↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/60

第18話 顔合わせ

 派遣会社へ依頼を出してから数日後。


 ネクシアに、一人の女性がやってきた。


「本日はよろしくお願いいたします」


「よろしくお願いします」


 派遣会社の担当者の隣で、女性が丁寧に頭を下げる。


「佐倉由奈です」


 柔らかい声だった。


 優真も頭を下げる。


「神谷優真です。よろしくお願いします」


「妻の澪です」


「よろしくお願いします」


 少し離れたところでは、直人と陸が仕事をしている。


 今日は面接ではない。


 派遣会社から紹介された由奈に実際の職場を見てもらい、仕事内容や働き方を確認するための顔合わせだった。


「どうぞ、座ってください」


「ありがとうございます」


 優真が椅子を勧める。


 由奈は派遣会社の担当者が座るのを待ってから、自分も腰を下ろした。


 ほんの些細なことだった。


 けれど優真は、なんとなく思った。


 周りをよく見ている人だな、と。


「では、業務内容について説明します」


 澪が資料を置いた。


「主な業務は、電話対応、来客対応、書類整理、データ入力、備品管理です」


「はい」


「宅配便等の受け取りもお願いします」


「分かりました」


「また、優真さんが不在の場合、お客様からの電話を受けることがあります」


「その場合は、戻られる時間を確認して、折り返しでしょうか?」


「はい。ただし、戻る時間が不明な場合もあります」


「でしたら、ご用件とご連絡先を伺って、神谷社長に確認してから折り返していただく形で大丈夫ですか?」


「はい。問題ありません」


「分かりました」


 由奈は手元のメモに書き込んでいく。


 相手の名前。


 会社名。


 用件。


 連絡先。


 折り返しの要否。


 まだ説明していない部分まで、自分が必要だと思った項目を整理していた。


「電話対応、慣れてるんですね」


 優真が言う。


「前の派遣先でも担当していましたので」


「それは助かるなあ」


「優真さん」


「何?」


「まだ決まっていません」


「あ、そうだった」


 由奈が小さく笑った。


「いえ」


 優真も笑う。


 澪は気にする様子もなく、次の説明へ移った。


「佐倉さん」


「はい」


「何か不明な点はありますか?」


「そうですね……」


 由奈は少し考える。


「お電話について、一つ確認してもいいでしょうか?」


「はい」


「取引先によって、優先して取り次いだ方がいい方はいらっしゃいますか?」


「……」


 澪が止まった。


「例えば、急ぎのご連絡が多い会社や、神谷社長に直接つないだ方がいい方などです」


「……」


 澪が優真を見る。


「優真さん」


「何?」


「一覧を作成していませんでした」


「ああ、確かに」


「必要ですね」


「うん」


 由奈が慌てて口を挟む。


「あ、すみません。なければ大丈夫です」


「いえ」


 澪はすでにパソコンへ入力している。


「必要な情報です。作成します」


「ありがとうございます」


 由奈が微笑む。


 澪は少しだけその顔を見てから、再び画面へ視線を戻した。


「他にはありますか?」


「来客対応についてですが、お客様用のお飲み物はどちらにありますか?」


「水です」


「……水?」


「はい」


 由奈が一瞬だけ止まった。


「ペットボトルのお水でしょうか?」


「はい」


「お茶やコーヒーは?」


「ありません」


「……そうなんですね」


「必要でしょうか?」


「え?」


 逆に聞かれて、由奈が少し困る。


「あると……いいと思います」


「なぜでしょうか」


「なぜ……」


 由奈が言葉を探す。


「お客様にお出しできますので」


「水でも出せます」


「そうなんですけど……」


「澪」


 優真が止めた。


「何でしょう」


「お茶、買おう」


「水があります」


「買おう」


「なぜですか?」


「来てもらったお客さんに選んでもらえる方がいいでしょ?」


「……」


 澪が少し考える。


「選択肢を増やすということですか?」


「まあ、そんな感じ」


「分かりました」


 澪がメモを追加する。


 由奈が小さく笑った。


「すみません」


 澪が顔を上げる。


「なぜ佐倉さんが謝るのでしょうか」


「いえ、なんとなく……」


「佐倉さんに問題はありません」


「ありがとうございます」


「はい」


 由奈の笑顔が、ほんの少しだけ困ったものになった。


 その時だった。


 電話が鳴った。


 澪が受話器へ手を伸ばす。


 その動きを見て、由奈が声を上げた。


「あ、私、出ましょうか?」


 澪の手が止まる。


「まだ契約前です」


「あっ」


 由奈も止まった。


「そうでした。すみません」


「いえ」


 澪が電話を取る。


「はい。株式会社ネクシアです」


 その瞬間。


 直人と陸が同時に顔を上げた。


「……」


「……」


 由奈が二人を見る。


 直人と陸は何も言わず、再び画面へ戻った。


「はい」


 澪の声が聞こえる。


「優真さんは現在ここにいます」


「澪、俺?」


「はい」


 澪が受話器を差し出す。


「山下様です」


「ありがとう」


 優真が代わる。


「お世話になってます、神谷です」


 声が変わった。


 さっきまでとは違う。


「ああ、先日の件ですね。はい、大丈夫ですよ」


 優真が笑いながら話す。


「いえいえ、そんな。こちらこそ紹介していただいて助かりました」


