エピソード0(1)
夜はこれからという時間帯に、アシュレイ男爵家の一人娘オリビアは一人で酒場を訪れていた。
「ふぅっ。ああ、勝利を収めた後の酒は格別だわ。マスターおかわり!」
「はいよ。それと……何があったか知らんが、少し飲み過ぎだ。これでお終いにしときな」
酒を運んできてくれたマスターはそう言って、店内を見渡せる角席を陣取っている冒険者たちへ睨みを利かせた。先ほどから彼らの視線がうざったらしいと感じていたオリビアは素直に感謝して頷き返す。
(どちらにしろ、家を抜け出してきているからそう長居するつもりはないしね)
普段、オリビアはリリアン王女の侍女として住み込みで王城で働いている。
そんな彼女がなぜ王都でも治安が良いとは言えない区域の酒場にいるかというと、有休をもらい生家のタウンハウスに帰ってきていたからだ。――家族に婚約破棄に至った経緯を説明するために。
(説明も何も……私はずっと彼との結婚は絶対に嫌だと言っていたのにね)
それを貴族の務めだからと言って無視していたのは両親だ。彼らはまさかオリビアがここまでするとは思ってはいなかったのだろうが。今回の件でさすがに理解したのではないだろうか。オリビアに貴族の結婚観を押し付けるのは無理だということが。
(家族には申し訳ないけど……無理なものは無理なんだもの……)
どうしても邪魔をするのだ。前世の記憶が。
前世、オリビアはここではない別の世界で日本という国に生まれ育った。
到底平凡とはいえない人生だった。
幼少期に子役として芸能界デビュー。一躍有名人となったが、長くは続かなかった。
両親がとんでもない毒親だったのだ。当然のように娘の給料に手をつけ、自分たちは働かず遊び暮らす毎日。テレビの前では仲良し家族を演じながら、裏では二人とも不倫をしていた。そのことがゴシップ記事に載り、オリビアの芸能活動は呆気なく幕を閉じた。
その後、両親は離婚。オリビアは親戚の家に養子としてもらわれることとなる。幸いなことに義両親はとてもいい人だった。大学までしっかり行かせてもらい、オリビアはその恩を真面目に働いて返すつもりだった。
ところが、そこで過去の黒歴史がまたもやオリビアの人生に支障を来した。オリビアの子役時代を知る人間は本人が想定したよりもずっと多かったのだ。就活をする先々で子役時代のことや両親のことについて面白半分に聞かれる。結局、そんな会社で働く気にもなれず、内定が決まるよりも先に自分から辞退した。
最終的にオリビアが辿り着いた就職先は探偵事務所だった。社長はオリビアの事情について知ってはいた。ただ、反応が他の誰とも違った。
「子役時代に培った演技力。それ、うちで活かせそうね!」
オリビアの演技力が浮気調査などの尾行に役立つと言ってのけたのだ。
その一言はオリビアにとって目から鱗が落ちる思いだった。
自分にとって消してしまいたい経歴が、トラウマである『不倫』を暴くための武器となる。『浮気や不倫』に苦しめられている人たちを助けることができる。天職だと思った。こうして、オリビアは探偵事務所で専門の技術を日々磨くこととなったのだ。
「まさか、そのスキルが今世でも役に立つとは思ってなかったけどね」
オリビアは自嘲気味に漏らす。
数日前まで、オリビアには婚約者がいた。大層女好きな婚約者だった。彼はオリビアと婚約していた間だけでも、両手では足りない人数の女性と浮気をしていた。最初の頃はオリビアも彼と真剣に向き合い、浮気を止めて欲しいと説得していた。けれど、彼は止めなかった。むしろ、オリビアの反応を楽しむかのように輪をかけて女性と遊ぶようになった。
オリビアとしては「ふざけるな」という心境だ。彼女の中では浮気は絶対に許せないこと。彼とは結婚できない。そう判断したオリビアはすぐさま両親に相談した。しかし、両親は困った表情を浮かべるだけで、オリビアの意を汲んではくれなかった。彼の家に抗議の一つすらしてくれなかった。
――オリビアとて頭で理解はしていた。我が家は爵位こそ低いものの、貴族社会では数少ない完全な中立派。そんな我が家を現国王派の伯爵家に取り込むための政略結婚。しかも、ご丁寧に王命という最高に逃げ場のない形で結ばれた縁組だ。生半可な理由ではなかったことにはできない。
普通の令嬢であればここで諦めて泣き寝入りしたことだろう。
しかし、オリビアは違った。
――両親が当てにならないなら自分でなんとかするしかない!
