エピソード0(2)
二階へと通じる階段からオリビアはこっそりと顔を覗かせていた。
(どう見ても怪しいわ……)
オリビアが後をつけた、頬に火傷の痕がある男は、二階の角部屋の扉にぴたりと耳をつけ中の様子を窺っていた。おそらくその部屋にジュリアンと連れの女は入っていったのだろう。
(いったい、あの男の目的は何かしら。ただの好奇心のようには見えないし……もしかして……あの女の交際相手とか? 二人が決定的な行為に及ぶのを待っている?)
それならあの男から感じる妙な緊張感と殺伐とした雰囲気にも納得できる。
ただ、もしそうなのだとしたらこれから起きるのは修羅場だ。最悪血を見ることになるかもしれない。先に酒場のマスターに伝えておくべきか。
(いえ、それは早計ね。もう少し様子を見て……)
扉がゆっくりと開いた。女が顔を出し、男を部屋の中へと招く。扉は再び静かに閉じた。
(え、ええ? 今のはいったい?)
男が部屋に突撃するのかと思いきや、違った。女は男がそこにいると知っていた。
(最初からその予定だった? まさか……ジュリアン殿下に何かするつもりじゃあ……)
嫌な予感に襲われたオリビアは慌てて、先ほどの男のように扉に張り付く。
中から聞こえてきたのは男女の言い争う声。ジュリアンの声は聞こえない。
(どうしてジュリアン殿下は一言も喋らないの⁉ もしかして、もう⁉)
中に押し入って確認するかどうか迷っていると、男女の声も聞こえなくなった。耳を澄ますが聞こえてくるのは衣擦れの音や足音だけ。しばらくして、部屋の中からは何も聞こえなくなった。
(……私の杞憂ならいいんだけど)
特に何も問題ないのならば謝ってすぐに部屋から出ればいい。ジュリアンの無事を確認するだけ。腐ってもオリビアはリリアン王女付きの侍女。彼女の身内に危険が迫っているのを見逃していい立場ではない。
覚悟を決め、オリビアは扉を開いた。
音を立てずに猫のようにするりと部屋の中へと入る。
そして、室内の惨状を目にし、震える手で静かに扉を閉めた。
ベッドの上に横たわっているのは一組の男女。その片方はどう見ても死んでいるようにしか見えない。
前世で探偵業をしていたからといってアニメやドラマのように殺人事件に出くわす機会などそうはなかった。故に、このような現場にも慣れてはいない。
ただ、それでもオリビアの中にこの場から逃げ出すという選択肢はなかった。
深呼吸をし、まずは部屋の中を簡単に探る。どこかにあの怪しい男がまだいるとも限らない。
どこにも男がいないのを確認してから、オリビアはベッドに近づいた。
「……ダメね」
女の方は喉を鋭い刃物のようなもので突かれ、すでにこと切れていた。
一方、ジュリアンはその隣でスヤスヤと寝ている。彼の方は傷一つ負ってはいないようだ。安堵する。が、それも一瞬。ジュリアンの手に握られているナイフをどうしたものかと見つめた。
凶器はこのナイフで間違いないだろう。女のものと思われる血がべったりとついている。
オリビアはジュリアンの手からゆっくりとナイフを抜き取って、一旦安全な場所へと移動させた。
(凶器を持ち去らずにジュリアン殿下に持たせたということは、あの男は殿下を犯人に仕立て上げるつもりだったのでしょうね)
オリビアという目撃者がいなければ、あの男の目論見通りジュリアンは犯人に仕立て上げられていたことだろう。
(直接犯行現場を見たわけではないけど現場の状況を見るに、あの男が真犯人で間違いないはず。でなければ、逃げる必要なんてないし……それにしてもジュリアン殿下はよく寝ているわね。って、ちょっと待って? 短時間でこんなに熟睡するものかしら? すぐそばで口論が起きて、人が殺されても? さっき、触れても全く反応しなかったのってまさか……)
案の定、女のケープのポケットの中から空き瓶が見つかった。
それはオリビアの父も愛用している睡眠薬。市販されているものではなく、医師から処方されて初めて手に入る代物。その分効果も高い。その睡眠薬をジュリアンはどの程度盛られたのかは知らないが……瓶が空になっているのを見るに規定以上の量を盛られたのかもしれない。
(前世でも今世でも、睡眠薬の過剰摂取で死ぬなんて聞いたことがないから大丈夫だとは思うけど……)
ジュリアンが目覚めることはしばらくないと分かったオリビアは今のうちに室内の確認を始めた。今度は僅かの証拠品も見逃さないように念入りに。そして、ふと気づく。
(窓が開いているわ)
こういった部屋は外への音漏れを気にして、大抵窓は閉め切ったままにしてあるはずだ。開けるにしても空気の入替のために少し開ける程度。しかし、この窓は全開になっていた。
外には梯子代わりに使えそうな大木。窓枠をよく見れば積もった埃の中に足跡が浮かんでいる。犯人はここから脱出したのだろう。
