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第20話 運動会

 インターホンが鳴ったのは、平日の夕方だった。


「はい」


 澪がドアを開ける。


「あ、澪ちゃん!」


 立っていたのは水森だった。


 満面の笑みで、一枚のチラシを持っている。


「こんにちは」


「ねえねえ、今度の日曜日、空いてる?」


「日曜日ですか?」


「そう。町内の運動会があるのよ」


「……運動会?」


「小学校の校庭でやるの。毎年恒例なのよ」


 差し出されたチラシを、澪が受け取る。


 町内対抗運動会。


 綱引き。


 玉入れ。


 リレー。


 大玉転がし。


 いくつかの競技と開始時間が並んでいる。


「参加は必須でしょうか」


「そんなわけないでしょ」


「では――」


「でも来てね」


「……」


 澪が顔を上げる。


「任意なのでは?」


「任意よ」


「でしたら――」


「だから任意で来て」


「……」


 澪が止まった。


「どういう意味でしょうか」


「もう、細かいわねえ」


 水森が笑う。


「せっかく引っ越してきたんだから、近所の人と顔合わせといた方がいいわよ」


「顔はすでに――」


「澪ちゃん」


「はい」


「来て」


「……」


 しばらく考えて。


「優真さんに確認します」


「じゃあ二人で来てね」


「まだ参加するとは――」


「待ってるから!」


 水森は言いたいことだけ言うと、手を振って帰っていった。


 澪は閉じたドアを見る。


「……」


 それから手元のチラシを見る。


「任意……」


 どうにも納得できない。


「誰だった?」


 リビングから優真が顔を出す。


「水森さんです」


「何だって?」


「日曜日に町内の運動会があるそうです」


「へえ」


 澪がチラシを渡す。


「参加は任意だそうです」


「じゃあ、どうする?」


「来てほしいと言われました」


「なら行く?」


「……優真さんは構いませんか?」


「別にいいよ。日曜だし」


「分かりました」


 澪が頷く。


「では参加します」


「そんな仕事みたいに決めなくても」


「予定には入れておきます」


「はい」


 すでにスマートフォンを操作している。


 優真は苦笑した。


「運動会か」


「何でしょう」


「いや」


 優真はチラシを見る。


「久しぶりだなと思って」


「私は、かなり久しぶりです」


「俺も」


「では、問題ありませんね」


「何が?」


「条件は同じです」


「勝負する気?」


「していません」


 即答だった。


 本当にしていないのか。


 優真には少しだけ分からなかった。


     *


 日曜日。


「思ったより本格的だな」


 小学校の校庭を見ながら、優真が呟いた。


 簡易テントが並び、町内ごとに人が集まっている。


 子供の姿も多い。


 放送用のテントまで用意されていた。


「優真さん」


「何?」


「こちらです」


「もう分かったの?」


「町内名が書かれています」


「あ、本当だ」


 澪は帽子をかぶり、水筒を持っている。


 いつもの服装とは違う。


 動きやすそうなシャツにパンツ。


 優真は隣を歩きながら、なんとなく澪を見る。


「何でしょう」


「いや」


「何か?」


「そういう格好もするんだなと思って」


「運動に適した服装です」


「うん」


「おかしいですか?」


「全然」


 むしろ似合っている。


 そう言おうとして。


「澪ちゃーん!」


 遠くから声が飛んできた。


 水森だった。


「あら、ちゃんと二人で来たのね!」


「おはようございます」


「おはようございます」


「いいわねえ、新婚夫婦で運動会!」


「新婚であることと、運動会への参加に関連性はありますか?」


「朝から澪ちゃんねえ」


「?」


 水森が笑う。


「ほら、こっちこっち」


 二人は町内のテントへ案内された。


「何か出たい競技ある?」


 水森に聞かれ、澪は競技表を見る。


「特には」


「じゃあ玉入れ出て」


「分かりました」


「即決なんだ」


 優真が言う。


「比較的ルールが単純ですので」


「そこ?」


「優真くんは綱引きね」


「俺も?」


「若い男手は貴重なのよ」


「拒否権は?」


「あるわよ」


「じゃあ――」


「出るわよね?」


「……出ます」


「優真さん」


「何?」


「任意とは、何なのでしょうか」


「俺にも分からなくなってきた」


 水森だけが楽しそうに笑っていた。


     *


 先に始まったのは、玉入れだった。


