第10話 謎語の解読
ここまで長々と話を引っ張っておいて、結論が自殺でした、では小五郎としても名探偵の甲斐がないというか、ミステリ好きとしては気が引ける思いではあったものの、それが事実なのだからそう言うことしかできなかった。
自殺。
ミステリの世界では、色々な理由で忌避されている結論ではある。漫画が青少年に与える悪影響ではないけれど、自殺の本によって自殺が流行したこともあるわけだし、それを防ぐ意味では、自殺について創作するのは好ましくない。
そういう高尚な理由がなくとも、もっとエンタメ的に考えて、探偵があれこれ推理して自殺でした、では面白みがないのだ。探偵がいないことはあっても犯人がいないことはありえない、それがミステリというエンターテインメントの宿業である。
今回の一件について小五郎が抱く所感は、迷惑な自殺だな、である。
同じ寮の同じ釜の飯を食った――のかどうかは知らないが――友達を四人も巻き込んで、父親を犯人に仕立て上げて、自殺。
迷惑以外のなにものでもない。
「自……殺……?」
神崎は震える声で言った。その声は震えすぎていて、まるでロデオマシーンの上で喋っているのかと思わされるくらいだった。ハッキリ言って、馬鹿みたいだ。もちろん、馬鹿にはできまいが。
親友がその父親に殺されたという事実と、親友が自分を利用して自殺したという事実、どちらがより彼女に重くのしかかるのか、小五郎ごとき青二才では想像もつかない。だが、想像するくらいのことはできないでもなかった。
「れいなが……自殺? そんな、わけ、ない……」
「どうして?」
「だって、違うんですよ。れいなはそういう子じゃなくて」
「僕は犯人心理や犯行動機には露ほども興味ないから、もちろん、宇藤れいながどうして自殺したのかなんて興味はない。ただ、ただの知識としてひけらかすと、自殺しそうに見えない人間ほど、案外自殺したりするものらしいぜ」
希死念慮という。
たとえば鬱病の症状なんてものが有名だ。鬱病は重く患っているときには自殺を図ろうとすることは少ない。だが、治療によって快方に向かい、鬱の症状が軽くなってくると、人は死を選ぶことが多いのだそうだ。
死にそうな人間は案外しなず、そうは見えない人間ほど自殺を図る。それは人として、人の隣人である人として、誰もが知っておかなければならない基礎知識なのかもしれないが、同時に、なんだかやるせないというか、知りたくない知識なのかもしれなかった。
「僕はこの言葉をあまり好まないけど、たぶん宇藤れいなは”天才”って呼ばれるタイプの人間だったんだろうな」
「……れいなは、別に勉強は――」
「お勉強が得意な天才っていう意味じゃねぇよ、関。お前にとっては才覚の概念が『勉強』に偏重しているのかもしれないけど、世の中には色んな分野においての色んな天才がいる。スポーツの天才や、コメディの天才、犯罪の天才だっている――そして、宇藤れいなは人心掌握の天才だったんだ」
関が表情を強張らせた。それは不都合な現実を突きつけられた人間の顔だった。
「お前も薄っすら気づいてたんだな、関――宇藤れいなはお前に欲しい言葉をくれた。特別扱いしてくれた。お前にとって都合のいい友人でいてくれた……頭の良いお前は、なにかおかしいとは思ってたんだ。でも、それでも”特別”な自分を理解してくれるたったひとりの人間を疑うことが、お前にはできなかった――でもそれは、そういう風に宇藤れいなが立ち回っていたからなんだぜ」
「………」
「関だけじゃない、神崎も鈴木も伏見も――この紅桜寮の住人は全員、宇藤れいなの人心掌握に取り込まれていた――いや、今もか――神崎が『違う』と言い続けるのも、伏見が黙秘するのも、鈴木が僕に食って掛かるのも……全部が全部、宇藤れいなのためなんだろ?」
たったひとりのためだけに。
それは言葉の上では感動的なものに聞こえるが、実際問題としては、非常に気味の悪い光景でもあった。集団が全員、ひとりの人間のために身命を注いでいるのは、なんだかカルトめいていて気持ち悪い。少なくとも、小五郎にとっては。
だが、彼女たちは。
きっと彼女たちは、後悔などしていないのだろう。
言い様によっては騙されていたわけだが、騙されていたとしても、宇藤れいなに騙されるなら本望だ、なんて、彼女たちは言うのだろう。そういうところが、カルトめいていると小五郎は思うのだが。
「人は生きているだけで他人に影響を与える。それは普通のことだ。でも、宇藤れいなが他人に与える影響は普通ではなかった。相手の欲しい言葉を、望んだ関係を、宇藤れいなは過不足なく与えることのできる人間だったんだ」
そういう人間を、かつてはカリスマと呼んだ。最近ではアングラな世界でしかなかなか聞かなくなった語彙である。
カリスマ。
その単語には、よく接頭語として『悪の』と付いた。宇藤れいながどういったカリスマだったのかは、死んでしまったからもうわからない。
「お前たちは互いのことを『名前+ちゃん』で呼ぶ。文字の上では親しいように聞こえるが、実際は余所余所しいんだ。逆に、お前たちは全員、宇藤れいなのことを『れいな』と呼ぶ。お前たち四人は友達ではなく、友達であっても然程親しくはなく、宇藤れいなというひとりの少女を中心としたただの他人同士だったんだ」
