第5話 村勇者
第5話 村勇者
区画拡張。
レイユの陽花紋は、入口を向いたままだ。
外にいる何かは、まだ遠い。
原因も分からない。
俺には、何も分からない。
分かるのは、レイユだけが反応したこと。
そして、新しく並んだ文字。
『区画拡張』
『湿潤小部屋:必要魔力3』
『隠し通路:必要魔力4』
『還元床:必要魔力5』
『警戒溜まり:必要魔力3』
入口偽装に床と壁。
それだけだった一覧に、部屋と通路が増えた。
入口は隠した。
けれど、その先にあるのは核室一つ。
ダンジョンと呼ぶには、あまりに小さい。
ここから増やせる。
広げられる。
全部ほしい。
その中でも、今は――警戒溜まり。
どんな設備かは分からない。
それでも、レイユが外の異変に反応した直後に、この名前を見せられた。
期待くらいする。
『現在保有魔力:0』
ひもじい。
四匹目を生んだばかりだ。
残っているわけがない。
警戒溜まりは三。
足りないも何も、ない。
その間にも、レイユは入口を向いている。
陽花紋が、わずかに右へ動いた。
『魔素感応:レイユ』
『周辺魔素の乱れ:微弱』
『距離:遠』
移動している。
こっちへ来ているのか。
横切るだけなのか。
まだ分からない。
ラックは、もう入口側の影へ沈んでいた。
ランが、その後ろへ静かに寄る。
ライムも小石を置いた。
四匹とも、さっきまでとは違う。
洞窟から音が消えた。
◇
レイユの陽花紋が、少しずつ向きを変える。
『周辺魔素の乱れ:増大』
『距離:中』
やがて、入口偽装の向こうで砂利が鳴った。
岩を擦る音。
短い息。
入口の影が揺れた。
次の瞬間、俺の床へ重みが乗った。
人間だった。
擦り切れた革鎧。
腰には、刃こぼれした剣。
胸元には、焼き印の入った木札。
男は四匹を見回した。
何かを言った。
言葉は分からない。
笑ったことだけは分かった。
剣が抜かれる。
切っ先が、陽黄色のレイユへ向いた。
刃が落ちる、その直前。
レイユが跳ねた。
剣は、レイユのいた床を叩く。
着地した陽黄色が、勢いを殺せずにこちらへ転がってくる。
ぽよん。
レイユの体が台座の縁へぶつかった。
陽黄色が少し潰れ、体の端が台座へ広がる。
その瞬間。
近い。
一つ。
その向こうに、重なるような四つ。
見えたわけじゃない。
聞こえたわけでもない。
レイユが捉えている周辺魔素の乱れが、触れたところから直接、俺の中へ流れ込んできた。
陽花紋が、驚いたように俺を向く。
驚いたのは、こっちも同じだ。
今のは、何だ。
男が舌打ちした。
その手首へ、黒い触手が巻きついた。
もう一本が足首を取る。
男の体が傾いた。
ラックは、そのまま喉へ伸びる。
剣が横へ走った。
黒い触手が途中から飛ぶ。
それでも、ラックは引かない。
残った触手を剣腕へ絡ませる。
体ごと足を這い上がる。
男の靴底が、黒い体を踏みつけた。
剣先が突き立つ。
ラックの体が、深く裂けた。
だが、核には届いていない。
隠した核を、男は見つけられない。
ラックは男の足を放さなかった。
もう一度、蹴り上げられる。
黒い体が壁を打ち、床へ落ちた。
死に戻りは、封印中。
ここで死んだら、それまでだ。
ランの体が薄く広がり、裂けた黒を包む。
ラックは止まらない。
傷口にランを貼りつけたまま、男の足元へ弾けた。
黒い触手が膝裏を打つ。
男がよろめく。
振り回されても、ランは傷を押さえ続ける。
塞がった端から、黒い体が動いた。
新しい触手が伸びる。
男の剣腕へ。
治った分から、全部使う気だ。
男が怒鳴った。
剣を持ち直す。
その顔へ、透き通る翡翠が飛んだ。
薄く。
広く。
鼻と口を覆う。
男が剣を捨てた。
両手の指が、翡翠の膜へ食い込む。
ライムの端が浮いた。
空気が入る。
押し切れ、ライム。
翡翠が、さらに薄く広がった。
男の指の間を抜け、鼻と口を埋め直す。
片手がライムを掴む。
もう片方が床を探る。
落とした剣へ、指先が届きかけた。
乳白色が、ラックの傷から剥がれた。
塞ぎ切れていない裂け目から、黒が滲む。
ランは剣へ滑り込み、柄ごと岩床へ貼りついた。
男の手が柄を掴む。
剣は上がらない。
腕に力が入る。
乳白色の端が、岩床から引き剥がされていく。
黒い触手が、その手首をさらった。
ラックが締め上げる。
男の膝が落ちた。
ラックは男の背へ回る。
首へ。
腕へ。
黒い体が巻きついていく。
男は床へ倒れた。
踵が、俺の床を打つ。
一度。
二度。
三度。
ラックは締める。
ライムは塞ぐ。
ランは剣を離さない。
レイユは、入口の外を向いたまま動かない。
やがて、踵が止まった。
洞窟に、男の重みだけが残った。
『侵入者の死亡を確認』
『種別:人型知性体』
人を殺した。
ライムが男の顔から離れる。
ランも剣を離れ、黒い傷へ戻った。
切られた触手の先から、細い黒が伸び始めていた。
レイユは台座に触れたまま、入口の外を向いていた。
四つの乱れが、こちらへ近づいている。
『死体還元を実行しますか?』
次が来る前に。
実行。
床に魔力紋が広がった。
血。
肉。
骨。
男だったものが、俺の中へ沈んでいく。
『還元完了』
『魔力+4』
『残留物:粗鉄片』
『残留物:革鎧片』
『残留物:村勇者札』
『人語情報を抽出』
『現在保有魔力:4』
村勇者。
勇者。
登録勇者数、十一万七百二十一。
その一人が、俺のダンジョンへ入ってきた。
そして、死んだ。
男が口にした音が、頭の中で意味を結ぶ。
『見つけた。あいつらに教える前に、俺が潰す』
あいつら。
台座に触れたレイユから、四つの乱れが伝わり続けている。
『区画拡張』
『警戒溜まり:必要魔力3』
『実行しますか?』
実行。
『魔力3を消費します』
『現在保有魔力:1』
入口内側の床が、低く沈んだ。
石の隙間から水が満ちる。
入口と核室の間に、薄い水面ができた。
『警戒溜まり:完成』
レイユが台座を離れ、警戒溜まりへ近づく。
陽黄色の体が、溜まりの縁へ触れた。
陽花紋が外を向く。
水面へ、淡い光が広がった。
さっきまで何もなかった場所に、薄い濃淡が生まれる。
姿は分からない。
足音も、まだ聞こえない。
けれど、台座から離れたレイユの感覚が、今度は水面を通して俺まで届いた。
『魔素感応:レイユ』
『警戒溜まり:稼働』
『反応数:四』
『距離:中』
『変化:接近』
四人。
入口偽装の向こうで、かすかに声がした。
「おい、どこへ行った」
「返事しろ」
「また一人で手柄を狙ってるんじゃないだろうな」
今度は分かる。
警戒溜まりの水面に、四つの波紋が生まれる。
その全部が、こちらへ近づいていた。
死に戻りは、まだ封印中だ。




