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第十六話

目が覚めた。


 ……。


 あ。


 朝。


 カーテンの隙間から光が入っている。


 結構明るい。


 スマホを取る。


 八時十一分。


 ……。


 土曜日。


 もうちょっと寝ようかな。


 布団の中で考える。


 ……。


 いや。


 お腹すいた。


 私は身体を起こした。


 ベッドから降りる。


 スリッパ。


 スマホ。


 ……。


 あ。


 充電。


 八十七パーセント。


 昨日、ちゃんと挿したっけ。


 ……。


 まあ、いいや。


 洗面所へ行く。


 顔を洗う。


 鏡。


 髪。


 ……。


 寝癖。


 右側だけ跳ねてる。


 何で?


 昨日、ちゃんと乾かしたのに。


 手で押さえる。


 ……。


 戻らない。


 まあ、あとで直そう。


 私は部屋を出た。


 階段。


 一段。


 二段。


 ……。


 静か。


 いつもより。


 土曜日だから?


 ……。


 いや。


 普段の土曜日も、そんなにうるさくないか。


 彩愛がいれば別だけど。


 リビングの扉を開ける。


 ……。


 あ。


 長谷川。


 キッチンにいた。


 流しで鍋を洗っている。


 こっちを見た。


「おはよ」


「……おはよ」


 私は小さく返した。


 ……。


 ほかには。


 いない。


 テーブル。


 ソファ。


 誰もいない。


 彩愛。


 ジュン。


 なお。


 ……。


 なおは、多分寝てる。


 ジュンは。


 分からない。


 彩愛は。


 ……。


 あ。


 今日か。


 私は冷蔵庫へ向かった。


 長谷川が少し身体をずらした。


 ……。


 別に、そこ通らないけど。


 まあ、いいや。


 冷蔵庫。


 開ける。


 麦茶。


 牛乳。


 卵。


 ヨーグルト。


 ……。


 あ。


 また増えてる。


 昨日、二個しかなかったのに。


 長谷川が買ってきたのかな。


 ……。


 彩愛。


 最近よく食べてたし。


 私は牛乳を取り出した。


 冷蔵庫を閉める。


 ……。


 長谷川。


 まだいる。


 そりゃそうか。


 ここ、長谷川の家でもあるし。


 ……。


「……彩愛は?」


 聞いた。


 長谷川が水道を止める。


「もう出た」


「……そっか」


「七時二十分くらい」


「……早いね」


「集合あるからな」


「ああ」


 ……。


 記録会。


 今日だった。


 そういえば昨日、彩愛が話してた。


 何時に起きるとか。


 何時に食べるとか。


 何時に出るとか。


 ……。


 いつもより細かかった。


 いや。


 彩愛は陸上のことになると、前からそうか。


 私はコップを取った。


 牛乳を注ぐ。


 ……。


 あ。


 コップ。


 これ、誰が洗ったやつだろ。


 ……。


 別に。


 洗ってあるんだから、いいけど。


 私は一口飲んだ。


 冷たい。


 ……。


 おいしい。


「パン、上の棚な」


 長谷川が言った。


「……うん」


 ……。


 知ってる。


 昨日、自分で買ったし。


 でも、わざわざ言わなくていいか。


 私は棚を開けた。


 食パン。


 自分の袋。


 ……。


 あった。


 一枚取る。


 トースター。


 空いてる。


 パンを入れた。


 つまみを回す。


 ……。


 カチ。


 小さい音。


 長谷川が洗い終わった鍋を伏せている。


 大きいやつ。


 あれ。


 朝から使ってたんだ。


 ……。


 そういえば。


 ここ一週間くらい。


 夕飯の時、彩愛と長谷川が食べ物の話をしてた。


 何を食べるか。


 どれくらい食べるか。


 練習の前後。


 ……。


 最初は、彩愛がまた何か言ってるんだと思った。


 でも。


 長谷川も普通に答えてた。


 ご飯の量を少し変えたり。


 脂っこいものを避けたり。


 何か買い足したり。


 ……。


 あの二人。


 普段はあんなに言い合ってるのに。


 そういう時は、ちゃんと会話するんだよね。


 まあ。


 長谷川もサッカーやってたらしいし。


 分かることがあるんだろう。


 ……。


 私は知らないけど。


 知らなくても、別に困らないし。


 パン。


 まだ焼けない。


 ……。


 長谷川。


 今度は冷蔵庫を開けている。


 卵を取り出した。


 ……。


 何か作るのかな。


 自分の分?


 なおの分?


