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「愛など不要ですから。お気をつけて」  作者: あとりえむ


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第52話

皇国南部の広大な大地に、地響きのような重低音が鳴り響いていた。


それは戦の足音ではない。グウィンがオルク渓谷から文字通り物理的に叩き斬り、王国の精鋭部隊が力技で運び込んだ巨大な星鋼石が、絶え間なく回転する音であった。


大陸一の硬度を誇る星鋼石で作られた巨大な臼は、マイヤー商会が海路で運び込んだ膨大な量の麦を、瞬く間にきめ細かく真っ白な小麦粉へと変えていく。


長きにわたる内乱と凶作によって飢えに苦しんでいた皇国の民たちの食卓には、ついにふっくらと焼き上がった温かいパンが並ぶようになった。


それは、血みどろの権力闘争に終止符が打たれ、皇国に真の平和と恩恵が訪れたことを知らせる、何よりも確かな証であった。


「フライス殿下万歳!」


「我らの次期皇帝陛下に栄光あれ!」


皇都の広場は、安価で良質な食糧を国中にいきわたらせた第三皇子フライスを讃える歓喜の声で連日溢れ返っていた。


愚かな兄たちを完全に失脚させ、民心と胃袋を完全に掌握したフライスは、ついに病床の父帝から次期皇帝としての正式な内定を受けることとなる。


道楽者を装っていた野心家は、その冷徹な知性と盤石な経済基盤をもって、見事に玉座への道を切り拓いたのである。


そして、この皇国史上最大の政変の裏で、誰よりも巨大な果実を独り占めした者がいた。



◇ ◇ ◇



王都にあるマイヤー邸。

その執務室では、今日もサラ・マイヤーの弾く計算盤の音が、まるで軽快な音楽のように響き渡っていた。


「……ふふっ。素晴らしい、本当に素晴らしい数字ですわ」


手元の帳簿に並ぶ莫大な利益の桁を目にして、サラはうっとりと甘い吐息を漏らした。


フライスの次期皇帝就任に伴い、マイヤー商会は皇国における絶対的な経済特権を完全に確立した。


皇国内の主要な街道における関税の完全免除はもちろんのこと、港の独占使用権、さらには皇国が産出する資源の優先取引権まで、あらゆる利権がサラの手中に収まったのである。


もはや「莫大」という言葉すら生温い、雪崩のような富がマイヤー商会へと転がり込み続けていた。



帳簿の数字に目を細め、至福の喜びに浸っていたサラの耳に、廊下から近づいてくる重く聞き慣れた足音が届いた。


その足音が執務室の前で止まると同時に、分厚いオーク材の扉が乱暴に、しかしどこか気遣うような手つきで開かれる。


「……ただいま戻ったぞ」


地を這うような低い声と共に姿を現したのは、他でもないサラの愛しい夫、グウィン・マイヤーであった。


他国の領土での前代未聞の石切り作業と害獣駆除という無茶振りを完璧にこなし、長旅を終えて王都の屋敷へ帰還したばかりの死なずの軍神である。長旅の土埃を軽く払っただけの無骨な姿だが、その出立ちすらもサラの目には最高に頼もしく映っていた。


「おかえりなさい、グウィン。お疲れのところ申し訳ありませんでしたけれど、星鋼石の件、本当に助かりましたわ」


サラが計算盤を置いて優雅に微笑みかけると、グウィンは短く鼻を鳴らし、執務室の来客用ソファへとドカッと重い腰を下ろした。


「全くだ。俺をただの石切り職人と勘違いしてないか?」


文句を言いながらも、その顔に怒りの色は微塵もない。むしろ、妻の役に立てたことに対する密かな満足感が、その不器用な表情の端々に滲み出ていた。


グウィンはソファの背もたれに深く体を預け、机の上に山積みになっている高額な取引証書の束や、何より最高に上機嫌な妻の顔をじっと見つめた。


「仕事はきっちり片付けてきたぞ。……で、俺の報酬はなんだ。随分と儲かったみたいじゃないか」


その言葉は、軍神としての威圧感など全くない、ただ妻に労いを求める不器用な夫の甘えのような響きを帯びていた。



不器用な夫の要求に対し、サラはゆっくりと立ち上がった。


机の上に積まれた金貨の山や、長大な数字が記された帳簿の束。王国と皇国、両国の経済を支配するほどの莫大な富を前にしても、今の彼女の瞳には、目の前に座る一人の無骨な男の姿しか映っていなかった。


サラは愛用の計算盤を机の端にそっと置くと、今まで浮かべていた冷徹で計算高い商人の顔を、スッと拭い去った。

代わりに彼女の顔に咲き誇ったのは、損得勘定など一切存在しない、この上なく甘く、そして優雅な一人の妻としての微笑みであった。



静かな足取りでソファへと歩み寄り、サラはグウィンの隣に腰を下ろす。そして、石切りの大仕事で少し荒れた彼の手のひらに、自身の白く細い手をそっと重ねた。


「ええ、もちろん。最高級の報酬をご用意しておりますわ」


サラの声は、帳場で響かせる涼やかなそれとは違う、熱を帯びた甘い吐息のようにグウィンの耳をくすぐった。


「今回の取引で得た莫大な利益は、私の生涯という時間をすべてかけて、貴方に少しずつお支払いさせていただきますわ。……ですから」


サラはグウィンの広い胸元にそっと顔を寄せ、悪戯っぽく、それでいて深い愛情を込めて見上げた。


「これからもずっと、私にとっての『最高の投資先』でいてくださいね、旦那様」



サラの甘く、そして彼女らしい愛の告白に、グウィンはしばらく目を丸くしていたが、やがて腹の底から湧き上がるような低く優しい笑い声を漏らした。


「……ったく、しゃーねーな」


呆れたように、しかしこれ以上ないほどの愛おしさを込めて呟くと、グウィンはその太く逞しい腕でサラの華奢な身体をそっと抱き寄せた。サラもまた、嬉しそうに目を細めて世界で一番安全な夫の腕の中へと飛び込み、二人は互いの体温を通じて確かな絆を静かに確かめ合う。



血みどろの戦場と、打算に満ちた冷酷な政略結婚。そこから始まった二人の関係は、いつしか互いの知略と絶対的な武力、そして無自覚で底知れぬ溺愛によって、巨大な帝国すらも飲み込み、大陸の経済を完全に支配する最強の夫婦の物語へと昇華されていた。


彼女の計算盤が弾き出す莫大な利益と、彼の振るう無敵の大剣。その二つが交わる限り、マイヤー商会の快進撃が止まることは決してないだろう。


無骨な死なずの軍神と、強欲で華麗な商人の妻。


彼らの前には、これからも終わることのない莫大な利益に満ちた商談と、呆れるほどに甘く、底なしの愛の日々が果てしなく続いていくのだった。


(完)

二人の物語を最後まで見守ってくださり、本当にありがとうございました!


書き始めた当初はこれほど長いお話になるとは思っていませんでしたが、皆様の応援のおかげで完結まで走り抜けることができました。


お気に入りのシーンや、二人へのメッセージなど、一言でも感想をいただけたら飛び上がって喜びます。

また別の物語でもお会いできることを願って。本当にありがとうございました!

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