エヴァの狂気
潮の香りと、無数のカモメの鳴き声。
グレイウルフ討伐を終えた三人がたどり着いたのは、港町カレオス。
現在地である"ディナミト大陸"から"アンテラ大陸"に渡るため、船に乗るつもりだ。
エドワードはまず冒険者ギルドに行き、前にいた町でクエストを受けた証明書、そして討伐成功の証明である素材を提出。
クエスト成功の報酬と素材売却でそれなりのお金を得た。
元よりエドワードとエヴァは腕利きの冒険者であり、稼ぎという点は十分であったし貯えもまだある。
それでもやはり懐の重みにどこか安心感を覚えながら町中を三人で歩く。
流石は港町、非常に活気で満ちていた。
石畳の道を行き交う荷馬車からは異国のスパイスや焦げたタールの匂い、水揚げされたばかりの魚介の生臭さ。
雑多な匂いに鼻をくすぐられ、否が応でも気分が高揚する。
「お兄ちゃん見て! あの大きなエビすごく美味しそう!報酬も入ったし今日は奮発しよう!」
「おじさん!あのたくさんの色の石!すっごく綺麗!」
エヴァとエリンが揃って弾んだ声でエドワードの肩や背中をバンバンと叩く。
妹と娘の明るい声は、波音に負けないほど力強い。
その光景に周りを歩く人々が面白そうにこちらを見ている。
「はいはい、まずは宿をとってからだよ」
少し恥ずかしくなりその場を離れるように気持ち足早に宿屋を探す。
「宿も多少は贅沢できそうだ。何か希望はあるかい?海が窓から一望できる部屋とか」
「うーん。海を見るのも初めてじゃないし別に。ご飯も外で食べたいし夕食もつけなくていいかな」
「三人一緒の部屋!」
エドワードは二人に聞くが元よりそのつもりの事ばかりだった。
そのため住宅地と市場の境目にあった宿屋にした。
海沿いと比べれば観光としての価値を考えるとやはり多少は安く、それでいて小綺麗で良い宿だった。
「ねえ!早く市場を見て回ろうよー!」
「うんうん、ほら早くしてお兄ちゃん」
部屋を取り荷物を置いてエドワードが一段落しようとすると、楽しみでしょうがないといった様子で急かすエヴァとエリン。
エドワードは呆れ半分、愛おしさ半分といったように目を細める。
「エリン、何か欲しいものはあるかい? クエストも頑張ったし、何かご褒美を買ってあげるよ」
「ほんと!?じゃあリボンがいい! あと……さっきママが言ってたエビも食べてみたい!」
元気よく答えるエリンを真ん中に、三人は手を繋いで潮風が吹き抜ける市場へと繰り出した。
流石は港町、色とりどりの織物や見たこともない異国の装飾品。
色鮮やかな品が並ぶ露店を巡るのは厳しい旅の合間のかけがえのない休息だ。
――
三人は活気のある市場を回っていた。
前回のクエストで消費した保存食や備品などの買い足しをしながら雑貨や名産品、交易品などを売る露店を巡っていると、エリンが赤いリボンの前で足を止めた。
「素敵なお嬢ちゃんね。あなたの髪にこのリボンはよく似合うと思うわ」
品物を見ていると若い女店主が話しかけてきた。
異国風の肌の露出が多い装束を纏い、店主自身も美しいといえるだろう。
女店主はその赤いリボンを手に取り、エリンの顔の横で色合いを見る。
「ほんと!?じゃあこれにしようかなあ。おじさん、ママ、どう思う?似合うかな?」
「ああ、とてもよく似合いそうだ」
「私の娘だからね!赤が似合わないわけないよ」
エヴァの言う事の根拠はよく分からなかったが、確かに真っ黒な髪に目の色と同じ真っ赤なリボンはよく似合っていた。
「子連れの旅人は稀にいるけど、叔父と一緒に旅というのは初めて見るわねえ」
港町の露天商、毎日行き交う人々を見て、直接話す機会も多い。
