私の価値を知らない元婚約者の国を、冷血公爵様が丸ごと買収しました〜全域生放送で一族まとめて破産宣告〜
魔導産業革命の熱気に沸く、帝都ルミナリス。
その中心にそびえ立つ皇城の巨大なシャンデリアが、眩い光を放っていた。
今日は十年に一度の『星天の夜会』
大陸全土の有力貴族や大商人たちが集う、最高峰の社交場だ。
しかし、今宵の主役は人間たちではない。
会場の四隅に浮遊する、無数の水晶型デバイス。
最新鋭の特許魔導技術『全域投影装置』である。
「皆様、ごきげんよう! 今宵の夜会は、この装置により大陸全土へ生放送されております!」
司会者の声に、会場がどっと沸く。
情報は金であり、権力だ。
生放送という前代未聞の試みに、誰もが熱狂し、自らを売り込もうと必死になっていた。
私はその熱気から一歩引いた壁際で、静かにグラスを傾けていた。
漆黒の長い髪をシンプルな夜会巻きに纏め、目立たない漆黒のドレスに身を包む。
私の名前は、クロエ。
しがない伯爵令嬢であり、裏では帝国最大の稼ぎ頭である『次世代魔力炉』の設計を手掛ける筆頭錬金術師だ。
「クロエ! そこにいたか、この忌まわしい毒婦め!」
突如、会場の喧騒を切り裂くような怒声が響き渡った。
声の主は、私の婚約者である次期侯爵、レオン・ヴァン・クリフ。
くすんだ銀髪をこれでもかと撫でつけた、自己愛とコンプレックスの塊のような男だ。
そして彼に寄り添うようにして歩くのは、可憐な栗毛をハーフアップにした男爵令嬢、ミア。
「レオン様ぁ……私、怖い……。クロエお姉様、また私を虐める気だわ……」
ミアは涙目でレオンの胸にすがりつく。
その瞳の奥には、確かな嘲笑と計算高さが潜んでいるのを、私は見逃さなかった。
純朴な庶民派を気取っているが、本性は他人のものを奪うことに快感を覚えるマインドコントロール型のサイコパスだ。
「案ずるな、ミア。私が必ず君を守り抜く!」
レオンは芝居がかった手つきでミアを抱き寄せると、全域投影装置のメインカメラに向かって高らかに宣言した。
「大陸全土の諸君! そしてこの会場に集いし皆様! 聞いていただきたい!」
音楽が止まり、無数の視線とカメラのレンズが私たちに向けられる。
数千万という民衆の目が、今この瞬間に釘付けになっていた。
「私、レオン・ヴァン・クリフは! ここにいる嫉妬深き悪女、クロエとの婚約を破棄する! そして、真に愛するミアと新たに婚約を結ぶことを宣言する!」
どよめきが会場を包む。
無理もない。
私は裏方として彼を支え、没落寸前だった侯爵家の借金を全て肩代わりしてきた。
表面上は『凡庸な地味女』として扱われていたが、侯爵家の優雅な生活を支えているのは間違いなく私だ。
「……理由をお伺いしても?」
私が静かに問うと、レオンは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「白々しい! お前がミアのドレスを切り裂き、階段から突き落とそうとしたことは分かっているのだぞ! この可憐な天使に嫉妬し、陰湿な嫌がらせを繰り返した罪、万死に値する!」
「そのような事実はありませんが」
「黙れ! 証拠ならいくらでもある!」
レオンが指鳴らしをすると、取り巻きの令息たちが一斉に頷く。
ミアが裏で彼らを籠絡し、嘘の証言をさせているのは明白だった。
「さらに! お前の実家である伯爵家が管理している『次世代魔力炉』の特許権と財政権! あれは元々、我が侯爵家の資金で研究されたもの。
よって、全権利はたった今、私が没収した!」
その言葉に、周囲の貴族たちがざわめく。
次世代魔力炉は、帝国の流通、魔導列車、そして資本の心臓部だ。
その利権を独占すれば、皇帝すら凌ぐ富と権力を得ることができる。
レオンは懐から、魔力炉の制御鍵を取り出し、カメラに向けて見せびらかした。
つい先程、私の工房から力ずくで強奪していったものだ。
「これでもう、我が侯爵家は無敵だ! お前のような地味で陰気な女はもう用済みだ! お前には婚約破棄の違約金として、一億ルピアの損害賠償を請求する!」
カメラの向こう側で、民衆たちが悪女の没落に歓喜しているのが目に浮かぶようだ。
「払えなければ、一生奴隷として這いつくばって生きるんだな! ハハハハハ!」
「ああ、レオン様……なんて男らしくて素敵なのかしら。クロエお姉様、今までいじめてくれてありがとう。おかげで私、幸せになれました」
