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あやかしの海、硝子の揺り籠 〜結界術師の次男坊は、独自開発の『法具』と『小隊戦術』で平安異世界を圧倒する〜  作者: 鶯神楽
2部:2幕

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142/173

142話:石に刻まれた名

 秋の朝は風が乾いている。


 外采門の外、灰輪手前の訓練広場に四人が立っていた。踏み固められた灰色の地面に朝の影が長く伸びている。


 朔が手帳を開いた。


 「やりたいことがある」


 凌が鶺鴒を肩に担いだまま振り返った。善次郎は根張を地面に突き、蓮は練弓を手に持って朔を見ている。


 「鏡射し——結界面で焦光を屈折させて、死角から射つ。あれを四人で形にしたい」


 あの日の訓練場で偶然発見した原理だった。活界で結界面の角度を変え、焦光の熱線が曲がる。壁ではなく鏡として使う。だが二人の技術だけでは精度が足りない。凌の崩し、善次郎の根張、蓮の弓——四つを束ねて初めて一つの型になる。


 朔は手帳に描いた図を三人に見せた。


 「凌が前で崩す。善次郎が壁で止める。僕が結界面で焦光を屈折させて死角から当てる。蓮は焦光が当たった瞬間に射つ。怯んだ隙を突く」


 凌が図を覗き込んだ。


 「言葉にすると簡単そうだな」


 「やってみないとわからない」


---


 樹相術で作った木の柱を的に立てた。善次郎の手で地面から生やした、腕の太さの柱。


 四人が散った。凌が正面、善次郎が右翼、蓮が後方。朔は善次郎と蓮の中間、やや後ろに位置を取った。


 一回目。


 凌が鶺鴒を抜いて踏み込んだ。三撃構成の初撃——布石の一刀。蒼白い光が柱の正面を掠め、凌の重心が前に移る。続けて二撃目の揺さぶりに入ろうとした瞬間、肩が流れた。踏み込みと刃筋が噛み合わない。姿勢が乱れて三撃目に繋がらない。


 善次郎が根張を地面に突いた。柄を通して法力を送り込む。石突の先から根が伸び——が、踏み固められた灰色の地面は硬かった。根が表面を這うだけで、深く食い込めない。善次郎が歯を食いしばる。根が浅い壁を張ったが、それ以上は伸びなかった。根が萎える。


 朔は結界面を展開した。空間が薄い琥珀色に固まる。活界——結界面の角度を動かす。焦光を的の背後に回り込ませる計算を組んだが、結界面の回転速度が凌の動きに追いつかない。角度がずれた。焦光の熱線が結界面を透過し——凌の頭上三寸を掠めた。


 「おい!」


 凌が首をすくめて叫んだ。髪の端が焦げている。


 「ごめん!」


 蓮が射った。だが焦光が当たっていない——怯みがないから的は動かない。矢が的の左に逸れて地面に刺さる。


 「焦光が当たらないと意味がない!」


 蓮が声を上げた。矢が外れた地面の穴を見つめている。


---


 四人が的の前に集まった。


 「角度が変わる瞬間が見えない」凌が髪の焦げた先を摘んだ。「事前に合図がいる」


 朔は考えた。結界面の展開位置を凌の視界に入る場所に固定し、面が回転を始めたら凌が退く。それを約束にする。


 善次郎が根張を見た。浅い根の跡が地面に残っている。


 「根が張れるのは柔らかい土だけだ」善次郎の声は淡々としていた。事実を述べている。「立つ場所を選ばせてくれ」


 「善次郎が位置を選んで、そこに僕が結界面を合わせる」


 蓮が手を挙げた。


 「あたしは結界の角度が変わったら数えて射つ。一、二で」


 二回目。


 善次郎が訓練場の端を選んだ。灰の土が柔らかい一角。根張を突く。根が地面に食い込んだ——今度は深い。三十歩先の柱の横に、根の壁が伸びた。退路を断つ形になる。


 凌が鶺鴒を構えた。正面から初撃。踏み込みが速い。蒼白い光が柱の表面を裂き、凌が半歩退いた。


 朔が結界面を善次郎の壁の横に連ねるように展開した。琥珀色の面が空間に浮かぶ。凌の視界に面が見える。面が回転を始めた——凌が後ろに跳んだ。焦光が結界面に当たり、屈折した。熱線が曲がり、柱の背後に回り込む——着弾。柱の裏が焦げた。


