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名探偵 佐々木小五郎の名演  作者: 妹山あおい
名探偵 佐々木小五郎の謎語
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第6話 推理開陳とナルシズム

 小五郎としては、紅桜寮に再び戻ってくるとは思っていなかった――少なくとも、昨日、この玄関を通ったときには――しかし、小五郎は事実として、この場所に再び戻ってきた。出迎えた神崎の顔色は化学療法でも受けたのかと思わせるほどに青白かった。


 フラフラとした足取りの神崎に先導され、ラウンジに入った。室内の様子は記憶していたつもりだったが、なんだかみすぼらしく感じた。部屋の壁には見覚えのない染みがある。よく見ると、それは壁のそこかしこにあった。明らかに新しくできたものではないから、単に昨晩は見落としてただけのものだろう。


「今日は……疲れました。あたしの聴取を担当した警察は、とても高圧的な人だったので」


「犯人扱いされた?」


「さすがにそこまでは。でも、あいつ、絶対、女だからって下に見てましたよ。そういう、ヤな感じの奴でした」


 それはご愁傷様、と言う代わりに小五郎はコップに入った麦茶を掲げた。

 水出しの麦茶というものを、小五郎は基本的に信頼していないタイプの人間だったが、親友の死にショックを受けている心に鞭を打ってわざわざ神崎が淹れてくれた飲み物に手を付けないほど小五郎は厚かましい性格をしていなかった。


「……佐々木さん」


「なにかな?」


「謎解きがしたいって言いましたよね?」


「たしかに」


「なら、犯人を見つけてくれますか? れいなを殺した犯人を」


 ああ、余計なことを言ったな、と、小五郎はやっと後悔した。遅すぎるくらいだし、タイミングも間違っているのかもしれないが。


「さて、宇藤れいなは殺されたのかな? 縊死は自分でもできる」


「殺されたらしいです。あたしを聴取した刑事が言ってました。他殺の所見がなんだとか」


「ふぅん」


 小五郎を担当した女刑事は捜査情報を決して匂わせなかったが、神崎を担当した刑事はそうではなかったらしい。高圧的な性格で、しかも捜査情報を漏らしてしまう――聞くに、あまり優秀な人間には思えない。


「まあ、僕も本で読んだだけの半可通な知識しかないけど……専門家が他殺だというなら、そうなのかもね」


「誰なんですか……その、れいなを殺したクソ野郎は」


 神崎の瞳の奥にギラリと燃える炎を見て、小五郎は、彼女と宇藤れいなはやはりただの友達ではなかったのだと直感した。ただの友達が殺されただけで、ここまで強い憎しみの感情を抱くことはできない。まるで家族を殺されたかのような反応だ。宇藤れいなも、神崎にとっては家族のような存在だったのだろう。


 それこそ、復讐を決意するほどに。


 人心に鈍い小五郎でも、そのくらいのことはわかった。完全に他者の感情を理解できない人間というわけではないのだ。小五郎にとって他人の感情はブラックボックスであってもパンドラの箱ではない。開けて確かめなければわからないものではないのだ。


「まあ、これは現状、僕のただの推測であって、証拠はなにもないんだけど……」


「言ってください」


「……話半分で聞いてくれ。それから、まかり間違っても復讐はしないでくれ。お前たちは僕のことを過大評価してくれるし、それは存外嬉しいんだけど、僕の推理は絶対じゃない。指摘した犯人が間違っている可能性はある」


「………」


「それに、犯人にとって一番苦痛なのは殺されることじゃない。法の裁きを受けることだ。死は誰でも経験することだ。刑罰を与え、一生に渡って罪を後悔させることが真の復讐足り得る」


「御託はいいから、早く佐々木さんの推理を語ってください」


 怜悧な口調の神崎に、小五郎は自分の半熟な推理を型って訊かせるべきか悩んだ――が、結局は口を開いた。口を割ったとも言える。神崎の眼光は、つまりは感情は、それほどに鋭かった。熟練の刑事でもこれほどに口を割らせることはできまいという、それほどの眼光だった。


「……じゃあ、まずは確認だ。神崎、お前、刑事にアリバイを確認されたな?」


「アリバイ?」


 そこからか、と小五郎は辟易とした。が、これはミステリ好きの傲りというものだ。アリバイなんて単語は、普通の語彙ではない。


「えっと……日本語で言うと、現場不在証明って言ってな? 何日のいついつからいついつまでどこでなにをしていましたか、みたいなことを訊かれただろ、その高圧的な刑事に」


