〈わたし〉の宴
〈わたし〉は、そっと襖のそばに正座し、玄関先から聞こえる声に耳を澄ます。
「よっこらせっと」
どさりと、何かが置かれる重い音がした。
「はぁ~、こんな山奥までわざわざ、面倒な仕事だよほんと」
「一匹分。されど一週間分ともなると、それなりの量だからなぁ」
「まったく、なぜ〈あれ〉を生かし続けてるんだか」
いつものような会話。
悪気のない悪意が込められているが、〈わたし〉にはそれが分からない。
〈わたし〉はただ、何か新しい単語がないか、じっと耳を澄ませるだけ。
「知らんのか? 死なないんだぜ、〈あれ〉」
「はあ? んな馬鹿な」
「本当だよ。生まれたばかりの時に、御屋形様が頭を一突きしたらしんだが、それでもすぐに傷が綺麗さっぱり再生しちまって、腹を刺しても、どこを刺しても意味がなかったんだと」
「ひぇ~……おっかねぇ。流石は化け物の忌み姫……」
化け物。
単語は知っているけれど、〈わたし〉にはそれが何なのか分からない。
ただ〈わたし〉のことを指してそう呼んでいるから、もしかして、〈わたし〉は化け物という存在なのかもしれない。
「……毒でも死なねぇのかな?」
「さあな。誰も試してないだろ。何せ、誰も関わりたくねぇからよ」
「そういうもんか」
「触らぬ神に祟りなしってな。さて、行くぞ」
玄関先から聞こえて来た声が止み、足音が遠くへ離れて行った。
〈わたし〉は、ゆっくりと襖を開けて玄関先に置かれた物資を見る。
古めかしい匂いの粟とキビが混ざった物。虫食いがあったり、しなびている野菜。腐りかけている物もある。そして、使い古されたいくつかの書物。食べ物をこぼしたのか、一部分読めなくなっている。
〈わたし〉は、それらを厨房まで運び、これ以上ダメにならないように野菜を下処理しつつ、『黎明の宴』の本を広げて置いた。
「光を求める者に、夜は等しく明けるだろう」
一番好きな一節だ。ただ何となく、何かをする前に言葉にすると、不思議と動きやすくなる。だから、言葉にする。
〈わたし〉はふんふんふーんと、平淡な鼻唄を歌いながら、宴のための豪華な晩御飯を作る。
『黎明の宴』には、温かい黄金色の野菜のスープや、きつね色に焼けたパン、香ばしい匂いであふれる肉、色とりどりの野菜盛り、そして甘い果実のデザートなど、美味しい料理が出る。
それらが何かは分からないけれど、〈わたし〉は文章を読みながら、それらを手探りで作る。
『黄金色に輝く野菜のスープ。湯気の向こうで、みんな笑っている』
黄金色の野菜が何なのか分からない。
だから、腐りかけの野菜を煮込んでみた。これで合ってるかな?
『きつね色のパンはふわふわで、香ばしい小麦の焼けた匂いがみなを元気づけた』
パンが何かは分からないけど、穀物を焼いたものというのは分かる。
だから、古臭い粟とキビを粉にして、練って焼いてみた。これで合ってるかな?
お肉は、ない。しょうがない。
『色とりどりの野菜盛り。お肉ばかり食べる彼を、わたしはいたずらっぽくからかった』
色とりどりの野菜もないけれど、しなびた野菜をきちんと切って、器によそってみた。たぶん合ってる。
甘い果物も、ない。しょうがない。
「できた」
〈わたし〉は美味しい料理を食卓に並べてみた。
透明なお湯でできた〈黄金色の野菜スープ〉を口に運ぶ。
「これは、落ち着くな。ありがとう」
英雄のセリフを真似してみた。
少し焦げ臭い〈きつね色のパン〉を口に運ぶ。
「こんがり焼けてて美味しいね」
少女のセリフを真似してみた。
ふっと、〈わたし〉の腕から力が抜ける。そこからはただ、生きるために口に運ぶ作業になった。
食べれば、お腹がぽっかり空いたような感覚が少しマシになる。
〈わたし〉の宴。
やっぱり、何かが足りないや。
そう思いながら、もぐもぐと、〈わたし〉は今日を生きた――。




