第十五話:神様さんと本気の戦い
今回は三人称・天使視点です。
夜。
鬱蒼たる森を駆けるは天使。
名をジブリールといった。
四大天使、三大天使、死者を蘇らせる者、終末を告げる者、楽園を護る者、神の人……。
呼び名は幾重もあれど、肝要なのは彼女がこの世に降り立っている事実であった。
憑依魔法。
通常召喚魔法の下位互換と目されるかの魔法だが、その認識は正しくない。
召喚魔法の場合、現世に呼び出される過程にて、召喚獣は転送可能な形に変換され、多くの要素が削り取られる。
その要素とは権能であり、肉体そのものであり、召喚獣自身の力だ。
理の異なる世界から異形を生み出すという行為なのだ。元より当然の帰結と言えよう。
故に、どれほど正しい術式で召喚魔法を行おうとも、召喚獣の姿は本来のものと異なる。
それはこの世界において弱きもの――――可愛らしい愛玩動物か、あるいは子供にだ。
憑依魔法は異なる。
かの魔法の場合、媒介となる器を事前に定義可能となるからだ。
転移時に削り取られる要素を最小限に収め、憑依先で召喚獣が十分な活動ができるよう明示的なチューニングの余地がある。
この違いは大きい。
一方で憑依魔法は召喚魔法に比べて、術師の技量と知識が試される難度の高い魔法とも言える。
そして、天使ジブリールは今、憑依先の少女の肉体を完璧に使いこなしていた。
「ねぇ、ジブリル。本当にこんなところに魔物がいるの?」
『いるです。悪魔の香りがするですよ。ホップと麦を混ぜた香りがするですよ』
「それってビールなんじゃ……」
花子がジブリールを憑依させたのは三ヶ月前のことだ。
天使同盟――彼女が所属する部活動のことだ――そこでの活動で花子は成果をあげられずにいた。
もちろん魔物退治や悪人退治は名目上の理由で、本当は地域ボランティアなどを悪魔退治と称して仲良くやる部活なのだが、馬鹿な花子はいつまでも魔物を倒せずにいる自分に焦りを感じていた。
やばい、入部して数ヶ月……私はまだ悪魔を一匹も浄化していない。
先輩は一年目の夏前には、もう既に二、三匹の悪魔を狩ってたっていうし。
一緒にクラブに入ったちーちゃんは中学自体は被虐の悪魔として同族狩りに精を出していたっていうし。
(やばい、私の天使力、低すぎ……っ!?)
繰り返し言うが彼女は馬鹿であった。
もちろん先輩の言っていた悪魔とは比喩的な意味であり(おそらくリア充カップルを別れさせたとかそういうレベルだろう)
ちーちゃんは中二病だった過去をより昇華させて現在進行形で闇落ちしているだけに過ぎない。
だが焦った花子は、ある人間に相談を求めた。
それは天使同盟の部活動顧問――夜市屋曜子であった。
『でもスゴいですね花ちゃんは。私の力、グングン上がるですよっ!』
「う、うん……一日30分しか持たないけどね」
夜市屋曜子は少女に憑依魔法をかけた。
最初は哀れな生徒にさらに余計な台詞でも吹き込んで遊ぼうと考えていたのだが、彼女が天使の媒介先として非常に適した身体をしていることを見抜いたのだ。
「これは、面白い。ふむ、"とても"面白い。なあ、花子くん――――天使になってみる気はないかね?」
結果、彼女は天使の権能を得た。
使えるのは一日30分。
それは夜市屋優しさであった。
少女の身体は憑依先としては完璧であったが、それでも天使の力を使い続けるのはリスクが大きかった。
具体的には天使にその意識を乗っ取られてしまう。
実際、憑依後の彼女は花子とジブリールの織り交ざった新しい人間に変わっていた。
「で、でも、前みたいに不意打ちで負けちゃうこともあるし……」
『あれはうっかりです。超強力なサンダーだったですよ』
以来、花子は街のパトロールに精を出すことになった。
実際問題、そう街にゴロゴロ悪魔や魔物がいるわけないので、大抵はカツアゲをしてるヤンキーや、ボッタクリのお店の怖そうなお兄ちゃんを相手に、天使の力を行使していくことになった。
「あの女の子、やっぱり悪魔を憑依してるのかなぁ」
『びみょいです。あの力、超悪魔っぽいですが、悪魔の香りがあんまりしなかったです』
「ただの悪魔好きの女の子なのかなぁ」
『分かんないです。でも悪い子じゃなさそうです』
二人はメフィストに関して判断を保留していた。
悪魔特有の腐臭が彼女からはしなかったからだ。
本来、悪魔であれば、独特の匂いを発する。
花子はともかくジブリールは経験則としてそれを知っていた。
だが、知っているが故に、メフィストがどちらなのか分からなかった。
「もしかして堕天使とか?」
『なら私の知り合いになるですね。でも知らないです。ゼウス第一中学校にはいなかったです』
「そっかぁ」
なお、メフィストから悪魔の匂いがしなかったのは、彼女が正義に目覚めたからでも、実は彼女の先祖は天使だったとか、悪魔ではなかったとか、そうした深い理由からではない。
――――悪魔さんさぁ……めっちゃ臭うんだよね。
――――お風呂入ってないからかなぁ……出会ったときからすごく臭いんだ。ずぶ濡れの子犬の匂いがする。
――――マジでやばいから早くお風呂入った方がいいよ。石鹸も好きなだけ使っていいから。