ミアがうっとりとした顔でレオンを見上げ、私に向けて舌を出した。
会場の貴族たちは、私に対して哀れみと、冷酷な嘲りの視線を向けている。
「……そうですか。特許権の没収と、一億ルピアの賠償請求。確かに承りました」
私は一切の表情を変えず、淡々と答えた。
激昂もせず、涙も流さない私を見て、レオンは不機嫌そうに顔を歪める。
「ふん、やっと自分の惨めな立場を理解して絶望したか! 今更泣きついても遅いからな!」
レオンは顔を真っ赤にして高笑いしている。
プライドが肥大化しきった自己愛モンスターは、自分が今、どれほどの地雷を踏み抜いたのか全く理解していない。
私は小さく息を吐き、同情すら覚える目で元婚約者を見つめた。
(ああ、馬鹿な人。
その魔力炉の鍵……私個人の魔力波長と直結している『生体認証式』なのに)
私が所有権を手放した瞬間、魔力炉はセキュリティ・ロックがかかり、全機能が停止する。
再起動には莫大な資金が必要になるばかりか、稼働停止による大陸全土の経済損失の責任は、すべて『現在の権利者』であるレオンに降りかかる仕組みになっている。
狂言回しは十分に踊った。
無実の罪を着せられ、すべてを奪われた悲劇の令嬢。
観客のヘイトも最高潮に達している。
あとは、この愚か者たちが空高く舞い上がったところを、奈落の底へ叩き落とすだけだ。
「……随分と三文芝居で盛り上がっているようだが。不快だ、消せ」
その時。
大広間の重厚な扉が、鼓膜を震わせるような音を立てて開け放たれた。
凍りつくような絶対零度の声に、会場中の空気が一瞬にして凍りついた。
***
重厚な扉が鼓膜を震わせるような音を立てて開き、大広間に現れたのは、帝国最大の富と権力を握る男だった。
ルシウス・フォン・アークライト公爵。
透き通るような白髪に、すべてを見透かす紫水晶の瞳。
「冷血公爵」と恐れられ、大陸全土の物流と金融、そして資本主義の根幹である商業ギルドを支配する「孤高の賢者」である。
「こ、公爵閣下……!?」
会場の貴族たちが、まるで海が割れるかのように左右へ慌てて道を開ける。
誰もが畏怖の念を抱いて頭を垂れる中、ルシウス様は私の元へ一直線に歩み寄った。
そして、氷のような冷徹な表情を一変させ、私の前で恭しく片膝をついたのだ。
「迎えに来たよ、私の愛しいクロエ。こんな下等な三文芝居を見せてしまってすまない」
「ルシウス様……」
彼は私の手を取り、その甲に宝物でも扱うかのように優しく口付けを落とした。
周囲から「ひっ」と息を呑む音が聞こえる。
あの冷酷無比な公爵が、地味で裏方だと思われていた伯爵令嬢に絶対的な溺愛の態度を見せているのだから無理もない。
レオンが顔を引きつらせ、裏返った声を上げた。
「こ、公爵閣下! なぜそのような地味な悪女に! そいつは我が侯爵家に寄生していただけの——」
「黙れ」
ルシウス様が鋭い視線を向けると、レオンはカエルが蛇に睨まれたように口を閉ざした。
「地味な女、だと? この大陸の経済をただ一人で支えている、世紀の天才錬金術師を捕まえて、何という暴言だ」
「天才……? はっ! 彼女の特許権と財政権は、先程私がすべて正当に没収しましたよ! 今や我々が次世代魔力炉の絶対的な権利者だ!」
レオンは震える手で、奪い取ったマスターキーをカメラに向けて誇らしげに掲げる。
ルシウス様は紫水晶の瞳を細め、心の底から哀れむように笑った。
「無知とは恐ろしいな。今、その手に持っている鍵をよく見てみろ」
レオンが見下ろすと、先ほどまで青く輝いていたマスターキーの魔力光は完全に消え失せ、不吉な黒色に変色し、ひび割れすら生じていた。
「なっ!? ば、馬鹿な、さっきまでは光って……!」
「クロエが開発した『次世代魔力炉』は、彼女の魔力波長と直結した高度な生体認証式だ。
所有権が不当に移転されたと認識した瞬間、防衛システムが作動し、全機能が『完全凍結』する仕様になっている」
その言葉の意味を即座に理解できず、レオンはポカンと間抜けに口を開けた。
「つまりだ。君が権利を強奪し、彼女を追放したその瞬間——大陸全土の魔力炉が停止したということだ」
直後、会場を浮遊する全域投影装置のメインモニターに、大陸各地からの中継映像が次々と警告音と共に割り込んでくる。
『緊急事態! 帝都の工場エリア、全区画で魔力供給が停止!』