 ……。


 知らない。


 聞くことでもない。


 私はコップを持ったまま、少し横へ移動した。


「……ジュンは?」


 ……。


 あ。


 聞いちゃった。


 別に、そんなに気になってたわけじゃないのに。


「もう出た」


「……そう」


「七時前だったかな」


「……早いね」


「おう」


 ……。


 会話。


 終わり。


 長谷川は卵を冷蔵庫へ戻した。


 ……。


 いや。


 何で出したの?


 ……。


 まあ、いいけど。


 私はトースターを見た。


 まだ。


 ……。


 沈黙。


 水道の音もない。


 換気扇。


 小さく回っている。


 時計。


 秒針。


 ……。


 ちょっと。


 気まずい。


 いや。


 別に、長谷川が何かしてるわけじゃない。


 普通にキッチンにいるだけ。


 私も普通に朝ご飯を作ってるだけ。


 ……。


 それだけなのに。


 二人きりだと。


 ちょっと。


 落ち着かない。


 ……。


 前よりは、まし。


 多分。


 最初の頃なんて、リビングに長谷川がいるだけで、部屋に戻ろうか考えてたし。


 今は、普通に冷蔵庫を開けられる。


 必要なことも聞ける。


 ……。


 まあ。


 普通って言うには、まだちょっと変だけど。


 私は牛乳をもう一口飲んだ。


 長谷川が食器棚を開けた。


 皿。


 一枚。


 取り出す。


 ……。


 こっちを見た。


 何か言う?


 ……。


 長谷川は何も言わずに、皿を自分の方へ置いた。


 ……。


 よかった。


 いや。


 何がよかったんだろ。


 別に話しかけられても、返事くらいできるのに。


 ……。


 できる。


 多分。


 トースターが鳴った。


 チン。


 ……。


 あ。


 パン。


 私は棚から皿を取った。


 長谷川が少し横へ動く。


 食器棚の前を空けてくれた。


「……ありがと」


「おう」


 ……。


 それだけ。


 私は皿にパンを載せた。


 テーブルへ向かう。


 椅子。


 引く。


 座る。


 ……。


 よし。


 朝ご飯。


 私はパンをちぎった。


 一口。


 ……。


 おいしい。


 普通の食パン。


 ちょっと焼きすぎたかも。


 でも、まあ。


 いい。


 長谷川は洗い物を片づけている。


 私はパンを食べる。


 ……。


 それぞれ。


 自分のことをしてる。


 こういうのでいいんだよね。


 ……。


 多分。


 私はスマホを手に取った。


 八時二十四分。


 通知。


 友達から。


『今日暇?』


 ……。


 あ。


 五組の子。


 昨日、帰りに何か話してたな。


 買い物。


 行こうって。


 ……。


 どうしよう。


 特に予定ないし。


 でも。


 今日はピアノ弾きたい。


 あの曲。


 まだ左手のところが気になる。


 ……。


 午後なら行けるかな。


 私は返信を打った。


『午後なら空いてるよ』


 送信。


 ……。


 あ。


 カレンダー。


 開く。


 四月二十五日。


 土曜日。


 ……。


 もう四月も終わりか。


 早い。


 高校に入って、まだ二週間ちょっと。


 ……。


 二週間。


 短い。


 でも。


 結構いろいろあったな。


 入学式。


 新しいクラス。


 停電。


 ……。


 停電は別に学校関係ないか。


 私は少し笑った。


 カレンダーをスクロールする。


 来週。


 四月二十九日。


 昭和の日。


 ……。


 休み。


 いいな。


 ……。


 あ。


 そうだ。


 彩愛。


 今日、記録会。


 もう会場着いたかな。


 LINE。


 開く。


 彩愛。


 ……。


 何て送ろう。


 頑張ってね。


 ……。


 普通。


 それでいいか。


『記録会頑張ってね!』


 送信。


 ……。


 うん。


 これでいいや。


 私はスマホを置いた。


 パン。


 もう一口。


 ……。


 さて。


 今日は何しようかな。


     *


 スマホが震えた。


 武田。


『記録会頑張ってね!』


 ……。


 お!


『ありがと! 頑張る!』


 送信。


 ……。


 武田、起きたんだ。


 時計。


 八時二十八分。


 ……。


 いや。


 普通に起きる時間か。


 私は笑った。


 カレンダー。


 四月二十五日、土曜日。


 春季記録会。


 女子百メートル。


 十二時五分。


 ……。


 よし!


 今日だ!


 私はスマホをバッグへしまった。


 顔を上げる。


 競技場。


 赤いトラック。


 白いライン。


 スタンド。


 人。


 ……。


 いいな!


 この感じ!


 久しぶり!


