第7話 ふたつのひもじい
第7話 ふたつのひもじい
警戒溜まりの四つの波紋が、さらに遠ざかっていく。
小さく。
薄く。
やがて、水面から消えた。
助かった。
そう思った途端、四匹が疲れていることに気づいた。
真っ二つになった石が、ころりと転がる。
ライムは追わない。
ランはラックの背から滑り下り、少し離れた岩床にもちりと沈んだ。
レイユが警戒溜まりの縁で跳ねる。
ぽよ。
低い。
そのまま水面へ体を預けた。
ラックだけは、鞭を止めない。
しゅ。
黒が空気を切る。
次までの間が、少し長い。
しゅぱっ。
また石が二つになった。
村勇者相手に苦戦したんだ。みんな疲れて当然だよな。
ちゃんと休める場所。回復アイテムも欲しいよな。
『区画拡張』
『湿潤小部屋:必要魔力3』
『現在保有魔力:1』
なんかそれっぽい。スライムにとって快適な予感がする。
まいったなぁ。魔力不足だし、ハズレだったらどうしよう。
悩む俺をよそに、この世界は待ってはくれない。
警戒溜まりに、新しい波紋が一つ生まれた。
レイユの陽花紋が入口へ向く。
『魔素感応:レイユ』
『周辺魔素の乱れ:微弱』
『距離:近』
『種別:小型獣』
ライムが、真っ二つになった石の片方を触手で包む。
ランが体を起こす。
レイユも水面から体を起こした。
ラックの鞭が止まる。
黒い体が、入口の影へ滑った。
入口偽装の隙間から、湿った鼻先が入る。
鼠獣。
今のラックなら、手こずるはずがない。
茶色い頭が覗く。
黒い鞭が走った。
ぱしん。
鼠獣は入口を越える前に、床へ落ちた。
レイユの陽花紋が、わずかに揺れる。
警戒溜まりに、もう一つ波紋が浮かんだ。
二匹目への反応が、少し遅れた。
レイユも疲れている。
二匹目の鼠獣が、入口の影から飛び込んでくる。
黒い鞭は、まだ戻っていない。
翡翠色の触手が伸びた。
先端には、石の片割れ。
ゴッ。
鼠獣の頭が、岩床へ叩きつけられた。
起き上がらない。
『戦闘終了を確認』
ラックの黒い触手が、一匹目の鼠獣を引きずってくる。
床に、二匹の鼠獣。
『死体還元を実行しますか?』
いや、ちょっと待った。
いつもなら迷わず実行する。
けれど、何かが引っかかった。
そういえば。
ライムたち、生まれてから何も食べていないよな。
それでいいのか。
いいわけないよな。
スライム観察記録。
個体情報表示。
ライムから順に、開ける項目を片っ端から開く。
『個体名:ライム』
『状態:疲労』
『周辺魔素吸収:継続』
ラック。
『個体名:ラック』
『状態:疲労/軽傷』
『周辺魔素吸収:継続』
ランも、レイユも同じだった。
状態は疲労。
周辺魔素吸収は継続。
周辺魔素の吸収。
俺の魔力が一つ戻るときにも、同じ表示が出ていた。
周りの魔素を吸って、動くための魔力に変えている?
だから、何も食べずにここまで動けた?
でも、それなら。
どうして今は、こんなに疲れている?
村勇者との戦いで、吸うより多く使ったのか。
食べれば、その足しになる?
分からない。
個体情報の残りも、観察記録も、片っ端から見る。
食事に関係しそうな項目は、どこにもなかった。
食べなくていいから、ないのか。
まだ一度も食べていないから、記録がないのか。
だったら、試してみるしかない。
俺は二匹の鼠獣へ意識を向けた。
食べてみるか?
そう問いかけるように、四匹へ意識を送る。
最初に動いたのは、ライムだった。
石の片割れを床へ置く。
翡翠色の触手が、鼠獣の前脚へ触れた。
一度、離れる。
もう一度触れ、今度は体を薄く広げた。
毛皮が、翡翠色の中へ少しずつ沈んでいく。
『スライム観察記録:ライム』
『新規行動:有機物摂取』
食べた。
ちゃんと、食べられた。
レイユも警戒溜まりに触れたまま、体の端を伸ばす。
陽黄色が、鼠獣の反対側を包んだ。
ランは、もう一匹をラックの近くまで押す。
ラックの赤牙紋が、鼠獣へ向いた。
次にランを見る。
もう一度、鼠獣へ。
やがて黒い体の端が広がり、ランも反対側から乳白色を重ねた。
『スライム観察記録を更新』
『有機物摂取:四個体で確認』
二匹の鼠獣の形がなくなるまで、少し時間がかかった。
もう一度、個体情報表示を開く。
『個体名:ライム』
『状態:軽疲労』
『個体名:ラック』
『状態:軽疲労/軽傷』
『修復反応:微上昇』
ランとレイユも、軽疲労。
疲労が、軽疲労に変わっている。
全快じゃない。
でも、食べる前よりは戻っている。
少なくとも、食べる意味はある。
どうやら、魔素を吸って普段の動く力にしている。
それでも、戦って使った分までは追いつかない。
食べたものが、その足しになる。
たぶん、そういうことだ。
ライムは小石へ触手を戻したが、追いかけず、その上へ体を預けた。
レイユは警戒溜まりへ半分沈む。
ランはラックのそばへ移動した。
ラックは、もう鞭を振らなかった。
死体還元の表示は消えている。
現在保有魔力を確認する。
『現在保有魔力:1』
二匹を還元していれば、魔力は三。
湿潤小部屋を作れていた。
惜しくないと言えば、嘘になる。
けれど、食べるものを全部魔力に変えて、休む部屋だけ作っても仕方がない。
だからといって、食べるたびに部屋が遠のくのも困る。
まいったなぁ。
湿潤小部屋まで、あと二つ。
必要な魔力は、さっきと変わらない。
けれど、獲物二匹の意味は、もう同じじゃなかった。




