第十七話
四月二十七日、月曜日。
……。
「長谷川!」
「何だよ」
「お前、昨日の試合見た!?」
「どれ」
「マリノス!」
「ああ、見た」
「どうだった!?」
「何が?」
「試合!」
「だから何がだよ!」
福山が机を叩いた。
「全部!」
「無茶言うな!」
朝。
一年四組。
ホームルームまで、あと十分。
俺の机の前には福山。
横には村瀬。
そして、斜め前の席では天尾が本を読んでいた。
……。
いや。
こいつ、朝から元気だな。
福山。
お前、昨日も部活だっただろ。
疲れてねえのかよ。
「いや、でもさ!」
「おう」
「あの後半のやつ!」
「どの後半のやつだよ」
「左から崩したやつ!」
「最初からそう言え!」
村瀬が笑った。
「長谷川、あれ見てどう思った?」
「んー」
昨日の試合。
後半。
左サイド。
外へ張った選手。
内側へ入ってくる味方。
……。
「あの形自体は悪くなかったと思うけどな」
「だよな!」
「ただ、もうちょい早く出せた気はする」
「そこ!」
福山が指を差した。
「俺も思った!」
「お前、さっきから全部そうじゃねえか!」
「いや、ほんとに!」
村瀬が口を開く。
「相手のサイドバック、結構中に絞ってたよな」
「おう」
「だったら外使った方がよくない?」
「それもあるけど」
俺は机の上に指を置いた。
消しゴム。
二つ。
福山のやつと俺のやつ。
「これが相手のサイドバックで」
「おう」
「こっちがセンターバック」
「うん」
「で、ここに味方が一人入るだろ」
指を動かす。
「すると、相手は中を気にする」
「うん」
「その瞬間、外」
福山の消しゴムをずらす。
「ここ」
村瀬が頷いた。
「ああ、そっちか」
「そう。別に毎回外から行かなくてもいいんだけどな」
「なるほど」
……。
福山。
真顔。
何だよ。
「どうした?」
「いや」
「おう」
「お前、早く入部しろよ」
……。
あ。
またそれ。
「何で今その話になんだよ」
「だって話してて楽しいじゃん!」
「理由が雑!」
「雑じゃねえよ!」
村瀬が笑う。
「まあ、言いたいことは分かる」
「お前まで!」
「いや、普通に一緒にやりたいだろ」
……。
俺は椅子の背に寄りかかった。
サッカー部。
……。
そういや。
結局、まだ入ってねえな。
入学式の日にグラウンド行って。
荻田に会って。
その後もちょくちょく顔出して。
……。
でも、入部届は出してない。
「長谷川」
福山。
「おう」
「今週来いよ」
「お前、それ何回目?」
「知らん!」
「数えろよ!」
「そんな暇ねえ!」
「今暇だろ!」
村瀬が吹き出した。
……。
まあ。
福山の言うことも分かる。
サッカー部。
……。
「今日、病院なんだよな」
「あ、リハビリ?」
「おう」
「じゃあ明日!」
「切り替え早えな!」
「明日来い!」
「分かった分かった」
「ほんとか?」
「考えとく」
「絶対来ないやつ!」
「うるせえ!」
村瀬が吹き出した。
……。
まあ。
福山の言うことも分かる。
サッカー部。
……。
その時。
「長谷川くん」
横から声。
天尾。
……。
あ。
いつの間に。
自分の席に戻る途中らしい。
「何?」
「サッカー部、入らないの?」
「まあ、そのうち?」
「そのうち」
「おう」
天尾が笑った。
「曖昧だね」
「まだ走れねえしな」
「それは知ってるよ」
「だろ?」
「でも、入るかどうかとは別じゃない?」
……。
お。
そう来るか。
「まあな」
「じゃあ、入ればいいのに」
「簡単に言うなあ」
「難しいことなの?」
……。
いや。
難しい。
……。
のか?
