第十二話
午後のレクリエーションは、思ってたよりちゃんと楽しかった。
「長谷川、そこ無理!」
「行ける」
「行けねえって!」
「見てろ」
床に置かれた紙を見る。
一枚先。
左脚で伸びるには少し遠い。
右なら届く。
右足を出す。
つま先。
踵。
乗る。
「ほら」
「お前基準でやんな!」
「次、福山」
「無理!」
「届くだろ」
「脚の長さの話じゃねえよ!」
「じゃあ気合い」
「一番信用できねえ!」
後ろで笑い声が上がる。
机を全部端へ寄せた教室。
横谷先生が適当に切ったらしい紙が、床に何枚も置かれている。
四人一組。
紙の上だけを使って反対側まで行く。
同じ紙には二人まで。
床に足がついたら一個前から。
それだけ。
「福山、後ろ詰まってるぞー」
横谷先生。
「分かってます!」
「早く飛べ」
「先生雑!」
「長谷川行けたから大丈夫だろ」
「こいつと一緒にしないでください!」
「ひど」
「お前は黙れ!」
福山が飛んだ。
右足。
紙。
左。
半分出た。
「あ」
「はいアウト」
「長谷川ぁ!」
「俺関係なくね?」
「お前が行けるって言った!」
「信じたのお前じゃん」
「性格悪!」
「ざんねーん」
「腹立つ!」
また笑いが起きた。
午前より声が多い。
朝はまだ名前も知らないやつばっかだったのに、今は福山が落ちただけで後ろから、
「また落ちた!」
とか飛んでくる。
「またじゃねえ!」
「二回目だろ」
「長谷川お前!」
「事実」
「覚えとけよ!」
「何を」
「全部!」
「広すぎ」
一瞬止まる。
朝、俺が福山に言ったやつだ。
「あ」
「パクんな!」
「偶然」
「絶対嘘!」
笑う。
左膝を軽く曲げる。
伸ばす。
張りなし。
痛みもない。
急に捻らなければ、このくらいなら普通にできる。
「次、長谷川!」
「はいはい」
前を見る。
一枚。
二枚。
右。
近い方へ左。
最後。
乗る。
「終わり」
「早えよ!」
「福山が遅い」
「俺が二回落ちてんだから当たり前だろ!」
「サッカー部大丈夫?」
「入る前から心配すんな!」
同じ組の前田と河野も笑ってる。
名前はもう覚えた。
朝は顔だけだった。
こういうのやると早い。
少し離れたところ。
天尾。
紙を見る。
隣を見る。
次。
一度も迷わない。
特別大きく飛んだり、速く動いたりしてるわけじゃない。
ただ、一回説明されたら間違えない。
午前もそうだった。
何でも一回で分かる。
「長谷川!」
「何!」
「見てないで次来い!」
「今行く」
天尾から目を離す。
遊ぶ。
*
「はい。今日はこれで終わり」
横谷先生が手を叩いた。
一気に教室が動き始める。
机。
椅子。
鞄。
話し声。
「部活見学行くやつは、配った紙と掲示板確認しろよ。運動部は勝手にグラウンド入るな。分からなかったら先輩か先生に聞け」
「迷ったら先生迎え来てくれます?」
誰かが聞いた。
「嫌です」
「即答!」
「高校生だろ。自力で帰ってこい」
笑い。
「じゃ、解散」
「長谷川」
福山がすぐ来た。
「ん?」
「サッカー行くぞ」
「先行ってて」
「は?」
「ちょっと他見てから行く」
「何を」
「色々」
「またそれ?」
「うん」
「何部?」
配られた紙を見る。
多い。
「美術」
「は?」
「吹奏楽」
「は?」
「演劇」
「待て」
「科学も」
「待て待て待て」
「あとウエイトの場所見たい」
「お前何部入る気なんだよ!」
「別に全部入るとは言ってない」
「じゃあ何で見るんだよ!」
「あるから」
「……」
福山が黙った。
「何」
「お前、ほんとよく分かんねえ」
「せっかくいっぱいあるのにもったいなくね?」
「俺はサッカーしに来たんだよ!」
「俺もサッカー好きだよ」
「じゃあ来いよ!」
「あとで行く」
「絶対?」
「多分」
「絶対って言え!」
「九割」
「残り一割何だよ!」
