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名探偵 佐々木小五郎の名演  作者: 妹山あおい
名探偵 佐々木小五郎の謎語
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第7話 正義の人

 宇藤れいなの父親――元父親というべきか――楢崎零士が任意で引っ張られた末に逮捕されたと聞いたのは、それから一時間後のことだった。


 顔見知りの刑事(驚くべき単語)である秋元竜二郎からかかってきた電話に、小五郎はたっぷり十コール待ってから出た。待たせた理由は、もちろん、刑事に心理戦を挑もうなんて馬鹿げたことを思ったからではなく、涙に目を腫らした神崎に遠慮をした形ではある。


 まあ、遠慮をしたというか……結局は電話には出たのだが。知的好奇心には逆らえなかった。


 秋元は以前お世話になった刑事だ。もちろん、小五郎がかつてはやんちゃしていたとかそういう話ではなくて、これまで関わった二件の殺人事件の、その片方で縁を作った関係だった。強面だが、優しい――と見せかけて、時に非常に非情な視線でどやしてくるタイプの恐ろしい人である。

 正直、人としてはあまり好きなタイプではなかったが、それだけに刑事としては信頼に足る人物でもあった。誰に対しても怖いが、犯人に対しては一層に怖い。


 そんな秋元の第一声が、


「楢崎零士を逮捕したぞ」


 だった。

 誘拐の電話みたいないきなりさだな。あるいは、本の読み過ぎだ――と、小五郎は思った。思っているうちに、秋元は縷々と説明を開始した。


 楢崎零士とは宇藤れいなの元父親であること。

 任意同行を求めた(引っ張った)理由は宇藤れいなの拉致及び殺害について。

 宇藤れいなの遺体から検出された精液が楢崎零士のDNAと一致したため、逮捕に至ったこと。

 誘拐が実行されたと目される九月十八日の夜、絞殺したと目される二十日の夜、死姦及び死体の遺棄があったと目される二十一日の夜、すべてにおいて楢崎零士にアリバイがなかったこと……エトセトラエトセトラ。


 だいたいは小五郎の推理通りだった。


「秋元さん、捜査に関わってたんですか」


 小五郎の第一声はそれだった――言いながら、小五郎はラウンジを立ってエントランスの方に歩いて行った。神崎のすすり泣く声が聞こえなくなったことを、つまり、神崎に声が届かない場所まで来たことを確認してから、小五郎は先のひと言を言う。


「関わってるってわけじゃねぇよ」


 と、濁声(だみごえ)の秋元。彼の声は渋いというよりは潰れていて、電話越しでは聞き取りづらい印象だった。


「後輩が事件に関わってるから、ちょっと噂を聞いて口を出しただけだ。お前に氷室の奴を当ててやったのだって、俺なんだぜ?」


「はあ……そうですか。感謝すればいいんですか?」


「相変わらずナメた口を利くガキだな、お前は」


「ガキって年齢でもないんですけどね、僕は。むしろガキの頃に戻りたいって思いますよ、就活に失敗するたびに」


「二十五なんざ俺からすればガキだよ」


「二十六です」


「そうか。そりゃあ、誕生日おめでとさん――聴取に氷室を当ててやったのは、俺からの誕生日プレゼントだとでも思ってくれ」


 どういう意味だろう。

 小五郎は首を捻った。そのことが向こうにも伝わったのか――伝わったわけがないが――秋元はガラガラヘビのような声で笑ってから、続けた。


「甘っちょろかっただろ、氷室の聴取は?」


「まあ、紳士的でしたね」


「半人前なんだよ、刑事としちゃあな」


「ですかね? 印象としては、優秀そうな女性って感じがしましたけど」


 優秀というのは上から目線かな、と言ってから思った。聡明と言えばよかったのか、と小さな後悔をして、一瞬で忘却した。


「優秀だからこそって感じだな――頭が回っちまうから、ジタバタ捜査できねぇタイプだ。なーんもわかんなくても、なにかやってみれば進展があるもんなんだぜ、犯罪捜査ってのは。聴取相手に紳士的って思われてる時点でダメダメだ。聴取ってのは相手を威圧してなんぼなんだよ」


