無能太子に婚約破棄されたが、国家の筆頭出資者は私。資金全回収で国ごと即破産させます
「漆黒の髪を持つ、陰気で無能な女よ! 貴様との婚約は、この瞬間をもって破棄させてもらう!」
無数の魔法石シャンデリアが眩く輝く、王宮の豪奢な大夜会。
華やかなワルツの旋律を乱暴に断ち切ったのは、この国の第一王子であるエドワードの甲高い声だった。
彼の軽薄な金髪が揺れ、傲慢さに満ちた紫の瞳が私を射抜く。
その腕の中にすっぽりと収まり、彼にすがりつくようにして震えているのは、可憐な栗毛をハーフアップにした小柄な少女だ。
「エドワード様……私、怖い、です……」
彼女は庶民の出でありながら、最近『光の聖女』として見出されたマリア。
男受けに特化したあざとい上目遣いでエドワードを見つめた後、私の前では勝ち誇ったような歪んだ笑みを一瞬だけ浮かべた。
典型的な、計算高い養殖聖女である。
「マリア、もう怯えなくていい。この私がついている」
エドワードはマリアの肩を抱き寄せ、広間を埋め尽くす大勢の血統貴族たちに向けて大音量で響き渡る魔道具のマイクを握った。
「皆も知っての通り! この女——セリアは、嫉妬に狂って心優しいマリアを陰湿に虐げ続けた! 裏庭の池に突き落とそうとしたり、夜会用のドレスを切り裂いたりとな!」
ざわめきが波のように広がる。
厳格な階級社会であるこの国において、身分の低い者を虐げることは貴族の恥とされる。
ましてや相手は、国家が保護する聖女だ。
もちろん、すべて事実無根である。
池に勝手に飛び込んだのも、自分でドレスを破いて泣き真似をしたのもマリア自身だ。
だが、周囲の貴族たちは冷ややかな、侮蔑の視線を私に向けていた。
「そもそも、夜鳥のように不気味で地味な貴様など、未来の王妃にふさわしくない!」
「それに比べてマリアは、聖女としての力も、誰にでも愛される愛嬌も持っている! 母上もマリアを大変お気に召して、『真の王妃にふさわしい』と仰っていたのだ!」
事あるごとに母親である王妃の威光を傘に着るあたり、相変わらずの無能なマザコンぶりである。
私はただ静かに、無表情のまま彼らを見つめていた。
(ああ……ついに、公の場で言ってしまったわね)
私の内側にあるのは、悲しみでも絶望でもなく、ただ深い呆れだけだった。
そもそも、なぜ私のような「地味で陰気な」女が、王太子の婚約者という座に就いていたのか。
理由は至極単純。
この国の国家財政が、すでに完全に破綻しているからだ。
表向きは孤児院出身の、しがない伯爵家の養女。
だが私の本当の身分は、建国者の血を最も濃く継ぐ、王族の『隠された正統後継者』である。
さらには、幼い頃から身分を隠して商会を立ち上げ、今や大陸全土の経済を牛耳る裏の顔を持っていた。
エドワードを筆頭とする王族の異常な浪費癖と、無能な政策のせいで、国庫は数年前に底を突いている。
私が個人的な隠し資産から、公務の運営費や騎士団の維持費、ひいては今エドワードが着ている無駄に派手な最高級シルクの燕尾服の代金まで、すべて肩代わりして支払っているのだ。
この婚約は、私が国に莫大な融資を続けるための『担保契約』に過ぎない。
私が夜遅くまで執務室に籠もり、血を吐くような努力で書類の山を処理している間、エドワードはマリアと遊び歩いていた。
その結果が、これである。
「聞いておるのか、セリア! 貴様のその無表情が、昔から苛立たしかったのだ!」
エドワードが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「公の場で聖女を害した罪は重い! 貴様との婚約を破棄し、王宮から永久に追放する! 貴様の持っている粗末な財産も、すべてマリアへの慰謝料として没収だ!」
「エドワード様、あまりセリア様を責めないであげてください……。きっと、私が平民だから、いじめたくなっただけなんですぅ……ぐすっ」