「他が面白すぎた場合」
「サッカー負けてんじゃねえか!」
「まだ比べてないし」
「そういう話じゃねえ!」
横から笑い声。
天尾だった。
もう鞄を持っている。
「長谷川くん、本当に色々見るんだ」
「見るよ」
「サッカーは最後?」
「場所分かってるし」
「最後なんだ」
「逃げないから」
福山が天尾を見る。
「天尾からもなんか言ってくれよ」
「何を?」
「サッカー部来いって」
「長谷川くんが見たいもの見ればいいんじゃない?」
「敵!」
「何で」
「俺だけ一人で行くんだぞ!」
「部員いるだろ」
「長谷川と同じこと言うなよ!」
「正しいからじゃない?」
「もういい!」
福山が鞄を肩に掛けた。
「先行く!」
「おう」
「絶対来いよ!」
「はいはい」
「その返事信用ならねえ!」
出ていった。
天尾が背中を見る。
「仲いいね」
「今日喋ったばっかだけど」
「そうなの?」
「うん」
「へえ」
「天尾は?」
「今日は帰る」
「そっか」
「また明日」
「また」
天尾も出ていく。
俺も鞄を持った。
まず近いところから。
教室を出る。
十一組側はもう静かだった。
東江は多分もういない。
仕事。
五組の前を通る。
教室に人は残ってる。
そのまま行く。
階段。
一段。
一段。
手すり側。
左脚は急がない。
二階まで下りたところ。
外から音がした。
パン。
足が止まった。
乾いてる。
強い。
真ん中より少し上。
回転は少ない。
浮いた。
少し間。
ネット。
シュート。
窓を見る。
ここからグラウンドは見えない。
校舎が邪魔。
もう一回。
今度は違う。
少し擦れる。
強さは落ちる。
横へ回した。
多分、右足。
クロス。
口元が緩む。
いいな。
行けば見える。
でもまだいい。
サッカー場は逃げない。
階段を下りた。
*
美術室は、普通の教室より匂いが多かった。
絵の具。
紙。
木。
油っぽい匂い。
扉は開いている。
中で二人が、大きいキャンバスを運んでいた。
俺より高い。
「でか」
「見学?」
入口にいた女子の先輩。
「はい」
「経験ある?」
「ないです」
「興味?」
「あります」
「じゃあ見てって」
「ありがとうございます」
中へ入る。
石膏像。
棚。
筆。
絵の具。
木材。
金属。
知らない道具。
「これ全部使うんですか?」
「人によるかな。絵だけじゃなくて立体もいるし」
「へえ」
「やってみる?」
「いいんですか」
「簡単なのなら」
「やりたいです」
奥へ行く。
途中。
見覚えのある黒髪。
「赤間」
顔が上がった。
*
長谷川くんだった。
入口からこちらへ歩いてくる。
歩幅は朝とほとんど変わらない。
右。
左。
左膝の屈曲は右より少し浅い。
でも、階段を上がった後に出るような庇う動きはない。
疲労は強くない。
「赤間」
「長谷川くん」
「もう来てんの」
「うん」
右手に鉛筆。
左手を机の上に置いている。
さっきまで、自分の左手を描いていた。
長谷川くんの視線が紙へ落ちる。
「何描いてんの」
「手」
「見れば分かる」
「じゃあ聞かなくてもよかったね」
「そういう意味じゃねえよ」
口角が上がった。
右が先。
そのあと左。
「見ていい?」
「いいよ」
紙の横へ来る。
近い。
でも私の椅子の背より内側には入らない。
机にも手をつかない。
上半身だけ少し前へ倒す。
「細か」
「まだ途中」
「これ途中なの?」
「うん」
「指一本でめちゃくちゃ描くじゃん」
「手だから」
「そういうもん?」
「私は」
「へえ」
紙を見る時、視線がよく動く。
指先。
関節。
影。
手首。
全体。
一点を長く見るというより、何度も往復する。
私とは違う。
「長谷川くんもやる?」
「できんの?」
「先輩に聞けば」
「やる」
即答。
先輩に渡された紙の前へ座った。
白い立方体。