「旧態依然としてますね。そういうの、流行らないですよ」


「流行ろうが流行るまいが、恨まれようがどうしようが、クソ野郎を逮捕できりゃそれでいいんだよ。人殺しを一秒でも長く野(シャバ)に放っておくリスクと警察への不信感がトレードオフなら、俺たちゃ迷わずホシを上げる。好感度なんてくそくらえだ。警察ってのはアイドルじゃねぇんだよ」


「良いこと言ってる風ですけどね」


 それこそ好感度を稼ごうとしているセリフに聞こえてしまう。いや、まさか秋元が小五郎の好感度を稼ごうと思っているはずもないから、これはただの妄想に違いないのだけど。


「で? その楢崎零士って男は、犯行を認めてるんですか?」


「もちろんノーだ。俺にはアリバイがあるとかほざいてやがる」


「楢崎零士にアリバイはないって言ってませんでした?」


「お役所の言葉じゃ、行きずりの女とヘンタイセックスにしけんこでましたってのはアリバイとは言わねぇんだよな」


「ああ……女を買ってたんですか」


「娘くらいの歳の若いのをな。男ってのは悲しい生き物だぜ」


 勝手にひと括りにされては小五郎としても噴飯ものではあったが、それを男と議論しても仕方ない。


 なんてことを思っていたら、エントランスの自動ドアが開いて、ひとりの女性が入ってきた。あれは……関だ。医学部の関。黒い三つ編みの髪に、陰鬱な印象。黒縁の眼鏡は、度が強いのか非常に屈折している。


 彼女は小五郎に気づくとギョッとした視線を向けてきた。女子寮に男がいるのだから当たり前だ。なにか言おうとした彼女だったが、小五郎が電話中だと気づくと、小五郎に聞こえないくらいの小さな舌打ちをひとつして、なにやらボソボソと文句を言いながらラウンジの方に消えていった。


「――どうした、佐々木」


「や、なんでもないです――ていうか、それなら楢崎零士にアリバイはあるんじゃないですか? 拾った女とホテルに行ったなら、そのホテルの監視カメラに映ってるはずでしょ」


「楢崎はホテルは使ってないって供述だ。その辺の公園でシたんだってよ。ああ、もちろん、女の方から誘われてな。少なくとも、本人はそう言い張ってる。ウケるだろ」


「ウケますね――十八日の夜と二十日の夜と二十一日の夜、犯行があった夜は全部青姦ですか?」


「十八日の夜と二十日の夜は同じ女。二十一日の夜はまた違う女だってよ。名前はミサキちゃんとゆいぴーちゃん。五十過ぎのおじさんとヘンタイセックスする若者がふたりもいるなんざ、日本の未来は真っ暗だな」


「そのミサキちゃんとゆいぴーちゃんを、警察は探してるんですか?」


「なわけねぇだろ。警察ってのはそんなに暇じゃねぇんだよ」


「ま、精液のDNAが一致した時点で、少なくとも二十一日の夜については嘘を吐いていることは確定ですからね……」


 ん?

 と、ここで小五郎は首を捻った。なにか引っかかる気がするのだが。


「それで、秋元さんはなぜ僕に電話を?」


「そりゃ、楢崎のアホな証言を吹聴するために決まってんだろ。どうせなら皆で笑った方が楽しいに決まってら。刑事っていうのは、クソ野郎のトンデモな嘘を肴にして酒を飲むお仕事なんだよ」


