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第16話 三件

 直人と陸がネクシアで働き始めて、数日が経った。


 まだ正式に整っていない部分は多い。


 机も最低限。


 仕事の進め方も、以前の会社とは違う。


 何より。


 会社そのものが小さい。


 陸にとっては、何もかもが今までとは違っていた。


「陸、この部分どうする?」


「そこ、俺がやります」


「分かった」


 直人から渡された資料を受け取り、陸はパソコンへ向き直る。


 仕事そのものに不満はなかった。


 むしろ、やりやすい。


 余計な承認がない。


 意味の分からない会議もない。


 技術的な判断は、基本的に直人と陸へ任されている。


 澪も、理由を説明すれば聞く。


 正しいと判断すれば、すぐに認める。


 前の会社とは比べものにならない。


 ただ。


「陸くん」


「はい」


 呼ばれて振り返る。


 優真が立っていた。


「これ、お客さんから追加で聞かれたんだけど」


「ああ、それならできますよ」


「どれくらい?」


「今日中には」


「分かった。ありがとう」


「はい」


 優真が離れていく。


 その背中を見ながら、陸は再び画面へ向き直った。


 悪い人ではない。


 それはもう分かっている。


 技術者の話も聞く。


 分からないことを、分かったふりもしない。


 社長だからと偉そうにもしない。


 でも。


 プログラムは、本当に何も分からない。


 この前もそうだった。


「これって難しい?」


 そう聞かれて説明したら、


「ごめん、途中から全然分からない」


 と普通に言われた。


 社長なのに。


 自分たちが作っているものを、ほとんど理解していない。


 陸には、それが少し不思議だった。


「……佐伯さん」


「ん?」


「社長って、いつも何してるんですか?」


 直人の手が止まった。


「お前、それ本人に聞くなよ」


「聞いてませんよ」


「ならいいけど」


「営業なのは知ってます」


「だったら営業してるんだよ」


「それは分かってます」


 陸は少し考える。


「でも、営業ってそんなにやることあります?」


「……」


 直人が陸を見る。


「お前、それ優真の前で言うなよ」


「なんでですか?」


「別に怒らないだろうけど」


 直人は笑った。


「そのうち分かる」


「何が?」


「営業が何してるか」


 陸には、よく分からなかった。


 その日の昼前。


 優真が陸のところへやってきた。


「陸くん」


「はい?」


「ちょっと聞いていい?」


「何ですか?」


「今って、まだ仕事増やしても大丈夫?」


 陸は画面を見る。


 現在進めている案件。


 直人の担当。


 自分の担当。


 外注から引き継いだ分も、だいぶ整理できている。


「えーと……」


 少し考える。


「まだ大丈夫ですよ」


「本当?」


「はい」


 陸は何気なく答えた。


「どれくらい?」


「そうですね……」


 今の規模なら。


 それほど大きくない案件なら。


「三件くらいなら大丈夫です」


「三件ね」


「はい」


「分かった」


 優真が頷く。


「じゃあ、三件くらい仕事取ってくるよ」


「……え?」


「行ってきます」


「え、ちょっと」


 優真は鞄を持った。


「澪、行ってくるね」


「はい。予定は確認しています」


「夕方には戻ると思う」


「分かりました」


 そのまま事務所を出ていった。


「……」


 陸はドアを見る。


 そして。


「佐伯さん」


「何だ?」


「今の、どういう意味ですか?」


「そのままの意味だろ」


「いや」


 陸は眉を寄せる。


「三件取ってくるって」


「言ってたな」


「今日?」


「多分」


「そんなわけないでしょ」


「……」


 直人が笑った。


「何ですか?」


「いや」


「普通、営業ってそんな簡単に仕事取れないですよね?」


「普通はな」


「じゃあ無理じゃないですか」


「まあ見てろ」


「何を?」


「帰ってくるまで仕事してろ」


「してますよ」


 陸は納得できないまま、画面へ向き直った。


 昼を過ぎ。


 午後になった。


 優真から何度か澪へ連絡が入る。


「はい」


 澪が電話に出る。


「……その条件でしたら問題ありません」


 少しして。


「はい。では、お願いします」


 電話が切れる。


 陸が何となく澪を見る。


「今の、社長ですか?」


「はい」


「何だったんです?」


「一件、受注できそうなので条件の確認です」


「……一件?」


「はい」


 まだ一件。


 陸は再び仕事へ戻る。


 一時間ほど経った頃。


 また電話が鳴った。


「はい」


 澪が出る。


「……分かりました」


 キーボードを操作する。


「その日程であれば対応可能です」


 電話が切れる。


「……」


