第六章 花は花を手折る
「間違いありません」
ローズこと安曇野天香は、遺体の顔を愛おしげに眺めながら呟いた。
「こんな、むごい事をするなんて。彼女は死後に傷つけられるほど酷いことをしたと言うのですか!」
徐々に、怒りが込み上げて来たのだろう、彼女の怒りで文字通り空気が震えた。
「一つ、質問してもいいだろうか」
文字通り、空気を読まずに楡松が言った。
「何ですか?」
怒りが治らないのだろう、顔を赤くしながら振り返った。
「リリーが狙撃と思われる状況で倒れた時、なぜ変身がとけなかった?」
「え? ……それは……」
楡松の問いは、安曇野にとって想定外のものだったのだろう。彼女の答えは、まるで取り乱して見えた。
「そんな……だって……」
そのうちに、楡松の質問の意味に気がついたのか、安曇野は青ざめはじめた。
「つまり、その、あの場ではまだこの娘、リリーは生きていた……そうなんですか?」
彼女の中で、張り詰めていたものが切れてしまったのだろう。安曇野は、ゆっくりとその場にへたり込んだ。
「君は先ほど、意識を失うと『変身がとける』そう言っていたね」
「はい……そう申し上げました」
手のひらで顔を覆い、嗚咽しながら安曇野は答えた。
「では、リリーはあの時点、すなわち狙撃されたと思われた時点では生きていた可能性が高い?」
楡松は、容赦なく安曇野を問い詰める。その残酷すぎる答えは、安曇野のさらに追い詰める知っていながら。
「その通りです……その通りです、あの娘を助けられたのに、あたしなんで……」
安曇野は肩を震わせて、泣き続けた。
あの瞬間に、リリーが生きている事がわかれば、安曇野は彼女を助けられたのだ。
「部外者は引っ込んでくれないか」
見かねたのか、髙砂先輩が楡松の腕をとった。
「出ていって」
もう、お前には用がないとばかりに先輩はドアを指差した。
「取調室で待っていなさい」
「そうは行かない、事件現場で捕まったんだ、私も立派な関係さ」
楡松は僕の方をみて、『違うのか?』と言わんばかりにニヤリと笑った。
「それより、君に聞きたいんだ」
そう言うと、楡松は髙砂先輩の腕を振り解いた。
「あの現場で、生死の確認をしていたのは、救急措置をとっていた君一人だ」
楡松は彼女に向かい合うと、先輩の顔を覗き込んだ。
「それがどうした?」
「救急措置を取っていたのに、なぜ彼女が生きてる事に気がつかなかった?」
心臓マッサージや人工呼吸を行なって、なおバイタルサインに気がつかないなど刑事でなくても、気がついたはずだ。
「君が、人より倍も鈍感だったとしてだ。死亡の所見を書いた医師が、死んでいると所見を出したら大問題だ」
「だったら、どうした?」
髙砂先輩は、楡松を睨みつけた。その姿は、どこか恐ろしい敵に挑むようだった。
恐ろしい敵、それは目の前の小柄な女が彼女の敵であるように僕には見えた。
「ほう、開き直るか? 君がそのつもりなら、つきあってやろう」
楡松は面白そうに笑いながらポケットをまさぐると、スマートフォンを取り出した。
「古来から謀は、秘密を知る人数が少ないほど成功しやすい」
楡松はそう言いながら、スマートフォンをスピーカモードにして、どこかに電話をかけた。
「もしもし、私だ、楡松だ……今日の当番の先生を呼んでくれ」
楡松が電話をかけたのは、市立の中央病院。この辺りの事件・事故で遺体が一番最初に運び込まれる、死亡が確認される場所だ。
そして、リリーが最初に運び込まれた場所だ。
「楡松さん? 今日の当番は私だけど? どうしました?」
どういうことか、楡松は病院の医師と面識があるようだ。
「やあ、先生。今日は、先生が当番でよかった。話が早い」
楡松は嬉しそうにそう言うと、続けてこう言った。
「先生。今日、運び込まれた被害者に風変わりなのがいたろう?」
そう言いながら、楡松は、ちらりと横たわるリリーを見た。
「ああ、魔法少女だろ? ありゃもう警察に引き渡しちまったが、あれがどうした?」
「先生、何を頼まれました」
電話の向こう、そして髙砂先輩が息を飲んだ。
「しかし、一度頼まれた事だしな。君も陰謀の仲間なのか?」
「そんな所です。まあ、私と先生の仲じゃないですか?」
どんな関係だと言うのだろう? まるでこの医師は楡松なら信用できる、そう思っているようだ。
「楡松さん。君のことだ、もう、わかっているのだろう」