「ああ、はい。あれのことですか。訊かれましたよ」


「いつのアリバイを訊かれた?」


「いつのって……二十日の九時時から十二時、だったかな?」


「それは昼の? 夜の?」


「夜のです」


「二十一日のアリバイは訊かれなかったか?」


「訊かれませんでした」


「そうか、僕は訊かれた。つまり、警察は僕にはふたつのアリバイを確認して、神崎にはひとつしかアリバイを確認しなかった」


「そのことから、なにがわかるんですか?」


 小五郎は少し言葉を噤んだ。ここから先の展開は火を見るより明らかだったが、言うべきことを言わないということができる男ではなかった。


「アリバイっていうのは、普通は死亡推定時刻のものを確認するもんだ。だけど、警察は一日ズレのアリバイをふたつ確認した。宇藤れいなが二回死んだわけじゃないなら……僕が想定できる理屈はひとつしかない」


「?」


「僕に訊いて、神崎に訊かなかった。もっと記号的に抽象化するなら、男に確認して、女には確認しなかった――なあ、宇藤れいなは右利きか?」


 いきなりの質問に、神崎は一瞬だけ目を白黒させたあと、カクカクと頷いて見せた。イエスの意味だ。宇藤れいなは右利きだった。日本人の大半がそうであるから、この的中は推理ではない。ただの確率のトリックだ。


「僕はあの公園に打ち捨てられていた宇藤れいなの死体を見た。宇藤れいなが履いていた靴は水色のスニーカーだった。お前が言ってた、宇藤れいなのお気に入りの靴だな――靴の結び目は、右利きの人間が作るそれじゃなかった」


「犯人は左利きってことですか?」


 小五郎は首を振る。


「宇藤れいなは几帳面な性格だって言ってたよな?」


「……はい」


「でも、遺体となった宇藤れいなのサマーカーディガンはボタンがひとつズレていた。几帳面な人間がそれを直さないわけがない」


「つまり?」


「つまり、宇藤れいなの靴は右利きの他人のよって結ばれ、カーディガンも他人によって着せられたと推定できる。要は、犯人に着せられたんだ」


 ここまで言えば、神崎も察したようだった。異常犯罪を取り扱うことの多いミステリではありふれた話ではあるが、どうやらミステリを読まないらしい神崎にはショッキングな話だったかもしれない。だからこそ、察してくれてよかった。この言葉を慮外の死角から叩きつけるのは、さしもの小五郎でも気が引ける思いではあったのだ。


「犯人は宇藤れいなに服を着せた。着るように強制されたわけじゃない、着せられたんだ。つまり、犯人が服を着せたとき、宇藤れいなは既に死んでいた。服を着せたということは、裸だったということだ――要約すると、宇藤れいなは犯人に強姦されたと考えられる」


「強姦……レイプってこと?」


 その問いは無視した。

 神崎の頭がキャパシティダウンしている間に、さらなる惨たらしい事実を告げなければならないと思ったから。


「警察は男にだけふたつのアリバイを確認した。ひとつは死亡推定時刻だとすると、もうひとつはなんの時間か。宇藤れいなが強姦されたのだと仮定すると、それは精液の鮮度から逆算した、精液が発射された時刻だと推理できる――宇藤れいなの死体には、精液が付着していたんだろうな」


 精液は生きた細胞の塊だ。体外に発射されればすぐに劣化が始まる。つまり、そこから射精の時刻が逆算できる――もちろん、これはミステリではお馴染みの法医学知識である。


 どれだけ男女平等を謳っても、射精は男性にしかできない。だから、射精のアリバイは男性にだけ訊けばいいのだ。小五郎に確認する理由はあっても、神崎に確認する理由はない。


「待って、でも……おかしくない?」


 神崎がヒステリックな声を上げる。

 小五郎はわかっていて、無表情を貫いた。


「だって、それってつまり、あたしが警察にアリバイを確認されなかった時間が、その……れいながレイプされた時間なんでしょ? あたしが確認されたアリバイは二十日で、確認されなかったアリバイは二十一日――でも、それじゃあ……」


「そう。宇藤れいなが死んだのは二十日で、強姦されたのは二十一日。宇藤れいなは既に死んでいるのに犯されたことになる――つまり、死姦だ」


 ネクロフィリア。

 死体性愛者――死体に性的な興奮を覚える人間というものが、世の中には存在する。なんとも悍ましい限りだが、悍ましいだけに、これも、ミステリではお馴染み設定だった。


 神崎の表情は、面白いくらいに歪んでいた。火で焙った蝋のようだった。

 笑っているようにも見えるし、悲しんでいるようにも見えるし、怒っているようにも見える。たぶん、その全部だった。死姦という考えられないフェティシズムが笑えてしまって、親友がその被害に遭ってしまったことが悲しくて、怒っている。


