無能と追放された私、精霊王に溺愛されたら元婚約者の国が財政破綻しました
公爵令嬢のエララは、王宮の大広間で毅然と立っていた。
目の前には、元婚約者であるセドリック王太子と、その隣で甘ったるく寄り添うフェリシア嬢。
彼らの視線は、エララを「無能」と断罪していた。
「エララ、貴様の無能さには我慢の限界だ!」セドリックの声が、広間に響き渡る。
「マナコアの管理と生産は国の根幹。それなのに貴様は、『休眠期間が必要』などと非効率な提言を繰り返し、生産を妨げてきた!」
フェリシアがセドリックの腕に擦り寄る。
「わたくしが調べたところ、エララ様がいらしてからマナコアの供給が滞りがちで、国の財政も圧迫されていますわ。無能な公爵令嬢は、国のお荷物でしかありません」
彼女の視線には、明らかな嘲りが宿っていた。
エララの心は静かだった。
彼女の視るマナコアは、生命を持つエネルギーの塊だ。
無限に採掘すれば枯渇し、やがては土壌そのものに毒を撒き散らす。
そのために提案した持続可能な生産サイクルを、彼らは理解しようとしなかった。
「魔力の循環を無視した過剰採掘は、いずれ国を滅ぼします」エララは静かに答えた。
「私の提言は、未来のための、必要不可欠な管理です。」
「戯言を!」セドリックは顔を歪めた。
「目先の利益も生み出せない貴様が、未来を語る資格などない! 貴様のような無能は、この国には不要だ!」
「よって、貴様との婚約を破棄し、辺境の不毛の地『荒廃の行進』へ追放する! 二度と都に戻ることは許さない!」
広間には驚きの声が漏れたが、エララは表情一つ変えなかった。
「かしこまりました」
淡々と返事をし、彼女は一礼して広間を後にした。
追放の馬車に揺られながら、エララは背後にある王都を振り返った。
もうすぐ、あの傲慢な王太子と愚かな女は、彼女が去った真の意味を知ることになるだろう。
エララの追放から数日後、王都では奇妙な異変が起こり始めていた。
「なんだ、このマナコアは? いつもより輝きが弱いではないか?」
「魔道具の起動に時間がかかる……まさか、マナ不足か?」
セドリックとフェリシアは、その小さな不調を「エララの妨害工作の残り香」と一笑に付した。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
数週間の旅路を経て、エララが辿り着いたのは、地図上で「不毛の荒野」と記された『荒廃の行進』だった。
しかし、彼女の目に映る景色は、予測とは少々異なっていた。
「ここは……」
そこは確かに荒れ果てていたが、不思議な静寂と、微かに残る生命の息吹を感じさせる場所だった。
馬車から降りたエララの前に、突如として人影が現れた。
透き通るような白髪に、紫水晶の瞳を持つ、まるで月の光を纏ったような青年だ。
彼は深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました、我が世界の織り手よ」
青年の声は、澄んだ泉のようだった。
「私はゼファー。この地の精霊王。貴女が来るのを、長い間待っておりました」
エララは驚きもせず、ただ静かに彼の言葉を受け止めた。
ゼファーはにこやかに言った。
「この地が『荒廃の行進』と呼ばれているのは、人間が貴女の力を理解できなかったからです。
貴女の踏みしめる一歩一歩が、この地の隠された生命力を呼び覚ます。
さあ、共に世界を紡ぎましょう、エララ様」
彼の指す方を見ると、足元の枯れた土壌の奥から、微かに緑の光が瞬いたように見えた。
***
エララと精霊王ゼファーは、『荒廃の行進』の奥地へと足を踏み入れた。
「この地は、かつては豊かなマナに満ちていました。しかし、人間たちがその循環を乱し、力を奪いすぎた」ゼファーの声は悲しみを帯びていた。
「貴女の『休眠期間』という概念は、まさにこの地の命そのもの」
エララは目を閉じ、全身で大地の鼓動を感じ取った。
彼女の手から、微かな光が放たれ、枯れた大地に染み渡っていく。
「マナは生き物です。休ませ、慈しむことで、より強く、清らかに還ってくる」
