第9話 真犯人
「あ、あたし……あたしは殺してない!」
神崎の狼狽ぶりといえば、面白いようだった。顔面を蒼白にし、声を半音上にずらしている。ヒステリックな悲鳴、困惑に狼狽――これが演技だったら大した役者だが、きっとそうではないだろうと小五郎は思っていた。
何故って、小五郎の知っている彼女なら、もしも不当に犯人呼ばわりされたら、顔を青ではなく赤く染めて、怒り狂うに決まっているからだ。口から出てくるはずの言葉は「ふざけんな」であって、「あたしは殺してない」ではない。
犯人を指摘した時、無実なら激怒するはずだ――という謎の理論が界隈にはあるが、まあ、それはあながち間違ってもいないのかもしれなかった。怒っているのではなく、焦っている。それは裁判の証拠にはならないかもしれないが、推理の証拠にはなってしまうのだった。
「殺してない! あたし、れいなを殺してない!」
「わかってるから大きな声を出すな」
小五郎は煙たそうに言った。あまり人間味のない反応だったが、それも致し方なかった。小五郎はミステリを愛するが、段取りの悪い推理の開陳シーンはあまり好みではない。
「僕はお前が殺したとはひと言も言ってない。誘拐したのはお前だって言ったんだ、神崎」
「ち、ちがっ……!」
「まあ、お前からしたら『保護した』って感じなんだろうけどな、でも、友達がいなくなったって言って警察に虚偽の相談までしたんだろ? そんなの、ほとんど狂言誘拐じゃないか」
「………」
「お前は宇藤れいなをストーカーから保護するために彼女を自室に匿っていた。期間は、九月十八日の夜から二十日の夕方まで――違うか?」
「……違う」
「違うか……お前は、そう言うんだな。まあ、なら、ここから先は僕の妄想だと思って聞け――お前は十八日の夜から二十日の夕方まで親友の宇藤れいなを部屋に匿っていた」
「違う!」
「だが、二十日の夕方に宇藤れいなは本当に失踪してしまった。気づいたら部屋からいなくなってたんだ。お前は焦ったはずだ。宇藤れいなはどこに行ったのだろう。心配だ。でも、警察に相談することはできない。もうしちまってるからな。そこで、お前は僕の存在を思い出した」
「違う違う違う……」
「十八日の夜からから二十日の夕方まではお前が匿ってたんだ。つまり、宇藤れいなが本当に失踪したのは十八日の夜じゃなくて、二十日の夕方」
「違うって言ってんでしょ! あたし……あたしは、れいなのこと……れいなれいなれいな……れいなぁ」
みっともなく、半狂乱になって親友の名前を連呼する神崎。
それも無理なかろう。小五郎の推理が正しければ、一連の事件の口火を切ったのは神崎の軽率な行動であり、それが宇藤れいなの死に繋がったのだ。理論ではなく感情で解すれば、神崎が宇藤れいなを殺した、とも言える。
それならば、ここまで理性を手放してヒステリックに取り乱すのも、理解できなくはない。
いや、嘘だ。
やっぱり理解できない。
なんて惨めで、なんて無残なのだろう。親友の死の責任のほんの一端が自分にあると思い込んだだけで、人はここまで醜態を晒せるものだろうか。小五郎だけではない、鈴木や伏見や関に対してもその恥も外聞もない姿をさらしてしまう彼女の気持ちが、友情が、小五郎には理解できない。
「僕は言ったはずだぞ、神崎。これは僕の妄想だって。お前が否定しても、僕は推理を垂れ流す」
「ふざ、ふざけんな!」
小五郎は神崎の絶叫を、あるいは悲鳴を無視した。
「宇藤れいなが失踪したのは、本当は二十日の夕方だった。なら、それから宇藤れいなはどこにいたのか。それは、お前の部屋にいたんだろ――伏見」
伏見一千華――馬鹿っぽい喋り方をする地雷系の女子大生は、ここでは小五郎の言葉をまるっきり無視した。神崎を無視した小五郎を、今度は彼女が無視した形である。しかしそれは、別に仕返しというわけではないようだった。
黙秘しているのだろう。
沈黙はときに雄弁だが、往々にしてなによりも秘密を守る力に優れる。
「神崎の部屋から伏見の部屋に拠点を移した宇藤れいなは、その夜、そこで縊死した。時刻は二十一時から二十四時の間――それから、二十一日の夜に宇藤れいなの死体を公園の花壇に遺棄するまでの間、お前は宇藤れいなの死体を部屋に置いておいたんだ」
