第二十七話:召喚術士さんと破壊
日が昇って、何度か落ちた。
メフィストフェレスと僕はいつもと変わらない日常を過ごしていた。朝目覚めてメフィストを起こしたのもいつものことだし。朝食を食べて、メフィストが占いコーナーにケチをつけていたのもいつものことだし。学校に行って、ジブリルさんに挨拶したのもいつものことだし。部活に行ってクロ先輩からくだらない提案を受けたのもいつものことであった。全ては見慣れた風景であり、不変的な光景だった。
だけど、運命の日は近づいていた。
夜市屋先生の父と母――九尾の狐と吸血鬼の来訪の当日になるまで、僕らにできたのは変わらない日常をなぞることだけであった。
僕らは山に来ていた。
ただの山じゃない。かつてこうもり猫さんが寝床とした山だ。メフィストとジブリルさんが争った山だ。山は深く、静かで、見つめてるだけで飲まれそうな迫力があった。時刻は昼だと言うのに、山中は闇を孕んでいた。
過剰な自然は、人と相反する。
よく緑を大切に、美しい自然を守ろう、という言葉があるがあれに僕は懐疑的だ。
自然とは本来、人の営みと相反するものだ。都会に生まれる自然は作られた、人工的な自然であり、それは動物を子飼いにして食べているのとそう変わらない。
自然は優しくない。
森の見せる闇は、人の恐怖心を増長させた。暗がりから覗く影にいつ飲まれてもおかしくはない。
運命の日は、この場所で始まろうとしていた。
「いい森じゃのぉ」
メフィストは楽しそうだった。
悪魔がほの暗い闇の中を好むのは至極道理だった。黒いシルクハットに黒いステッキも持って愉快に闊歩する様子は、登山客の子供と呼んでもいいのかもしれない。
対する僕はボロボロだった。
僕は息を切らしてメフィストについていた。彼女の足取りは軽い。僕は重い。前に来たよりも勾配の急な道を歩いているのだ。おおよそ人が歩いていいような場所ではない。未開の土地。遭難しても、文句の言えない場所であった。
本当に、ここに来るのか?
本当に、彼らは来るのか?
「現れるじゃろう、むしろ、ここなら現れやすいと言えよう」
僕たちは山に来ていた。
それもただのハイキングではない。日曜日とはいえ、運命の日に行楽に出るほど僕らはお気楽ではない。
僕らには目的があった。
それは――九尾の狐と吸血鬼のお出迎えであった。
本来であれば、夜市屋先生の役目だろうが、彼女はこう言った。
「はん、私が出迎えでもしてみろ、喧嘩の一つでもおっぱじまって、そのまま世界はドカンだ」
そう言われ、代役が立った。
それが僕らだ。
「一応、スレイマンの笛をは持ってきたけどさ。これって妖怪にも効くのかな……?」
「びみょいのう。悪魔に類する権能を持っておれば、基本的に効くんじゃが」
九尾の狐と吸血鬼。
妖狐には、君主を堕落させ、国を傾国に導いた伝説がいくつかある。
その性質は悪魔のそれに似通ってると言えなくもない。
だが、それはあくまでも解釈に過ぎず、妖狐がすなわち悪魔と言うことはできない。
吸血鬼はどうだろう?