 いや、そんなに久しぶりじゃないか。


 でも。


 高校に入ってからは初めて。


 ……。


 楽しみ!


「一橋!」


「はい!」


 振り返る。


 陸上部の先輩。


「ゼッケン、もう受け取った?」


「はい!」


「招集時間も確認した?」


「しました!」


「じゃあ、九時半からアップ始めるから、それまでは休んでて」


「了解です!」


 先輩が頷く。


「体調どう?」


「いいです!」


「脚は?」


「問題ないです!」


「よし。今日はシーズン最初だし、落ち着いていこう」


「はい!」


 ……。


 私は頷いた。


 落ち着いて。


 うん。


 分かってる。


 今日は記録会。


 五月。


 県総体。


 六月。


 関東。


 その先。


 全国。


 ……。


 だから、今の自分を確認する。


 どれくらい走れるか。


 どこが良くなったか。


 何を直すか。


 ……。


 でも。


 それはそれとして。


 速く走りたい。


 めっちゃ。


 私はバッグのファスナーを開けた。


 スパイク。


 ユニフォーム。


 ゼッケン。


 飲み物。


 補食。


 ……。


 全部ある。


 昨日の夜も確認した。


 今朝も確認した。


 ……。


 長谷川にも言われた。


『忘れ物すんなよ』


 ……。


 分かってるって!


 私、そういうのはちゃんとしてるし!


 ……。


 いや。


 去年、一回だけスパイク忘れたけど。


 あれは。


 ……。


 まあ、忘れた。


 でも今日はある!


 大丈夫!


 私はスパイクを一度持ち上げた。


 ……。


 うん。


 ちゃんとある。


 よし。


 バッグへ戻す。


 水。


 一口。


 ……。


 冷たい。


 おいしい。


 朝ご飯。


 六時半。


 ご飯。


 味噌汁。


 卵。


 少しだけ鶏肉。


 ……。


 長谷川。


 昨日も何か言ってたな。


『朝はいつも通りでいいんだな?』


『うん!』


『量も?』


『ちょっと少なめ!』


『了解』


 ……。


 それだけ。


 でも、ちゃんと作ってくれた。


 ここ一週間くらい、夕飯も少し気にしてくれてた。


 私が言ったこと。


 全部覚えてたし。


 ……。


 あいつ、ああいうのはちゃんとしてるんだよな。


 サッカーやってたからかな。


 ……。


 まあ。


 助かった。


 ありがと。


 ……。


 帰ったら言おうかな。


 いや。


 朝も言ったか。


 ……。


 言った。


 多分。


 私はスマホをもう一度見た。


 通知。


 お父さん。


『会場着いた?』


『着いた!』


『忘れ物ない?』


『ない!』


『本当に?』


『ないって!笑』


『ならよし』


 ……。


 何なの!


 信用してよ!


『今日何時だっけ?』


『12時5分!』


『了解。千葉は最近暑くなってきたぞ。そっちも体調には気をつけろよ!」


『了解』


 ……。


 私は笑った。


 お父さん、昔からこう。


 私が走る日、だいたい自分の方が楽しそうなんだよね。


『楽しんでこい!』


『うん!』


 ……。


 よし。


 スマホをしまう。


 私は立ち上がった。


「一橋!」


 また声。


 今度は同じ一年生。


「何!」


「ちょっと一緒にトラック見に行かない?」


「いいよ!」


 ……。


 行こう。


 まだアップまで時間あるし。


 私はバッグを肩へ掛けた。


 歩き出す。


 ……。


 あ。


 風。


 少しある。


 スタンドの旗。


 右から左。


 ……。


 追い風?


 いや。


 ここだと分かんないな。


 百メートルの直線。


 向こう。


 ……。


 あとで確認しよ。


「一橋と一緒の組だったら嫌だな」


 隣の子が言った。


「何!」


「緊張しないの?」


「するよ!」


「え、するんだ」


「するでしょ!」


 ……。


 何なの。


 私だって緊張するよ。


 普通に。


 でも。


「楽しみの方が大きい!」


「……すご」


「そう?」


「うん」


 ……。


 私は笑った。


 だって。


 走れるんだよ。


 久しぶりの記録会。


 新しいユニフォーム。


 新しいトラック。


 ……。


 楽しみじゃん!


「私、めっちゃ緊張してる」


 隣の子。


「何で?」


「高校入って初めてだし」


「私もだよ!」


「そうだけど!」


 ……。


 その子が笑った。


「一橋と一緒の組だったら嫌だな」


「何で!」


「速いじゃん!」


「いいじゃん!」


「よくないよ!」


 ……。


 え。


 何で?


