第23話 壺
その日の夜。
澪はリビングのソファに座り、タブレットの画面を眺めていた。
表示されているのは、骨董市の出品ページ。
月に一度だけ更新される、以前から利用している店だった。
画面をゆっくりとスクロールする。
陶器。
古い食器。
花瓶。
置物。
気になったものだけを開き、詳細を確認していく。
制作年代。
産地。
状態。
価格。
その中で。
「……」
澪の指が止まった。
一つの壺だった。
落ち着いた色合い。
派手な装飾はない。
形も、特別珍しいわけではない。
制作年代は推定。
作家名は不詳。
情報としては、決して多くなかった。
それでも。
澪は画面を拡大した。
「……いいですね」
小さく呟く。
別の角度から撮影された写真を見る。
もう一枚。
さらにもう一枚。
価格を確認する。
予算内。
状態にも大きな問題はない。
サイズ。
高さ、五十八センチ。
直径、三十七センチ。
数字も確認した。
澪は少しだけ考えてから、購入ボタンを押した。
確認画面。
支払金額。
配送先。
すべて確認する。
注文を確定した。
「何買ったの?」
突然声をかけられ、澪が顔を上げた。
優真が冷蔵庫から水を取り出している。
「骨董品です」
「また?」
「また、というほど購入していません」
「何買ったの?」
「壺です」
「壺?」
「はい」
優真が近づいてくる。
「見せて」
「どうぞ」
澪がタブレットを渡す。
優真は画面を見る。
「……渋いね」
「そうでしょうか」
「俺には分からないけど」
「分からないのに渋いと判断したのですか?」
「見た感想」
「そうですか」
優真が写真を何枚か見る。
「これ、有名な人の?」
「作家名は不詳です」
「いつの物?」
「制作年代も推定です」
「本物なの?」
「何をもって本物とするかによります」
「……」
優真が黙った。
「澪」
「はい」
「それで買ったの?」
「はい」
「怖くない?」
「なぜですか?」
「いや、だって」
優真がもう一度画面を見る。
「誰が作ったか分からないんでしょ?」
「はい」
「いつ作ったかも正確には分からない」
「はい」
「なのに買うんだ」
「気に入りましたので」
優真の動きが止まった。
「……へえ」
「何でしょう」
「いや」
優真が少し笑う。
「澪でも、そういう買い方するんだなと思って」
「どういう意味ですか?」
「いつもなら比較して、調べて、数字見て、一番合理的なの選びそうだから」
「骨董品に同一条件の商品は存在しません」
「そういうところは澪だね」
「?」
「でも、気に入ったから買ったんでしょ?」
「はい」
「そっか」
優真はタブレットを返した。
「いいんじゃない?」
「……はい」
澪はもう一度、壺の写真を見る。
気に入った。
だから買った。
それだけだった。
数日後。
大きな段ボール箱が届いた。
「……」
玄関に置かれた箱を見て、澪が止まる。
「でかいね」
後ろから優真が覗き込む。
「はい」
「何これ?」
「先日購入した壺です」
「ああ、あれ?」
「はい」
「こんなに大きかったの?」
「高さ五十八センチです」
「いや、数字じゃなくて」
「?」
「まあいいや。開けてみようか」
「はい」
二人でリビングへ運ぶ。
梱包を外していく。
緩衝材を取り、箱から慎重に持ち上げる。
「おお……」
優真が声を漏らした。
写真で見た通りの壺だった。
落ち着いた色。
派手ではない。
澪は少し離れて眺める。
「……」
「どう?」
「問題ありません」
「気に入った?」
「はい」
澪は小さく頷いた。
「写真で確認した通りです」
「じゃあ、どこ置く?」
「……」
澪が止まった。
リビングを見る。
テレビ。
ソファ。
テーブル。
棚。
「こちらでしょうか」
棚の横に置く。
二人で見る。
「……」
「……」
優真が先に口を開いた。
「邪魔じゃない?」
「動線に干渉します」
「だよね」
「では、こちらに」
窓際へ移動する。
「……」
「カーテン閉めにくくない?」
「干渉します」
「うん」
玄関にも置いてみる。
「靴履く時、邪魔だね」
「……はい」
寝室。
「ここは?」
「却下します」
「早いね」
「就寝空間に置く必要性がありません」
「まあ、そうだね」
再びリビングへ戻る。
壺を置く。
二人で見る。
「……」
「……」
澪が腕を組んだ。
「おかしいですね」
「何が?」
「寸法は確認しました」
「うん」
「高さ五十八センチ。直径三十七センチ」
「うん」
「想定した範囲です」
「でも、でかかった?」
「……」
澪は壺を見る。
「数値と実物では、空間に与える圧迫感が異なります」
「つまり?」
「……」