 澪が指定された場所へ向かう。


「頑張ってねー!」


 水森が声を上げる。


「はい」


 澪は真面目に返した。


 優真は少し離れた場所から見ていた。


 合図が鳴る。


 澪が玉を拾う。


 投げる。


 また拾う。


 投げる。


「……」


 思っていた以上に真剣だった。


 ほとんど表情を変えず、ひたすら玉を籠へ投げ続けている。


「澪ちゃん、すごいわね」


 隣の水森が笑う。


「負けず嫌いなの?」


「いや、たぶん」


 優真は澪を見る。


「やるからには、ちゃんとやってるだけだと思います」


「あら、それを負けず嫌いって言うんじゃない?」


「……そうなのかな」


 終了の笛が鳴る。


 澪が戻ってきた。


「お疲れ」


「はい」


「結構入ってたな」


「二十三個です」


「数えてたの?」


「自分が投げた数は三十一個です」


「そこまで?」


「成功率は――」


「計算しなくていいから」


「そうですか」


 澪が水筒を開ける。


 一口飲んで。


「……」


 少しだけ肩を回した。


「どうした?」


「何でもありません」


「肩?」


「少し違和感があるだけです」


「普段使わないところ使ったからじゃない?」


「その可能性はあります」


 今度は反対側へ肩を回す。


 水森がそれを見て笑った。


「澪ちゃん、身体硬いんじゃない?」


「硬い?」


「ちょっと前屈してみて」


「なぜですか?」


「いいから、いいから」


 澪は少し怪訝そうにしながらも、立ち上がる。


 足を揃えて。


 前へ身体を倒す。


「……」


 途中で止まった。


「澪」


「はい」


「硬いな」


「……」


「すっごい硬いわね」


 水森が笑う。


「問題でしょうか」


「問題ってほどじゃないけど、もうちょっと身体動かした方がいいんじゃない?」


「日常生活に支障はありません」


「そういう話じゃないのよ」


 水森が自分の身体を軽く伸ばす。


「近くでヨガ教室やってるのよ」


「ヨガ」


「そう。初心者でも大丈夫だし、身体もほぐれるわよ」


「……」


 澪が少し考える。


「運動効率は高いのでしょうか」


「そういうこと気にするなら、一回来てみたら?」


「一回」


「体験できるわよ」


 澪は自分の手を見る。


 それからもう一度、前屈してみた。


 やっぱり途中で止まる。


「……」


 優真が笑いそうになって。


 澪に見られた。


「何でしょう」


「何でもない」


「笑いましたか?」


「笑ってないよ」


「そうですか」


 明らかに疑っている。


 水森が楽しそうに澪の肩を叩く。


「今度一緒に行きましょ」


「……検討します」


「あら」


 水森が少し驚いた。


「断らないのね」


「実際に身体が硬いことは確認できましたので」


「そういうところ、ほんと澪ちゃんよね」


「?」


 澪は意味が分からないまま、水筒を手に取った。


     *


 帰り道。


「疲れた」


 優真が腕を回す。


「綱引き、思ったよりきついな」


「優真さん」


「何?」


「明日は筋肉痛になる可能性があります」


「澪もじゃない?」


「私は玉入れです」


「三十一回も投げたんでしょ?」


「……」


 澪が右肩を触る。


「可能性はあります」


「ほら」


「問題ありません」


「それ好きだね」


「事実ですので」


 二人で歩く。


 少しして。


「優真さん」


「ん?」


「ヨガは、どう思いますか?」


「いいんじゃない?」


「そうですか」


「興味あるの?」


「興味というより」


 澪は少し考える。


「改善できるのであれば、試す価値はあると思います」


「澪らしいね」


「どういう意味ですか?」


「そのままの意味」


「……?」


 澪は少し納得していない顔をした。


 それでも。


 スマートフォンを取り出す。


「何してるの?」


「予定を確認しています」


「ヨガの?」


「はい」


「もう行く気じゃん」


「まだ検討中です」


「予定見てるのに?」


「検討するために必要です」


「はいはい」


 澪は画面を見ながら歩く。


「前見てね」


「見ています」


「見てないでしょ」


 優真が笑う。


 澪はスマートフォンから顔を上げた。


「見ています」


「今はね」


「……」


 少しだけ不満そうな顔をして。


 澪はスマートフォンを鞄へしまった。


 二人はそのまま、並んで家へ向かった。

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