「おーい、席着けー」
担任が教室へ入ってきた。
「あ、先生来た」
天尾が自分の席へ向かう。
教室の一番右。
前から二番目。
……。
俺も前を向いた。
サッカー部。
ねえ。
*
「じゃあ、今日はこっちから確認しようか」
「はい」
午後四時二十分。
病院。
リハビリ室。
……。
いつもの場所。
いつもの匂い。
いつもの声。
そして。
「長谷川くん、靴下」
「あ」
「左右違うね」
「……」
俺は自分の足元を見た。
右。
黒。
左。
紺。
……。
似てるだろ!
「よく分かりましたね」
「何年見てると思ってるの」
「靴下をですか?」
「長谷川くんを」
……。
笑われた。
担当の理学療法士。
中学の頃からお世話になっている人だ。
昔は練習で張った筋肉のケアとか。
軽い捻挫とか。
そんなので来てた。
……。
去年の十月からは。
ずいぶん事情が変わったけど。
「今日はどう?」
「いい感じっす」
「痛みは?」
「普段はないです」
「腫れは?」
「増えてないと思います」
「じゃあ、見せて」
ベッドへ座る。
ズボンの裾を上げる。
左膝。
手術の痕。
……。
相変わらず。
ある。
まあ、消えるわけねえか。
理学療法士が膝の状態を確認する。
触れる。
曲げる。
伸ばす。
「ここは?」
「大丈夫です」
「こっちは?」
「痛くないです」
「最後まで伸ばして」
「はい」
左脚。
伸ばす。
……。
うん。
動く。
前より。
ずっと。
「いいね」
「お」
「可動域はかなり戻ってる」
「マジっすか」
「うん。でも、まだ確認することあるからね」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
……。
昔からこれだ。
小学生じゃねえんだけど。
……。
まあ。
俺が昔からこんな感じだからか。
「次、立とうか」
「了解です」
ベッドから降りる。
マット。
鏡。
器具。
……。
いつものやつ。
最初は、両脚での動き。
それから片脚。
バランス。
ゆっくり膝を曲げる。
戻す。
……。
左。
重心。
膝。
足首。
……。
ぶれない。
いや。
少し。
右と違う。
でも。
前より。
「長谷川くん」
「はい」
「今、どこ意識してる?」
「膝が内側に入らないように」
「そうだね。あと、骨盤」
「あー」
「鏡見て」
見る。
……。
あ。
ほんとだ。
少し落ちてる。
「もう一回」
「はい」
左脚。
体重。
ゆっくり。
下げる。
……。
戻す。
……。
お。
今の。
いい。
「そう。それ」
理学療法士が頷いた。
「今の動きを覚えて」
「了解っす」
……。
もう一回。
……。
左脚。
支える。
……。
右脚みたいにはいかない。
まだ。
力が足りない。
ちょっと気を抜くと、動きが変わる。
……。
でも。
できる。
できるようになってる。
……。
ああ。
いいな。
こういうの。
「何笑ってるの?」
「いや」
「うん?」
「前より動くなって」
理学療法士が笑った。
「ちゃんと頑張ってるからね」
「まあ、俺なんで」
「はい、次」
「流された!」
「休憩したい?」
「いや、やります」
「じゃあ次」
……。
容赦ねえ。
ほんと。
昔から。
*
四時五十八分。
……。
きつい。
いや。
分かってた。
分かってたけど。
きついもんはきつい!