球。
鉛筆。
最初に描いた線は少し長い。
二本目で短くなる。
三本目で角度が決まる。
躊躇は少ない。
形を見る。
線を引く。
違えば消す。
また引く。
速い。
でも雑ではない。
線を重ねすぎない。
迷って黒くなる場所が少ない。
「初めて?」
先輩が聞いた。
「はい」
「形取るの早いね」
「そうですか?」
「空間見るの得意?」
「分かんないです」
長谷川くんは本当に分かっていない顔をする。
眉も動かない。
口角にも変化がない。
褒められたことを否定しているのではなく、判断材料がない。
私は横から紙を見る。
「長谷川くん」
「ん?」
「ここの影、もう少し境目ぼかした方が丸く見える」
「ここ?」
「うん」
鉛筆を寝かせる。
指。
中指が支点。
人差し指の第一関節が少し浮く。
手首は固めない。
言った通りに動かす。
「あ」
球を見る。
「ほんとだ」
目が少し開いた。
新しい形が見えた時の顔。
面白いと思っている。
分かりやすい。
「美術おもろいな」
「そう?」
「鉛筆一本なのに変わるじゃん」
「変わるよ」
「赤間、こういうのずっとやってんの?」
「ずっとではないけど」
「へえ」
また描く。
肩の力が少し抜けた。
右肘。
手首。
鉛筆。
紙。
その時。
外から音がした。
乾いた。
短い音。
私は何の音か分からなかった。
長谷川くんは分かった。
顔より先に分かった。
鉛筆の動きが止まった。
完全には止まらない。
芯が紙から二ミリほど浮く。
視線が先に右へ動く。
美術室の窓。
そこからグラウンドは見えない。
顔が追う。
顎が右へ回る。
その瞬間。
頬が変わった。
さっき球が丸く見えた時より先に。
右口角が上がる。
でも口だけではない。
下眼瞼の外側が持ち上がる。
頬骨の上にあった皮膚が押されて、目の下の面積が狭くなる。
眼裂が少し細くなる。
眉間の力が抜ける。
上瞼は下がらない。
だから眠そうにはならない。
目の中だけが明るくなる。
鼻翼がほんの少し開く。
息を吸った。
胸郭が一度広がる。
肩は上がらない。
口が開く。
上の歯が少し見える。
笑った。
音がしてから、まだ一秒も経っていない。
何も見えていないのに。
私は窓を見る。
校舎しかない。
長谷川くんを見る。
まだ窓を見ている。
もう一度。
外から音。
今度は少し違う。
長谷川くんの右眉がほんの少し上がった。
唇が動く。
「今の浮いたな」
「何が?」
こっちを見る。
さっきまで窓へ向いていた表情が、そのまま少し残っている。
「サッカー」
「見えないよ」
「うん」
「音だけ?」
「音だけ」
「何が分かるの?」
長谷川くんが少し考える。
説明するための言葉を選んでいる。
「最初のは、足の内側で短く蹴ってる。今のはもっと強くて、少し浮かせた」
「回転とかも?」
「だいたい」
「音で?」
「音と、蹴ってから次の音までの間とか」
「……」
また外。
パン。
長谷川くんの目が戻る。
今度は顔を全部向けない。
耳だけでも追えるらしい。
「これは?」
「強い。多分長いパス」
「どっちに飛んだかも分かる?」
「それは音だけじゃ無理。場所分かればある程度」
「へえ」
長谷川くんが笑う。
「赤間が手見て色々分かるのと一緒じゃね?」
「違うと思う」
「そう?」
「私は見てるから」
「ああ」
納得した。
でも。
違うのはそこだけではない。
長谷川くんは、音を聞いた時に考えてから笑っていない。
音。
視線。
頬。
目。
呼吸。
全部がほぼ同時。
見たい。
ではない。
知りたい。
でもない。
もっと前。
身体が先に喜んでいる。
描くなら。
口はいらない。
笑顔にすると説明しすぎる。
窓へ向いた横顔。
下眼瞼。
少し持ち上がった頬。
紙から浮いた鉛筆。
それだけ。
何が聞こえたか描かなくてもいい。