そう判断したのだ。
それほどあの元婚約者と結婚するのが嫌だった。浮気性なことも、そんな彼がオリビアに向ける舐めるような視線も、全部が生理的に無理だった。
決意してからのオリビアの行動は早かった。
まずは学園の家政学専攻科を首席で卒業し、先生の推薦をもらって王城メイドとなった。上司や雇い主に気に入られるように振る舞い、仕事も完璧にこなした。その結果、最短でリリアン王女の侍女にまで上り詰めることに成功。もちろん、現国王派の拡大を図りたい王家の思惑もあったのだろうが。裏事情など知らない様子のリリアン王女は思春期真っただ中ということもあり、ただただ他人の恋愛に興味津々だった。そんな彼女にそれとなく自分の事情を話す。純粋な彼女はオリビアの身の上に同情してくれた。下準備は万端。
そこで、オリビアは最後の仕上げにかかった。
王城で開かれたとあるパーティーで、元婚約者の不貞現場をリリアン王女とともに目撃。下手な根回しはせずとも、元婚約者はオリビアに都合が良いように踊ってくれた。特に決定打となったのはあの台詞だ。
『安心しておくれ。結婚しても君への愛は変わらないよ。婚約者? それなら気にすることないさ。彼女との結婚は王命だから覆すことはできない。でも、相手は格下の男爵令嬢。どうとでもなる。結婚後は離れにでも押しやって、僕らは本邸で真実の愛を築こうじゃないか。ん? 世継ぎ? ははっ! お飾りの妻との間に子供なんてできるはずないだろう。もちろん、世継ぎは君と僕との子さ!』
浮気相手に格好つけたかっただけかもしれないが、それでも彼が口にしたのは冗談で済ませて良い内容ではなかった。一人娘であるオリビアを踏み台にした、アシュレイ男爵家の乗っ取り計画。訴えれば間違いなく法律に引っかかる違法行為。それを王家主催のパーティーで口にし、王女というこれ以上ない証人にも聞かれた。
こうして、オリビアの計画通り元婚約者との婚約は彼の有責で破棄となった。
加えて、その際にオリビアは彼の浮気調査書も提出しておいた。その調査書には彼の浮気経歴が事細かに記されていた。相手の名前、住所、妊娠堕胎記録や、出産記録まで。そう、元婚約者にはオリビアとの結婚前にすでに数人の隠し子が存在していたのだ。
そのことを知らずにいた伯爵家は阿鼻叫喚。なにせ、彼は女性との間に何かしらのトラブルが起こるたびに、こっそり生家の金を使い処理していたのだから。しかも、そのお相手の中には高位貴族の娘や夫人の名もあった。いったいこの問題をどう解決するのか。お相手家族は全員頭を抱えていたが……そんなことはオリビアには関係ないことである。
「それにしても、誰も喜んでくれないとは……」
先程までのテンションはどこへやら。オリビアは項垂れる。
説明を求められたオリビアは正直に家族に話した。すると、なぜか褒めるでも、慰めるでもなく、窘められたのだ。そのことが……オリビアにとっては一番つらかった。
家族仲は決して悪くない。悪いのは……今世の一般的な価値観。
オリビアの家族曰く、オリビアはやりすぎたらしい。
特に、浮気調査書。あれがまずかった、と。まず、浮気調査は自分でするものではないと注意された。
(そうは言ってもね。依頼するお金も無ければ、自分でやる方がよほど早いんだもの)
さらにオリビアの出した調査書は詳しすぎたらしい。下手をしたらどこぞの諜報員かと疑われる可能性もあったと言われた。取り調べをした騎士たちが、普段のオリビアの優秀さを知っている者たちばかりだったから変な誤解は生まれなかったが……それについてはオリビアも「確かに」と反省した。
