【第2話:「呪い解きの香」と、眠れない元帥】
アルテンベルク調香店の看板は、王都の裏路地にひっそりと掲げられていた。
十七歳になったエリカは、侯爵令嬢としての社交を最低限に抑え、自らの店を構えていた。王子への婚約打診は、あのデビュタントの夜以来、一度も届いていない。
「加齢臭令嬢」という不名誉な噂すら、彼女にとっては盾となった。
今世の目標は「呪い解きの香」の完成。
呪術による悪意ある「香の呪い」を無効化する特殊な調合。前世で処刑される直前にたどり着いたその理論を、彼女は現実のものにしようとしていた。
その日の夕暮れ。重厚な扉を押し開けて入ってきたのは、一人の男だった。
長身で、外套の下には軍人のような引き締まった体躯。三十前後と思われるその顔立ちは整っていたが、目の下には死人のような隈が刻まれている。
「調香師は、あなたか」
「左様です。……どのようなお困りごとでしょう」
「呪い解きの香を扱っていると聞いた。二年以上、まともに眠れていない。戦場でかけられた呪いだ」
男の右手首を見れば、黒ずんだ呪術の縛り痕がある。
エリカはカウンターの奥から七つの小瓶を取り出した。
「順に香りを嗅いでください。深く、吸い込むように」
三つ目の瓶に差し掛かった瞬間、男の強張っていた肩の力がふっと抜けた。
「それです。糸杉とフランキンセンスをベースに、呪術の波長を中和する成分を加えました」
エリカは試供品を渡し、再訪を促した。男は去り際に、絞り出すように名を名乗った。
「……シグバルト・フォン・グリムヴァルト」
隣国の軍を統べる「氷の元帥」。そんな大物がなぜここに。
だが、シグバルトの金色の瞳が、帰り際にエリカを一度だけ振り返った。
「……良い香りだ。この店は」
それが、単なる店への褒め言葉ではないことに、エリカが気づくのは少し先のことだった。