彼女が歩む一歩ごとに、足元の土壌が柔らかくなり、僅かに緑の芽吹きが見え始める。
それはまるで、枯れた絵画に色が戻るようだった。
ゼファーは感嘆の息を漏らした。
「素晴らしい……貴女のマナは、この地の生命力を根源から呼び覚ましている」
数日後、『荒廃の行進』は驚くべき変貌を遂げていた。
枯れ木は若葉を茂らせ、岩だらけだった地面からは清らかな泉が湧き出し、生命の輝きに満ち溢れていた。
何よりも、地面の奥深くから、澄み切った新しいマナコアの光が脈打つのが感じられた。
それは、王都で採れるものとは比べ物にならないほど純粋で、強力だった。
「これなら、この地のマナだけで、隣国一つを賄えるでしょう」ゼファーが目を輝かせた。
「しかも、貴女の管理下であれば、決して枯れることはない」
エララは静かに頷いた。
彼女の目的は、自らの力を証明することではなく、マナを正しく循環させ、世界を守ることだった。
一方、王都では事態が急速に悪化していた。
「殿下! マナコアの供給が完全に途絶しました! 魔導炉が停止し始めています!」
「緊急輸入したはずの他国のマナコアも、出力が弱く、すぐ枯れてしまう!」
セドリック王太子は顔面蒼白で執務室に座り込んでいた。
マナコア不足は国の生命線だった。
照明の魔石は輝きを失い、魔導具は次々と機能を停止。
都市機能は麻痺し、市場からは活気が消え失せていた。
フェリシアは焦りからか、セドリックの腕を掴んだ。
「まさか、あの無能なエララが、こんなことまで計算していたとでも? 馬鹿な! あんな女にそんな知恵があるはずがないわ!」
彼女はエララへの執着と劣等感から、現実を拒否しようとする。
「隣国からは、私たちのマナコア管理体制に疑問の声が上がっています。貿易協定の見直しを要求する国まで……」
騎士団長が震える声で報告する。
国の財政は破綻寸前だった。
魔道具産業は壊滅し、大量の失業者が街に溢れた。
「ぐぅ……そ、そんな馬鹿な……」セドリックの目には、ようやく後悔の色が浮かび始めていた。
だが、もう遅かった。
その日、王都に隣国の公爵、ガストンが緊急訪問した。
彼は厳かな表情で玉座の間に立ち、セドリックとフェリシアを冷たい目で見つめた。
「セドリック王太子殿下、貴国のマナコア不足は看過できません。我々は緊急支援として、高品質のマナコアを提供すべく参りました」
セドリックは縋るように顔を上げた。
「おお、ガストン公爵! 感謝する! どのような対価でも支払おう!」
「対価は、真実です」ガストン公爵は一つの古い巻物を広げた。
それは「真実の審判」と呼ばれる、嘘を暴く古代の魔導具だった。
「先日、我々の商人が貴国で追放された公爵令嬢エララ様が赴かれた『荒廃の行進』で、奇跡を目撃しました。
彼女の管理するマナコアは、この世の全てを凌駕する純度と力を持つ」
ガストン公爵は巻物を差し出した。
「これには、エララ様が貴国に残された、マナコアの持続可能な管理に関する全ての提言が記録されています。そして、それらを貴殿が『無能な戯言』として一蹴した事実も」
巻物が輝きを放ち、セドリックとフェリシアの顔が青ざめる。
「お、おお、これは……! 嘘だ! 私がそんなことを……!」セドリックは震える手で巻物を指差す。
フェリシアも絶望に顔を歪めた。
「わたくしは、ただ、エララ様が邪魔で……この国の繁栄を願って……!」
巻物の光はさらに強まり、二人の隠された悪意と無能さを王宮の広間にいる全ての者へと暴き出す。
「エララ様は、この国の未来を救おうとしていた。それを、貴殿方は自らの保身と嫉妬で潰した」ガストン公爵の言葉は、氷のように冷たかった。
「我が国は、エララ様との間で新たなマナコア貿易協定を結びます。貴国との協定は、本日をもって破棄します」
セドリックは玉座から崩れ落ちた。
フェリシアは、憎悪と後悔に満ちた目でエララが追放された方向を見つめていた。
エララの予言が現実となり、彼らの王国は絶望的な経済破綻へと突き進んでいく。
