118話:重なる目
「また増えたな」
凌が外采門をくぐりながら言った。朔の懐が一冊分膨らんでいることを指している。
「記録は重くない。帳面が重いだけだよ」
「意味がわからねぇ……」
凌が呆れたように言った。善次郎が鼻を鳴らした。手帳と篝の記録帳。二冊を懐に入れて巡哨に出るのは、もう三度目になる。
石牙丘陵の南縁を経由する標準巡回路。土御門班の単独巡哨。門柱が遠ざかっていく。
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灰の野を南東に行軍し、六位の骸狗を三体片づけた。凌が二体、蓮の矢が一体。善次郎が壁を張る場面すらなかった。
石牙丘陵が近づくと、朔は錫杖を掲げた。鳴弦が右肩から迷いなく飛び、灰の空に溶ける。同時に燭明術を展開した。
穢れの濃淡が地図になる。南縁の分布は手帳の記録と概ね一致——だが南東に不均一があった。穢れが一箇所に寄っている。
上空から鋭い声が落ちた。
「キィッ」
鳴弦が南東方向で旋回を始めた。五位の反応。
「五位。一体。南東——」
朔は眉を寄せた。方角は出る。だが石牙丘陵の岩場が壁になり、燭明術の反応が散っている。距離と位置が確定しない。
「……動いているのか?」善次郎が低く聞いた。
「動いている。だけど——どっちに動いているかがわからない」
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鳴弦が再び鋭い声を上げた。旋回の弧が小さくなっている。
朔は燭明術の反応を手放さずに、鳴弦の位置を頭の中に置いた。鳴弦が法力を使うとき、その残響が朔の燭明術の端にかすかに触れる。双方向の適応——いつからか朔にも鳴弦の法力が感じ取れるようになっていた。
燭明術が示す穢れの偏り——南東、やや右寄り。
鳴弦が旋回している位置——ほぼ真上から少し南。
鳴弦の声が聞こえた方角——岩場の向こうではなく、こちら側。
三つが重なった。
「凌——右。岩のこちら側に出てきてる。三間以内」
凌が踏み込んだ。岩の陰から灰色の腕が伸びた。獄縛鬼が刺又を振り上げたところに凌の一太刀が入り、柄を弾く。善次郎の拒木が退路を塞ぎ、凌の二の太刀で核が断たれた。
鳴弦が降りてきた。右肩に着地し、ピィ、と穏やかに一声。嘴が朔の髪を一房つまんで離す。嘴遊び。合っていた。
「……鳴弦。もう一回、飛んでくれるか」
鳴弦が再び舞い上がった。燭明術を再展開し、今度は意識的に鳴弦の飛行位置を基準点にして走査した。
地図が立体になった。岩場の裏側。丘の向こう。燭明術だけでは見えなかった場所が——鳴弦の位置を経由して見えている。
「……見える」
「朔くん?」蓮が首を傾げた。
「——鳴弦と、見えているものが重なった」
善次郎が上空の鳴弦を見上げ、それから朔を見た。凌は何も言わず練刀の血糊を拭った。
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帰り道。枯れ草の向こうに影が動いた。
朔が錫杖を掲げた。鳴弦が飛んだ。燭明術を展開した瞬間——位置が落ちた。前方三十間、左にやや逸れて二体。墜羽。
「六位二体。左前方三十間。灌木の裏」
蓮の矢が一体の胴を射抜いた。残る一体を凌が断つ。
蓮が振り返った。「今の——来る前に見えてたの?」
「……鳴弦が教えてくれた」
手帳を開いた。索敵可能範囲は従来の約二倍に広がる。まだ完璧ではない。だが、見えなかった場所が見えるようになった。
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外采門を通り、穢れ検査を済ませて格納場に向かった。法石を提出し、巡哨報告の写しを書記官に渡す。
外采棟の裏手を通りかかったとき、鍛冶場の方角から金属を叩く音が聞こえた。等間隔ではない。叩いては止まり、止まっては叩く。確かめるような打音だった。
