第8話 聴取:妹山あおい
「――というわけで妹山先生。どうか僕のために犯人を見つけてください」
十分後。
小五郎はスツールの上に膝を折り畳んで座り、正面に腰掛けた妹山あおいに深々と頭を下げていた。見ようによっては土下座にも見える体勢だったが、本人としては座礼のつもりである。
妹山は寝間着姿のままだった。ただし、上から黒色のベストを着ている。見たところ手編みの、アラン模様のベストだった。足先には冬用のサンダルを引っ掛けている。
小五郎の土下座ならぬ座礼に、妹山は不審そうに眉を顰めた。
「どうして俺に相談するんだ? 自分で解けばいいじゃないか。名探偵なんだから」
「妹山……常識的に考えてみろ。嵐の山荘で殺人事件が起きたってだけでも異常事態なのに、そこにたまたま名探偵が居合わせるなんてことあると思うか? そんなわけないだろ――僕は名探偵じゃないし、探偵ですらない。ただのフリーターだ。フリーのターだ」
妹山は目を見開いた。
「食堂で見せた名探偵の振舞いは演技だったってことかい? それにしては堂に入ってたね」
「名演だっただろ?」
パチリとウインクする。
妹山は含むように笑った。
「でもやっぱり、どうして俺に相談を? 俺がもし犯人だったら、君がやってることは戦犯そのものだよ」
「大丈夫だ。妹山は犯人じゃない」
「どうしてそう言い切れるんだい?」
「犯人は絶対に小説家ではないからだ」
「……ふうん」
妹山は興味深そうに唸った。それから、視線で「続けてみろ」と促してくる。
小五郎は足を崩しながら、カーディガンのポケットから例のメモ用紙を取り出した。
「『やんごとなき事情により、御法川純司を殺害した。警察には通報しないこと。もし禁を破れば、ペンション内の人間をすべからく殺さなければならなくなってしまうが故』――これを書いたのは、小説家じゃない」
「どうして?」
「『やんごとない』っていうのは『貴い』って意味で、『すべからく』っていうのは『当然すべき』って意味だ――つまり、この脅迫文は誤用を二回もしてる。到底プロの綴った文章とは思えない」
「なるほどね」
妹山はにやりと笑ったあと、小さく拍手をした。
「お見事。なかなかの推理だ。真剣に目指せば、本物の名探偵にだってなれるんじゃないかい?」
小五郎は首を振る。
「いや、僕に名探偵は役不足だ――だから、本物の名探偵になるのはお前だ、妹山」
「……俺にこの事件を解決しろと?」
「そうだ。物書きのお前なら名探偵にだってなれるはずだ」
「浅はかだね。謎を書くのと謎を解くのは全く別の能力だよ」
「頼む、諦めないでくれ。女子大生を前に大見得を切ってしまった僕を助けるために、このペンションに潜む殺人犯を見つけ出してくれ。そしてできれば、その手柄を僕に譲ってくれ」
「なかなか恥を知らないことを言うじゃないか」
「姑息な奴だと思ってくれていい。僕のことを助けてくれ」
真摯に頭を下げる。
誠意ほど真っ直ぐな暴力はないというが、まさしくその通りだった。旋毛が見えるほど深く頭を下げられて、それでもノーと言うのは容易なことではない。
「……はあ、わかった」
妹山は溜息を吐きながらボサボサの髪を掻き上げた。
「推理を手伝うよ。どうせ、頭脳労働は嫌いじゃない」
「ありがとう、恩に着るよ」
「充分に重ね着してくれ――じゃあ佐々木くん、早速だけど、君が事情聴取で仕入れた情報を僕に開陳してくれるかな?」
小五郎は秋島、志賀野、神崎と会話して得た情報を要領よく話した。
といっても、小五郎が仕入れた情報は、犯行の時間が夜中の十一時から十二時の間であることと、その時間のアリバイが誰にもないことだけなのだが。
妹山はうっすらと無精髭の生えた顎をひと撫でした。
「ふうん、なるほどね」
「なにかわかりそうか?」
「いや……まあ――先に佐々木くんの意見を聞きたいな。君にとって俺が犯人じゃないのなら、残る候補は秋島さん、志賀野さん、神崎さんの三人になるわけだけど……犯人はその中の誰だと思う?」
「……密室の謎が解けないことには、秋島さんが犯人だと思わざるを得ない」
「でも、それは変だ」
「まあ、あの老女に人が殺せるとは思えないよな。穿った見方だけど――ただの心象で話をするなら、秋島さんが一番シロだ」