鬼は悪魔と似ているが非なるものだ。
鬼とはどちらかと言うと、外部からの侵略者というイメージが強い。
あるいは、人間の内部に潜む怒りや怨嗟の感情を象徴か。
一方で悪魔は外部の侵略者というよりも、思想の異なる侵犯者という印象が強い。
クロ先輩の過去にいた世界では、鬼はどちらかというと島国や山岳地帯にてその伝承が見られ、悪魔は陸続きの平野にてその伝承が残っていると聞く。
どちらも越境には違いないが、地理的な側面と、思想的な側面での異形という点では鬼と悪魔は残念ながら違う存在だ。
…………つまり、どちらにせよ笛は効かなそうだ。
「このアイテム役立ちそうで、全然使えないな」
「そうじゃのう、妾を好きにできることくらいか」
その言葉だけ聞くとエロそうだが、メフィストにどうこうするつもりは今のところなかった。
「というか、そもそもどうやって来るつもりなんだろう」
「召喚陣じゃな」
「当たり前のように言ってるけどさ、召喚魔法ってメフィストたちも使えるの?」
「そりゃそうじゃろう、むしろ何で使えんと思うのじゃ」
当たり前のように言ってのけるメフィスト。
確かに……。
この世の魔法は、異世界から精霊たちを呼び出すことで発動している。
だけど、ここ数週間で僕は、天使や悪魔や妖怪に出会った。
彼女たちは皆心があり、主義主張があり、つまり生きている。
僕らが使えて、彼女らが使えない理由はないだろう。
「ヤモリたちとは時間の流れが異なるからの、全員とは言えんが、この世界に来るための召喚術を使える存在はたくさんいるぞ」
その例の一つが、夜市屋先生の両親という訳か。
「しかし、親か」
「なんじゃ、しんみりしてヤモリよ」
「いや、僕って親とかよく分かんないだよね」
僕に幼少期の記憶はほとんどない。気づけば祖父の家で暮らしていた。
祖父は変わり者で、僕は育てられてはいたが、家族って感じではなかった。
同居人?
居候?
同じ屋根の下に住むことのなった奇妙な関係って感じだった。
「それでも、学校は行ってたんじゃろ?」
「まあね。最低限のことはしてくれてたから、感謝はしてるんだけど……」
「けど?」
祖父については、最後まで謎だった。
彼が何者であったのか。
僕は知らなかったし、今も知らない。
夜市屋先生にも、詳しい話は聞いていない。
「…………ナーバスなところ申し訳ないがヤモリよ。どうやら来るみたいじゃぞ」
本当か?
僕は身構える。
しかし、周囲に召喚陣が発動できそうな場所はない。
山の上でもない。開けた場所でもない。ここは、ただの、山中だ。
森の木々が生い茂る空間に召喚陣を発動させるなんて、危険行為だ。位相の異なる空間から、異なる物を生み出す時は、対象物と接触しないように注意する必要がある。僕らにとってそれは常識中の常識だ。
それとも。
まさか空間を捻じ曲げて、顕現するというのか?
「違うぞ、ヤモリ」
「え?」
「上じゃ」
僕は空を見た。
それは巨大な召喚陣だった。
半径何百メートルはあるのだろう。
木々の隙間、僅かな隙間からでも分かる。あれは、召喚陣だと。あれは、超巨大なマークだと。
ぽかんと、言葉を失ってしまう。
圧倒だった。
だけど、隣の少女は違った。
僕のメフィストフェレスは、つとめて冷静に言った。
感情を圧し殺して言った。
「ヤモリよ……」
硬い声で言った。
「逃げるぞ」
逃げるぞ、と言った。
次の瞬間には腕をつかまれて僕は空にいた。
「え?」
宙を舞う。
強い、強い強い強い力で空を舞う。
僕は逆さまになっていた。
上下反転の世界で見た。
召喚陣から落とされる巨大な一撃を。
それが――九尾の狐と吸血鬼の地上降臨の一撃と知ったのは後からだ。
だが、そんなことは僕には分からなかった。
眼下の光景は、ただの蹂躙だった。
「……」
事実を、端的に言うと、目の前で山が消えていた。
一つの山が消えていた。
鬱蒼と生い茂る木々も、闇を孕んだ影も、急な勾配も、こうもり猫さんがいた洞窟も。
全部。
まとめて引っくるめて無くなって平らな土地が合った。
隕石落下だった。
地面が平らになる直前、土石流が舞った。
僕とメフィストの逃げた位置まで、破壊に伴う惨たらしい"山だったもの"が迫った。
が、同時にそれらは消えた。
まるで魔法みたいに。
重力落下とは異なる力に引き寄せられて、次元の違うエネルギー法則で土石流は一点に集中して飲まれた。
まるで、食べたみたいだった。
食事風景を超スピードで見せられたかのように、土石流は消えた。
消えた。
残ったのはクレーターと、その中央に位置する二人。
金髪白眼、背は高く真っ赤な和装に身を包み、口元は金色の扇で隠している。
対するは、灰色のしわくちゃの髪に、高い鼻、顔は髪に隠れている。同じく背は高く、グレーのフロックコートを着ている。
……白面金毛九尾の狐。
吸血鬼。
彼らのお出ましだった。