何かを好きな人の顔になる。
「赤間?」
「何?」
「また見てる」
「うん」
「何」
「今、すごく嬉しそうだった」
一瞬。
長谷川くんが止まった。
自分の顔を知らなかった人の止まり方。
「そう?」
「うん」
窓を見る。
また笑う。
「まあ、サッカーだから」
それだけだった。
理由として足りるらしい。
私には、その方が面白かった。
「描いていい?」
「何を」
「今の顔」
「嫌」
「分かった」
断られた。
描かない。
でも覚えておく。
形だけ。
右頬。
下眼瞼。
紙から浮いた鉛筆。
好き、という感情を描くなら。
口はなくてもいい。
*
「ありがとうございました」
美術室を出る。
赤間には、
「じゃ」
だけ。
「うん」
返ってきた。
廊下。
また外からボールの音。
ちょっと笑う。
赤間に言われた後だと、自分で分かる。
まあいい。
次。
音楽棟。
近づく前から色んな音が重なってる。
金管。
木管。
打楽器。
中へ入る。
「見学?」
「はい」
「楽器経験ある?」
「ないです」
「何か興味あるのある?」
「音出すの難しいやつ」
先輩が笑った。
「全部難しいよ」
「じゃあ全部」
「欲張りだね」
また言われた。
トランペットのマウスピースを渡される。
「まずこれだけで音出してみる?」
「はい」
「唇震わせる感じ」
吹く。
出ない。
「むず」
「もう一回」
やる。
ぶ。
変な音。
笑われる。
「一応出た」
「これで出た扱いなんですか」
「最初はね」
本体を見る。
「これに指もつくんですよね」
「そう」
「忙しいですね」
「慣れるよ」
「へえ」
もう一回。
少しマシ。
面白い。
外。
パン。
耳がそっちへ行く。
今のは強い。
長い。
足の甲。
少し外側。
多分、右へ逃げる。
「どうしたの?」
先輩が聞く。
「外のサッカー」
「聞こえた?」
「はい」
「私、全然気にしてなかった」
「結構音違うんですよ」
「今ので何か分かるの?」
「強く蹴ったのと、たぶんちょっと曲げたのは」
「そんなの分かるの?」
「ずっとやってたんで」
「へえー」
先輩も窓を見る。
「でもここから見えないね」
「見えないです」
「なのに分かるんだ」
「だいたいですけど」
マウスピースを返す。
「ありがとうございました」
「入部どう?」
「まだ他見ます」
「ほんとに見学だ」
「今日は色々見たいんで」
「いいと思うよ」
「ありがとうございます」
次。
演劇部。
最初に目に入ったのは、人じゃなくて木材だった。
「これ何です?」
「大道具」
「舞台の?」
「そう」
「自分らで作るんですか」
「作るよ」
「面白」
裏を見る。
三角に入った支え。
「ここ斜めなの何で?」
「倒れにくくするため」
「へえ」
少し押す。
動かない。
「勝手に壊さないでね」
「壊しません」
奥。
発声。
声でかい。
普通に叫ぶのと違う。
響く。
「やってみる?」
「やります」
立つ。
息。
声。
「もっと前に!」
「前?」
「声を飛ばす!」
「分かんないです!」
「やれば分かる!」
やる。
まだ分からない。
でもさっきより響いた。
面白い。
次。
科学部。
透明な液体。
色が変わる。
青。
また透明。
「何で戻るんです?」
説明。
反応。
状態。
電子。
なるほど。
もう一回。
今度は変わる瞬間を見る。
「おお」
「面白い?」
「面白いです」
「入部する?」
「まだ見ます」
「君ずっとそれ言ってそう」
「今日だけです」
「欲張りだな」
三回目。
そうかもしれない。
学校にあるんだから見たい。
時計を見る。
結構経った。
福山、もう練習してるだろうな。
外へ出る。
風。
校舎の向こう。
赤いトラック。
陸上部。
もう始まっている。
ドリル。
流し。
スタートブロック。
一橋。
すぐ見つかった。
黒いボブ。
脚。
