第30話 貴方と私の関係
「ええと。ヤンキーお兄さんの名前なんだっけ…………自己紹介してもらったはずなんだけど……」
息吹戸は数十秒考えて名前を思い出し、ぽんと手を叩いた。
(祠堂さんだ。ずっとヤンキーお兄さんと呼んでいたから、危うく本名を忘れるところだった。危ない危ない)
「祠堂さんって人です」
それを聞いた玉谷の目が点になる。
「……ビルの中で祠堂に会ったのか?」
息吹戸が涼しい顔で頷くのを見て、玉谷の口が半開きのまま固まった。ゆっくりと、だが語尾を強めて、確認する。
「祠堂で間違いないのか? 二つ名……お前をどう呼んでいた?」
「ファウストの現身って呼んでたよ」
その二つ名で息吹戸を呼ぶのは、祠堂だけである。
玉谷はビルで偶然出会ったのではないと確信した。
何かの伝手か能力を使い、息吹戸の行動を把握したのだろう。
第一課ですら彼女の足取りを中々掴めないというのに、よくもまぁ掴めるものだと感心した。
息吹戸が首を傾げる。
「もしかして、それが私の本名なの?」
玉谷は肩を落として脱力した。
「お前の名がそんな変な名であるわけがない。ファウストの現身は二つ名だ。沢山在る、そのうちの一つだ」
「二つ名か。ふふふ、中二病っぽい。かっこいい」
息吹戸はクスクスと楽しそうに笑った。
それを見て、玉谷は絶句する。
息吹戸は目の前のように穏やかに笑う性格ではない。名前で呼ばないことに腹を据えかねており、いつも文句を言っていた。
違和感が駆け抜けるものの、首を横に振ってから気を取り直す。
「祠堂が……お前と協力できるようになったのか」
玉谷は息吹戸の記憶喪失に祠堂が絡んでいるかもしれないと過ったが、すぐに思い直す。
息吹戸に面と向かって「恥をかかされた事を忘れない、絶対、目に物見せる」と宣言するほど、祠堂は真っ直ぐな性格だ。
任務中に乱入して勝負を挑むことは迷惑極まりないが、息吹戸に何百と負けても尚、正面から堂々と戦いを挑む。
一方の息吹戸は他人と協力する性格ではない。
祠堂のことも毛嫌いしているため、彼と協力したという話自体が眉唾物であった。
「俄かには信じられない話だ」
本心を口にすると、息吹戸が拳を作って「本当ですよ」と声に出した。
「津賀留ちゃん助ける為に囮になってくれました! 頼りにさせてもらいました!」
玉谷は頭痛を覚え、先ほどよりも深い皺を眉間に寄せながら、片手で額を隠した。
普段とは全く違う息吹戸を見ていたら、思考が混乱を極めてしまった。頭痛のついでに胃痛も起こり、手でみぞおちを押さえる。
息吹戸は突然弱った玉谷に驚いて、腰を浮かせながら慌てる。
「だ、大丈夫ですか部長さん!? 顔色悪いですよ?」
玉谷は渋い表情で見つめ返す。
誰のせいだと言いたいが、今回は息吹戸に落ち度はない。彼女の見慣れない態度に、玉谷が勝手に体調不良を起こしているだけである。
「なんでもない」
ため息交じりに答えると不調が幾分か楽になったので、玉谷は改めて、息吹戸の変化を整理する。
まるで別人である。
どうすれば、あれだけ傲慢で気難しい性格がこうも温和に変化するのか。
演技をしていると仮定したとして、その理由が分からない。
考えるだけで疲労困憊に陥った玉谷は、ソファーの背に体を預けた。
「嘘、ではないな」
「嘘ではないですねー。逆に嘘だったらどんなに良かったことか。そしたらここに来なくてもいいし。部長さんに本当の事を言わなくてもいいし。頃合いをみて一人で生きる選択肢もあるかもだし」
「な……!」
玉谷がショックを受けて目を見開いたので、息吹戸は慌てて否定をする。
「あ。いや。今のは冗談というか、噓です。あってもやらないです。記憶無いので絶対にやらないです。頼らせてくださいお願いします」
息吹戸がテーブルに両手をついて謝る。
玉谷の胃痛が酷くなった。思考を空っぽにさせながら彼女を眺めて、「そういえば」と言葉を続けた。
「儂の事は最初から部長と呼んでいたが、それは何故だ?」
息吹戸は体を起こして背筋を伸ばす。
「あー、それも津賀留ちゃんの時と同じです。貴方をみた瞬間、頭の中で『父親のような部長』って浮かんだんです」
そこまで言って、ゆっくりと口を閉じる。
(ついでに関係性を聞いておこう。今聞かないと後悔しそうだし)
ほんのり胸に感じる淡い想いは、返答次第でなかったことに――今なら出来る。
「貴方は私の父親代わりだったんですか? それとも、接し方が父親みたいだったんですか? それとも、本当は父親?」
「……!」
玉谷から表情が消えた。悲しそうな眼差しになると、深く体を曲げる。
「それも、覚えていないのか……。先ほども質問に答えられていなかった。その部分も全て、忘れていることということか……そんな……」
酷く落胆されたので、息吹戸は「す、すいません」とどもりながら謝る。
玉谷は顔をあげて、悲しそうに微笑みながら首を左右に振った。
「儂はお前の父親ではない。義理の父親だ。まあ、養子に迎えていないので、父親というよりも後見人の立場だが」
「なんと!? 私の義理の父だったのですね!」
(やっぱりーーーー! そんな気がしてたあああ!)
息吹戸は内心絶叫した。
向ける眼差しが妙に暖かかった答えが出て、嬉しいような、残念なような複雑な心境である。
(この段階で分かって良かった! 恋の蕾はすぐ消せる!)
義理の父と娘の恋愛など、悪趣味である。
すぐさま『私』は蕾を握り潰した。
(さようならさよなら。危ない事はしちゃいけない……でも創作のネタになるかな?)
脳内の押し入れにネタとして突っ込んでおく。
現実に戻れば創作活動するのである。ネタは溜めていた方が良いと、息吹戸は微苦笑を浮かべる。
「……嬉しそうだな」
喜ぶべきことなのに、玉谷の中で違和感が強くなる。
目を背けていた可能性が頭に浮かんで、背筋が凍りついた。
今はまだ、考えてはならない。玉谷はそう自分に言い聞かせた。