「いや、心象に関わらず、秋島さんが犯人だとするには幾つか矛盾がある」
「矛盾?」
「まず殺害についてだ。御法川さんは濡れたタオルで鼻と口を塞がれて死んだ。しかし、そうやって殺すには十分近くそうしてなければならないんだろう? そんな悠長な殺し方で、万が一にも御法川さんが途中で起きて抵抗してきたら、秋島さんじゃ返り討ちにされちゃうじゃないか」
「まあ、たしかに……いや、でも御法川さんはかなり体格がよかったぞ。返り討ち云々に関しては、このペンションにいる全員に当てはまる理論だ」
「そう。だから犯人はまず間違いなく、御法川さんが絶対に起きないことを確信していたはずだ――つまり、一服盛っていたんだろうね。おそらく、酒に睡眠薬でも混ぜたんだろう。しかしそうなると、また問題が一つ出てくる」
「問題って?」
「どうして犯人は、睡眠薬を飲ませて窒息させて部屋を密室にする、なんて面倒なことをしたのだろうって話だ。睡眠薬を飲ませる段階で遅効性の毒でも飲ませておけば、それで勝手に部屋で死んでくれたじゃないか。御法川さんの年齢を考えれば、運が良く病死と思われていたかもしれない」
「いや、遅効性の毒なんて、そもそもそんな簡単に手に入る物じゃないだろ」
「その通り。簡単に手に入る物じゃない。けど、頑張れば手に入る物でもある」
妹山はそこで言葉を切った。そしてなにかを促すような視線を小五郎に向ける。小五郎は誘導に乗るようにして、その先の言葉を引き継いだ。
「……つまり、この殺人は予め計画されていたものではない」
妹山は頷く。
「犯人はたまたまこのペンションに来て、たまたま御法川さんを見つけた。犯人と御法川さんの関係まではわからないけど、とにかくこのペンションで鉢合わせたのはまったくの偶然だった。犯人はそれを好機と捉え、殺害計画を急造した――けど、その犯人像に唯一当てはまらない人がいる。秋島さんだよ。秋島さんはペンションの管理人で、誰がいつ泊まりに来るか予め知ることができる立場にある。もちろん、遅効性の毒だろうとなんだろうと、予め用意できた」
「………」
「それに、もし秋島さんが犯人だったなら、現場が密室だったのも変だ――だってそんなことをしたら、マスターキーを管理している自分が真っ先に疑われてしまうのは目に見えてるじゃないか」
「……じゃあ、秋島さんは犯人じゃないのか」
「その可能性が高いね」
「だとしても、密室の謎が残るだけだぞ。その謎が解けなければ、推理は二進も三進もいかない。或いは、その謎さえ解ければ『そんなことができるのはこの人だけ』といった具合に、犯人が特定できるかもしれないけど……」
「そんな上手くいけばいいけどね」
「部屋に隠し扉があって、犯人はそこを通って外に出たとか……いや、それもおかしいか」
「仮に隠し扉なんてものがあるなら秋島さんがその存在を知らないわけがないし、秋島さんが犯人ならさっきの理論で部屋を密室にはしなかったはずだ。それに隠し扉なんてものがあったとして、その扉が通じている可能性があるのは二〇四号室だけ。つまり、隠し扉の存在を疑うなら、怪しいのは佐々木くんってことになるよ」
「それもそうか……」
小五郎は生返事をしながら欠伸を一つした。
どうにも眠たい。スマホを取り出して時間を見てみると、五時を少し過ぎた頃だった。もう夜明けも近い。
「なら、妹山は密室をどう説明するんだ? 犯人はどうやって鍵をかけたのか、或いは、鍵をかけた部屋から脱出したのか、お前に説明できるか?」
「糸を使って外から鍵をかけるのは不可能なんだよね?」
「不可能だ。断言してもいい。そういうトリックは、家で実験したことがあるんだ。なんの痕跡も残さずに外から鍵をかけることはできない」
「なるほどね……」
妹山はおもむろに立ち上がると、二〇五号室の扉の前に赴き、その鍵穴にスマホのライトを当てた。そして、身を屈めて鍵穴を覗き込む。
十秒ほど鍵穴を観察したあと、妹山は戻ってきて椅子に再び腰を落とした。
「それらしい痕跡はなかった。俺は鍵屋じゃないから断言はできないけど、ピッキングで鍵をかけたってことはなさそうだね」
「お前、ピッキングの形跡なんて調べられるのか?」