 陸が見る。


「二件目です」


「まだ何も聞いてませんけど」


「気になっているようでしたので」


「別に」


「そうですか」


「……二件目?」


「はい」


 陸は時計を見る。


 優真が出ていってから、まだ数時間しか経っていない。


「佐伯さん」


「仕事しろ」


「いや、でも」


「あと一件だな」


「本当に取るつもりなんですか?」


「優真はそのつもりだろ」


「……」


 そして夕方。


「ただいま」


 事務所のドアが開いた。


「おかえりなさい」


 澪が答える。


「疲れた」


 優真が鞄を置く。


 そのまま陸のところへやってきた。


「陸くん」


「はい」


「三件取れたよ」


「……」


「来週から打ち合わせ入れて大丈夫?」


「……三件?」


「うん」


「全部?」


「うん」


「今日だけで?」


「うん」


 陸は黙った。


 優真が首をかしげる。


「まずかった?」


「いや……」


「三件って言ってたよね?」


「言いましたけど」


「じゃあ大丈夫?」


「大丈夫です」


「よかった」


 優真は笑う。


「じゃあ明日、詳しい資料まとめるね」


 それだけ言って、澪の方へ向かう。


「澪、今日の分なんだけど」


「はい。二件は確認済みです」


「最後の一件が――」


 二人で話し始める。


 陸は、その姿を黙って見ていた。


「……佐伯さん」


「何だ?」


「あの人、何なんですか?」


「社長」


「それは知ってます」


「営業」


「それも知ってます」


 陸は優真を見る。


「なんで、そんな簡単に仕事取れるんですか?」


「簡単じゃないぞ」


「でも今日、三件取ってきましたよ?」


「今日初めて会った相手ばかりじゃない」


「え?」


「前の会社にいた頃から付き合いのある客だったり、そこから紹介された相手だったりする」


「……」


「優真が今まで営業で作ってきた信用があるんだよ」


 陸は黙った。


 仕事を取る。


 その言葉だけなら簡単だ。


 自分はこれまで、営業が取ってきた仕事を作る側だった。


 仕様がおかしければ文句を言った。


 無茶な納期なら怒った。


 営業が勝手な約束をすれば、何を考えているんだと思った。


 でも。


 自分で仕事を取ったことは、一度もない。


「……俺には無理ですね」


 ぽつりと陸が言った。


「何が?」


「今日中に三件、仕事取ってこいって言われても」


「そりゃそうだろ」


「佐伯さんは?」


「無理」


「ですよね」


 陸は少し笑った。


 パソコンを見る。


 そこにある仕事は。


 勝手に生まれたものではない。


 誰かが話をして。


 相手の困っていることを聞いて。


 信用してもらって。


 初めて、自分たちのところへ来る。


 作れるだけでは。


 仕事にはならない。


「プログラム、本当に何も分からないのにな……」


「まだ言うか」


「いや」


 陸は首を振った。


「そういう意味じゃないです」


 自分はプログラムが書ける。


 優真には書けない。


 だから。


 少しくらい、自分の方が上だと思っていた。


 でも。


 違った。


 優真には、自分ができないことができる。


 それも。


 簡単には真似できないことが。


「佐伯さん」


「ん?」


「あの人、ちゃんと仕事してたんですね」


「お前、本当に失礼だな」


「本人には言わないですよ」


「当たり前だ」


 その時。


「陸くん」


 優真に呼ばれた。


「はい」


「最後の一件なんだけど、ちょっと特殊みたいでさ。明日、先方と話す時に一緒に聞いてもらっていい?」


「俺がですか?」


「うん。俺だけだと技術的なところ分からないから」


「……」


「駄目?」


「いえ」


 陸は椅子から立ち上がった。


「行きます」


「助かる」


「その代わり」


「何?」


「技術的に無理なものは、無理って言いますよ」


「もちろん」


「お客さんの前でも?」


「うん」


 優真はあっさり頷いた。


「ただ、無理って言うだけじゃなくて、代わりにどうすればできるかも教えて」


「……」


「俺がそれをお客さんに説明するから」


 陸は少しだけ目を見開いた。


「分かりました」


「よろしく、陸くん」


「はい」


 優真はまた澪のところへ戻っていく。


 陸は、その背中を見送った。


 プログラムは何も分からない。


 たぶん。


 これから何度説明しても、分からないことはたくさんある。


 でも。


 それでいいのかもしれない。


 優真には、優真にしかできない仕事がある。


 自分には、自分にしかできない仕事がある。


 そして。


 互いにできないことを任せればいい。


「……社長か」


 陸が小さく呟く。


 さっきまでより。


 その呼び方が、少しだけしっくりきた。

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