夜森明人。
綺麗好きで家事が達者なあの男が、メフィストの悪魔臭を完璧に洗い流してしまったからだ。
✞
「……洞窟だね」
『大丈夫です。――ぽわぽわライティングッ!』
と、花子は右手から淡い光を出現させた。
「スゴい……眩しくなくて、ちょうどいい間接照明みたい……」
『私くらいの天使になると、ライティングは眩しいだけの魔法じゃないですよ!」
「へぇ……」
『ムーディな雰囲気作りだったり、子供に喜ばれるカラー付きだったり、ユーザーのご要望に合わせたライティングができるですよ』
「凄いね、プリセットがいっぱいある有料ペイントソフトみたい……」
その例えは天使に対してどうなのか、という批判はあるだろうが彼女は馬鹿なのでご容赦頂きたい。
「それで魔物はいるの?」
『逃げてるですね。――はっ、ぴりぴりライトニングっ!』
と、花子は襲い掛かってきたコウモリたちを根こそぎ撃ち落とした。
この世界でRPGであれば気持ちいいくらい洞窟内のコウモリは一掃された。
「ちょ、ちょっとジブちゃんダメだよ。本当のコウモリさんもいるかもなんだからっ」
『大丈夫。ここにいるのは全員使い魔です。それに今のは峰打ちだから死んではいないです』
「そっかぁ、ならよかった」
花子は心から安心し、自分の胸に話しかけた。
――なお、お察しの良い読者諸君であればお気づきだろうが、花子と天使ジブリールは心の中で会話をしている。
具体的には、花子の声は実際に発しられて、ジブリールは心に語りかけているため、傍から見ると花子だけがヤベェやつになっている。
今が深夜なのが救いだろう。
ちなみにもちろん、花子が心で話しかけてもジブリールとは会話可能なのだが、彼女は馬鹿なので声に出さないとジブリールに届かないと思っている。
「空に逃げちゃったのかなぁ」
『……いいや、まだいるですよ』
と、花子は夜空を見上げる。
「見えないよお」
『任せてください! ぐんぐんライトニングッ!』
と、花子の右手からサーチライトの如き直線の光が放たれた。
鋭い光は夜空を照らして、右に左に蠢いて、やがてピタリと止まった。
『やはりいたですよ、距離300、西の方角ですっ』
「ジブちゃんは、さっきからライトニング魔法縛りでもしてるの?」
『そんなことはどうでもいいです! ぷかぷかライトニング!』
花子の足から光が放たれ、彼女は空を駆けた。
その姿はまさしく天使そのものであり、魔物も驚いた表情で彼女から逃げ出した。
向こうも翼を持つが、速度はさほど速くない。
「追うよ!」
『はいです!』
空中戦では勝てないと判断したのだろうか。
ジブリールはそんなことを考えながら地上へと向かう魔物を追いかけた。
誘導するような魔物の動きに彼女は罠の可能性を考えた。
だが、彼女はそのまま魔物を追った。
それは驕りというよりも矜持だった。
正々堂々正面から魔物に挑んで勝利する。
それが正義としてあるべき姿だ。
天使故の愚直とも呼べる真っ直ぐな思想が彼女を特攻させた。
『「――――――やっと、出会えましたね」ですよ』
魔物は女性の姿をしていた。
妖艶。
一言で現すならばそうだろう。
赤い髪に、シニカルな表情、夜の街で女王に君臨していてもおかしくない出で立ち、
堂々と、誰にも負けない気位を持ち、誰にも屈しないプライドを持ち、
そしてそれを虚構ではなく実現してきたという自負がある。
強い、悪い女性のオーラが目の前の魔物からは放たれていた。
「今日こそは決着をつけるわよ、天使さん」
『「それはこっちの台詞だよ」です』
そう言って、花子は武器を取り出した。
――――"巨大な金管楽器"。
いわゆるラッパと呼ばれるものだった。
「いくよ」
『はいです』
花子は水に潜る時のように大きく息を吸い込んだ。
彼女の小さな身体に空気が溜められる。
と、同時に彼女の周囲に魔法陣が展開する。
「ふふっ、強くて危なそうね、でも危険を恐れて悪魔はできなくてよっ――!」
魔物はそう言って、無数のコウモリを飛ばしてきた。
それも只のコウモリではない。
その一匹一匹が木の枝を切り、肉を刻む鋭利な翼を備えている。
並の魔術師であれば詠唱ができず、その身を刻まれることだろう。
たとえ剣士や拳闘士が相手だろうとも、コウモリの壁に阻まれて進むことはできないだろう。
――――だが。
「天使は只の魔法使いじゃない」
詠唱中の魔法陣がに近づいたコウモリたちが次々と消滅していく。
それは明かりに照らされた光のように、黒を塗り替えす白色の絵の具のように、決して汚れなく、一切の妨害無く、彼女はラッパを吹き鳴らす。
「――――ッッッ!」
「くっ!」
魔物は逃げた。
避けたのではない。逃げた。
天使が攻撃を始めるより早く、彼女は見極めた。
――もし一撃をくらったら浄化されてしまう。
その判断は正しかった。
放たれた一閃は――――レーザーだった。
山を貫く一撃が木を押し倒した。さらにその先の木を押し倒した。さらに押し倒した押し倒した押し倒した……。
永劫に続くかと思われる一撃が、続き続き続いた。
「――――やぁッ!」
「!?」
その一閃が、"上に"逸れたっ!
