第4話 名探偵を演じるフリーター
犯人を見つけると言ってしまった。
言ってから後悔したが、吐いた言葉を飲み込む方法はどこにも存在しない。小五郎は羽織ったカーディガンのポケットに右手を突っ込みながら、左手でダイニングの席の一つを示す。
「志賀野さん、どうぞお座りください」
「……本当に、君に犯人が見つけられるのか?」
「ええ。お約束します。しかし、そのためには情報が必要なのです。どうか、お医者様としての知恵をお貸し願えますか?」
「……ふん」
志賀野は鼻を鳴らすと、元いた席に腰を落とした。
さて一難去った。しかしこれで万事解決とはならない。今のこの状況は、小五郎が事件を解決するという虚妄の上に成り立っている、薄氷の上の安泰だ。名探偵を演じ続けなければ、また先ほどと同じ展開に逆戻りする。
なにか探偵らしいことをしなければ。
小五郎の頭が猛烈な勢いで回転を始める。なにをすればいい、なにを言えばいい。不敵にも見える微笑を顔面に張り付けたまま、頭の中では百面相をする。
「そもそもさ、推理なんてする意味あるの?」
神崎が浅い呼吸をしながら言った。
「犯人を捜すより、このペンションからどう逃げ出すかを考えるべきじゃない?」
妹山が片眉を上げた。
「この雨風の中、山を下りるってことかい?」
「そうだけど、そうじゃなくて――ほら、昼くらいになれば雨も弱くなってるだろうし、それを待って全員で脱出っていうのはどう?」
神崎が早口で言うと、「それは無理だろう」と志賀野が呟いた。
「道路は土砂で塞がっているんだ。山を下りるなら、道なき道を行くことになる。雨でぬかるんだ地面を下るなんて素人にはできないだろう。それに犯人からしたら、ちょっと小突くだけで口封じできる絶好のチャンスになってしまう」
「………」
反論はなかった。ペンションから脱出するリスクを神崎も理解したらしい。
しかし、馬の合わない志賀野に論破されたことが癪に障ったのだろう――神崎は唇を尖らせながら、志賀野を指さした。
「ていうか、やっぱりあのおじさんが犯人なんじゃないの? 動機もあるし」
「まだ言うか!」
瞬間湯沸かし器のように頭に血を上らせる志賀野。
小五郎は「まあまあ」と歌うような声で宥めた。
「現場は密室だった。この謎が解けない限り、志賀野さんを犯人だと断定することはできない。というか、志賀野さんだけでなく誰も犯人たりえない」
「でも……」
「二〇五号室には鍵がかかっていた。そしてその鍵は部屋の中にあった。マスターキーは持ち出されていない」
「糸を使うのは? あの、部屋の外から糸を使って鍵をかけるやつ」
神崎が思い付いたように指を立てた。しかし、小五郎は首を振る。
「それはない。そういうトリックを使うと、扉やサムターン錠にかなり目立つ傷ができるはずだけど、二〇五号室の扉にそういう痕跡はなかった」
中学生の頃、家の玄関で行った実験を思い出す。
外から鍵をかけたはいいものの、鍵を開けられなくなって寒天の下で一時間ほど親の帰宅を待つ羽目になった上、扉についた傷のせいでしこたま親に怒られたのは、今となってはいい思い出だ。
現場が密室である事に気付いたとき、小五郎は真っ先にそのことを確認した。糸を使って外から鍵をかけたわけではないことは断言できる。
「そもそもあの机の上にあったのは本当に二〇五号室の鍵だったのだろうか」
志賀野が言い出した。
「密室に見せかけるため、犯人が自分の部屋の鍵を置いておいた可能性は」
「それもないでしょう。たしかに僕たちは遠目にしか鍵を見ませんでしたけど、近寄って鍵を確認する可能性だってありました。鍵には部屋番号が刻印されています。もしそれを確認されてしまったら、犯人にとって致命傷です。すり替えた自分の部屋の鍵を見られることになりますからね。そうなったら、もう自白しているようなものです」
志賀野は憮然とした顔を作る。
「まあでも、一応確認しておきましょうか」