 蓮が弦を引いた。


 「一、二」


 矢が放たれた。——柱の肩口を掠めた。当たりかけた。


 凌が息を吐いた。


 「……見えた。今のは見えた」


 善次郎が根張を抜いた。根の跡が地面に深い穴を残している。柔らかい土なら張れる。


---


 三回目。


 善次郎が同じ位置を選んだ。根張を突く。根が地面に食い込み、壁が柱の横に展開した。深い。


 凌が踏み込んだ。鶺鴒の初撃——今度は踏み込みと刃筋が一致した。蒼白い光が走り、柱の表面が削れた。凌が退く。


 朔が結界面を回した。焦光が結界面に当たり、屈折する。


 蓮が射った。


 矢が——柱に刺さった。端だが、当たった。


 四人が止まった。


 「……当たった」


 凌が息を吐く。蓮が矢の刺さった場所を見ている。端。ぎりぎり。


 「ぎりぎりだけど」


 善次郎は何も言わなかった。根張を見ている。根を引き抜いた跡の穴が、一回目よりも深い。


---


 朔が手帳を広げた。


 崩し、射し、止め、繋ぐ。四文字を書いた。


 「四つの手順で一つの型。今のは三回目でやっと当たった。精度は一割以下」


 手帳に数字を書き込む。結界面の回転速度、焦光の屈折角、蓮の矢の到達距離。全部が足りない。


 凌が腕を組んだ。


 「足りないのは知ってる。でも形にはなった」


 朔は手帳から顔を上げた。蓮に向き直った。


 「蓮、今の拍子で射てた?」


 蓮が首を傾げた。


 「正直、焦光がいつ当たるかわからなくて勘で射った」


 「……じゃあ、焦光の拍子を事前に約束しないと。僕が屈折させてから何拍で蓮が射つか決めておく」


 善次郎が言った。


 「地面が硬ければ根は張れない。場所を選ぶ」


 朔は手帳を閉じた。三人の顔を見た。全員が課題を持っている。凌の崩しは二撃目で姿勢が崩れる。善次郎の根は土壌に依存する。蓮の弓は焦光との拍子合わせが勘のみ。朔の活界は角度計算が遅い。


 「全然足りない」


 息を吐いた。


 「でも、始まりだね」


 凌が口の端を上げた。


---


 午後、控え詰め所に戻ると壮介が待っていた。


 壮介は布に包んだ何かを抱えていた。朔班を見つけると、朔に向かって歩いてきた。凌と善次郎と蓮は外采棟に向かい、朔だけが残った。


 「朔、見てほしいものがある」


 壮介が布を開いた。手のひらの二倍ほどの石の板が現れた。縁が欠け、表面が風化で白く濁っている。だが細い線が刻まれていた——彫刻のような、けれど文字のような線。


 「灰輪北東部の灰界端で見つけた。境界石が傾いていたから根元を掘ったら、土の中に埋まっていた」


 朔が石版を受け取った。重い。表面をなぞると、指先に微かな凹凸が伝わる。法力の痕跡があった。劣化が激しいが、完全には消えていない。


 燭明術の顕照をかけた。


 石版の表面に微かな光が浮かんだ。法力の残光——五行の色が混在している。木行の淡い緑と火行の赤橙が交差し、複雑な回路のような構造を描いていた。朔が見たことのない構造だった。穢れ灯の循環回路に似ているが、組み方が違う。もっと層が深い。二重にも三重にも折り重なった回路。