「ええ、しかし先生から事実を聞かないと、おさまらないのですよ」
電話の向こうから、大きなため息が聞こえた。スピーカー越しでも、医師が逡巡するさまが手に取るようにわかった。
部屋の中のあらゆる人間が、スピーカーの音に注目している。その中でも、髙砂先輩は青ざめた顔で、楡松のスマートフォンを睨んでいる。
その姿を見て、僕は、そっと髙砂先輩のそばに立った。
「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
そう言いながらも、彼女の顔には血の気が無い。
僕は、その冷たくなった先輩の手を取った。
「大丈夫です」
なんの根拠も無いが、僕はそう呟いた。
自分自身に言い聞かせるように、低く呟いた。
「楡松さん、私は良かれと思ったが、どうやら違うようだね? 君が出て来ると言うことは、そうなんだね?」
「そうです。私は疫病神なんですよ」
おどけたように答える楡松に、腹が立った。まるで真綿で首を閉めるように、じわじわと何かを追い詰めていく。
それも楽しんでいるように。
この女は何者なのだ? 最初に思うべきだった疑問が、今さらのように浮かび上がって来た。
「リリーはね、死んでなかったよ。少なくとも私は、生きている彼女を見たんだ。そうそう、刑事さんと一緒に自分の足で歩いていたよ」
刑事さん、病院に行った刑事は一人しかいない。
「髙砂刑事ですね?」
「ああ、そうだ。彼女に頼まれたんだ。一度死んだ事にして、匿うことになっていると」
部屋にいた全員の目が、髙砂先輩に集まった。
「ありがとう、先生」
楡松は電話を切ると、髙砂先輩の顔を覗き込むように見上げた。
「さて、ここから先は、私が言うかい? それとも君の口から話すかい?」
「いや、確かにリリーは生きていたが……だが、私が殺したと言えるのか?」
髙砂先輩は、低い声で答えた。
「往生際が悪いね、君しか殺す機会が無い。そもそも、生きている事を知っているのは君しかいない」
そう、『遺体』を引き取りに病院に向かったのも先輩だけだ。
「それとも何かい? 救急隊にも連絡するかい? どうせ口止めしているだろうが」
楡松は再びスマートフォンを取り出すと、ひらひらと振ってみせた。
「まあいい、今回の事件は、狂言のはずだった。少なくとも、最初はそうだった」
楡松はリリーの遺体のそばまで行くと、その頬を撫でた。
「彼女が命を狙われた、脅された。それも事実だろう。ただ、脅したのも髙砂君、君だ」
「私が? 何のために?」
髙砂先輩は心外そうに答えた。
「知らんよ、それこそ君に答えて欲しいところだが……」
楡松は肩をすくめた。
「ただ、以前から君たちは面識があった。おそらく平賀の事件の時に、君とリリーは知り合ったのだろう?」
その問いには、先輩は沈黙を持って答えた。
「平賀を脅した刑事と言うのは君だろ? なんなら、ヤツを連れてきてもいい。それに、リリーが頻繁に相談していた刑事と言うのも君だ髙砂君」
そう、関係者の証言に影しか見出せない刑事、僕も誰かわからなかった人物。それが先輩なのだろうか?
「君とリリーはしめし合わせて、彼女が脅されなくなるまで消える予定だった。君は二人でエスケープするとか、そんな事を吹き込んでいたのだろう?」
「大した妄想だな、証拠もないのに」
余裕のある所を見せたかったのだろう。あやふやな証言に頼っている楡松の推理を、髙砂先輩は鼻で笑った。
「なるほど、君の言う通りかもしれない……」
そう言いながら、楡松はリリーの遺体を覗きこむようにかがんだ。
その姿を見て、安心したのか先輩の手に少し暖かさが戻った。
それでも、その手が震えている事に少し前から僕は気がついていた。そして意外なほど冷静にその事を僕は受け入れてた。
「確かに、今は物証に乏しいが……」
すっと、楡松の手が持ち上がった。
「これは誰の髪かな?」
その手には何者かの、黒くて長い髪が摘まれていた。
「君の神のようだよ、髙砂君」
フッと、髙砂先輩が笑ったような息を吐いた。
次の瞬間、僕の手を振りほどくように彼女は身をよじった。だが、振り解かれまいと僕も必死でその手を掴む。
「無駄だよ、関根君には絶対に離さないように先ほど言っておいたんだ」
そう言われて、髙砂先輩は崩れ落ちるように膝をつくと、慟哭したのだった。