「あと三回」
「はい!」
左脚。
力。
入れる。
……。
一回。
……。
二回。
……。
三回。
「よし。終わり」
「っしゃ!」
俺は息を吐いた。
……。
脚。
重い。
でも。
嫌な感じじゃない。
使った。
ちゃんと。
……。
いい。
「今日、どうでした?」
俺は聞いた。
「順調だと思うよ」
「お」
「筋力も少しずつ戻ってるし、動きも安定してきてる」
「いいっすね」
「ただ、左右差はまだある」
「はい」
「焦らずに、ここを埋めていこう」
「了解です」
……。
左右差。
まあ。
分かる。
自分の身体だし。
右でできること。
左だと、まだ慎重になる。
……。
特に。
踏ん張る時。
あの感じ。
まだ違う。
「先生」
「何?」
「ちなみに」
「うん」
「ボール蹴れるのって、いつ頃ですか?」
……。
理学療法士。
こっちを見る。
「また聞く?」
「いや、定期確認です」
「先週も聞いたね」
「一週間経ったんで」
「一週間じゃそんなに変わらないよ」
「ですよね!」
……。
笑われた。
「まだ競技復帰の段階じゃないからね」
「はい」
「まずは筋力と動作の安定性をしっかり戻す。それから、走り始めていい状態かどうかも評価する」
「はい」
「走れるようになっても、すぐサッカーができるわけじゃないし」
「分かってます」
……。
分かってる。
本当に。
前十字靱帯。
再建手術。
二月。
まだ三か月も経ってない。
いきなり全力で走るとか。
方向転換するとか。
相手と競り合うとか。
……。
できるわけねえ。
「長谷川くん」
「はい」
「今、一番大事なのは?」
「膝をちゃんと治すことです」
「そう」
「で、ちゃんと戻ること」
「うん」
……。
理学療法士が頷いた。
「そこは変わらないね」
「そりゃそうですよ」
俺は笑った。
「サッカーしたいんで」
……。
言ってから。
少しだけ。
左膝を見た。
……。
サッカー。
したい。
それだけ。
……。
ほんと。
それだけなんだよな。
「じゃあ、次回までのメニュー確認しようか」
「はい」
紙。
説明。
回数。
負荷。
注意点。
……。
いつものように確認する。
俺はスマホにメモした。
忘れると怒られるし。
……。
いや。
怒られるからじゃねえな。
早く戻りたいから。
……。
よし。
*
病院を出た。
午後五時二十七分。
……。
まだ明るい。
四月。
もう終わるな。
風。
ちょっと暖かい。
……。
左脚。
少し重い。
でも、歩ける。
普通に。
去年の十月。
……。
あの頃は。
こんなふうに歩くだけでも、いろいろ考えてた。
手術した後も。
最初は大変だった。
……。
まあ。
今も大変だけどな!
俺は笑った。
信号。
赤。
止まる。
……。
スマホが震えた。
福山。
『明日来るよな?』
……。
しつけえ!
『何が』
送信。
すぐ既読。
『部活!』
『何でだよ笑』
『今日考えとくって言っただろ!』
……。
覚えてんのかよ。
『明日考える』
『今日考えろ!』
……。
俺は笑った。
青。
信号が変わる。
歩き出す。
……。
部活。
サッカー部。
……。
今日。
リハビリ。
順調。
左脚。
まだまだ。
……。
でも。
サッカー。
……。
福山。
村瀬。
荻田。
グラウンド。
……。
ああ。
行きてえな。
普通に。
サッカー見たいし。
話したいし。
……。
いや。
見たいだけじゃねえな。
……。
俺も。
あそこに。
……。
信号を渡りきる。
スマホを見る。
福山。
まだ何か送ってきてる。
『お前が来たら絶対面白いって!』
……。
何がだよ。
……。
でも。
まあ。
……。
やっぱサッカーだわな。
俺は返信を打った。
『明日行くわ』
既読。
……。
『マジ!?』
『おう』
『よっしゃ!!』
……。
うるせえ。
文字までうるせえ。
俺は笑った。
……。
ま。
入るか。
*
四月二十八日、火曜日。
放課後。
……。
「長谷川!」
「何だよ」
「行くぞ!」
「分かってるって!」
福山。
朝から何回も言ってきた。
いや。
何回どころじゃねえ。
授業の合間。
昼休み。
帰りのホームルーム前。
……。
お前。
俺が入部するの、そんな嬉しいの?
