第29話 出来事を振り返る
冷静を取り戻した玉谷が目を開けると、息吹戸がぐったりしたように椅子にもたれていた。疲労困憊という言葉を背負っているようである。
対応した限り、嘘を言っているわけでもなく、こちらを困らせるつもりもないと感じて、理解できないと眉を下げる。
「本当に……」
そう呟いたところで、息吹戸がカッと瞼を広げて、牙を見せるように怒鳴る。
「ですから! ビルの通路で立ってたってこと以外、何も覚えてないんです!」
息吹戸が「あ」と声を漏らした。
質問攻めに飽きてしまい口調が荒くなったと気づいて、手で口を押えて視線を泳がせるものの、すぐに玉谷を見据えた。
「私は『息吹戸』じゃないけど……。でも本当の名前が思い出せない。異界の神が侵略するって……そんなこと私の住んでる世界じゃあり得ないから! 絶対に! ここが夢じゃなくて現実なら、私は別の世界から来たんだと思う!」
言い切った途端、バクバクと心臓が脈打ち、体を揺らすほど響いた。
怒りというよりも焦りである。自分が分からないというのは、『私』に過剰のストレスがかかっているようだ。
(はー。少し情報をシャットアウトしよ)
息吹戸は椅子にゴロンと寝ころぶと、腕で目を隠しながら瞼を閉じる。
血圧が上がってしまい頭痛が起こりそうな気配がして、眉間に皺が寄った。
「すいません。オーバーヒートしました。ちょっと休憩させてください」
息吹戸の動きを凝視しすぎて、玉谷は返事をするのを忘れてしまった。
彼女が玉谷の前で寝転ぶなんて幼少期以来である。ましてや、職場で弱った姿を見せることはあり得ない。
呪いによって記憶障害を引き起こすことはあるが、全生活史健忘のように人生の履歴が丸ごと落ちているのは前代未聞である。
――あるが、一つだけ思い当たることがある。
だがそうなると今の状況を説明することが出来ない為、あえてその部分を考えず、今後の対応について思いを巡らせ……問題しかないと呻いた。
息吹戸の様子を見ながら、玉谷は口を開いた。
「しかし、禍神召喚を阻止したんだろう? 何も覚えていないなら、なぜそんなことをしたんだ?」
息吹戸は目を開けて体を起こすと、気怠そうに頭を掻き、乱れた髪を直すべくゴムを外す。手櫛で簡単に整えながら、また一つに結び直した。
一つ一つの仕草が柔らかい曲線のようで、ほんのり艶っぽい。
玉谷は瞬きを繰り返す。普段とは異なる仕草に一驚し、眉間の皺が増していく。
「あの時は夢だと思って。夢だから自分の好きな展開に出来る。イメージさえあれば、なんでもできるって思ってたから」
「それで阻止しようと思った」
「ううん。阻止というか、津賀留ちゃんを助けるミッションだと思った。それを成功させたら結果的に阻止ってなっただけ」
息吹戸は屋上を思い出す。そして気づいた。見捨てた犠牲者たちは幻想ではなく、本物の人間だったということに。
(悪い事しちゃったなー)
少しだけ申し訳なく思うが、後悔はしていない。
あの時は全員助けられないので、優先順位は間違っていなかったと思う。
「なぜ津賀留の事を知っている? それこそ、息吹戸の覚えている事ではないのか?」
玉谷は納得がいかないとばかりに顔をしかめる。
息吹戸は首の後ろを手で触りながら、目を細めた。
「うーん。急にパッと浮かんだの。妹分を助けろって。それが夢のストーリーのミッションだと思って」
「夢のストーリー?」
「寝てる間に見ている夢。私はよく夢を見て、それを覚えている人なんです。大抵はホラーとかモンスターと戦うとか、ちょっと違う日常とかかな? 現実と夢の区別も時々難しいくらい鮮明なんですが……。あ、部長さんはどうですか? 覚えている方ですか?」
「儂はあまり覚えている方ではないかな」
息吹戸は「なるほど」と頷いて、話を元に戻す。
「ビルの中で会ったヤンキーお兄さんに、妹分を助けるって言ったら、『津賀留』のことか? と言われて。そうなのかと」
「ヤンキーお兄さん?」
玉谷の目が点になった。
息吹戸が普段使う表現ではないので、虚を突かれてしまい、瞬きを繰り返す。
「……ビルの中に誰かいたのか?」
「うん。その人が臨時で協力プレイしてくれたから、ミッションクリアできた。私一人なら駄目だったかも」
玉谷の表情が険しくなる。
息吹戸がビルに突入した段階は、まだカミナシもアメミットも関与していない。
もしかしたらその人物が、息吹戸に何か仕掛けた可能性もあると考えた。
「協力してくれたのは、どんなやつだった?」
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