スパイクを手に持ってる。
先輩の話を聞いてる。
家より静か。
当たり前か。
声はかけない。
向こうは向こう。
トラック脇を通る。
「……あれ」
後ろ。
「長谷川鳴美じゃね?」
「え、サッカーの?」
「マリノスJYの」
足は止めない。
こっちは知ってるやついるんだな。
別の声。
「年代別入ってたやつ?」
「そうそう」
そのまま歩く。
体育棟。
ウエイト。
広い。
ラック。
ベンチ。
プレート。
ケーブル。
ちゃんとしてる。
いいな。
今はまだ内容選ばないと駄目だけど、戻ったら使える。
奥。
スクワット。
深い。
股関節。
膝。
背中。
バーがまっすぐ上下する。
綺麗。
別。
少し前へ流れる。
きつそう。
「あれ」
入口近くの男子が俺を見る。
背高い。
知らない顔。
「長谷川鳴美?」
「はい」
「やっぱり」
隣のやつも振り向いた。
「誰?」
「サッカーの。マリノスJY」
「ああ。代表入ってた?」
「そう」
俺を挟んで俺の説明が始まる。
「どうも」
二人が笑った。
「普通にいるんだな」
「いますよ」
「スポーツクラスじゃないよな?」
「四組です」
「何で?」
「一般で入ったから」
「マジ?」
「はい」
「膝やったって聞いたけど」
「左です」
「ACL?」
「そうです」
「うわ」
「治します」
「サッカー部?」
「まだ決めてないです」
「え?」
「色々見てるんで」
「何を?」
「美術とか、吹奏楽とか」
止まった。
「……長谷川鳴美が?」
「俺、そんな楽器似合わないですか」
「いや、そうじゃなくて」
「さっきマウスピース吹きました」
「なんで?」
「見学なんで」
「なんで?」
「二回聞かないでくださいよ」
笑われた。
「お前面白いな」
「どうも」
中を見る。
ここもまた来たい。
今日はもういい。
「じゃ、サッカー見てきます」
「おう」
「またな、長谷川鳴美」
フルネーム。
ちょっと懐かしい。
普通の教室ではそんな呼ばれ方しない。
大会。
選抜。
試合会場。
ああいうところでは、名字だけよりフルネームの方が多かった。
外へ出る。
音が近くなる。
パン。
今のいい。
右足。
真芯より少し外。
回転少なめ。
伸びる。
身体がそっちを向いた。
*
人工芝。
ゴール。
ボール。
人。
遠くからでも分かる。
五対二。
パス。
別の場所でシュート。
その奥。
走り。
スポーツ推薦組も混じってる。
歩きながら見る。
右。
短いパス。
少し強い。
受ける側が半歩下がる。
次。
ワンタッチ。
いい。
その次。
足元。
詰まった。
中が寄る。
取られる。
やっぱり。
別。
長いボール。
蹴る足と軸足が少し近い。
上がる。
でも伸びる。
悪くない。
福山。
いた。
分かりやすい。
一年の中。
右で受ける。
一回止める。
足元。
次が遅い。
「あー」
声が出た。
福山が振り返る。
「長谷川!」
でか。
何人かが一緒に見る。
手を上げる。
「来たじゃん!」
「来た」
「遅えよ!」
「色々見てた」
「何を!」
「美術、吹奏楽、演劇、科学、ウエイト」
「見すぎだろ!」
「面白かった」
「こっち来いよ!」
「今来てんじゃん」
「中!」
「走れねえって」
「あ」
忘れてた顔。
その時。
「……長谷川鳴美?」
別の声。
一人。
もう一人。
「マジ?」
「え、あの長谷川鳴美?」
「マリノスJYの?」
「年代別入ってたよな」
数人が見る。
知らない顔。
見たことある顔。
混じってる。
一人。
見覚えある。
背高い。
センターバック。
どこだ。
関東大会。
空中戦強かったやつ。
名前は出ない。
もう一人。
小さい。
左利き。
中盤。
県トレで見た。
多分。
話したことはない。
向こうも俺を見る。
「あいつやっぱ長谷川鳴美だ」
懐かしい。
こういう感じ。
「お前、マジで知られてんな」