「………」
「二十一日の夕方に僕と神崎がお前の部屋を訪れたとき、お前はやけに出てくるのが遅かったし、やけにきつい香水の匂いを纏ってた。もちろん、常識的な僕はその場で匂いについて言及することはなかったけど――あれは、死体の腐臭を隠すためだったんだな?」
伏見はやはりなにも言わない。その幼げな顔に能面のような無表情を浮かべて、まんじりともせずに真っ直ぐ前を見ている。そこには壁しかないのに。
この場合の沈黙は、肯定と同義に思えた。
ただの小五郎の感覚の話になるが、小五郎の推理になにか誤謬があれば、彼女は遠慮なく沈黙の禁を破って指摘してくるタイプだと思えたからだ。
「でも、それは変でしょ」
口を開いたのは、鈴木哀だった。
化粧の乗った派手な顔立ちに不機嫌な表情を浮かべているが、唇を舐める仕草から、その実彼女が緊張していることが窺える。
「なにが?」
「さっき瑞葉ちゃんから聞いたけど、探偵さん、あんたの推理によると、れいなの死体には精液がついてたんでしょ? それが正しいなら――」
「それは正しい。さっき、知り合いの刑事に確認した」
「なら、犯人は一千華ちゃんじゃない」
射精は男にしかできない。もちろん、伏見一千華が実は男でした、なんて間抜けな叙述トリックも存在しない。ここは女子寮だ。女子寮に住んでいる彼女は、もちろん女性である。
「僕は別に、犯人は伏見だとはひと言も言ってないけどな」
「はぁ?」
「や……まあ、そこはメインディッシュだから最後に回すか――精液の問題ね。そっちを先に解決しよう。つぅか、それをお前から提起してくるのかよ、鈴木。飛んで火にいる夏の虫ってか?」
鈴木が喉を鳴らす。
この少女はだいぶんにわかりやすいな、と小五郎は胸の中で苦笑した。もちろん、表情には出さない。名探偵のマナーとして。
「鈴木、お前たしか、二十一日の夜はバイトだって言ってたよな? 僕はたしかにそう聞いたぜ。二階の階段でお前をたしかに見送った――バイトはなんだっつったっけ?」
「……だから、ちょっとしたサービス業だって」
「どこの誰にどんなサービスしたのか、言ってみろよ」
「………」
「冗談だ。そんな顔すんなよ。僕だって別に、五十過ぎたおっさんと女子大生の情事のあらましを根掘り葉掘り聞くほど下世話じゃねぇ――二十一日の夜に楢崎零士と援助交際してたゆいぴーちゃんってのは、お前のことだな? 違うなら違うって言ってみろよ、鈴木」
どうしてそこまで知っているのか、と驚嘆した鈴木は、それから自らの失策を呪うように下唇を甘く噛んだ。どこまでも表情に出てしまう女だった。小五郎ごときに表情を読まれているようでは、まだまだ甘い。
「お前は二十一日の夜、楢崎零士を誘ってその辺の公園でサービスをした。時間は二十一時から二十四時の間だ。それが精液が発射された時間だからな――コンドームを使ったのかどうやったのかは知らないけど、とにかくお前はそうやって楢崎零士の精液を入手し、そのあと、宇藤れいなの死体が遺棄してある花壇に赴いて、その精液を宇藤れいなの死体に付着させた」
そのときに宇藤れいなの服がどうなっていたのか、小五郎は知らない。
スカートを捲って精液を付着させたのか、一度脱がせて細工を施したあとに服を着せたのか――そこは微差であり些事だ。そこまでのディティールを小五郎は自らの推理に求めない。
「誂えたように楢崎零士のアリバイがない十八日の夜と二十日の夜に楢崎零時が遊んでたっつぅミサキちゃんって子は、推察するに伏見なんだろ? 誂えたようにっつぅか、誂えたんだよ。アリバイ偽装っていうか、逆アリバイ偽装だな。宇藤れいなが誘拐されたときと死んだとき、筆頭容疑者になる楢崎零士のアリバイがあったら困る。だから、ハニトラってわけだ」
「………」
「そして、これらの作戦は明らかにひとりの人間が考えてる。それぞれが独立した動きをした結果、たまたまこうなりましたってのはさすがにおかしい。頭がいる。そんでそいつは明らかに犯罪捜査にある程度精通している。少なくとも、検死による死亡推定の同定や精液の鮮度の劣化についての知識がなければこの作戦は立案できない」
