第3話 逃亡
ミシェルは青い顔で口元に手を当て、一連の会話を聞いていた。
――私が偽物にされてしまった……。これでは、もう教会に戻れない。
ミシェルは震える足で立ち上がり、小屋の壁に手をついた。
――どうしたらいいの? 行く当てはない。でも、今は逃げなければ……。
ミシェルはフードを深く被り、震える足でゆっくりと聖墓をあとにした。
ミシェルは丘の上から聖都を振り返り、唖然とした。
「聖都が瘴気に覆われていく……」
後ろ髪を引かれながらも、ミシェルは聖都から逃れる決意をし、駆け出した。
ミシェルは聖都の隣町であるアンドリュースに辿り着いた。アンドリュースの町はドルレアン帝国との国境沿いにあり、賑わっている町である。
ミシェルは人目を気にしながら雑貨屋で染髪剤を購入し、宿屋へと向かった。途中、路地裏でわざとローブを汚した。それからフードでしっかりと金髪を隠し、宿屋に入った。
カウンターにいる男性がにこやかにミシェルを出迎えた。
「いらっしゃい」
ミシェルはカウンターにいる男性にわざと声を低くして言った。
「部屋を一室借りたい」
男性は鍵を一つ、カウンターに置いた。
「二〇三号室をお使いください」
「すまないが、お湯を用意してもらえるだろうか? 途中で馬車に泥をかけられて、汚れてしまったんだ。それから、洋服とローブを買ってきてもらえないだろうか?」
それに男性は眉間に皺を寄せた。ミシェルはカウンターに大銅貨を七枚を置いた。
「宿代と洋服代。おつりはいらない」
すると、男性は明るい笑みを見せた。
「よろしいのですか?」
「ああ。先にお湯を頼む」
ミシェルは鍵を手に取り、部屋へ向かった。閉めたドアに背を預けて、ため息をついた。
先ほどの男性が、すぐにお湯を持ってきてくれたので、さっそく作業に取りかかった。ローブを脱ぎ、その上に座った。かばんからナイフを取り出し、長い金髪を短く切り落としていく。それを整えた後、染髪剤で髪を茶色く染めた。
その最中に、部屋のドアがノックされた。
「洋服を買ってきましたよ」
「ありがとう。今、出られないから、ドアの前に置いておいてくれ」
「承知しました」
足音が遠くなっていくのを聞いて、ミシェルはほっと息をつく。
ドアを少しだけ開けて、部屋の前に置かれた洋服をとった。男性ものの洋服で、宿屋の男性がちゃんとミシェルを男性だと思い込んでくれたことを確認した。ミシェルは新しい洋服に着替えた。
床にはローブと、その上に切った髪が散乱している。それをローブごと包むようにして髪を落とさないように気をつけながら畳んだ。脱いだ洋服と一緒にかばんの底に入れた。
念入りに部屋をチェックしてから、ミシェルは部屋を出た。
男性はカウンターで新聞を読んでいた。カウンターに鍵を置いたミシェルに気づいた男性は、驚いた顔でミシェルを見た。
「お泊りにならないのですか?」
「ああ。急いでいてね。助かったよ。ありがとう」
ミシェルはわざと男性に姿を見せてから、宿屋を後にした。宿屋を出ると、ローブのフードを被り、歩き出した。
町を出ようとしたとき、兵士に声をかけられた。
「お待ちください。ローブを外していただけますか?」
ミシェルは強張りながら、フードを外した。それを見た兵士はにこやかな笑みを見せた。
「ご協力いただき、ありがとうございます。どうぞ、お通りください」
ミシェルは会釈してから、また歩き出した。高鳴る胸を押さえ、平然を装い、町を出た。
――声をかけられたのが、町に入る前でなくてよかった。それとも、すでにこの辺りまで捜索の手が回っているのかしら……? 急いで教皇領を出ないと……。
ミシェルはドルレアン帝国との国境を目指して歩き出した。
――問題はどうやって国境を越えるかだわ。身分証がないと通れない……。
その日は、森の中で結界を張り、寒さに震えながら野宿した。
翌日。
ミシェルはいい案も浮かばないまま、とりあえず国境の関所まで向かうことにした。焦りばかりが募る中、隣を一台の荷馬車が通った。それを見て、ミシェルは御者の男性に声をかけた。
「すみません。頼みがあるのですが……」
一台の荷馬車が関所を通ろうとすると、兵士が止めた。
「荷を見せてほしい」
「もちろんです」
御者席から男性が降りてきて、荷馬車の後ろに回った。荷物はいくつもの樽で、そのうちの一つのふたを開けた。中身はワインだった。
「もうひとつ開けましょうか?」
「いや、もう行っていいですよ。ご協力、感謝します」
御者の男性は人のいい笑みで会釈したあと、御者席へと戻り、荷馬車を出発させた。
関所からだいぶ離れたところで、荷馬車を止め、また男性は荷台へと回り、先ほど兵士に見せたのとは違う樽を開けた。
「関所を通過しましたよ」
「ありがとう」
ミシェルは笑みを浮かべて、男性を見上げた。ミシェルが樽から出ようとすると、男性はそれに手を貸した。
「ごめんなさい。売り物だったのに、一つ開けさせてしまって……」
「いいえ。ワイン樽一つ分以上の代金を払っていただきましたから。――それより、これからどちらに向かうんですか?」
「帝都に行こうかと思っている。道を教えていただけると嬉しいのですが……」
「わたしも帝都に向かう途中です。乗っていきますか?」
男性からの提案に、ミシェルは困惑した。
「いいのですか? これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」
男性は首を横に振った。
「言ったでしょう。ワイン樽一つ分以上の代金をいただいたと。わたしは商人です。お支払いいただいた分の働きはしますよ。さぁ、乗った、乗った」
「ありがとうございます」
ミシェルは深々と頭を下げ、御者席に座った男性の隣に座った。すると、男性がミシェルに話しかけた。
「わたしは商人のポールです。あなたは?」
ミシェルは少し考えてから答えた。
「俺はマイケル……」
それにポールは笑った。
「あなた、お嬢さんでしょう」
それにミシェルは躊躇しながらうなずいた。
「……やっぱりばれてしまいますか?」
「最初は男性だと思いましたが、話している内に気づきました。言葉の端々が女性ですよ。女性の一人旅は危険ですからね。それで男装しているのですか?」
ミシェルはポールに見破られた途端に恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしてうなずいた。
――一番の理由は、私を探している教皇騎士団から逃れるためだけど、ポールさんの言うことも間違ってないからそういうことにしておこう。
それから、三日目には帝都について、ミシェルはポールと別れた。
帝都は聖都よりも大きく、人も多く、華やかな街だった。ミシェルはまずは宿屋に入り、部屋をとった。部屋に入るなり、すぐにベッドに横たわった。
――なんとか帝都まで無事にたどり着けた。今度は、どうやって皇帝に会うか考えないと……。
そんなことを考えながら、ミシェルはいつの間にか眠りについていた。
旅の疲れを癒しながら、皇帝に会う方法を考えていたミシェルは、帝都の町で食料の買い出しをしようと宿屋を出た。すると、ちょうど帝国騎士団とそれに追随するように冒険者たちが東門に向かっているところだった。その先頭にいる人の顔に、ミシェルは見覚えがあった。燃えるような赤い髪に黒い瞳。
――アルベール・ドルレアン。
ドルレアン帝国の皇弟だ。ミシェルは何度か巡礼に来たアルベールと聖都の教会で会っていた。いてもたってもいられず、ミシェルは冒険者に紛れて一団について行くことにした。