そして、お小言の最後に母から神妙な顔で言われたのは……今回の件でオリビアは『浮気を絶対に許さない苛烈な女性』として周知されることとなった。故に、今後まともな縁談話はこないだろう……とのことだった。
(上等よ。私は一切後悔はしていないもの。むしろ、彼の毒牙にかかる被害者をこれ以上増やさずにすんだと思えば、誇らしささえ感じるわ。……でもまあ……普段私のことを慕ってくれているリリアン様を利用したことだけは罪悪感を覚えるけど……)
その分、今まで以上に真剣に彼女に仕えよう。と誓ったところで、不意に酒場内の空気が変わったことに気づいた。
オリビアは周囲に倣って店の入り口へと視線を向ける。
(あら、アレは……)
国内で彼を知らない者はいないだろう。
手入れの行き届いたプラチナブロンドの長髪に、見つめられると吸い込まれそうになると噂のアメジストの瞳。そして、特徴的な色気を感じさせる左目の泣き黒子。
彼のことは男に興味がないオリビアでさえ知っていた。
『稀代の遊び人』と謳われている男。現国王の弟でもある――ジュリアン王弟殿下。
元婚約者は年中女性の尻を追いかけている浮気男だが、ジュリアンは来るもの拒まず去る者追わずの博愛主義者。
オリビアから言わせてみればどちらも最低だが、生涯独身宣言をしているジュリアンの方がややマシ……ではある。
(そういえば、ジュリアン殿下がお相手の女性と揉めたっていう話は聞かないわね。あれほどモテていたら頻繁に修羅場を作っていそうだけど……よほど女性の扱いが上手いのかしら……)
興味津々で観察していると、ジュリアンの後ろにフードを目深に被った女性がいることに気づく。偶然にも彼女が身に付けているケープはオリビアと同じものだ。
(まあ、大手商会で人気のアイテムだものね)
ただ、このケープはオーダーメイドではなく既製品。つまりは、平民向けの商品だ。オリビアは酒場で平民に紛れても浮かないようにこのケープを選んだのだが、変装のへの字もないジュリアンの連れはおそらく本当に平民……もしくはそれに準ずる女性なのだろう。
店内にいる客たちの視線ほぼ全部がジュリアンと連れの女性に向けられている。女性はその視線に怯えるように、それともそういうフリなのか、顔を隠すようにしてジュリアンの体に身を寄せた。ジュリアンもそれに応えるように彼女の肩に手を回す。
(それにしても、どうしてこんな場末の酒場を選んだのかしら……お相手にあわせて?)
ジュリアンならセキュリティがしっかりしている高級歓楽街やサロンを選びそうなのに、とオリビアは首を傾げる。
二人は早々に二階への階段を上って行った。
酒場の二階には連れ込み部屋があるのだ。そういう気分になった男女が自由に利用できるようになっている。
(なるほど、今日は面倒な手続きなんて飛ばしてサクッと休憩したい日だったのね)
下世話なことを考えながら、オリビアは残りの酒を一気に飲み干した。
さて、マスターからは止められたが最後にもう一杯だけもらおうか、それともこのまま帰ろうか、と迷っていると、ふと店内にいる人々の視線をかいくぐってこっそり二階に上がっていく怪しい男の背中を見つけた。
ジュリアンと女性の情事を盗み聞きしようとしている変態――には見えない、妙な緊張感を纏ったその男の頬には火傷の痕があった。
どうにも男の動向が気になったオリビアは彼の後を追う。
この時、オリビアはかなり酔っていた。そうでなければ、絶対に男を追いかけるなんて馬鹿な真似はしなかったはずだ。面倒ごとに巻き込まれるのは予測できていたはずなのだから。