あとはまあ、わかるだろ――と、小五郎は言いたかったが、ここまでくれば犯人指摘の醍醐味を放棄する意味もないように思われた。
「この中で法医学の知識を学ぶ機会があるとすれば、医学部のお前の公算が高いんだよ――関」
この言葉には、全員がギョッとした顔をした。無表情を決め込んでいた伏見までも同じだ。ああ、彼女たち実行犯三人は知らなかったんだな、と、小五郎は理解した。自らの手を汚さないフィクサーは、自らの影も見せなかったのだ。
「全部の作戦を立案したのはお前だな?」
関はにぃと笑った。唇が三日月を描く。目がどうなっているのかは、屈折率の高い眼鏡のせいで見えない。だが、見えなくてよかったと小五郎は思った。見てはいけない、見ない方がいいものだって、世の中にはある。
「凄絶ですね……瑞葉ちゃんから話は聞いてましたけど、てっきり盛ってるのだとばかり思ってました。けど、本当に賢いんですね。どうしてフリーターなんですか? そんなに優秀なのに」
「僕は別に優秀じゃないし、社会が必要としてるのも優秀な人間じゃないってことだよ」
「厭世的ですね。でも理解できます。世の中の方が間違ってるって、思ってるんでしょ?」
理解した風に言われるのは、正直に言って不快だった。それに的外れだった。世の中クソだ、なんて失職するたびに言っている小五郎ではあるが、世の中が間違っているとまでは思っていない。
きっと、そう思っているのは関の方だった。彼女は明らかに自分のことを優秀だと思っていて、そんな優秀な自分を理解しない社会に不満を抱いているタイプの人間だった。ともすればカウンセリングが必要な気質だが、もちろん、クリニックを紹介してあげるようなお優しい名探偵ではない。
というか、むしろ小五郎は関のことが嫌いだった。嫌いというか、嫌だった。自分の優秀さに酔っている彼女は、まるで古い鏡を見ているような気分になって、自己嫌悪の感情が際限なく湧き続けるような想いだ。
だから、言った。
言って射った。
「まあ、そんな関も、ただの駒にすぎなかったわけだが」
「は?」
「一連の事件の作戦を立案したのは関だけど、関に作戦を立案させた奴がいる」
関は明らかに失望した表情をした。仲間を見つけたと思ったら、嫌っていた虫の仲間だった、みたいな表情だった。
関は明らかに小五郎を見下していて、小五郎もそんな関を見下していた。
人間関係はお互いにお互いをちょっと見下しているくらいが上手くいくと言われているが、その突飛な理論が正しいなら、小五郎と関はもしかしたらよい友人関係になれる間柄だったのかもしれない。
「ときに、伏見――宇藤れいなはお前の部屋で死んだわけだけど……お前が殺したのか?」
「………」
「まただんまりか――まあいいや。じゃあ、また僕の妄想を垂れ流すぞ。宇藤れいなの縊殺痕は明らかに他殺のものだったらしいけど……僕みたいなミステリマニアは、そう言われると直ぐに自縊死ってのを思い浮かべる」
「じいし?」
「自分で縊り死ぬと書いて、自縊死だ。詳細は省くけど、紐と棒があれば、誰でも簡単にできる死に方。他殺に見える……自殺方法だ」
もちろん、紐と棒が残ってしまうから完全に他殺に見せかけることはできないのだけど、逆に言うと、紐と棒を誰かが始末してくれるなら、それだけの物を揃えるだけで他殺に見える自殺死体を作れるということでもある。
この場合、紐と棒を処理したのは伏見だろう。
本人は、なにを訊かれてもなにも言うまいが。
「つまり――神崎に狂言誘拐をさせ、伏見に死体を処理させ、鈴木に偽装工作をさせ、楢崎零士に罪を着せる作戦を関に考えさせ、自殺した人間。そいつこそが、この一件の真のフィクサー……」
これ以上を言う必要は、やぱっぱりないのかもしれないけど、小五郎はやはり、探偵の醍醐味を享受した。真相を解明し、真犯人を指摘する。ワイダニットもハウダニットもミステリの味だが、やはり、フーダニットこそ真髄だ、と小五郎は解釈していた。
真犯人に指を向ける。
ことはできない。
代わりに、小さく息を吸ってから、決め台詞みたいに宣言した。
「真犯人は、宇藤れいなだ」