少し間があった。
「想定より邪魔です」
優真が吹き出した。
「笑わないでください」
「ごめん」
「気に入ってはいます」
「分かってるよ」
「購入自体を後悔しているわけではありません」
「うん」
「ただ、置き場所がありません」
「それが一番問題じゃない?」
「……そうですね」
澪は壺を見つめた。
気に入っている。
手放すつもりはない。
しかし、この家に置く場所もない。
「実家に置けば?」
優真が言った。
「実家?」
「前に、骨董品置いてるって言ってなかった?」
「はい」
実家には、澪が以前集めた骨董品がいくつか置いてある。
今の家より保管場所にも余裕がある。
「……」
澪は壺を見る。
実家。
ここ。
もう一度、実家。
「合理的ですね」
「そう?」
「はい」
「じゃあ決まりだね」
「送ります」
「持って行かないの?」
「配送した方が効率的です」
「まあ、壺持って行くの大変だしね」
澪はすぐにスマートフォンを取り出した。
「集荷を依頼します」
「早いね」
「ここに置いておく理由がありませんので」
「気に入って買ったのに、滞在数日か」
「所有権は変わりません」
「そういう問題なのかな」
優真は笑った。
翌日。
澪は壺を元の箱へ戻していた。
緩衝材を確認する。
隙間がないように詰め直す。
割れ物。
取扱注意。
送り状を記入する。
届け先は、実家。
「これで問題ありません」
最後に箱を閉じる。
「実家に連絡しなくていいの?」
優真が聞いた。
「必要でしょうか」
「急にこんな大きいの届いたら、びっくりしない?」
「私の荷物は以前から置いてあります」
「いや、そうだけど」
「受け取ることは可能です」
「ならいいけど」
「はい」
澪は集荷時間を確認した。
ほどなくして業者が来る。
大きな箱が玄関から運び出されていった。
「これで解決です」
「解決なのかな」
「はい」
澪に迷いはなかった。
この家には置く場所がない。
実家にはある。
だから送った。
それだけのことだった。
数日後。
夕食を終えた頃、澪のスマートフォンが鳴った。
画面を見る。
「……母」
「出なくていいの?」
「出ます」
澪は通話ボタンを押した。
「もしもし」
『澪? 何なの、あの壺』
「届きましたか」
『届いたわよ。いきなりあんな大きな物が送られてきたら驚くでしょう』
「破損はありませんでしたか?」
『ないけど、そういう話じゃないの』
「?」
『なんでこっちに送ってきたの?』
「保管をお願いします」
『それは見れば分かるわよ。どうして自分の家に置かないの?』
「置く場所がありませんでしたので」
『置く場所がない?』
「はい」
『あなたの部屋、そこまで狭くなかったでしょう』
「以前の住居とは違います」
一瞬。
電話の向こうが静かになった。
『……以前の?』
「はい」
『澪、引っ越したの?』
「はい」
『いつ?』
「少し前です」
『聞いてないんだけど』
「報告の必要性を感じませんでしたので」
『……』
「お母さん?」
『引っ越したら普通は親に言うでしょう』
「成人していますので、手続き上の問題はありません」
『手続きの話をしてるんじゃないの』
「では、何の話でしょうか」
『……あなたねえ』
母親の声が少し低くなる。
『今、どこに住んでるの?』
「以前の住居から、それほど離れていません」
『そういうことを聞いてるんじゃないの。住所は?』
「なぜですか?」
『新しい住所くらい教えなさい』
「……」
澪は少し考える。
実家から何かを送る場合には必要になる。
住所を知らせること自体に、不都合もない。
「分かりました。後ほど送ります」
『絶対よ』
「はい」
『それと――』
母親が何か言いかけて止まった。
「何でしょう」
『……もういいわ』
「分かりました」
『よくないけどね』
通話が切れた。
澪はスマートフォンを見る。
「何だった?」
優真が尋ねる。
「壺が届いたという連絡です」
「やっぱり驚いてた?」
「はい」
「ほら」
「ですが、破損はありませんでした」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「?」
「まあ、いいけど」
澪はスマートフォンを操作する。
「何してるの?」
「住所を送っています」
「実家に?」
「はい。母に教えるよう言われました」
「そっか」
新しい住所を入力し、送信する。
「これで問題ありません」
澪はスマートフォンをテーブルに置いた。
壺は無事に届いた。
保管場所も確保できた。
新しい住所も伝えた。
必要な対応は、すべて完了している。
澪はそう判断して、食器を片付け始めた。