「おお、マリア! 君はなんて慈悲深いのだ。この期に及んでこんな悪女を庇うとは!」
三文芝居の茶番劇は続く。
私は小さくため息をつき、ドレスの裾を軽く持ち上げ、完璧なカーテシーをして見せた。
「……承知いたしました、エドワード殿下。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
澄んだ私の声が、水を打ったように静まり返った夜会会場に響く。
「なっ……なんだその態度は! 泣いて縋るのが普通だろう!」
予想外のあっさりとした返答に、エドワードが苛立ちを露わにする。
「泣く理由がございません。殿下のお望み通り、私はこれより王宮を去ります。……どうか、後悔なさいませぬよう」
「ふん! 誰が貴様のような陰気な女を失って後悔するものか! さっさと私の視界から消えろ!」
私の言葉の真意など、微塵も理解していない薄っぺらい男。
彼との婚約が破棄されるということは、私が国庫に融資する『契約』が完全に白紙に戻ることを意味する。
つまり、この瞬間に——この国の財政は、即死したのだ。
私が静かに背を向け、大広間を出ようとした、その時だった。
重厚な大扉が、地響きを立てて勢いよく開け放たれた。
「——誰に消えろと言った、愚か者」
絶対的な支配者の覇気を纏った、低く威厳に満ちた声。
広間の温度が、一気に氷点下まで下がったかのような錯覚に陥る。
そこに立っていたのは、宵闇の黒髪に、血のように赤い瞳を持った男。
帝国最強と謳われる『戦神』であり、冷血公爵と恐れられる男、レオンハルトだった。
***
軍靴の足音が、静まり返った広間に地響きのように響き渡る。
血に塗れた戦場を渡り歩いてきた本物の強者だけが放つ、絶対的な支配者の覇気。
帝国最強の『戦神』、レオンハルト公爵の登場に、血統貴族たちは恐怖に顔を引きつらせ、モーセの十戒のように道を空けた。
彼は真っ直ぐに私のもとへ歩み寄ると、その屈強な腕で私の腰を強く、しかし優しく抱き寄せた。
「迎えに来たぞ、私の愛しい夜鳥。遅くなってすまなかった」
冷血と呼ばれる彼からは想像もつかない、甘く熱を帯びた声。
彼は私の背中合わせの戦友であり、最大のビジネスパートナーであり……。
そして、ずっと以前から私を一途に溺愛してくれている、唯一の男性だった。
「レ、レオンハルト公爵!? な、なぜ他国の重鎮であるあなたがここに……!?」
エドワードが顔を引きつらせ、裏返った声で叫ぶ。
「それに、そいつは罪人だ! 我が国の王妃には相応しくない、陰気で無能な――」
「口を慎め、愚物」
地を這うような低い一言。
それだけで空気が凍りつき、見えない巨大な刃を突きつけられたかのような重圧が広間を支配する。
エドワードは恐怖に顔を歪め、カエルのように口をパクパクとさせた。
そこに、絶望的に空気を読めないマリアが進み出た。
彼女はあざとい上目遣いと、男の庇護欲をそそるような媚びた声でレオンハルトに擦り寄ろうとする。
「あのぉ、公爵様ぁ。私、光の聖女のマリアと申しますぅ。そんな地味な女より、私のほうが――」
「触れるな、薄汚い泥棒猫が」
血のように赤い、絶対零度の瞳で見下ろされる。
マリアは「ひっ!?」と短い悲鳴を上げ、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
レオンハルトは再び冷酷な視線をエドワードに戻すと、懐から分厚い書類の束を取り出し、大理石の床にバサリと投げ捨てた。
「無能はお前だ、エドワード。己の国が誰の金で回っているかも知らんとはな」
「なっ……なんだその書類は!」
「この国の真の国家予算帳簿、そして『王室特別融資に関する秘密契約書』だ」
レオンハルトの言葉に、周囲の貴族たちがざわめく。
「セリア嬢が地味で無能だと? 笑わせる。彼女こそが建国者の正統な血を引く真の王位継承者であり、大陸全土の経済を牛耳る裏社会の支配者だ」
「は……? 何を馬鹿な……」