『魔導列車が全線でシステムダウン! 大陸間の物流が完全にストップしました!』
『商業組合が大混乱! 経済機能が麻痺しています!』
生放送の空間投影コメント欄には、パニックに陥った民衆や商人たちの声が滝のように流れ、怒りの矛先が明確に「現在の権利者」であるレオンに向けられていく。
『おい、あの銀髪のバカのせいか!?』
『婚約破棄とかどうでもいいから早く炉を動かせ!』
『経済テロリストだ! 奴を捕まえろ!』
「そ、そんな……! すぐに再起動しろ! 私は権利者だぞ! 命ずる!」
レオンが黒ずんだ鍵を必死に振り回すが、当然何も起きない。
「再起動にはクロエの魔力と、膨大なセキュリティ解除資金が必要だ。そして、魔力炉の停止に伴う全大陸の経済損失……一分ごとに数億ルピアの違約金と損害金が、現在の権利者である『君』に自動的に発生している」
レオンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
くすんだ銀髪よりもさらに青白い、見事な土気色だ。
「な……数億……!?」
ルシウス様は懐から、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
バサリ、と音を立てて広げられたそれは、血印の押された無数の契約書と債権証明書だった。
「安心しろ、ヴァン・クリフ次期侯爵。君の莫大な借金は、すべて私がお買い上げした」
「は……?」
「魔力炉停止による天文学的な損害賠償、および君の侯爵家がこれまで隠し持っていた莫大な負債。その一切合切の債権を、今この瞬間、我が公爵家がすべて買い取った。もちろん、クロエの専属契約と特許の全権利ごと、私がまるごと買収させてもらった」
ルシウス様は残酷なまでに美しい微笑を浮かべる。
「私の愛する妻になる女性の価値を、一億ルピアなどという端金で測られては困る。君たちの命運は、すでに私が完全に握っているのだ」
ルシウス様の宣告に、レオンは白目を剥いて膝から崩れ落ちた。
たった数分。
自らの手で特許権を強奪したその瞬間から、手に入れたはずの絶対的な富が、一族郎党を巻き込む天文学的な負債へと反転していたのだ。
これが彼自身の強欲と無知が引き起こした、自滅誘導による完全なる空中分解だった。
「あ、あの! 公爵様!」
絶望して震えるレオンをあっさりと見捨てて、ミアが媚びるような甘い声でルシウス様に擦り寄ってきた。
「私、前から公爵様のことが……! こんな乱暴で無能な男より、公爵様のような素敵な方と——」
上目遣いで胸元を強調し、さも自分は被害者であるかのように涙ぐんでみせる。
そのマインドコントロール型のサイコパス性が生放送で垂れ流されていることに、計算高いはずの彼女はパニックで気づいていない。
ルシウス様は虫ケラでも見るような、絶対零度の目で彼女を見下ろした。
「気安く話しかけるな、汚らわしい。数千万の民衆の目が注がれているカメラの前で、没落した男から即座に乗り換えようとする泥棒猫など、資源ゴミ以下の価値もない」
「ひっ……!」
冷血公爵の容赦ない一撃に、ミアの可憐な作り笑顔がグシャリと醜く引きつる。
『うわ、この女ヤバすぎだろ』
『ドン引きだわ……手のひら返し早すぎ』
『庶民派気取ってたけど、本性出てるぞ』
全域投影装置の向こう側で、数千万の民衆が彼女の軽薄で計算高い本性を目の当たりにし、一斉に嘲笑と非難のコメントを書き込み始めた。
「さあ、クロエ。こんな泥舟は捨てて、私の城へ行こう。君の才能と美しさを正当に評価し、一生涯溺愛できるのは世界で私だけだ」
ルシウス様は私の腰を強く抱き寄せ、全域投影装置のメインカメラに向かって不敵に宣言した。
「ヴァン・クリフ侯爵家よ。これより、一切の情けを容れない回収作業を始めよう」
パチン、と彼が指を鳴らした瞬間。
生放送の空間スクリーンに、侯爵家とレオンに対する【全財産差し押さえ・破産宣告】の真っ赤なテロップが、大陸全土に向けて大々的に表示されたのである。
***
「お、お待ちください! 破産宣告など、そんな横暴が許されるはずが――!」
レオンの悲鳴にも似た抗議は、無情にも遮られた。
「横暴? これは法と契約に則った、極めて正当な『ビジネス』だよ」
ルシウス様が涼しい顔で言い放つと同時、会場の扉を蹴破るようにして、帝国の財務監査局と重武装の近衛騎士団が雪崩れ込んできた。