「嬉しい!」
「心読むな!」
「顔に出てた!」
「嘘つけ!」
村瀬が笑ってる。
「まあ、福山は昨日からずっとこんな感じだからな」
「お前も楽しみだろ!」
「そりゃな」
……。
俺は鞄を肩へ掛けた。
教室。
出る。
廊下。
階段。
……。
放課後。
人。
結構いる。
部活。
みんな、もう始まってる。
吹奏楽。
運動部。
美術部。
……。
高校。
って感じ。
いや。
高校なんだけど。
「長谷川」
村瀬。
「おう」
「顧問には話した?」
「まだ」
「じゃあ、まずそこか」
「おう」
福山が振り返る。
「入部届は?」
「持ってる」
「マジ!?」
「何で驚くんだよ!」
「いや、ちゃんと準備してる!」
「俺を何だと思ってんだ!」
……。
入部届。
昨日の夜。
書いた。
名前。
クラス。
希望する部活。
サッカー部。
……。
普通の紙。
何の変哲もない。
でも。
書いてる時。
ちょっと。
……。
いや。
まあ。
何でもねえ。
俺は鞄の中を確認した。
クリアファイル。
ある。
……。
よし。
*
グラウンド。
……。
ああ。
いいな。
ボールの音。
掛け声。
走る足音。
ホイッスル。
……。
サッカー。
やってる。
当たり前だけど。
……。
いい。
ほんと。
いい。
俺はグラウンドの端に立った。
練習。
まだ始まったばかり。
パス。
コントロール。
動きながら。
……。
お。
あの二年。
足元うまいな。
右。
左。
……。
あ。
そこ、もう一歩外。
……。
そう。
そこ。
いいじゃん。
「長谷川!」
福山。
「おう」
「何見てんの?」
「サッカー」
「そりゃそうだろ!」
……。
いや。
お前が聞いたんだろ!
村瀬が笑った。
「顧問、あっちだって」
「ああ」
指差された方を見る。
先生。
グラウンドの端。
何か書いてる。
……。
よし。
行くか。
「お前ら先行ってろ」
「おう!」
「あとでな」
福山と村瀬が走っていく。
……。
走る。
普通に。
……。
あ。
脚。
……。
いや。
別に。
俺は自分の足元を見た。
左。
右。
……。
まだ。
だな。
……。
まあ。
そのうち。
俺は先生の方へ歩いた。
「すみません」
「ん?」
「一年四組の長谷川です」
先生が顔を上げる。
……。
「ああ。長谷川か」
「はい」
「入学式の日も来てたな」
「はい」
「どうした?」
……。
俺は鞄からファイルを取り出した。
「サッカー部、入りたいんですけど」
先生。
少し驚いた顔。
……。
まあ。
そうなるよな。
「入部希望か」
「はい」
「膝は?」
「まだ走れません」
「そうか」
……。
先生がファイルを見る。
「少し話せるか?」
「はい」
グラウンドの脇。
ベンチ。
座る。
……。
「手術は二月だったよな」
「はい」
「再建術?」
「そうです。左の前十字靱帯です」
「今はどこまでできる?」
「歩くのは普通にできます。リハビリでは筋力とか動きの確認してて、走るのはまだ許可出てないです」
「なるほど」
……。
先生が頷く。
「復帰の見通しは?」
「まだ具体的には」
「そうか」
「担当の先生にも、焦るなって言われてます」
「まあ、そうだろうな」
……。
少し。
沈黙。
グラウンド。
ボールの音。
聞こえる。
……。
俺は先生を見た。
「それでも、入れますか?」
先生が顔を上げた。
「もちろん、入部自体はできる」
「お」
「ただし、練習参加は別だ」
「はい」
「医師や理学療法士から許可されていない動きは、絶対にやらないこと」
「分かってます」
「無理して復帰が遅れるのが一番よくない」
「はい」
「部活に入っても、リハビリ優先でいい」
……。
俺は頷いた。
「ありがとうございます」
先生。
俺を見る。
「一つ聞いていいか?」
「はい」
「どうして今、入ろうと思った?」
……。
あ。
それ。
……。
どうして。
……。
俺は少し考えた。
「んー」
先生は待っている。
……。
いや。
別に。
難しい理由はねえんだけど。
「サッカーが好きなんで」
……。
先生。
少し笑った。
「そうか」
「はい」
「それなら、歓迎するよ」
……。
あ。
よかった。
「ありがとうございます!」