エドワードがぽかんと口を開ける。
私はレオンハルトの腕に寄り添いながら、静かに微笑んだ。
「事実ですわ。お前たちが贅沢の限りを尽くし、毎晩開いているこの夜会の費用。マリアとやらに買い与えた最高級の宝飾品の数々。それはすべて、私が個人資産から『借金』として支払ってやっていたものだ」
「え……? 借金、だと……?」
エドワードの顔から、さーっと血の気が引いていく。
「秘密契約書にはこうある。『セリア嬢を次期王妃として迎えることを担保とし、国庫への無利子融資を継続する』とな」
レオンハルトは残酷な、しかしこの上なく美しい冷笑を浮かべた。
「先程、お前は自らの口で宣言したな? 『婚約を破棄する』と。
しかも公の場であるこの夜会で、魔道具のマイクを使い、大勢の貴族の前でだ」
言葉の意味を理解し始めたのか、エドワードの膝がガクガクと震え始める。
「つ、つまり……どういうことだ……?」
「契約違反により、担保は消滅した。これよりセリア嬢からの全資金援助は即刻停止される」
私は容赦なく、決定的なトドメの宣告を下した。
「同時に、これまでの融資額——国家予算の約二十年分に相当する莫大な負債の『即時一括返済』を要求いたします」
「なっ……!? に、二十年分の一括返済だと!?」
エドワードが悲鳴のような声を上げる。
「お支払いいただけない場合は、この国は今この瞬間に国家破産となります。もちろん、王族の財産はすべて差し押さえです」
「ふ、ふざけるな! そんなこと許されるわけが――! お、おい宰相! 財務大臣! これは何かの冗談だろう!? 早くこいつらを捕らえろ!」
エドワードは慌てて周囲の側近たちに助けを求めた。
しかし、これまで有能に国を支えてきた宰相や重臣たちは、誰一人として動かなかった。
彼らは床に落ちた帳簿を一瞥すると、自らの胸元から役職を示すバッジを引きちぎり、床に投げ捨てた。
そして、深々と私に向かって頭を下げたのだ。
「……セリア様。これまで泥水をすするような思いで国を支えていただき、誠にありがとうございました」
「お、おい!? お前たち、何をしている!」
宰相は、まるでゴミでも見るかのような冷ややかな目でエドワードを見据えた。
「殿下。我々はもはや、破綻した泥舟に付き合う義理はございません。これより我々側近一同は、セリア様が新たに興される新国家に帰順いたします」
「は……? え……?」
即時離反。
優秀な官僚たちはとうの昔に、私が私財を投げ打って国を延命させている事実を知っていたのだ。
そして、いつかこの愚かな王太子が破滅の引き金を引く日を、密かに待ち望んでいた。
「さあ、殿下。口座の暗証番号も、王宮の金庫の鍵も、すべて私が持っております。一括返済、よろしくお願いいたしますね?」
私がニッコリと微笑むと、エドワードはその場に崩れ落ちた。
完璧な罠が、乾いた音を立てて弾けた瞬間だった。
***
「な、なにかの間違いだ……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だぁぁっ!!」
エドワードの絶叫が、シャンデリアの輝く大広間に虚しく木霊した。
だが、現実は無情である。
即時の国家破産宣言。
それは、この場にいる血統貴族たちにとっても即死を意味する死活問題だった。
「殿下! 我が領地への国からの支援金はどうなるのですか!」
「ふざけるな! 国債を今すぐ一括で現金化させろ!」
「王室の資産をすべて売り払え! 我々の金を取り戻すんだ!」
先程まで私を嘲笑っていた貴族たちは、今や血走った目でエドワードに詰め寄っている。
優雅な夜会は一瞬にして、阿鼻叫喚の債権者集会へと姿を変えた。
「いやだ……こんなの、私がいちばん偉くて幸せになるはずだったのに……」
へたり込んでいたマリアが、ガチガチと歯を鳴らしながら立ち上がる。
そして、狂ったようにエドワードを突き飛ばした。