彼らの手には、ルシウス様が先程提示した債権譲渡証明書の写しと、帝国法務省の正式な認可印が押された差し押さえ令状が握られている。
「ヴァン・クリフ侯爵家の全資産の即時凍結、および爵位剥奪の勅命である! 対象者レオン・ヴァン・クリフ、並びにその一族郎党を、国家経済転覆未遂および巨額詐欺罪で拘束せよ!」
騎士団長の大音声が響き渡り、完全に詰んだことを理解したレオンは、絶望のあまり泡を吹いてその場に卒倒した。
「嫌あっ! 私には関係ありません! 私は騙されていたんです!」
すかさず逃げ出そうとしたミアだったが、あっけなく屈強な騎士に取り押さえられ、石床に無様に引き倒された。
彼女の美しい栗毛は乱れ、庶民派を気取っていた可憐な顔は、嫉妬と憎悪で醜く歪んでいる。
「ふざけないでよ! 私はヒロインなの! あんたみたいな地味で陰気な女が、公爵様に愛されるわけないじゃない!」
ミアの狂乱した怒声は、全域投影装置によってハイビジョン画質で大陸全土に生配信されていた。
同情を引くための嘘も、計算高い罠も、すべてが白日の下に晒されている。
空間スクリーンには、『自業自得』『ざまぁみろ』『この女、顔がヤバい』といった民衆からの容赦ない弾幕コメントが、画面を埋め尽くすほどの勢いで流れていた。
「見苦しいな。カメラを止めろ。これ以上、我が妻の視界に汚物を映したくない」
ルシウス様が冷たく言い放つと、騎士たちが手際よく二人を拘束し、引きずって退場させていく。
その間も、レオンは白目を剥いたまま痙攣し、ミアは「私を誰だと思ってるの!」と見えない敵に向かって叫び続けていた。
華やかな夜会の会場に、かつて私を見下していた愚か者たちの姿はもうない。
後に残されたのは、圧倒的な権力と財力を見せつけられた貴族たちの、静まり返った畏怖の沈黙だけだった。
「……さて」
ルシウス様が振り返り、紫水晶の瞳を真っ直ぐに私へ向けた。
「長らく待たせてしまったね、私のクロエ。ずっと君を迎えに行きたかった。あの愚か者どもが自ら墓穴を掘るまで、手を出せなかった私を許してほしい」
彼は私の手をそっと包み込み、熱を帯びた瞳で見つめてくる。
「君の天才的な頭脳も、その美しい漆黒の髪も、すべて私だけのものだ。もう誰にも、君を都合のいい道具として扱わせはしない。私が君の全てを守り、君の全てを甘やかそう」
彼の甘く情熱的な言葉に、私の胸の奥底で、ずっと押し殺していた感情がじんわりと温かく溶け出していくのを感じた。
「ルシウス様……ありがとうございます。私、あなたにお迎えいただけて、本当に幸せです」
私が微笑むと、ルシウス様は満足そうに目を細め、私の額に優しいキスを落とした。
その瞬間、会場を包んでいた緊張の糸が弾け、割れんばかりの拍手と歓声が湧き起こった。
「おお、クロエ様! 我が国へぜひ技術指導を!」
「公爵閣下! クロエ様! どうか我が領にもご協力を!」
周囲の貴族たちは、私を厄介者扱いしていた態度を180度翻し、一斉に手のひらを返して擦り寄ってきた。
彼らもまた、力と金に群がる亡者に過ぎない。
だが、もう私を脅かす存在は誰もいないのだ。
「フッ……浅ましい奴らだ。だが、私の妻への謁見は、数年先まで予約で埋まっていると知れ」
ルシウス様は貴族たちを一蹴し、私をふわりと横抱きにした。
「さあ、帰ろう。私たちの愛の巣へ」
彼の腕に抱かれ、私はかつての婚約者と泥棒猫が連れ去られた扉を、誇り高く見つめてから静かに目を閉じた。
***
――後日談。
大陸全土の経済を一時的にマヒさせた罪は重く、ヴァン・クリフ侯爵家は即刻取り潰しとなった。
レオン・ヴァン・クリフと、彼をそそのかしたミアは、天文学的な違約金と賠償金を返済するため、帝国の最果てにある魔力枯渇鉱山へと送られた。
「痛い! 鞭で叩かないでよ! 私は悲劇のヒロインなのよ!」
「くそっ! クロエめ、クロエめええええ! 私が侯爵になるはずだったのに!」
重いツルハシを握らされ、泥まみれになりながら、二人は来る日も来る日も終わりの見えない強制労働に従事している。
かつてのプライドも、美貌も、すべてが泥と汗にまみれて失われ、互いに責任を押し付け合っては取っ組み合いの喧嘩を繰り返す毎日だ。
彼らがその莫大な借金を完済するには、少なくともあと三百年はかかる計算だったが、その事実を二人が知るのはもう少し先のことである。