「と、言いつつも」


「――あん?」


「秋元さんは僕に電話をかけてきた――疑ってるんですね?」


「楢崎をか?」


「楢崎零士が真犯人で間違いないのか、を」


「………」


 沈黙は雄弁だった。


「どうして、楢崎零士が犯人じゃないと思うんです? 証拠はダイアモンドよりも固いと思いますけど」


「……ここから先は、酔っぱらいの譫言だ」


「飲んでるんですか?」


「黙れ」


 黙れと言われたので、今度は小五郎が沈黙を返した。

 秋元が濁声で、しずしずと、おずおずと呟く。


「――勘がな、言ってんだよ」


「勘? 刑事の勘ですか?」


「なんか間違ってるって――俺はチラッとだが楢崎の顔も見た。あれは娘を殺してその死体で楽しんだヘンタイの顔じゃあねぇ。まだ、その辺で拾った女とお空の下でしっぽり楽しんじまうヘンタイってぇ方が納得できる。あいつはヘンタイセックスはしたかもしれないけど、殺しはしちゃいねぇよ」


 ヘンタイヘンタイと連呼されるとなんだか面白かったが、面白がっている場合ではないことくらいは、もちろん小五郎にもわかった。


 刑事の勘。


 探偵小説なんかでは馬鹿にされがちなものだけど、そういうのは馬鹿にならない。勘というのは経験則からくる無意識下での高速演算が作り出す究極の思考の一形態だ、というのが小五郎の理論である。熟練刑事の勘なんて、犯罪捜査においては科学的な証拠よりも重い……かもしれない。


「なるほど……参考になります」


「参考にすんな。酔っぱらいの戯言だって言ってんだろ」


「でしたね」


 証拠は固い。だが、刑事の勘が違うと言っている。付け加えるなら、小五郎もなにかの違和感を抱いている。小五郎のこれもまた勘であり、つまりは無意識が捉えた論理的矛盾だ。なにかがおかしい。

 なにがおかしいのか。

 それを捉えないことには、前に進むことができない。


「逮捕って、ガチの逮捕ですか?」


「実のところ、まだ拘留してるだけだ。今朝死体が見つかって、その日の内に令状が出ることなんざねぇよ――つっても、あとはもう自白させるだけの段階だ。一週間以内、早ければ明日には逮捕だろうな。あんま時間はねぇぞ」


「誤認逮捕なんて、警察の面子丸潰れですね」


「誤認じゃねぇかもしれねぇけどな」


「ですかね」


「楢崎が犯人じゃねぇ可能性は、どのくらいあると思う?」


「高くはないと思いますけど、低くもないと思います。自白してないってことは、本当にやってないってことかもしれない」


「俺の経験則だが、異常な性犯罪を犯すヘンタイ野郎は意外と根性がねぇ。警察にしょっぴかれたら、一瞬で自白するタイプがほとんどだ。その点、楢崎はまだ犯行を認めてねぇ。そこら辺も含めて……まあ、なんだ、後は言わなくても察しろ」


 警戒しなくても、別に小五郎は秋元が無責任なことを言っても口外するつもりなんてないのに。

 まあ、そこら辺の社会性というか、ちゃんとしてる具合というか、それが秋元が公僕たる由縁で、それを理解できないところが、小五郎が無職たる由縁なのだろう。


「わかりました。なら、ちょっと調べてみます。この電話とは関係なしにね」


「悪ぃな」


 秋元が掠れた声で言った。例によって例にごとく聞き取りづらかったが、なんとか聞き取ることができた。小五郎は苦笑して首を左右に振ったが、相手方には見えていないのだと思い出して、今度は自分に苦笑してしまった。


「悪いことはなにもないですよ。秋元さんはむしろ、悪い人を捕まえる側でしょう」


「だったな。晩飯、奢ろうか?」


「いえ、大丈夫です。お気持ちだけ」


 色々露悪的なことを言っていたが、やはり秋元も誤認逮捕は避けたいと思っているのだな、と思った。それがたとえ、自分の担当の事件ではなくても。警察官らしい、正義の人なのだ、彼は。


 小五郎は電話を切った。


 警察は犯人を同定した。だから、彼らはこれ以上この事件について捜査はしない。あとは楢崎の自白を待つばかりだろう。

 だから。

 ここから先は、名探偵の仕事である。

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