福山。
「この辺ならいるだろ」
「それで済ますな!」
「福山もそのうち」
「軽く言うな!」
笑う。
その時。
奥。
一人だけ、他と違う顔をしてるやつがいた。
背が高い。
百八十くらい。
右サイド。
目が合う。
見たことある。
どこだ。
右サイドバック。
足長い。
身体強い。
途中から立ち位置変えてきた。
あ。
荻田翔真。
一回やった。
正確には、一試合ずっとやった。
向こうが右。
俺が左。
縦。
中。
縦。
中。
何回か抜いた。
途中から半歩外へ立つようになった。
俺がスピード乗る前に詰める。
対応変えるの早かった。
普通に嫌だった。
荻田が歩いてくる。
「……長谷川鳴美」
「荻田」
眉が動いた。
「覚えてんの?」
「そりゃ」
「……」
福山が見る。
「知り合い?」
「試合した」
荻田が答えた。
「マジ?」
「一回」
「どっち勝った?」
荻田が福山を見る。
「そこ聞く?」
「え」
「聞くな」
「負けた?」
「聞くなって」
周りが笑う。
「荻田がやられたの?」
「悪いかよ」
「お前右SBだろ」
「そうだよ」
「長谷川って左もやるの?」
「その時は左」
俺が答える。
「じゃあずっとマッチアップ?」
「ほぼ」
荻田の顔がさらに嫌そうになる。
「どうだった?」
「聞くな」
「そこまで言われたら気になるって!」
「最悪だった」
笑い。
「ひど」
「お前が言うな」
「俺サッカーしてただけじゃん」
「それが最悪だったんだよ」
「何で」
周りの一人が笑いながら聞く。
「そんな止められなかったの?」
荻田が俺を見る。
「速い」
「それは知ってる」
「速いだけならまだマシ」
何人かの顔が変わる。
分かるやつの顔。
「トップスピード入ってもボール離れねえんだよ」
「マジ?」
「タッチ細かいまま来る。だから足出せない」
「待ったら?」
「そのまま来る」
「寄せれば?」
「こっちの重心見て進路変える」
「その速度で?」
「その速度で」
「うわ」
別のやつ。
「じゃあ二人で挟めば?」
「周り見てるから、寄った方が空く」
「パス出す?」
「出す。しかもこっち一歩ずらしてから」
「最悪じゃん」
「だから最悪だったって言ってんだろ」
笑いが起きる。
俺も笑う。
「縦切れば?」
「中」
「中切れば?」
「縦」
「下がれば?」
「クロス」
「寄せれば?」
「抜かれる」
「……どうすんの」
荻田が少し黙った。
「ファウル」
笑いが一瞬止まった。
俺も。
荻田の顔。
ああ。
そっち。
「長谷川」
「ん?」
「膝」
「うん」
「……悪かった」
周りが静かになる。
福山も。
意味分かったやつ。
まだ分かってないやつ。
荻田だけは、最初から分かってる。
あの試合。
後半。
左。
ボール。
荻田。
外を切る。
一回内。
重心が動く。
外。
一歩。
二歩。
前。
ボールは近い。
もう一回触る。
荻田が追う。
身体が来る。
ボールはもう先。
左足。
接地。
横。
足だけ残った。
膝。
音は覚えてない。
痛みの方が先。
それだけ。
「別に」
言う。
荻田が眉を寄せる。
「いや」
「怪我させようとしたわけじゃないだろ」
「でも」
「あそこ行かれたら止めるだろ」
「……」
「俺でも止めに行くと思う」
「お前はあの速度で人に行くなよ」
誰かが言った。
笑いが戻る。
「危ねえだろ」
「それはそう」
「納得すんのかよ!」
俺も笑った。
荻田はまだ少し固い。
「ほんとに悪かった」
「分かったって」
「……」
「あと」
「何」
「後半、立ち位置変えただろ」
荻田が止まる。
「外、半歩広くした」
「……覚えてんの?」
「俺が触る前に寄せるようにしてきた」
「そこ?」
「そっちの方が嫌だった」
「……」
「一回中に追い込まれたし」
「それ」
「ん?」
「そこから普通に逆サイド出しただろ」