ラッパの軌道を花子が変えたのだ。
瞬間、光の束が一気に上昇し、雲を斬り裂いた。
ぶわんっ。
と、闇が消えた。
ぱっくりと覗かせた月が、世界を照らしていた。
「……や、やっぱり重いよこの武器」
『ナイスだよ、花ちゃん! 今のは魔物もビックリしてたよ!』
対する魔物は息を切らして、二人を見つめていた。
強い。
強すぎる。
光の束は、魔物の翼を掠るように貫通していった。
もし、コウモリを出さずにいたら……彼女の翼はもっと巨大なものになっていた。
そうしたら先の一撃は。
魔物はそう考えると、ぶるりと震えが止まらなかった。
ぶるぶると、震えが収まらなかった。
両手で肩を押さえるが、それでも凍えたように身体は反応を続けた。
魔物は改めて眼前の少女の強さを思い知らされた。
――――これが天使。
絶対的暴力によって、世界を支配する神の使い。
その代表格。
四大天使、三大天使、死者を蘇らせる者、終末を告げる者、楽園を護る者、神の人……。
呼び名は幾重にもあれど、肝要なのはそこではない。
彼女が自分の前に顕現しているという事実。
恐れであり畏れであり得も言わぬ"死"の予感だった。
魔物の出自が人型ではなく動物を元としている点が彼女の死の予感を強めていた。
「…………ダメよ、負けられないわ。せっかくこの世界に来たんだもの」
魔物は次撃が来るまでに逃げることはできた。
ラッパの一撃は強力だが"溜め"がでかい。
もちろん魔物は最初、その隙を狙っての連撃を仕掛けたのだが、並大抵の攻撃であれば詠唱中に発動される魔法陣にかき消されてしまう。
強力だが、分かっていても止められない。
まるで避けようのない終末を告げるかのような一撃に、魔物は為す術がなかった。
だが。
だが、それでも。
「来るよ、ジブリール」
『はいです。次で決めるです』
魔物は逃げなかった。
残念ながら彼女の意図は彼女にしか知り得ない。
彼女の頭に勝算があったのか、何が別の守りたいものがあったのか。
それとも魔物としての、悪魔としてのプライドが許さなかったのか。
あるいはその全部だったのか。
それは分からない。
だが、彼女は逃げなかった。
逃げても逃げても天使が追ってきた過去があったからかもしれない。
いつかは向き合わねばならない強大なもの。
彼女はそうした自らの困難として天使を捉えていたのかもしれない。
いずれにせよ。
「我が名は『こうもり猫』! あるいは『翼猫』、あるいは『窮奇』! あるいは『鎌鼬』にして、風神――『志那都比古神』! こちとら四凶を招きし一柱にして、霧を払いし神産みの子の一人だっ! たかが天使風情が、我が一族を舐めるなぁぁぁぁぁあぁあっっっっ!!」
魔物は突っ込んできた。
それは弾丸の如き速度で天使に迫った。
強烈な一撃に対抗するには、さらに強烈な一撃を加えるしかない。
そう魔物が判断したのだと理解したジブリールはラッパの詠唱を早め、力を込める。
「いけぇ――――――ッッ!」
詠唱が不十分ゆえ力は先刻より落ちる。
だが、決して魔物の突撃には劣らない。
五分といったところか。
力は拮抗している。
光と魔物はぶつかり合い、じりじりと互いに勢いを強めていく。
ジブリールは両足を地面に踏みしめながら、魔物の特攻に耐える。
『「我慢比べ、だね」ですね……』
そうつぶやいたジブリールの言葉に、
「――――――いいや、お終いじゃ」
悪魔が囁く。
振り向く天使は闇を捉えず。
しまっ……。
天使、悔恨遅く。
にたりと笑う表情は悪魔のそれで。
風神の如き速度にて。
魔力、込められ、強く……。
「魔力・細胞分裂ッ!」
バチッ!
バチバチバチッ!
と、照らされた暗黒は彼女を覆い、その身をバラバラに"分解"した。
物言わぬ存在に変貌した少女だったものは。
ぼとぼとと地面に落ちて風に揺れた。
「ふぅ……一件落着、じゃ」
聞き覚えのある声も、もはや耳すら分解されて届くことなく。
「この雷神の如き活躍、まさしく妾こそ本物の神風じゃのう」
花子の意識は闇に溶けていった。