「どうやって?」
「もし志賀野さんの推理が正しいなら、犯人は今、自分の部屋の鍵を持っていないことになります。全員で自分の部屋の鍵を見せ合えば、その可能性は否定できるでしょう。まさか、部屋の鍵を失くした人なんていませんよね?」
小五郎はズボンのポケットから二〇四号室の鍵を取り出しながら言った。
結論から言って、鍵は二〇一から二〇四まで全て揃っていた。これで二〇五号室の机の上に置いてあった鍵はその部屋の鍵ということになる。
「そうなると、もう可能性はマスターキーしかなくなるわけだが……」
妹山が控えめに呟く。
「マスターキーは持ち出されていない」
「と、秋島さんは言っている」
「………」
「え、ちょっと待って」
神崎が悍ましい事実に気付いてしまった生娘のような声を上げた。
「……秋島さんが犯人ってこと?」
その言葉に部屋の空気が凍り付く。
痛いほどの沈黙が空間を支配した。台風の音が静かに空鳴る。
秋島は特段反応を見せなかった。こういう場合、躍起になって否定するのは却って逆効果だということを、よく知っているのだろう。
小五郎はその虚心坦懐ぶりに甚く感心したが、しかしそれは誤解というものだった。
秋島の身体がカクンと揺れる。
「………」
管理人の老女は、座ったまま眠っているのだった。
この状況で悠然と船を漕ぐ様はたしかに豪胆ではあるかもしれないが、見習いたいものではない。だが、無理もないことでもあった。現在の時刻は深夜の二時近く。老いた身体に夜更かしは難しかろう。
小五郎は嘆息しながら言った。
「……救助がまだ先なら、どうあれ長丁場になる。一旦身体を休めよう」
その言葉に、神崎が目を白黒させる。
「身体を休めるって」
「寝ようって意味」
「言葉の意味を訊いたんじゃなくて! 寝るって、嘘でしょ! このペンションには人殺しがいるんだよ⁉ 殺されるかもしれないじゃん!」
「部屋にしっかり鍵をかければ大丈夫だろ」
「でも、御法川って人は鍵のかかった部屋の中で殺されたんでしょ?」
神崎の瞳には本物の恐怖の色が浮かんでいた。相当怯えているのだろう。これで彼女が真犯人だったら、大した演技だと言わざるを得ないが……そうでないことを祈るよりない。演技しているのは自分一人で充分だ。
小五郎は名探偵の演技を続けながら、肩を竦めた。
「僕が寝ないで廊下を見張るさ。マスターキーも僕が管理する――窓が嵌め殺しなら、いずれにせよ部屋の入り口は一つしかない。そのたった一つの入り口を僕がずっと見張っていれば、犯人はどうやっても部屋の中には侵入できないはずだろ?」
「……佐々木さんが犯人だったら?」
「それは僕を信じてもらうしかない――いや、ついでだし、全員に一対一で事情聴取でもしようかな。一人ずつ順番に僕のところに来てもらって、それぞれ話を聞かせてもらう。僕が誰か一人に事情聴取している間にそれ以外の人は仮眠を取ればいい。廊下は僕が見張って、その僕が絶えず一人にならなければ、誰も人を殺すことなんてできないだろ?」
「いや、それだと佐々木くんと事情聴取の相手が二人きりになってるだろ」
妹山が冷静に指摘した。
「あ、そっか。じゃあやっぱり、僕を信じてもらうしかないな」
小五郎は飄々と宣う。
「……まあ、警察に連絡することを真っ先に提案したのは佐々木くんだった。だから、君のことはそんなに疑ってない――わかった。俺は佐々木くんの提案に賛成するよ」
「ありがとう。他の皆さんは?」
神崎は恐る恐る、志賀野は不承不承と頷いた。続くように、秋島もコクコクと頷く――いや、これは単にうとうとしているだけかもしれない。
「秋島さん?」
「はい。なんでございましょう?」
声をかけてみると、秋島はきちんと起きていた。瞼の皮膚が垂れているせいで、ぱっと見で起きているか寝ているかの判断がつかない。
「まずは秋島さんからお話を伺ってもいいですか?」
「もちろんでございます」
秋島は丁重に頭を下げた。