俺は頭を下げた。
先生が入部届を受け取る。
名前。
確認。
……。
「長谷川」
「はい」
「部員になったからって、今すぐ何かしなきゃいけないわけじゃない」
「はい」
「見学でもいいし、リハビリの都合で来られない日があってもいい」
「はい」
「復帰を目指す選手として、できる範囲で関わってくれ」
……。
俺は笑った。
「了解です」
……。
よし。
これで。
高校サッカー部。
入部。
……。
あれ。
何か。
普通だな。
もっとこう。
何かあるかと思ったけど。
……。
いや。
普通でいいか。
俺は立ち上がった。
「じゃあ、練習見ててもいいですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
……。
先生が笑う。
「ただし、勝手に混ざるなよ」
「分かってますって!」
「念のためだ」
「信用ねえな!」
……。
先生。
笑ってる。
まあ。
そりゃ。
俺も混ざりたいけど。
……。
まだ。
無理。
分かってる。
……。
大丈夫。
*
練習。
見てる。
……。
ああ。
面白い。
いや、ほんと。
普通に。
面白い。
福山。
右サイド。
村瀬。
中盤。
……。
お。
村瀬。
いいところ見てる。
でも。
パス。
少し遅い。
……。
あ。
取られた。
「村瀬ー!」
福山の声。
「今の俺!?」
「出せただろ!」
「お前、動き出し遅い!」
……。
俺は笑った。
お前ら。
教室でもグラウンドでも同じだな。
……。
いや。
ちょっと違うか。
福山。
やっぱ走る。
勢いある。
村瀬。
周り見てる。
いい。
……。
でも。
まだまだ。
面白くなりそう。
……。
ボール。
左へ。
荻田。
……。
あ。
いた。
荻田翔真。
右サイドバック。
……。
相変わらず。
でけえ。
身体。
強い。
……。
お。
いい寄せ。
相手。
外。
……。
あ。
そっち。
……。
荻田。
足。
出す。
ボール。
奪う。
……。
いい。
ほんと。
いい守備するよな。
……。
俺は腕を組んだ。
去年。
十月。
……。
あいつのタックル。
……。
いや。
別に。
今はそれを考えるために来たわけじゃねえ。
目の前。
サッカー。
……。
いいな。
やっぱ。
やりてえな。
……。
左サイド。
ボール。
受ける。
前を向く。
相手。
一枚。
……。
あそこ。
縦。
空いてる。
……。
一歩。
外。
重心。
ずらす。
……。
抜ける。
……。
俺なら。
……。
あ。
左脚。
少し。
動かそうとした。
……。
いや。
動かしてねえけど。
身体が。
反応した。
……。
ああ。
そっか。
まだ。
できねえんだ。
……。
俺は左膝を見た。
ズボン。
普通に。
脚。
普通に。
見える。
……。
でも。
中身は、まだ違う。
……。
ふう。
息を吐く。
……。
悔しい。
そりゃ。
悔しい。
……。
でも。
それ以上に。
……。
やっぱ。
面白えな。
サッカー。
「長谷川!」
声。
顔を上げる。
荻田。
こっち見てる。
……。
あ。
気づいた。
「おう!」
手を上げる。
荻田。
少し笑った。
「来たのか!」
「来た!」
「入んの?」
「もう入った!」
「マジか!」
……。
荻田が笑う。
「よろしくな!」
「おう!」
……。
それだけ。
荻田はまた練習へ戻った。
……。
ああ。
いいな。
こういうの。
普通に。
……。
俺はグラウンドを見た。
福山。
村瀬。
荻田。
先輩。
……。
みんな。
サッカーやってる。
……。
俺も。
サッカー部。
……。
よし。
頑張るか。
……。
リハビリ。
*
午後六時三十一分。
……。
やべ。
ちょっと遅くなった。
俺は玄関を開けた。
「ただいまー」
……。
返事。
ない。
……。
あれ。
誰もいねえ?
靴。
見る。
……。
いる。
結構。
俺は靴を脱いだ。
リビング。
扉。
開ける。
「ただいま」
「おかえり!」
彩愛。
ソファ。
……。
あ。
お前か。
「おう」
「遅くない?」
「ちょっとな」
「何してたの?」
「学校」
「知ってる!」
「じゃあ聞くな!」
……。
彩愛が笑った。
ジュン。
テーブルで何か見てる。
スマホ。
台本?