「私は一緒がいいけど」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 同じ一年の子。


「速い人が隣にいた方が、記録出そうだし」


「でしょ!」


 私は頷いた。


「いや、二人ともおかしいって!」


「何でよ」


「だって一橋、全国二位だよ?」


「知ってる」


「知ってて一緒に走りたいの?」


「うん。せっかくだし」


 ……。


 私は笑った。


 そう!


 せっかくだもん!


「今日、何秒狙ってる?」


 その子が私を見た。


 ……。


 お。


 そういう話?


 いいね!


「まずは今の状態確認したい!」


「分かる。私もスタートの感じ見たいんだよね」


「あ! 私も!」


「一橋って最初の三十、どう意識してる?」


 ……。


 私は思わず身を乗り出した。


「あのね!」


     *


 十一時十七分。


 ……。


 よし。


 アップ。


 終わり。


 流し。


 三本。


 加速。


 二本。


 スタート。


 確認。


 ……。


 悪くない。


 身体。


 軽い。


 脚。


 問題なし。


 呼吸。


 落ち着いてる。


 ……。


 いい感じ。


 私はスパイクの紐を結び直した。


 右。


 左。


 きつすぎない。


 でも、緩くない。


 ……。


 よし。


「一橋」


 先輩。


「はい!」


「今日、風ちょっと変わるな」


「そうですね!」


「今は向かい気味」


「はい」


「本番まで分かんないから、風ばっか気にするなよ」


「分かってます!」


 ……。


 そう。


 風。


 大事。


 でも、どうしようもない。


 同じ条件で走る。


 それだけ。


 ……。


 記録は残る。


 追い風参考になったら、それはそれで。


 でも。


 公式記録がほしい。


 ……。


 できれば、いい風!


 私は少し笑った。


 先輩が首を傾げる。


「何笑ってんの?」


「いや、いい風だといいなって!」


「そりゃそうだ」


 ……。


 先輩も笑った。


「今日はどれくらい狙う?」


 また聞かれた。


 ……。


 私は少し考えた。


 自己ベスト。


 去年。


 夏。


 あの時の走り。


 ……。


 今は四月。


 シーズン最初。


 中学の時とは身体も少し違う。


 練習も変わった。


 ……。


 だから。


「まずは、ちゃんと今の走りを出したいです!」


 私は答えた。


 先輩が頷く。


「いいね」


「でも!」


「ん?」


「速い方がいいです!」


 先輩が吹き出した。


「そりゃそうだ!」


 ……。


 私も笑った。


 速く走りたい。


 それは変わんない。


 目標。


 全国。


 ……。


 甘奈。


 ……。


 今頃、何してるんだろ。


 大阪。


 こっちとは別の大会。


 多分、もうシーズン入ってる。


 あいつも走ってる。


 ……。


 どれくらい出してるんだろ。


 ……。


 まあ。


 今は知らなくていい。


 私は私の百メートルを走る。


 その先に、全国がある。


 ……。


 よし。


 私は立ち上がった。


「行ってきます!」


「おう。頑張れ!」


 ……。


 招集。


 行こう!


     *


 百メートル。


 スタートライン。


 八レーン。


 私は五レーン。


 ……。


 いい。


 真ん中。


 走りやすい。


 隣。


 四レーン。


 六レーン。


 どっちも速そう。


 ……。


 楽しみ。


 私はその場で軽く跳ねた。


 一回。


 二回。


 ……。


 脚。


 軽い。


 身体が動く。


 いい。


 ……。


 落ち着いて。


 でも。


 楽しみ。


 ……。


 あ。


 心臓。


 ちょっと速い。


 緊張。


 うん。


 してる。


 でも、嫌じゃない。


 ……。


 早く!


 走りたい!


「選手はスタート位置へ」


 ……。


 来た。


 私はブロックの前に立った。


 右足。


 左足。


 間隔。


 いつもの位置。


 ……。


 昨日まで、何回も確認した。


 スタート。


 一歩目。


 二歩目。


 三歩目。


 ……。


 大丈夫。


 身体は覚えてる。


 私はしゃがんだ。


 右脚。


 前。


 左脚。


 後ろ。


 手。


 ラインの手前。


 ……。


 息。


 吐く。


 吸う。


 ……。


 よし。


「オン・ユア・マークス」


 ……。


 前。


 地面。


 白いライン。


 赤いトラック。


 ……。


 静か。


 周りの音。


 消えていく。


 いや。


 消えてない。


 聞こえてる。


 でも、遠い。


 ……。


 脚。


 手。


 肩。


 ……。


 力。


 抜く。


「セット」


 腰を上げる。


 重心。


 前。


 ……。


 まだ。


 ……。


 まだ。


 ……。


 パン!


