欺瞞
センパイの机の奥にある、USBメモリの写真を覗いてしまった。初めて一緒に行ったライブの次の日、見せてもらった写真たち。ひと目でプロのものと分かる構図と照明。細かな配慮が行き届いた服装。何かを必死に受け止めようとするセンパイの表情。そして、その全てに込められた、あの人の狂おしいまでの執着。
胸が痛む。
あの人が作り上げた写真の中のセンパイは、他にもたくさんあるはず。そして、それらをセンパイがそっと見返していることも知っている。そんな写真消してしまえばいいのに。あの人の存在が消えてしまえばいいのに。センパイの中から、完全に消えてしまえばいいのに。
愛してる。それは嘘じゃない。でも、純粋な愛だけじゃない。
センパイには他の人にない魅力がある。大好きなヴィジュアル系の人たちにもない、生身の魅力。最初に見た時から、目が離せなくなった。
シャツの袖から覗いた痕。最初はどうしたんだろうと、それだけを考えていた。
「時計、きつく締めすぎました?」
聞いた瞬間、センパイの体が強張る。
その反応が、私の中の何かを変えた。
全てが見えてくる。
襟元の痕跡。不自然な仕草。そして、あの「歪んだ」写真を撮る「カノジョ」の存在。
全てが繋がり始める。
「いつものボートネックの方が似合うのに」
意図的に、自分の襟元に触れる。
「鎖骨のラインとか、すごくきれいなのに」
センパイの瞳が揺れる。
その脆さに、私の中で何かが目覚める。
研究室での態度。いつも曖昧な物言い。誰かの期待に応えようとする仕草。
全ては「カノジョ」の影響。支配され、従順になることで安心を得ようとする習性。
このままじゃいけない。
このままだと、センパイは壊れてしまう。
――本当に、そう思っていた。けれど。
「センパイ。私、わからないです」
声を強めに出す。演技じゃない。本当の感情。
でも、その感情の使い方は計算済み。
机を叩く。
ペンが床に落ちる。
この感情的な仕草が、センパイの心を揺さぶるのを感じる。
「なんでそんなに遠慮するんですか」
「もっとハッキリ答えればいいのに」
矢継ぎ早に。
感情をぶつければぶつけるほど、センパイは私に心を開く。
そうか。これが方法なんだ。
支配ではなく、理解者として。
束縛ではなく、解放者として。
優しく包み込む。
でも決して放さない。
支配ではなく、依存させる。
私なら、センパイを幸せにできる。
「カノジョ」のような痕は残さない。
ただ、消せない絆で結びつける。
距離を詰めるのは、ゆっくりと。焦らず、でも確実に。研究の手伝い、夜遅くまでのデータ整理、さりげない気遣い。全て計算ずみ。彼女のいる人に一気に近づくのは、かえって警戒される。
チャンスは必ず来る。その時のために、少しずつ、確実に距離を縮めた。
「お茶、入れましょうか?」
いつも実際に淹れるのは黒いコーヒー。でも何気ない優しさで包み込む。束縛するカノジョと、穏やかに寄り添う私。対比は明確。選択は、自然とセンパイの中で傾いてくるはず。朝から晩まで、ずっと一緒。
「私なら、こんな痕は残さない」
センパイのアパートで、その言葉を口にした。センパイの目に浮かんだ驚き。純粋な愛情を装いながら、確実に心を引き寄せていく。
ベッドが揺れる度、勝利の実感で満足感が広がった。
スマートフォンを見つめる横顔には、まだ迷いが残っていた。
でも、それも時間が解決してくれる。ゆっくりと、私だけのものになっていく。
私は方法を知っている。優しさで縛り付ける術を。
雨の夜。インターホンを鳴らす指が震える。それは焦りではなく、高鳴る期待。センパイを私だけのものにする──絶好の機会。忘れ物という口実で、ドアを開けさせる。
「センパイを、放してください」
その言葉に迷いはなかった。暴力からの解放。正しく、文句のつけようがない振る舞い。いざとなったら、警察を呼べばいい。きっと証拠写真もいっぱいある。
そして、研究室で教わったことがある。自分の期待に合わせて現実を見てはいけない。これが、私の切り札。センパイ自身の言葉を突きつければ、誰も否定できない。まさか、こんなところで役立つなんて。
それからも、変わらない優しさで声をかける。純粋な後輩を演じながら、着実にセンパイの心を奪っていく。男を寝取るような女ではなく、思いやりに溢れた女の子になっていける、こんな些細な瞬間の積み重ねが、この何気ない時間が、とても愛おしい。コーヒーを淹れながら、密やかな笑みが浮かぶ。
窓の外で、桜のつぼみが今か今かと膨らんでいる。まだ見たくないのに、確実に春は近づいている。この日常が、永遠に続けばいいのに。でも、季節は確実に動き出している。私たちの時間も、きっと。