……。
「長谷川くん、おかえり」
「おう」
「今日、部活?」
「ん?」
……。
あ。
そうか。
昨日はリハビリだったけど。
今日。
「おう」
俺は鞄を置いた。
「サッカー部入ってきた」
……。
沈黙。
……。
いや。
何だよ。
そんな驚くことか?
「え!?」
彩愛。
立ち上がった。
「マジ!?」
「おう」
「入ったの!?」
「そう言ってんだろ!」
「え、いいじゃん!」
……。
彩愛。
めっちゃ笑ってる。
「やっぱサッカー?」
「まあな」
「いいじゃんいいじゃん!」
「二回言うな!」
ジュンも笑った。
「おめでとう!」
「いや、入部しただけだぞ」
「でも、よかったじゃん」
「まあな」
……。
俺は笑った。
彩愛。
ソファから身を乗り出す。
「で!? 今日練習した!?」
「できるわけねえだろ!」
「あ、そっか!」
「忘れんなよ!」
「いや、だってサッカー部って言うから!」
……。
こいつ。
ほんと。
「まだ走れねえし」
「そうだった!」
「そうだったじゃねえよ!」
ジュンが笑う。
「彩愛、さすがにそれは」
「分かってるって!」
……。
分かってねえだろ。
俺はキッチンへ向かった。
冷蔵庫。
開ける。
……。
あ。
食材。
昨日の残り。
野菜。
肉。
……。
夕飯。
何にしようかな。
「長谷川!」
「何!」
「でもさ!」
「おう!」
「入ったなら、またサッカーできるようになるじゃん!」
……。
俺は少し手を止めた。
……。
彩愛。
こっち見てる。
……。
ああ。
こいつ。
そういうことか。
「まあ、まだ先だけどな」
「でも、戻るんでしょ?」
「そりゃ」
「じゃあいいじゃん!」
……。
俺は笑った。
「おう」
……。
ほんと。
簡単に言うな。
……。
でも。
まあ。
そうだよな。
戻る。
そのために。
今。
やってる。
「長谷川くん」
ジュン。
「ん?」
「今後、帰り遅くなる?」
「んー。リハビリある日は今まで通りだけど、部活の見学する日は少し遅くなるかも」
「そっか」
「飯の時間、ちょっと考えねえとな」
……。
ジュンが頷く。
「私も仕事ある日は遅いしね」
「おう」
「当番とか決める?」
……。
あ。
それ。
いいかもな。
今まで。
俺が結構作ってたけど。
全員の予定。
バラバラだし。
「まあ、毎日同じ時間に帰れるわけじゃねえしな」
「そうだね」
彩愛が手を上げた。
「私も!」
「何だよ」
「料理できる!」
……。
俺は彩愛を見た。
……。
「何」
「いや」
「何!?」
「プリンしか食わねえだろ」
「そんなわけないでしょ!」
ジュンが吹き出した。
「長谷川くん!」
「だって!」
「ちゃんと料理するし!」
「じゃあ明日頼むわ」
「いいよ!」
……。
お。
即答。
「マジ?」
「うん!」
「何作る?」
「……」
……。
彩愛。
止まった。
「……何がいい?」
「お前が決めろよ!」
「じゃあカレー!」
「いいじゃん」
「でしょ!」
……。
あ。
普通にいけそう。
いや。
何で俺が疑ってたんだ。
彩愛。
食べるの好きだし。
自分でも作るか。
「じゃあ明日カレーな」
「任せて!」
……。
ジュンが笑った。
「私、手伝おうか?」
「いいの!?」
「うん。時間あれば」
「じゃあ一緒に作ろ!」
……。
お。
決まった。
明日の夕飯。
彩愛とジュン。
……。
あ。
そうだ。
「明日、祝日だぞ」
俺は言った。
彩愛。
止まった。
「……え?」
「昭和の日」
「……」
ジュン。
スマホを見る。
「あ、ほんとだ」
「お前ら!」
彩愛が笑った。
「じゃあ昼でもいいじゃん!」
「夜に作れよ!」
「何で!」
「夕飯の話してたんだろ!」
……。
うるせえ。
俺は笑った。
……。
あ。
玄関。
音。
誰か帰ってきた。
「ただいま……」
武田。
……。
あ。
おかえり。
「おう」
彩愛。
「武田! 聞いて!」
「……何?」
「長谷川、サッカー部入った!」
……。
武田。
俺を見る。
……。
少し。
驚いた顔。
「……そうなんだ」
「おう」
「……へえ」
……。
それだけ。
武田は鞄を持ち直した。
「……おめでと」
……。
お。
言ってくれた。
「ありがとな」
……。
武田が小さく頷く。
そのまま階段へ向かった。
……。
まあ。
こんなもんだろ。
俺は冷蔵庫へ目を戻した。
……。
肉。
野菜。
……。
あ。
なお。
どうすっかな。
部屋?
