第7話 聴取:神崎瑞葉
神崎は無言のまま小五郎の正面に座った。
化粧はしていないが寝間着ではない。キャミソールの上にオーバーサイズのジャケット、下はデニムという恰好をしている。アクセサリーの類は一切しておらず、髪には寝癖のようなカールがついていた。
横になったはいいものの、あまり眠れなかったのだろう――目の周りには隠し切れない疲労の色が浮かんでいた。それから、警戒心も。
小五郎は座っているスツールを持ち上げて、あえて神崎から遠ざかった。
「あまり眠れなかった?」
「……眠れるわけないじゃないですか」
押し殺したような、攻撃的な声音。猜疑と恐怖と敵意が綯交ぜになったような感情が、鋭い刃となって小五郎に向けられる。突き刺すような警戒心を湛えた瞳は、ダウンライトの仄かな光を怪しく跳ね返した。
剝き出しのその敵意に、しかし探偵は柔らかな表情で応える。
「まあ、そりゃそうだよな。この状況で爆睡されたら、そっちの方が怖いよ」
言って。
小五郎はわざとらしく歯を見せて、誘うように笑ってみせた。
しっかりと視線を合わせて、コミュニケーションを交わす。
神崎は釣られて笑うことはなかったが、その瞳に含んだ敵意を幾分か希釈した。
小五郎はその表情を具に観察しながら、話の運びを計算する。小五郎は女子大生の扱いに特段慣れているというわけではなかったが、それが就職面接より難しいことだとは思わなかった。
「そのジャケット、すごくいいな。プレイドっていうんだっけ?」
面接官の時計を褒めるときのようなさりげなさで、服装に言及する。
「髪、跳ねてるけど」
とはいえ面接ではないので、茶化すことも忘れない。もちろん、嫌味なく。シニカルに唇を吊り上げて清爽さを演出する。
神崎は照れたようにはにかみながら、髪にさっと手櫛を通した。
「……本当はキャップも被るコーデだから」
「キャップ? ペットボトルの?」
「帽子の」
遂にはくすりと笑う神崎。
もう一押し。
小五郎は袖を直すふりをしながら、それとなく着ているカーディガンを強調する。
「佐々木さんも……そのカーディガン、お洒落ですね」
狙い通り、神崎はそのカーディガンについて言及した。
「これ? いいだろ。ママが編んでくれたカーディガンだ」
「佐々木さんって、お母さんのことママって呼んでるタイプの無職なんですね」
「僕は女性のことは誰でもママって呼んでるタイプのフリーターだ」
「気持悪っ!」
二人は顔を見合わせて、ケラケラと笑った。廊下に二人の笑い声が反響する。
「ん、あまりうるさくすると寝てる人に悪いな――ちょっと近付いてもいいか?」
小五郎は片目を閉じながら提案した。神崎は笑いの残滓を右手で押さえながらコクコクと頷く。いつの間にか、その瞳から敵意は霧散していた。
スツールを持ち上げて神崎に近付く。言うまでもないことだが、スツールの位置を元の場所より神崎の近くに設置することも忘れない。そのために、わざわざ一度遠ざかってみせたのだから。
手を伸ばせばギリギリ触れられそうな距離まで近付いて、小五郎は空咳を払った。
「さて、そろそろ本題に入ってもいいか?」
神崎が小さく頷く。
小五郎は軽い口調で質問を飛ばした。
「それじゃあ、まずは昨日の夜のお前の行動を教えてくれ」
「あたしの行動って言われても――佐々木さんが二階に上がったあと、十分ぐらいして私も二階に上がって……あとは、着替えて化粧を落として軽くシャワーを浴びて歯を磨いて、寝ただけです」
「寝ただけ? ベッドに入ってすぐに眠ったのか?」
「ちょっとスマホを触りました」
「なら、入眠したのが具体的に何時くらいかわかるよな?」
「たぶん……十時半くらいです」
「それから僕たちと合流するまでずっと寝てた?」
「はい」
つまり、やっぱり十一時から十二時の間のアリバイはないということだ。そして、秋島にも志賀野にも神崎にもアリバイがないということは、消去法で、妹山にもアリバイがないことが確定する。
どうしてこう、都合よく誰にもアリバイがないのか――小五郎は内心で毒吐く。もちろん声に出したりはしない。探偵は豪放磊落を着做して両手の指を組んだ。
「話を戻すようだけど――お前が二階に上がるとき、御法川さんはまだソファにいたか?」
「いましたね。ちょうど、新しいお酒を注ごうとしてるところでした」
「そのとき、妹山はなにしてた?」
「妹山さんはあたしと一緒に二階に上がりました」
「寝るために?」
「さあ? 眠そうには見えませんでしたけど……まあでも、寝たんじゃないですか? 妹山さん、パジャマだったし。実際に眠ったかはともかく、その準備はしてたってことだと思いますけど」
「なるほど」と言いそうになって、紙一重で呑み込んだ。もちろんそのくらいのことはわかってたよ、と言わんばかりに余裕のある表情をしておく。
「……ねえ、佐々木さん」
しばし沈黙が続くと、静寂に耐えられなくなった神崎が口を開いた。
「大丈夫ですよね? あたし、殺されないですよね?」
「殺される心当たりでもあるのか?」
「ないけど……うん、大丈夫ですよね。だって、佐々木さんが犯人を捕まえてくれるんですもんね」
「それはどうかな?」
「え」
「いいか神崎、僕は犯人を『見つける』と言ったんだ、『捕まえる』と言ったんじゃない」
誤解されては困る――小五郎は言葉を続ける。
「宣言しておくけど、僕はすごく弱い。剣豪から名前をもらっているのが恥ずかしくなるくらいに弱い。『名前負け』という単語を辞書で引いたら『例:佐々木小五郎のこと』と記載されていてもおかしくないレベルだ。もちろん、ホームズみたいに謎の武術を修めているとかいう設定もない――僕の言ってることの意味がわかるな?」
「情けなすぎてわかりたくないです」
「犯人に暴れられたらマズいってことだ」
神崎が半眼を向けてくる。
「……なら、どうするんですか?」
「まあ、犯人の隙を突いて――」
「隙を突いて?」
「屠るしかないだろうな」
「物騒な表現しないでください――そもそも、犯人が誰だかわからなきゃ屠ることもできないじゃないですか」
神崎は唇の端を噛みながら言った。どうやら、不安の虫が再燃したらしい。
小五郎は目敏くその仕草を見ながら、「ん、いや」と言った。
「それは心配ない。犯人の目星はついてる」