そんな女店主でもこれは珍しいと興味を持った目でおじさんと呼ばれたエドワードを見た。
「へえ、ずいぶんと男前だね。妹の親子と旅してるなら独身よね。買ってくれるなら少しサービスしちゃおうかしら?」
「……え?」
それは冗談めかした営業トークであるものの、エドワードに挑発的な表情を見せる女店主を見てエリンは途端に機嫌が悪くなる。
自分を含め三人の家族が大好きなエリンは父親が母親ではない女に言い寄られている光景に嫌悪感を覚えた。
余裕を無くすエリンとは逆に、エヴァはむしろ笑顔だった。
いや、その笑顔は何故か妙に危ない雰囲気がある。
見世物でも眺めるような、それでいて絶対的な優越感を孕んだ目で、まるで喜んでいるかのように女店主を見る。
(ふふ……無駄なんだけどなあ)
嫉妬など、微塵も湧いてこない。
エドワードが誰を愛し、誰に縛られ、誰のためにその命を使う覚悟を持つのか。
それを世界で一番知っているのは自分だという確信。
血の鎖で繋がれた二人の絆は、たまたま会ったばかりの女ごときが投げかける色香などで微塵も揺らぐはずがない。
この男の"真実の所有権"は自分だけが持っている。
「おや、本当かい」
エドワードの声にハッっと我に返ったエヴァは軽く頭を振る。
エリンが生まれてから少しは落ち着いたが、それでも狂気的な執着心や依存、独占欲、あらゆる執着の暴走はまだ抑えが利かない。
暴走の自覚をして20年以上にもなるが、うまく付き合う事ができないでいる。
いつも暴走し、そしてその後に自己嫌悪に陥ってしまう。
だが今は心を切り替え、むしろ兄をからかうチャンスとばかりに今度こそ自然な笑顔を作る。
商品をよく見る…という風を装って普段の兄妹の距離から半歩近づいた。
「お兄ちゃんは昔からすっごくモテるからなー。生まれの村では取り合いだったんだから」
「おいおい……君がそれを言うのはおかしいだろう。でも、安くしてくれるなら嬉しいよ」
そう言ってエドワードが店主の目を見て微笑むと、店主は照れたように顔を逸らし咳払いをする。
「随分とまあ女の扱いに慣れてるじゃないか。女の敵ってやつかい?」
「うんうん、わかる!ほんと、お兄ちゃんってそういうとこあるよね」
「いや、さっきから何でそんなに嬉しそうなんだい……。慣れていないのは知っているだろう」
(当然でしょ。お兄ちゃんは私だけだもん)
思い直したそばから黒い感情が抑えられない自分に嫌気がさしながらも、顔には出さずエリンは兄を楽しそうにいじる。
女店主には会話の内容を理解をできなかったが、そこには仲の良い兄妹のこれまでの人生があるのだろうと特に気にしなかった。
エドワードは誤解だと弁明しつつ女店主にお金を渡し、女店主はエリンにリボンを渡す。
しかし、エリンはむすっとした表情で受け取った。
「ふふ、大丈夫だよ。何も心配いらないって。リボン結んであげるね」
エヴァがエリンの頭を軽く撫で、リボンを受け取りシュルシュルと手際よくリボンを付け替える。
「うん、とても似合ってるね。世界一かわいいよ」
エドワードはあまりにも陳腐な誉め言葉をエリンに投げるが、当の本人はそれであっさりとご機嫌になった。
「……えへへ。そう?わたし一番かわいい?」
「ああ、一番だよ。世界で一番」
「そっかー、世界で一番かー!」
ついには鼻歌まで歌い出す娘にエドワードとエヴァは苦笑しながらもエリンの黒髪に結ばれ揺れる鮮やかな赤いリボンを見つめ、そっとその頭を撫でる。
人前では「おじさん」と呼ぶ約束を健気に守りながら、嬉しそうに笑う愛娘。
どうかこの笑顔が少しでも長く続いて欲しいと願う二人であった。