走馬灯のようにオリビアの頭の中で一連の流れが浮かぶ。
ジュリアンを酒場に誘い出した女は、二階のこの部屋へと誘導し、ジュリアンに睡眠薬を盛った。彼が眠った後、仲間の男を招き入れる。その後口論となり、男は女を殺害。男は自分の罪をジュリアンになすりつけるため凶器のナイフを握らせた。そして、窓から脱出。
(とまあ、現場から推測できる事実だけを並べるとこんなところかしら。問題は……この場をどうするか)
選択肢はいくつかある。
オリビアがこの現場の第一目撃者として通報する。
もしくは、何も見なかったことにして立ち去る。
だが、どちらを選んでもジュリアンが容疑者となるのは免れないだろう。
それを避ける方法はあるにはあるが……
「うーん……」
果たしてそこまでする価値が彼にはあるのか。
(命は助かってるんだからそれで十分な気も……なんだかんだ王弟なんだから結局は釈放されるだろうし)
仮にジュリアンが本当に殺人を犯していたのだとしても、相手は平民。しかも、二人はただならぬ関係であったのだとしたら、おそらくそう酷い処分にはならないだろう。
(今まで良い思いをしてきたんだから少しくらい痛い目を見ても……)
考えれば考えるほど、この場から逃げ出す方へと気持ちが傾いていく。
そんな時、ジュリアンが目を覚ました。
(え? 明日の朝までは起きないと思っていたのに……)
薬の効果が抜けきれないのか数秒間ぼーっとした後、不意に隣を見て目を見開いた。
そして、普段のジュリアンからは考えられないような素早い身のこなしで身体を起こし、鋭い眼差しで周囲を見渡す。すぐにオリビアの存在に気づいた。
(まるで別人……と思ったけど、よくよく考えたらジュリアン殿下も一応王族だものね)
あのリリアン王女でさえ、護身術として最低限の体術を習得しているのだ。国王の弟という立場のジュリアンならそれ以上の特訓を過去に受けていたとしてもおかしくはない。
警戒心たっぷりのジュリアンに、オリビアは両手を挙げて自分の無実を訴える。すぐには信じてくれなかったが、自分が見た一部始終を告げ、最後にテーブルの上にある血がついたナイフと彼の手についた血痕を示せばようやく納得してくれた。
ジュリアンは女を見て、悲しげに呟く。
「彼女は私のことが好きなわけではなかったのか」
(気になるのはそこなの⁉)
そうツッコミたかったが、耐えた。
「……そのようですね。ジュリアン殿下、念のためお尋ねしますが殿下が彼女を殺したなんてことは……」
「あり得ない。私が彼女を害する理由は何一つない」
「まあ、そうですよね。というか、そう答えるしかないでしょうし」
ジュリアンの片眉が一瞬だけピクリと上がったが、何か言い返してくることはなかった。オリビアはそのまま話を進める。
「では、あの男が真犯人だという前提で話を進めますが……ジュリアン殿下にはこの場を切り抜ける方法がありますか?」
「それは、どういう意味だろうか?」
「死体が見つかるのは時間の問題です。そうなれば、まず一番に疑われるのは殿下でしょう」
「なぜだい? 君という目撃者がいるのに」
瞬きを繰り返すジュリアンに、オリビアは真剣な顔で告げる。
「そのまま伝えたところで私の目撃情報は信じてもらえない可能性が高いからです」
「なぜ?」
「二人が一緒に入店したところを皆が見ていました。二階に上がって行くところも。けれど、頬に火傷の痕がある男を見た人はおそらく一人二人程度。その上、男が犯行に及んだところは私も含めて誰一人見ていません。そんな中で私が証言したとしても信憑性に欠け、最悪の場合私が殿下を庇っているのではないかと疑われる可能性があります」
「なるほど……」
(私が必死に説明しても裏目に出そうよね。ジュリアン殿下の日頃の行いのせいで)
かなり失礼なことを考えながら言ったのだが、ジュリアンが気にした様子はない。
「ちなみに、その様子だと君はもう何か良いアイデアが浮かんでいるようだけれど……」
オリビアの口角がクッと上がる。
「ええ、一つだけ」
(ジュリアン殿下が早く目覚めてくれたおかげでね)
「それは?」
「簡単なことです。彼女と私を入れ替えるんですよ」
「彼女と君を? それはいったいどういう……」
これだけではジュリアンには伝わらなかったらしい。ただ、いちいちすべてを説明している時間はない。こうして話している間にも時間は進んでいるのだ。オリビアの案を採用するのなら、少しばかり小細工が必要となる。
(ジュリアン殿下の様子を見るに、他に案もないようだし……)
オリビアはそう勝手に判断し、立ち上がる。
「説明する時間が惜しいので、動きながらにしましょう。大丈夫です。安心してください。私、こういうの得意ですから」
自信満々なオリビアに己の運命を託すことにしたのか、ジュリアンは素直に従い動き始めた。