 少し話して。


「分かりました。じゃあ、また伺います」


 電話を切る。


「仕事ですか?」


 陸が聞く。


「うん。前に紹介してもらった社長さん」


「また仕事増えるんですか?」


「まだ分からないよ」


「……」


「何?」


「その言い方、増えるやつですよね」


「何で?」


「この前見たからです」


 直人が笑う。


「陸も分かってきたな」


「何がですか?」


「優真の『まだ分からない』は、だいたい取ってくる」


「やめてよ」


「違うのか?」


「まだ相談だから」


「じゃあ、断る可能性は?」


「条件が合えば受けたいけど」


「ほら」


「何が?」


 由奈が三人を順番に見る。


 そして、少しだけ笑った。


「仲がいいんですね」


「え?」


 優真が聞き返す。


「皆さん」


「そう見えます?」


「はい」


 即答だった。


「話しやすそうな職場だなって」


「……」


 陸が少しだけ視線を逸らす。


 直人は笑っている。


 澪だけが首をかしげた。


「業務中の私語は、それほど多くありません」


「あ、そういう意味ではなくて」


「?」


「……雰囲気です」


「雰囲気」


 澪が復唱する。


「はい」


「なるほど」


 由奈は澪を見た。


 少しだけ間を置いて。


「神谷さんは、とても真面目な方なんですね」


「はい」


「澪でいいですよ」


「え?」


「二人とも神谷なので、分かりにくいと思います」


「あ……では、澪さんで」


「はい」


 由奈が微笑む。


「では私も、由奈で大丈夫です」


「分かりました。由奈さん」


 澪は何の抵抗もなく呼んだ。


 由奈が少しだけ目を丸くする。


「……はい」


 優真が笑う。


「澪、そういうところ早いよね」


「本人から許可をいただきましたので」


「そうなんだけど」


「何か問題がありますか?」


「ないよ」


 由奈がまた小さく笑った。


 その時。


 インターホンが鳴った。


「あ」


 澪が立ち上がろうとする。


「私が――」


 由奈も反射的に立ちかけて。


 止まった。


「……まだでした」


「はい」


「すみません」


「問題ありません」


 澪が入口へ向かう。


 ドアを開けると、宅配便だった。


「株式会社ネクシア様ですね」


「はい」


「お荷物です」


「そこに置いてください」


「あ、サインをお願いします」


「分かりました」


 澪が受け取りを済ませる。


 戻ってきて、何事もなかったように座った。


「……」


 由奈が少しだけ入口を見る。


 そして澪を見る。


「どうしましたか?」


「いえ」


 由奈は柔らかく笑った。


「本当に、いろいろされてるんですね」


「必要ですので」


「電話も、来客も、荷物も?」


「はい」


「それ以外のお仕事もありますよね?」


「経理、契約、請求、進行管理等です」


「……大変ではありませんか?」


「問題ありません」


 即答だった。


 由奈は少しだけ黙る。


「でも、途中で電話が入ると、作業が止まりませんか?」


「止まります」


「来客でも?」


「はい」


「それなら」


 由奈は少しだけ言葉を選んだ。


「そういう部分を私が担当できれば、澪さんは自分のお仕事に集中できますね」


「……」


 澪が止まった。


「そうですね」


「はい」


「確かに、その方が効率的です」


 由奈が笑う。


「そういうことです」


「理解しました」


 優真は二人を見ていた。


 言っていることは、自分たちが話していたことと同じだ。


 なのに。


 由奈が言うと、妙に柔らかい。


 澪も素直に聞いている。


「……いいかも」


 優真が呟く。


「何がですか?」


「いや、こっちの話」


「そうですか」


 顔合わせも終わりに近づいた。


「佐倉さん。他に質問はありますか?」


「勤務時間については、先ほど伺った通りですよね」


「はい」


「残業は?」


「基本的には想定していません」


「分かりました」


 由奈は少し考えてから、事務所を見回した。


 広くはない。


 立派でもない。


 大企業のように何もかも整っているわけでもない。


 でも。


「私は大丈夫です」


「ありがとうございます」


 優真が答える。


「じゃあ、来てもらう方向で――」


「優真さん」


「はい」


「私たちだけで決めるものではありません」


「あ……そうだった」


 澪が由奈を見る。


「佐倉さんご自身はいかがでしょうか」


「私ですか?」


「はい」


 由奈は少し驚いたようだった。


 それから、柔らかく笑う。


「私も、こちらで働いてみたいです」


「本当?」


「はい」


「よかった」


 優真が素直に笑う。


「正直、すごく助かります」


「まだ勤務開始前です」


「澪、細かいよ」


「重要です」


「はいはい」


 直人が笑う。


 陸も少しだけ笑っていた。


 由奈は三人を見て。


 最後に澪を見る。


「……少し、個性的な会社ですね」


「どの部分でしょうか」


 澪が本気で聞いた。


「あ……」


 由奈が一瞬困る。


「悪い意味ではありません」


「そうですか」


「はい」


「でしたら問題ありません」


「……はい」


 由奈は笑顔のまま頷いた。


 その笑顔が、ほんの少しだけ困っていることに。


 澪だけは気づいていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。