四人の少女が同じ寮で暮らしていて、互いが互いに無関心なんてことがあるはずがない。年頃を考えれば、すぐにだって友達同士になって然るべき関係なのだ、彼女らは。しかし、現実としてそうはなっていない。彼女たちは互いに余所余所しい。
推察するに、それはきっと宇藤れいなの工作によるものなのだろう。裏工作によるものだ。閉鎖された空間である女子寮の中で、自分以外の人間が群れることを宇藤れいなは嫌った。
女王蜂は自分の立場を守るために、新たな女王候補が生まれると、まだ弱いうちにその蜂を殺してしまうこともあるのだという。つまりは、そういうことだったのだろう。女王はひとりでいい。派閥は要らない。
「宇藤れいなと一番親しいのは自分だって、全員思ってたんだろ? でもな、それは宇藤れいながそう仕向けていただけで、宇藤れいなは誰にとっても一番で、結局誰の一番でもなかったんだぜ」
「……れいなのこと、悪く言わないで」
「悪くは言ってないよ、伏見。そう聞こえたなら悪かった――僕が悪いと言ってるのはお前たちだよ、お前たち四人。なに好いように操られてんだよ。なに、うっかり友達の自殺に手ぇ貸してんだよ。そういうのは友達って言わない。傀儡っつぅんだ。友達なら、なによりまず宇藤れいなを諫めるべきだったろ」
「だって――」
「だってもクソもあるか」
小五郎は少し苛立っている自分を自覚して、反省した。
彼女たち四人の立ち位置は非常に微妙だ。被害者とも言えるし、加害者とも言える。どちらでもあり、どちらでもない。辛辣な言葉を向けられるべきなのか、甘い慰めの言葉を向けられるべきなのか、難しいところだ。
「違う……そんなわけない。れいなは、れいなは……あたしだけのことを……」
神崎が譫言のように呟いた。
四人の中だと、彼女だけが宇藤れいなの自殺を知らされていなかった存在だ。間違いなく、紛うことなき、利用されただけの人間。
四人の中で順位をつけるなら、法的にも道義的にも一番罪が軽いのは彼女で、一番宇藤れいなから遠いのが彼女だ。
それがどれだけ彼女の脆い心を抉るのか、小五郎は知らない。
「じゃあ、最後に……『紀元前よりの解放』――この書置きの意味を宇藤れいなから聞いている奴はいるか? あるいは、心当たりがある奴」
一同が首を振った。神崎だけが、なにやら譫言を呟きながら、天井を見つめていた。天井を見ているのか、天上を見ているのか、定かではないが、どちらも彼女の目に入っているようには見えない。
「本当に誰もわからなかったのか? 誰も受け取れなかったのか?」
「……わかるんですか、あなたには」
関が敵意を剥き出しにして聞いてきた。
小五郎は憤懣を胃の中に溜め込んだ。敵意に反応してではない。誰も、なにも考えていないことが、疑っていないことが、小五郎には生理的に受け付けられなかったからだ。少しでも冷静に考えれば、あるいは関ならば、解けていたかもしれないのに。
暗合も。
そして――
「『紀元前よりの解放』っていうのは、ダブルミーニングであると同時に、くだらないダジャレだ」
「ダブルミーニング?」
「つまり、そのまま文章を解釈して――『紀元前よりの解放』→『宗教の誕生』→『死の恐怖からの解放』→『自殺』っていう意味と、それからダジャレだ」
「ダジャレって……なに?」
「だから!」
いつの間にか怒鳴るようになっていた自分に驚き、小五郎はひとつ嘆息した。最近流行りのアンガーマネジメント。それがどこまで効力を発揮するのか甚だ疑問に思いながら、吸って、吐いて、吸ってを六秒間続けた。
然るのちに、口を開く。
「紀元前っていうのは『B.C.』だ――この略語を開けば、あの書置き……謎語は解ける」
「『B.C.』……『Before Christ』……それが?」
「だから、ダジャレだって言ってんだろ。それもとびきりくだらない」
そこまで言っても、四人の女子大生たちは思い至らないようだった。
解けないようだった。
「『B.C.』……『Brain Control』――洗脳よりの解放」
仕方なく、小五郎は答えを教えた。
宇藤れいなが残した、否、遺した――くだらない、そして性格の悪い謎語の。
「お前たちも、そろそろ目を醒ますべきなんじゃないか?」
止まない雨はない、醒めない夢はない。ならば、解けない洗脳だってありはしないだろう。人は人に影響を与える。だけど、どんな思いもどんな言葉だって過去に変わって風化していく。死者のかけた呪いのような洗脳も、いつかは解ける日が来るだろう。
彼女たちが自分の足で自分の人生を歩めるようになることを、小五郎は切に願っている。
そして小五郎は紅桜寮を出る。なにか言い残すこともないし、振り返ることもない。演じるべきすべては演じ終えた。
いつまでも長居してもつまらない。気の利いた名探偵はそろそろ引っ込む時分である。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
二章『名探偵 佐々木小五郎の謎語』になりました。次は四章でお会いしましょう。ブックマークをしてお待ちください。
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