さびしさをはかる物差し
〈わたし〉は今日も、食卓に料理を並べた。
それらはとても色褪せているように見える。
もしかして、元からこんな色だったのかな?
気が進まない。
食べたくない。
あの日から、料理が怖くなった。
あの日の毒は、目が覚めると治っていた。
きっとこれは異常なこと。
〈わたし〉は〈わたし〉が怖くなった。
今日はもう、笑顔の練習もやりたくない。
目の奥が、つんとしていて、苦しいんだ。
〈わたし〉は静かに縁側に座った。
遠くからたまに聞こえて来る、太鼓の音。
里の楽しげな祭囃子が聞こえて来た。
「見に、行ってみようかな……」
――いいですか? 決して、ここを出てはなりません。人前にも出てはなりません。
黒子の女の声を、ぶんぶんと首を振って払う。
いけないことだとは分かっていたけれど、ここにはもう居たくない。
祭りの音は、聞いていると、胸の奥が軽くなる。だからきっと、音のほうに行けばこの嫌な感じもなくなるかもしれない。
「こっそり、こっそり」
〈わたし〉は、月夜の山道へと駆け出した。
◆
里の人に見つからないように石畳の山道からはずれ、獣道を少しずつ進んでいく。
途中、枝に引っかかって手を擦りむいてしまったけど、すぐに治った。
暗闇の中、手探りで斜面をちょっとずつ降りていくと、太鼓や鈴の音もだんだんと近くなってくる。
わくわくで、〈わたし〉の鼓動が早くなる。
木のあいだにかすかな光が見えた頃になると、たくさんの人がざわざわと、笑ったり、からかい合ったりしているのが分かった。店引きのための掛け声なんかも聞こえて来た。
「もうすぐ。でも、人前には出ちゃダメ。そこは守らないと」
斜面を下りきり、祭りの活気はもうすぐそこだ。
〈わたし〉は、口角を両手でむにゅっと上げて、笑顔を作って心の準備をした。
そして一気に、手前の大きな木のそばまで駆け下りた。
木の陰から、こっそりとのぞき込む。
ドクンと、ひときわ高く、心臓が跳ねた。
「あ、あれ……? なんだろ、これ……」
頬を、温かいものが伝った。
水? ううん、お湯?
それは両目からとめどなくあふれ出て、止まらない。
それでも、ぼやける視界の向こうに確かに広がっている光景から、〈わたし〉は目が離せなくなった。
『黄金色に輝く野菜のスープ。湯気の向こうで、みんな笑っている』
たくさんの提灯で照らされた煌びやかな屋台。
美味しそうな本物の匂い。
湯気や熱気が立ち込めるオレンジ色の輝きの中で、みんな笑って食べ歩きをしている。
『きつね色のパンはふわふわで、香ばしい小麦の焼けた匂いがみなを元気づけた』
〈わたし〉と同い年くらいの女の子が、お父さんとお母さんに挟まれて手をつなぎ、やわらかそうなものを食べさせてもらって笑っている。
『色とりどりの野菜盛り。お肉ばかり食べる彼を、わたしはいたずらっぽくからかった』
〈わたし〉と同い年くらいの男の子が、女の子にからかわれつつも、嬉しそうに一緒に駆けて行った。
「ああ……」
漏れ出た声と一緒に、力も抜けた気がした。
「これじゃ、夢、叶わないや……」
木の幹にそえていた〈わたし〉の手が、だらりと落ちた。
肩も下がり、自然と視線は下を向く。
そのまま、ゆっくり振り返ると、〈わたし〉はとぼとぼと、山道を戻った。
祭囃子から逃げるように、大きな狐耳を、両手で押さえながら。
――知らなければ良かった、と。