 「……術式だ。でも、見たことがない構造」


 壮介が石版の端を指で示した。


 「文字が刻んである。読めるか」


 朔が石版の端に目を凝らした。旧い書体。劣化で半分以上が潰れている。だが辛うじて三つの文字が読めた。


 伝。脈。陣。


 「伝脈の陣?」壮介が首を傾げた。


 朔の頭に篝が薬典庫で見つけた古文献の一節が浮かんだ。五つの里を繋いでいた遠距離通信網の名前。


 「響伝の陣——かもしれない」


 手帳を開いた。失われた技術の一覧の端に書き留めた名前——響伝の陣。絡脈術を地脈に通し、里同士がやり取りをしていた通信網。五星連珠の時代に失われた技術。


 もう一度顕照をかけた。回路の構造を丁寧に追う。二つの行が交差していた。木行陰——絡脈術の法力痕跡。そして火行陰——燭明術の法力痕跡。


 「地脈に法力信号を通して……受信点で燭明術の顕照で読み取る?」


 手帳に断片的な回路図を写し取った。溝の走り方を一本ずつ指でなぞり、紙の上に移していく。途中で気づいた。この回路の一部——信号を受け取る部分の構造が、穢れ灯の感応板の循環回路と似ている。


 「穢れ灯は穢れの波を拾う。これは法力の波を拾う。原理は——」


 壮介が朔の手帳を覗き込んだ。朔が描いた穢れ灯の回路図と、今書き写した石版の回路図が、隣の頁に並んでいる。


 「同じなのか」


 「同じじゃない。でも似てる。信号を捕まえる部分の構造が」


 壮介が静かに言った。


 「朔。その石版、もう少し調べろ」


 「はい。ありがとうございます」


 壮介は控え詰め所を出ていった。


 朔は手帳を広げたまま石版に燭明術の顕照を当て続けた。五行の残光が石版の表面で揺れている。この石版に術式を刻んだのは誰だ。何のために通信の回路を石に焼き付けたのか。遠征先から里に連絡する手段があったなら——撤退判断が里の指揮に繋がったなら——。


 手帳の左の頁に穢れ灯の回路図。右の頁に石版の回路図。その下に、灰界端の後退速度の折れ線。衰退の数値と、失われた技術の残滓が、隣り合っている。


---


 夕餉。


 外采棟の食卓に四人の椀が並んだ。善次郎が根張を壁に立てかけている。凌が鶺鴒を膝の横に置いた。蓮の練弓が壁に立っている。朔の前に手帳が開いてあり、その横に布で包んだ石版があった。


 朔が石版のことを話した。


 「壮介さんが灰界端から見つけた石版に、昔の通信術式の断片が刻んである。穢れ灯と原理が似てる」


 凌が箸を止めた。


 「通信?」


 「法力の波を地脈に通して、受信点で拾う。穢れ灯が穢れの波を拾うのと同じ仕組みだと思う。まだ断片しか読めてないけど」


 善次郎が椀を置いた。


 「……遠征先から連絡できるのか」


 「できるようになれば。踏破行で最深部まで行くなら、里との連絡が——」


 蓮が口を開いた。


 「あたしたちだけじゃなくて、帰還待ちの人たちにも」


 朔は手帳を見た。左の頁に午前の班演習の記録が並んでいる。崩し、射し、止め、繋ぐ。精度一割以下。全然足りない。右の頁に石版の回路図の断片。響伝の陣。穢れ灯と構造が似ている。復元には——わからない。


 二つの「足りない」が隣り合っている。


 「今日の演習も、この石版も、全然足りてない」


 凌が箸を置いた。


 「だから?」


 朔は手帳を閉じた。少し考えた。


 「だから続ける」


 蓮が笑った。善次郎が汁を啜った。


 凌が首を傾けた。


 「お前がそう言うとまだ先があるって聞こえるから厄介だな」


 「あるよ。たぶん」


 鳴弦がピィと鳴いた。


 食卓の上に椀が四つ。壁に鶺鴒と根張と練弓と練錫杖。手帳の中に二つの回路図と、右肩下がりの折れ線。足りないものの一覧が、静かに積み上がっていく。


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