「ああ」
「あれで俺、監督に怒られた」
「知らんよ」
「お前のせいだろ!」
「お前の監督だろ!」
笑い。
荻田も少し笑った。
「マジでムカつく」
「ざんねーん」
「変わってねえのかよ」
「話したことないだろ」
「試合中ずっと顔ムカついてた」
「それただの悪口じゃん」
「抜いたあと笑ってただろ!」
「楽しかったから」
「最悪」
福山が俺を見る。
「お前、試合中もこんな感じなの?」
「知らん」
「絶対そうじゃん」
「うるさい」
先輩が手を叩く。
「一年、続きやるぞー!」
「はい!」
みんな戻る。
荻田も。
俺はフェンスの外。
まだ中には入らない。
福山が走りながら振り返る。
「長谷川、ちゃんと見とけよ!」
「下手だったら笑う」
「帰れ!」
「どっちだよ」
練習が再開する。
四対四。
狭い。
福山。
右。
受ける。
今度は一歩前。
いい。
次。
中。
少し弱い。
取られそう。
荻田。
寄る。
速い。
長い脚。
身体。
奪う。
そのまま前。
やっぱ上手い。
あの頃よりでかくなってる。
百八十くらい。
左の一年が受ける。
荻田と一対一。
一回止まる。
縦。
荻田がついていく。
身体を入れる。
奪う。
普通に強い。
あれを何回も抜いてたのか。
そりゃ止めに来る。
別に嫌じゃない。
思い出す。
左。
芝。
荻田。
ボール。
一歩。
外。
内。
また外。
楽しかった。
最後以外。
いや。
最後も。
抜けるまでは楽しかった。
それでいい。
パン。
ボールが飛ぶ。
いい音。
強い。
回転少ない。
少しだけ外へ逃げる。
受ける側。
胸。
落とす。
右。
福山。
走る。
ボールが出る。
一歩遅い。
「そこ先!」
声が出た。
福山が走りながらこっちを見る。
「うるせえ!」
「今の先入れただろ!」
「分かってる!」
「じゃあやれ!」
「見学のくせに!」
先輩が笑う。
「長谷川、コーチやる?」
「やりません」
「福山専属」
「俺も嫌です!」
「何でだよ!」
また笑い。
ボールが動く。
人が動く。
右が空く。
中が寄る。
荻田が出る。
後ろが埋める。
一人遅い。
そこ。
通る。
やっぱり。
身体が次を見る。
右。
クロス。
ニア。
弾く。
こぼれ。
シュート。
外。
「あー」
面白い。
美術も面白かった。
鉛筆一本で球が丸くなる。
吹奏楽も。
唇と息だけで音が変わる。
大道具も。
板と支えで壁になる。
科学も。
透明だったものが色を持って、また戻る。
ウエイトも。
同じ重さでも身体の使い方で違う。
知らないものがいっぱいある。
見れば、やりたくなる。
でも。
サッカーは少し違う。
知らないから見たいんじゃない。
知ってる。
ずっとやってた。
それでも見たい。
音だけで分かる。
どこで当たったか。
強さ。
回転。
浮き方。
見えればもっと分かる。
受ける前の首。
軸足。
重心。
空いてる場所。
誰が遅れてるか。
誰が次に走るか。
全部、勝手に入ってくる。
知らないものを見るのも楽しい。
知ってるものを見るのも楽しい。
パン。
乾いた。
強い。
右足。
真芯。
回転は少ない。
ゴール右。
伸びる。
キーパー。
触れない。
ネット。
「ナイス!」
声が上がる。
俺も笑った。
その瞬間。
赤間に言われたことを思い出す。
今、すごく嬉しそうだった。
左膝を一回曲げる。
伸ばす。
問題なし。
まだ走れない。
まだ蹴れない。
でも。
別にサッカーがなくなったわけじゃない。
グラウンド。
福山。
荻田。
見たことある顔。
知らない顔。
ボール。
芝。
ゴール。
その向こう。
校舎。
今日だけで色んなものを見た。
まだ見てない場所もいっぱいある。
明日はどこ行こう。
そう思ったところで。
パン。
また、いい音がした。
そっちを見る。
多分。
また同じ顔をしてた。