 ――出る。


 右。


 押す。


 左。


 押す。


 ……。


 二歩。


 三歩。


 ……。


 いい。


 四歩。


 五歩。


 ……。


 前。


 前。


 ……。


 六歩。


 七歩。


 ……。


 身体が上がってくる。


 でも、急がない。


 ……。


 加速。


 加速。


 ……。


 速い。


 いい。


 ……。


 隣。


 少し後ろ。


 ……。


 前。


 まだ。


 もっと。


 ……。


 三十。


 四十。


 ……。


 上がる。


 速度。


 ……。


 あ。


 いい。


 今。


 すごくいい。


 ……。


 五十。


 六十。


 ……。


 風。


 顔。


 腕。


 脚。


 ……。


 速い。


 ……。


 まだ。


 まだ。


 ……。


 七十。


 八十。


 ……。


 最後。


 ……。


 前!


 ……。


 ゴール。


 ……。


 抜けた。


 ……。


 ふうっ!


 私は減速した。


 身体。


 前。


 呼吸。


 速い。


 ……。


 あ。


 楽しかった!


 めっちゃ!


 私は振り返った。


 電光掲示板。


 まだ。


 ……。


 タイム。


 早く!


 見たい!


 ……。


 あ。


 出た。


 私は目を細めた。


 数字。


 ……。


 ……。


「よし!」


 声が出た。


 悪くない。


 うん。


 いい!


 ……。


 ただ。


 最後。


 少しだけ。


 ……。


 いや。


 まず。


 タイム。


 ちゃんと見よう。


 私は掲示板を見上げた。


 もう一度。


 ……。


 うん。


 いい。


 春の最初としては。


 ……。


 もっといける。


 絶対。


     *


「一橋ー!」


 先輩が手を振っていた。


「はい!」


「お疲れ!」


「ありがとうございます!」


「どうだった?」


「楽しかったです!」


「それは見てて分かった!」


 ……。


 え。


 分かったの?


 まあ。


 楽しかったし!


「スタート、よかったな」


「はい!」


「中盤も悪くなかった」


「はい!」


「でも最後、ちょっと力んだ?」


 ……。


 あ。


 やっぱり。


「少し!」


「だよな」


 先輩が頷いた。


「残り二十くらいで腕が少し上がってた」


「……」


 私は考えた。


 七十。


 八十。


 ……。


 最後。


 前へ。


 ……。


 確かに。


 ちょっと急いだ。


 速く走ろうとして。


 ……。


 余計な力。


 入った。


「次はそこだな」


 先輩。


「はい!」


「でも、今日は十分いい走りだったと思うぞ」


「ありがとうございます!」


 ……。


 私は笑った。


 今日の百メートル。


 いい。


 ちゃんと走れた。


 記録も悪くない。


 ……。


 でも。


 五月。


 県総体。


 そこまでに。


 もう少し。


 ……。


 いや。


 まだ時間ある。


 焦る必要はない。


 でも。


 できることはある。


 ……。


 楽しみ!


 私はバッグへ戻った。


 水。


 一口。


 ……。


 おいしい。


 スマホ。


 取り出す。


 お父さん。


『走った!』


 送信。


 少しして、既読。


『お疲れ!』


『どうだった?』


『いい感じ!』


『タイムは?』


 私は数字を打った。


 送信。


 ……。


 すぐ返信。


『おお! いいじゃん!』


 ……。


 私は笑った。


 お父さん。


 絶対今、笑ってる。


 ……。


 何か。


 目に浮かぶ。


『でも、もっといける!』


『そうか笑』


『次も楽しみにしてる』


『うん!』


 ……。


 よし。


 私はスマホをしまった。


 トラック。


 まだ、ほかの選手が走っている。


 風。


 少し変わった。


 旗。


 揺れている。


 ……。


 今日。


 四月二十五日。


 春の記録会。


 高校に入って、最初の百メートル。


 ……。


 悪くなかった。


 でも。


 ここから。


 五月。


 六月。


 夏。


 ……。


 甘奈。


 次に会う時。


 ……。


 絶対、面白い。


 私は少し笑った。


 ……。


 さて。


 次の練習。


 何からやろう。


 ……。


 あ。


 その前に。


 ダウン!


 私は立ち上がった。


 脚。


 軽い。


 まだ走れそう。


 ……。


 いや。


 今日はもういい。


 ちゃんと回復させないと。


 次がある。


 ……。


 よし。


 私はトラックの外側へ歩き出した。


 空。


 青い。


 風。


 気持ちいい。


 ……。


 やっぱ。


 走るのって。


 最高!


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