「いや、あくまでそれらしい傷がなかったってだけ。プロのピッキングを見破れるほどの目は持ってないよ。ただ、犯人がピッキングのプロでしたって推理は、ちょっと無理があるね」
「ま、秋島さんも志賀野さんも神崎も、そんな技術を持ってるようには見えないよな」
「それもそうだし――そもそも、このペンションに警察が来れないという状況は犯人にとっても想定外だったはずなんだ。現場が密室だったのなら、警察はもちろん鍵を調べるはずだし、捜査のプロに調べられたらどれだけ腕のいいピッキングでも痕跡を見つけられてしまう――そしたらもう、自白してるようなもんだ。ピッキングなんて、誰でも習得してるような技術じゃない。まさしく、さっき佐々木くんが言った『そんなことができるのはこの人だけ』ってやつだね。犯人がまともな神経をしてるなら、ピッキングしてまで現場を密室にしようなんて思わないだろう」
長い台詞を言い終えると、妹山は溜息を吐いた。
どうも推理が進展している感じがしない。小五郎は舌を甘く噛んで、込み上げてくる睡魔を退ける。そうしないと、まともに思考ができそうになかった。
妹山の足からサンダルが落ちる。脚を組んだ状態で貧乏揺すりをしたせいだ。サンダルは毛足の長い黒絨毯の上に音もなく落ちた。妹山は面倒そうに鼻の頭に皺を寄せたあと、舌打ちをしながらサンダルを履きなおす。そしてまた、貧乏揺すりを始めた。
「……煮詰まってきたな」
小五郎は悪態を吐く。
そのとき、階段の方向に人の気配を感じた。状況が状況ということもあって、思わず警戒を向けてしまう。しかし、階段を上ってきたのは秋島だった。両手でお盆を持ち、その上にコーヒーカップを二つ乗せている。
「お疲れ様でございます。佐々木様、妹山様」
そう言ってお盆を差し出した。小五郎と妹山は顔を見合わせて、ひとまずそれを受け取る。
「秋島さん、お休みにならなかったんですか?」
「いえ、部屋で充分に休ませていただきました。歳を取るとなかなか長く眠ることができなくなるものですので」
そういうものかと思って、小五郎はコーヒーに口をつける。エスプレッソだ。芳醇な苦みが味蕾を刺激した。睡魔に侵されていた意識がほんの少しだけ励起する。
妹山はカップを傾ける前に、席を立って「どうぞ」と秋島にデスクチェアを譲った。
「恐れ入ります。しかし、わたくしはこれで失礼いたしますのでお気遣いなく」
老女は一礼すると、再び背を向けて階段を下りていった。
妹山は再びデスクチェアに腰を落とす。それから、正面に座っている小五郎に顔を寄せて囁いた。
「一番疑わしい立場にありながらあの様子なんだから、秋島さんは油断ならないご老人だね。女って生き物はただでさえ心の中でなにを考えてるのかわかったものじゃないのに、老成されたら底なし沼の底を覗き込もうとしてるような気分だ」
「僕は人の陰口は好まないぞ」
「俺だってそうさ。それは老人の趣味だからね」
「お前、老人のことなんだと思ってるんだ」
「さあね、少なくとも、善良というおためごかしで誤魔化した頭空っぽの能天気だとは思ってないことは確かだ」
「………」
「ハイエナとライオンのどちらがより速いかについてマグロと議論したら、たぶんこんな風に虚しいんだろうな」
「……秋島さんは犯人じゃないって推理じゃなかったか?」
「その可能性が高いってだけさ」
今はなにもわからない――妹山は口惜しむように呟いた。
「佐々木くんの説明を聞いたときから、ずっとひっかかってることがあるんだ。それがなんなのか、今のところは上手く言語化できないんだけど、たしかに憶えがある。それさえわかれば、この事件を解決できる予感があるんだけど……たぶん、密室のトリック自体はとても単純なものなんだ。俺が見落としているだけ――いや、それもまったくの思い違いかもしれない。とすれば、状況は頗るよくない」
妹山は苦い表情のままコーヒーカップに鼻を近づけ、優雅に香りを楽しんだ。
「ところで佐々木くん、体調に変化はない?」
「ん?」
「お腹が痛いとか、呼吸が苦しいとか、食道が爛れるように熱いとか」
「いや、ないけど……て、あ、お前!」
僕に毒見させたな――その言葉が発せられるより早く、妹山はカップを傾けた。
「うん。悪くない」