「音が違う」
善次郎が立ち止まった。善次郎は木行だが、素材の音には敏い。討物所の槌音は朝から夕まで里に響いているが、この音はいつもの量産鍛造の拍子と違う。探りながら叩いている。
格納場の脇を通る道から、討物所の裏口が見えた。裏口の戸が半開きになっている。鋼一がいた。
多々良鋼一。討物所の頭領。玄外の父。堅実で寡黙な鍛冶の最高峰。普段は自分で炉の前に立つことは少なく、手配と品質管理に徹している。その鋼一が、鉄を叩いていた。
小ぶりの鉄片を鋏で掴み、槌を振り下ろす。火花が散る。裏返して、もう一度。額の汗を拭わずに、表面を爪で弾いた。微かな澄んだ音がした。鋼一がその音を聞いて、唇を引き結んだ。
「鋼一殿、やってんな」
凌が素通りしようとしたとき、裏口の横に立っていた若い鍛冶師と目が合った。見覚えがある——護帯の量産で斎具所に出入りしていた顔だ。
「配合を変えた試作です。混ぜ物の比率を少し動かした鉄。——頭領が自分で確かめると言って」
若い鍛冶師の声に熱がこもっていた。
「護帯のときに相生循環回路の組み方を覚えて——鉄にも応用できるんじゃないかって。回路を刻む前に、鉄そのものが法力を通しやすくなれば、もっと軽く、もっと薄く打てるだろうって。討物所の連中で寄り集まって試してるんですよ」
朔は足を止めた。護帯の相生循環回路は朔と玄外が設計し、内工座が量産した。そのとき討物所の鍛冶師たちは、回路を「自分の手で作りながら」原理を覚えた。朔は設計しただけだ。作ったのは彼らだった。その彼らが、朔の知らないところで自分たちの技術の中に原理を組み込もうとしている。
鋼一が鉄片を水桶に浸けた。じゅう、と音がして白い湯気が上がった。引き上げ、断面を見た。何か気に入らなかったのか、鉄片を棚に置いて次の試料を取り上げた。
若い鍛冶師が胸を張った。
「斎具所の連中も負けてないすよ。玄外殿が札の封入法に新しい手順を試してる。爆砕札の起爆が半呼吸速くなったとか。——外采使さんたちが灰輪で新しい術を編み出してくるんだ。道具を打つ俺たちが止まってちゃ格好がつかんでしょう」
凌が鼻で息を抜いた。それは笑いに似ていた。
「……速い札は助かる」
朔は鋼一の背中を見ていた。堅実で寡黙な男がわざわざ自分で炉の前に立っている。息子の玄外が斎具所で札を改良している。討物所の若い鍛冶師たちが合金の配合を試している。誰に頼まれたわけでもない。自分たちの領分で、自分たちの手で、次の一歩を踏もうとしている。
善次郎が歩き出した。朔は一歩遅れて続いた。
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灯し飯。幕板小屋で粥を啜りながら、凌が碗を置いた。
「今日の——あれ、いつもと違ったな」
「鳴弦が上で見えているものを、僕の燭明術と繋げた。たぶん——使える」
善次郎が聞いた。「鳴弦は嫌がってなかったか」
「嘴遊びしてた。——大丈夫だと思う」
善次郎が頷いた。
蓮が碗を両手で包んだまま言った。「じゃああたしの弓が当たりやすくなるってこと?」
「蓮の矢が届く距離なら、どこにいるかが先にわかる」
蓮は笑わなかった。「……それ、すごいことだよ」
「まだ穴がある」
「壁は張れる」善次郎が短く言った。
凌が粥の残りを啜り上げた。碗を置く音が軽かった。
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帰路。鳴弦が右肩で丸くなっている。
郁は左肩に鳴弦を乗せていた。朔が継承してから、鳴弦は右肩に止まった。
朔は鳴弦の頭に指先を乗せた。一度だけ撫で、薄鼠と琥珀の結縁紐に触れた。
「——ありがとう。一緒に……里のために……」
誰に向けたのか、自分でもわからなかった。鳴弦が首を傾げた。それだけだった。




