第5話 聴取:秋島頼子
「では皆さん、くれぐれも戸締りに気を付けてください」
五人全員で二階に上がったのち、小五郎は妹山、神崎、志賀野に向かってそう言った。三人はそれぞれ頷いて、それぞれの部屋に入っていく。探偵はそれを見送ったのち、秋島を二〇四号室の前に連れていった。
「待っていてください。今、部屋から椅子を持ってくるので」
「恐縮でございます」
小五郎は紳士風の笑みを浮かべて、自室の鍵を解錠した。そして扉を開いて、困った。
「ドアストッパーがないな……」
個室の扉はそれなりに重く、手を離すと自動的に閉じてしまう。椅子を運び出すためにはドアストッパーが必要になりそうだったが、生憎見つからなかった。
「ドアストッパーなら、扉に付属しております」
秋島は二〇四号室の入り口に立つと「失礼いたします」と丁寧に頭を下げて、部屋に入り込んだ。そして扉を限界まで開けると、その場に屈みこむ。カチャカチャと金具の音が鳴った。
扉の内側をよく見ると、角に小さなフックのようなものが付いていた。そして床には小さな突起があり、その突起に金属製のリングが貫通している。そのリングを扉のフックに引っ掛けると扉が動かなくなる、という構造だった。
「へえ、こんなタイプのドアストッパーもあるんですね」
「戸当たりを兼ねているのでございます」
「なるほど――あ、椅子を持ってきます」
小五郎は部屋の中からデスクチェアを廊下に持ち出すとそれに秋島を座らせ、自分はもう一つ室内から持ち出したスツールに腰を下ろした。
廊下の絞られた照明の下、秋島と向き合う。
「いくつか秋島さんにお伺いしたいことがあります。先に謝っておきますが、僕の質問が秋島さんに不愉快な思いをさせるかもしれません。けど、僕には全く悪意などありませんので、悪しからず」
老女は沈黙を以って肯定した。
「ではまず、生きている御法川さんを最後に見たのはいつですか?」
「夜中の十一時でございます」
「そのとき、御法川さんはなにを?」
「一人でソファに座って晩酌を楽しんでおいででした」
「御法川さんとなにか会話をしましたか?」
「十二時にお部屋に寝酒を持ってきてほしいと仰せになりましたので、わたくしは『かしこまりました』とご返答いたしました」
「秋島さんのその後の行動を訊いてもいいですか?」
「わたくしはそのまま私室に戻り、小一時間ほど読書をして、寝酒の梅酒を作り、十二時ちょうどに御法川様のお部屋の扉を叩きました」
小五郎はシニカルに笑った。
「僕が合流したのは、確か十二時十五分頃でしたよね?」
「わたくしは時計を見ておりませんでしたので」
「僕が見ていました――十二時ちょうどに部屋の扉を叩いたということは、十五分間も扉の前で待ち続けたのですか? 素晴らしい忍耐力ですね」
小五郎はなるべく嫌味のない口調で言った。それが、却って嫌味になっていたかもしれない。秋島は「恐縮でございます」と頭を下げた。
動揺した様子は微塵も感じない。
「話を戻すようですが、私室で読書をなさっていたのですよね? 私室というのは、つまり管理人室ですか?」
「左様でございます」
「なんの本を読んでいらっしゃったのですか?」
緩急をつけるため、小五郎は天気の話でもするような口振りで訊いた。
「『占星術殺人事件』を読み返しておりました」
「島田荘司の?」
「さすが探偵様、ご存知でしたか――探偵小説というものに愛着があるのです。このような歳になって、恥ずかしいことではございますが」
秋島は、小五郎が知る限りで初めて、感情を見せるような声音で言った。まるで初恋を語る乙女のような口調だった。
「恥ずかしいことなどありませんよ。ミステリーは僕も好きです」
「わたくしが若い頃は、探偵小説は低俗な読み物だとされていました。厳しい親は子供に読むことを禁じていたほどでございます。しかし、わたくしはどうにもその魅力に取り憑かれてしまって、親に隠れて読み漁ったものです」
「……そういう時代が日本にあったという話は、偶に聞きますね」
「当時の子供は、みんなそうでございました。親の目を盗んでは乱歩を開き、少年探偵団の活躍に胸を躍らせたものです」
懐古するように語った秋島は、「乱歩といえば――」と言葉を続ける。
「佐々木様のお名前は小五郎様でしたね。わたくしたちの憧れの名探偵、明智小五郎と同じ名前でございます。名探偵の名前として、これより相応しいものはないでしょう。やはり、明智小五郎への憧憬から探偵をお志しに?」
「いえ、単なる偶然です。名前も、剣豪好きだった父が佐々木小次郎から頂いたものなので」
「左様でございますか」
秋島は少し消沈したような声を出したが、すぐに意気を取り戻して言った。
「明智小五郎も素晴らしいですが、わたくしは、御手洗潔こそ日本一の名探偵だと思うのです。歳の割に新しいものが好きだと思われるかもしれませんが。明晰な頭脳、旺盛な好奇心、奇天烈な性格と情に深い言動――どれをとっても彼より名探偵という称号が適する人間はおりません。その華々しいデビューである『占星術殺人事件』はやはり歴史に残る傑作でしょう。幾度読み直しても初めて読んだときの興奮を思い出すことができます」
老女は熱の籠った口調で弁舌を振るった。熱弁とはまさにこのことだった。表情や身振り手振りに変化はないが、興奮していることがその迫力からわかる。たしか齢が八十を超えるほどの老齢だったと思うが、これほど興奮しては身体に悪いのではないだろうかと心配になるほどの高揚ぶりだった。
小五郎は秋島を落ち着かせるために、努めて冷静な声音で口を開く。
「再度確認するようですが、十一時から十二時の間はその『占星術殺人事件』をお読みになっていらっしゃったのですよね?」
「その通りでございます」
「……失礼ですが、読書に熱中するあまり、管理人室からマスターキーを持ち出されたことに気付かなかった可能性は?」
それが密室の謎の答えだったら、なんとも馬鹿らしいにも程があるが。
しかし、秋島はしっかりと首を振った。
「難しいかと存じます。わたくしはキーケースの前に座って本を読んでおりしたので」
「なるほど」
小五郎はポリポリと頬を掻いた。
謎はまるで解けそうにない――いや、本当のところを言うと、謎は解けているのだ。つまり、秋島が犯人その人であればなにもかも説明がつく。それ以外の可能性は、今、他ならぬ秋島本人によって潰されてしまった。
しかし。
小五郎は悩む――この老女に人が殺せるだろうか。あまつさえ、通報したら皆殺しにするとまで脅迫して。
どうも、そこら辺の印象がチグハグだ。
「ご協力ありがとうございました。質問は以上です」
小五郎はそんな内心の葛藤を噫にも出さず、例の余裕のある微笑を浮かべた。
「次は志賀野さんを呼んでもらえますか? 二〇三号室の」