「全部あんたのせいじゃない! 金持ちの王子様だって言うから付き合ってあげたのに、ただの借金まみれの無能じゃないのよ!」
「ま、マリア!? 君まで私を裏切るのか!」
「当然でしょ! 誰がこんな一文無しの貧乏神と……そうだわ!」
マリアは血迷ったのか、再びレオンハルトの足元に縋りつこうとした。
「公爵様! 私、本当は脅されていただけなんです! どうか私を帝国の……ひぐっ!?」
レオンハルトが一瞥する前に、彼の背後に控えていた黒装束の影の騎士たちが、容赦なくマリアの首元に冷たい刃を突きつけた。
「我が君に気安く声をかけるな、詐欺師め」
「ひぃっ……!」
光の聖女などというのは、ただの男好きの小娘が魔法道具で光って見せていた程度のペテンに過ぎない。
そのメッキが剥がれた今、彼女には一ドルの価値もなかった。
すべてを失い、誰からも見捨てられたエドワードは、ついに私の足元に這いつくばった。
先程までの傲慢な態度は見る影もなく、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「セ、セリア……! 悪かった、私がすべて悪かった!」
泥だらけの手を伸ばし、私のドレスの裾を掴もうとするが、レオンハルトが軍靴でその手を無慈悲に踏み躙った。
「ぎゃああっ!?」
「私の妻に気安く触れるな」
痛みにのたうち回りながらも、エドワードは必死に私を見上げる。
「た、頼むセリア! もう一度やり直そう! マリアなんかもう捨てる! 君こそが私のただ一人の愛する婚約者だ! 立派な王になるよう努力するから! だから頼む、お金を……国を見捨てないでくれぇぇっ!」
哀れで、醜く、そしてひたすらに滑稽な姿。
私は彼を見下ろし、この上なく美しい——そして氷のように冷たい微笑みを浮かべた。
「今更戻ってきてくれと泣きつかれても……『今更遅い』ですわ」
「あ……あぁ……」
私の冷酷な一瞥に、エドワードはついに完全に心が折れたのか、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
——その後の彼らの末路は、語るまでもない。
王族はすべての身分と財産を剥奪され、莫大な借金を返済するため、北方の過酷な魔石鉱山へと生涯強制労働に送られた。
エドワードは毎日泥水とカビの生えたパンを啜りながら、泣き言を喚き散らしているという。
マリアもまた、聖女詐称の罪で奴隷身分に落とされ、同じく鉱山で醜く罵り合いながら、生き地獄のような日々を送っているそうだ。
有能な側近や民衆たちは、私の手引きによって事前に用意していた帝国領内の新たな居住区へと無事に避難を終えていた。
あとに残されたのは、文字通りペンペン草一本生えない、無能な借金王族たちの墓標たる荒野だけである。
***
「これで、本当に良かったのか?」
帝国の公爵邸。
夜鳥の羽のように黒く豪奢な天蓋ベッドの上で、レオンハルトが私の背中から優しく抱きついてくる。
その声は、広間で見せた冷酷な覇王のそれではなく、ただひたすらに私を愛おしむ甘い響きを持っていた。
「ええ。長年の肩の荷が下りましたわ」
私が振り返ると、彼と視線が絡み合う。
血のように赤い瞳は、今やとろけるような熱情と深い愛情に満ち溢れていた。
「これからは、お前は私のものだ。もう誰のためでもなく、私の腕の中だけで甘やかされて生きればいい」
「レオンハルト様……」
彼のごつごつとした大きな手が、私の頬を包み込み、そして優しく口付けが落とされる。
長年の過酷な偽装婚約の中で、私がどれほど彼のこの温もりを待ちわびていたことか。
「愛している、セリア。お前が望むなら、世界のすべてを足元に跪かせてやろう」
「ふふ……そんな物騒なものは要りませんわ。私はただ、あなたと一緒にいられるだけで、世界で一番幸せなのですから」
かつて陰気で無能と呼ばれた捨てられ令嬢は、今、帝国最強の戦神に圧倒的に溺愛されながら、至上の幸福の中で微笑んだ。
(了)