***
真実の審判が下された後、王国の混乱は頂点に達した。
隣国公爵ガストンの告発は、他の貴族たちの抑えられていた不満を一気に噴出させた。
「セドリック王太子殿下は、国益よりも己の保身と愚かな愛情を優先された!」
「フェリシア嬢の独占欲が、我が国の未来を潰したのだ!」
非難の声が玉座の間に響き渡る。
国王も老い、もはやこの事態を収拾する力はなかった。
数日後、緊急の貴族会議で、セドリックとフェリシアへの裁定が下された。
「セドリックは王太子の位を剥奪し、辺境の不毛の地へ追放する。フェリシアもまた、貴族の身分を剥奪し、共に追放を命じる!」
彼らの財産は全て没収され、最低限の生活物資だけが与えられた。
彼らの行いは、国家を危機に陥れた重罪と見なされたのだ。
セドリックは呆然と立ち尽くし、フェリシアは「そんな……嘘でしょう!?」と叫びながら、その場に崩れ落ちた。
彼らの傲慢さは、もはや見る影もなかった。
追放された二人が辿り着いたのは、かつて「荒廃の行進」と呼ばれた地の、さらに奥深い不毛の辺境だった。
岩だらけの荒野に、小さな粗末な小屋が一つ。
「こんな場所で、どうやって生きろと言うのだ!?」セドリックは絶叫した。
「殿下! これはあの女の呪いに違いありませんわ! エララの卑しい魔術です!」フェリシアは震えながらセドリックに縋りつく。
彼らはマナコアで動く魔導具も使えず、狩りも農耕も知らなかった。
飢えと寒さに震え、互いを罵り合う日々が続いた。
「お前がエララを煽ったからだ!」
「殿下が私の言うことを聞いていれば!」
かつての高貴な身分は幻となり、彼らの顔は泥と疲れで歪んでいた。
彼らを監視するわずかな兵士たちも、彼らの無様な姿に嘲りの目を向けるばかりだった。
やがて、彼らの追放された元の王国は、周辺国からの援助なしには立ち行かなくなり、その経済的支配下に置かれることになった。
そのニュースは、遠い辺境の彼らにも、噂という形で届いていた。
「くっ……エララめ……!」セドリックは地団駄を踏んだ。
だが、彼らに残されたのは、底なしの絶望と自己の無能さだけだった。
一方、エララと精霊王ゼファーが管理する旧「荒廃の行進」は、奇跡的な変貌を遂げていた。
枯れた大地は豊かな緑に覆われ、清らかな水が流れ、生命力に満ちた楽園となっていた。
そして、そこから湧き出すマナコアは、かつての王都のマナコアを凌駕する高品質と持続力を誇っていた。
「エララ様、この度の功績、心より敬意を表します」
隣国の公爵たちはこぞってエララの元を訪れ、新たな貿易協定を求めた。
彼らの目は驚愕と尊敬に満ちていた。
「あなたの提唱する『休眠期間』の概念は、まさにこの世界の未来を救う叡智だった」
エララは彼らの言葉に静かに微笑んだ。
彼女の功績は世界中に広まり、「マナの聖女」として崇められるようになった。
ゼファーは、そんなエララの隣で、誇らしげに、そして深く愛しそうに彼女を見つめていた。
彼の紫水晶の瞳は、常にエララだけを映していた。
「エララ。君は、この世界の生命そのものだ」
ゼファーは、夕焼けに染まる楽園の丘で、エララの髪を優しく撫でた。
透き通るような白髪が、夕日に輝く。
「君の慈愛が、枯れかけた大地に命を吹き込んだ。君の叡智が、世界を破滅から救った」
彼の声は甘く、その瞳には惜しみない愛と崇拝が満ちていた。
エララはゼファーの胸に顔を埋める。
「ゼファーがいてくれたから、私は私の力を信じることができたわ」
二人の間には、言葉以上の深い絆が結ばれていた。
彼らは、『マナの楽園』の主となり、共に永遠の時を歩むことを誓い合った。
エララはもう、誰かに無能と謗られることも、嫉妬の目に晒されることもない。
彼女は愛され、尊敬され、この上ない幸福と安らぎを手に入れた。
セドリックとフェリシアの無様な末路を、誰も顧みることはなかった。
彼らの物語は、ただの愚かな歴史の一ページとして、世界の片隅で忘れ去られていったのだ。
エララとゼファーの穏やかな笑い声が、満ち足りた楽園に響き渡る。




