受け止めるもの
落ち続ける体は、風に裂かれるように加速していた。
昼の光が、容赦なく明の顔を照らし、瞼の裏まで白く染める。
視界は狭まり、ただ地面だけが、貪欲に迫ってくる。
もうすぐ終わる。
もうすぐ、何もかもが静かになる。
だが――
視界の端に、突然、巨大な網が横切った。
ビルとビルの狭い隙間に張られた、建設用の安全ネット。
今朝から本格的に設置されたばかりのもの。
明の軌道は、まるで誰かに導かれたように、その網の中央――最も張りの強い、柔らかく凹んだ部分――へ、ぴたりと落ちた。
体が、網に触れた瞬間、世界が一瞬、息を止めた。
衝撃は骨まで響くはずだった。
なのに、網は予想以上にしなやかで、最新の衝撃吸収素材が、明の体重と速度をゆっくりと受け止めた。
体は深く沈み込み、網の繊維が静かに軋みながら、衝撃を吸い取っていく。
まるで巨大な手のひらが、優しく、しかし確実に体を抱き締めるように。
網は大きく湾曲し、その反動で体をゆっくりと持ち上げ、弧を描いて跳ね返した。
軌道は絶妙に調整され、隣のビルの非常階段の手すりに、背中が軽く当たる程度で止まった。
手すりがわずかに揺れ、明の体は、階段の踊り場に、まるで誰かにそっと置かれたように、仰向けに着地した。
痛みは、ほとんどなかった。
背中が少し打った程度。
息がわずかに乱れているだけ。
服は乱れ、髪は風でぐしゃぐしゃだったが、骨は一本も折れていない。
内臓も、頭も、無傷。
ただ、地面に叩きつけられるはずだった体が、ここに、生きて、横たわっている。
昼の光が、踊り場に差し込み、明の顔を白く照らす。
空は、まだ青く、高い。
雲一つなく、ただ広がっている。
明は、冷たいコンクリートの床に仰向けのまま、
ぼんやりと天井を見上げた。
落ちたはずだ。
死ぬはずだった。
なのに、肺はまだ空気を求め、心臓はまだ鳴っている。
飛び降りは、確かに成功した。
だが、この網の張り具合と、手すりの位置。
どちらも、この場所に「元からあった」もの。
ただ、タイミングと軌道が、完璧に噛み合っただけ。
死に損ねたという事実が、
今まで以上に重く、冷たく、胸の奥に沈んでいく。
生きていることの残酷さが、
昼の光の下で、こんなにもはっきりと、肌に触れた。
屋上から、誰かの叫び声が階段を駆け下りてくる。
「あんた!生きてる!?ちょっと待って!」
足音が近づいてくる。
明は、目を閉じた。
落ちたかった。
だが、体は動く。
息はできる。
心臓は、まだ、鳴り続けている。




