ろ姿を見送る。


「……」


 直人も見送る。


 しばらくして。


「優真」


「何?」


「知らなかったんだよな?」


「知らないよ」


「だよな」


「知ってたら、こんな反応しないでしょ」


「まあな」


 二人でもう一度、カウンターを見る。


 澪は普通に働いていた。


 別の客に水を運ぶ。


 注文を取る。


 食器を下げる。


 動きに無駄がない。


「……似合ってるな」


 直人が言った。


「うん」


「そこは即答なんだな」


「まあ……澪だし」


「そうか」


「でも、なんで?」


「俺に聞くなよ」


「だよね」


 二人はメニューを見る。


 オムライス。


 パスタ。


 サンドイッチ。


 パフェ。


「……オムライスにする?」


「そのために来たんだろ」


「そうだった」


 優真が呼び出しボタンを押す。


 少しして。


「お呼びでしょうか、ご主人様」


「……」


「……」


 澪だった。


 優真は思わず顔を伏せた。


「何でしょうか」


「いや……」


「ご注文をお願いします」


「オムライス」


「一つですね」


「俺も同じので」


 直人が言う。


「二つ、承知しました」


 澪が伝票へ記入する。


 優真は、その横顔を見る。


「澪」


「はい」


「あとで話せる?」


「勤務中です」


「だから、あとで」


「帰宅後であれば可能です」


「分かった」


「では、失礼します」


 澪が離れていく。


 直人が小さく息を吐いた。


「強いな」


「何が?」


「この状況で普通に仕事できるのが」


「澪だからね……」


 しばらくして。


 オムライスが二つ運ばれてきた。


「お待たせしました」


 澪が二人の前に皿を置く。


「オムライスです」


「ありがとう」


「ありがとうございます」


 澪はケチャップを手に取った。


「……」


 優真が見る。


 直人も見る。


「何するの?」


「仕上げです」


「仕上げ?」


「ご希望の絵はありますか?」


「絵?」


「猫、ハートなどが可能です」


「……」


 優真が直人を見る。


 直人は目を逸らした。


 助ける気はないらしい。


「じゃあ……猫で」


「承知しました」


 澪は迷いなくケチャップを動かす。


 輪郭。


 耳。


 目。


 口。


「……上手いね」


「練習しましたので」


「練習したんだ……」


「はい」


 直人のオムライスにも猫を描く。


「俺も猫なの?」


「変更しますか?」


「いや、猫でいい」


「分かりました」


 二匹目。


 ほぼ同じ猫が完成した。


「すごいな」


 直人が呟く。


「ありがとうございます」


 そして。


 澪はケチャップを置いた。


「では、おいしくなるようにします」


「……」


 優真の表情が固まった。


「まだあるの?」


「はい」


「……何が?」


「ご覧ください」


 澪は両手を胸の前へ持っていく。


「……」


 直人が優真を見る。


 優真はもう何も言えない。


 澪が小さなハートを作る。


「おいしくなあれ」


「……」


「……」


 優真は固まった。


 直人も固まった。


 澪は真顔だった。


 仕事だから。


 必要な業務だから。


 ただそれだけ。


「……以上です」


「以上なんだ」


「はい」


「……」


 直人がゆっくり目を閉じる。


 そして、開いた。


「なるほどな」


「何が?」


「いや」


 直人はそれ以上言わなかった。


「ごゆっくりどうぞ」


 澪は一礼する。


「澪」


「はい」


「……いや、何でもない」


「そうですか」


 澪は背を向けた。


 一度も振り返らず、次のテーブルへ向かう。


 二人の前には、猫の描かれたオムライス。


「……」


「……」


 優真がスプーンを持つ。


 直人も持った。


 一口。


「……」


 味は、ちゃんと美味しい。


 評判になるのも分かる。


 ただ。


「直人」


「何だ?」


「味する?」


「する」


「そっか」


「でも、頭には入ってこない」


「俺も」


 カウンターの向こうを見る。


「おかえりなさいませ、ご主人様」


 澪が新しい客を迎えている。


 さっきより自然だ。


「……いつからやってるんだろ」


「帰ったら聞け」


「うん」


 直人がもう一口食べる。


「でもまあ」


「何?」


「仕事はできてるな」


「そこ?」


「お前の嫁らしいだろ」


「……それはそうかも」


 優真もオムライスを食べる。


 しばらく二人とも黙っていた。


 やがて直人が時計を見る。


「……優真」


「ん?」


「俺たち、昼休みだったよな」


「うん」


「会社戻るぞ」


「……うん」


 二人は残りのオムライスを食べた。


 会計を済ませる。


 店を出る直前。


「いってらっしゃいませ、ご主人様」


 澪の声が背中から聞こえた。


「……」


 優真は振り返りそうになって。


 やめた。


 店の外へ出る。


 扉が閉まる。


 数歩歩いて。


 直人が口を開いた。


「優真」


「何?」


「午後、仕事できそうか?」


「……分かんない」


「俺もだ」


 二人はそのまま、会社へ戻った。

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