いるよな。
……。
「赤間は?」
俺は聞いた。
ジュン。
「あ、部屋で描いてると思う」
「そっか」
「さっきまでリビングにいたよ」
「おう」
……。
じゃあ。
夕飯できたら呼ぶか。
……。
よし。
今日は。
簡単に。
豚肉。
野菜。
炒める。
味噌汁。
ご飯。
……。
うん。
それでいい。
俺は包丁を取った。
……。
あ。
そうだ。
今日。
サッカー部。
入ったんだった。
……。
何か。
改めて考えると。
ちょっと。
嬉しいな。
……。
いや。
かなり。
嬉しいかも。
俺は笑った。
「長谷川!」
「今度は何だよ!」
「今日、何作るの!?」
「野菜炒め!」
「肉多め!」
「お前が食うの野菜だらけにする!」
「何で!?」
……。
ああ。
うるせえ。
いつも通り。
……。
でも。
今日から。
ちょっと違う。
高校サッカー部。
長谷川鳴美。
……。
よし。
まずは。
夕飯。
*
夜。
十時四十三分。
……。
風呂。
入った。
歯。
磨いた。
宿題。
終わった。
……。
よし。
寝るか。
……。
いや。
その前に。
俺は机に置いたクリアファイルを開けた。
入部届の控え。
……。
普通の紙。
一年四組。
長谷川鳴美。
サッカー部。
……。
俺は少し笑った。
サッカー部。
……。
中学の時。
当たり前だった。
朝。
学校。
練習。
試合。
遠征。
……。
毎日。
サッカー。
ずっと。
サッカー。
……。
あの頃。
こんなふうに。
サッカーができない時間が来るなんて。
考えたこともなかった。
……。
まあ。
普通、考えねえか。
俺は紙を戻した。
机。
スマホ。
通知。
福山。
『明日も来いよ!』
……。
明日。
祝日だぞ。
『明日休みだろ』
送信。
既読。
『午前練!』
……。
あ。
そうなの?
『何時?』
『9時!』
……。
九時。
……。
まあ。
行けるか。
でも。
明日。
リハビリの自主トレ。
時間。
取らねえと。
……。
俺はカレンダーを開いた。
四月二十九日。
水曜日。
昭和の日。
……。
午前。
自主トレ。
午後。
……。
いや。
部活。
午前か。
……。
両方。
無理なくできるな。
……。
よし。
『ちょっと顔出すわ』
送信。
……。
すぐ既読。
『よっしゃ!』
……。
ほんと。
こいつ。
……。
俺は笑った。
スマホを置く。
ベッド。
座る。
左脚。
伸ばす。
……。
膝。
ゆっくり曲げる。
……。
戻す。
……。
動く。
ちゃんと。
……。
まだ。
できないこと。
いっぱいある。
走れない。
蹴れない。
切り返せない。
試合に出られない。
……。
でも。
できることも。
増えてきた。
……。
今日。
サッカー部に入った。
……。
ああ。
そっか。
俺。
高校でも。
サッカーやるんだ。
……。
まあ。
最初から。
そうするつもりだったけど。
……。
俺は笑った。
電気。
消す。
布団。
潜る。
……。
明日。
グラウンド。
また行ける。
……。
楽しみだな。
……。
早く。
ボール。
蹴りてえ。
……。
よし。
寝よう。
おやすみ。
……。
やっぱ。
サッカーだわ。