「じゃあ、犯人は男……? もしかして、れいなのストーカー?」


「現実的に考えて、ミステリの世界でもあるまいし、ネクロフィリアなんてものが早々その辺にいるわけがない。犯人は、性的満足を得るために殺したんじゃなくて、死体でも性的に満足できるほどに宇藤れいなという女性を偏愛していた可能性が高い。そうなると、生前から宇藤れいなに対してなにかのアクションを起こしていたと考えるのが自然だ。ストーカーが犯人だというのは、納得のいく理屈ではある」


「そん……な……」


「宇藤れいなが失踪したのは四日前の十八日、死んだのは一昨日の二十日、死姦されたのが昨日の二十一日」


 時系列を整理するために、小五郎は言った。

 聞かせるための言葉ではなかったのかもしれない。


「犯人が宇藤れいなを誘拐したのが十八日。それから二日間、宇藤れいなはどこかに監禁されていた」


 その場所がどこなのかはわからないが、興味はわかなかった。そんなものは警察が犯人に尋問すれば簡単にわかることだ。


「おそらく、犯人は宇藤れいなに性的関係を迫った。宇藤れいながそれに応えたのかどうかはわからない。もしかしたら、宇藤れいなは性的関係を拒絶して、犯人はそれに逆上して宇藤れいなを殺してしまったのかもしれない。それが二十日のこと」


 二十日とは、神崎が小五郎にコンタクトを取ってきた日だ。

 その裏で、彼女が殺されていたのだという事実は……小五郎を安心させた。僕にできることは最初からなかったのだ、と、そんな風に思えてしまう。


「それから、犯人が死体で姦淫することに対する躊躇に一日かかって、死姦したのが二十一日。性的満足を得た犯人は、それから、宇藤れいなを公園の花壇に遺棄した」


 どうして花壇に遺棄したのか、その犯人の心理はわからなかったが、小五郎はそこにはやはり興味を抱かなかった。犯人の心理というものに、恬として興味のない男である。

 犯人の心理、つまりはワイダニットをミステリの真理として描くミステリも存在するが、小五郎はそういうものにはあまり興味を抱かないタイプの読者だ。作家泣かせではあるのかもしれない。


「以上、これが僕の推理する一連の事件の時系列だ」


「………」


 言ってから思ったが、その推理にはしっくりこないものがあった。どうしてそう思ったかというと、神崎が納得していないような表情をしていたからだ。どうやら小五郎の組み立てた論理に欠缺を見つけたような反応だった。


 小五郎はもちろん、その程度のことで神崎に反感を覚えたりはしない。そういうプライドは生憎なことに持っていない。矛盾があるなら皮肉なく是非に指摘してほしいと思ったが、しかし、神崎は納得していないながらに小五郎の推理を部分的には認めているようで、なにか反論を述べてくるようなことはなかった。


 代わりに、


「で、誰なんですか?」


 と、非常に冷たい声で言った。

 心の臓に冷やした釘を打ち込まれたような錯覚を得るほどだった。


「そのクソ野郎は、だから、誰なんですか?」


「クソ野郎っていうのが、犯人のことを言ってるなら――」


「それ以外誰がいるんですか」


「――警察は僕に対して事情聴取を行ったけど、それは非常にあっさりしたものだった。男で、しかも死体の近くにいたような犯人候補筆頭の人間を、半日にも及ばないような事情聴取で解放するのは妙だ。もちろん、精液が採取されてるなら犯人が僕かどうかなんてDNAを調べれば一発だ。でも、僕がDNAの提供を求められたのは事情聴取の最後だった――考えるに、警察は僕の事情聴取を開始する前から犯人に目星がついていたんだと思う。つまり、精液が誰のものかわかってた……のかもしれない」


 小五郎はここで一度言葉を区切ったが、神崎は先を促した。

 ただの類推でここまで言うべきかわからなかったが、やはり、沈黙という選択は与えられていないようだった。


「DNAが警察の保有するデータバンクに適合した、つまり、犯人が前科者だったのか――それとも……」


「それとも?」


「それとも………………採取されたDNAが被害者のものと相関関係が認められたか――例えば、親子関係とか」


 神崎が息を飲んだ。

 その反応で、小五郎はは自らの考えの正しさを確信した。


「宇藤れいなの父親と母親が離婚した原因は、宇藤れいなの父親が彼女に対して肉体関係を強要したからなんだな? 死んだ方がいい父親っていうのは、そういう意味なんだな?」


「……佐々木さんは、名探偵ですね」


「そうでもないさ」


 これは謙遜でもなく、そう言った。

 再三繰り返すようだが、小五郎はミステリフリークである。

 近親相姦というのも、ミステリではお馴染みの設定だった。


「れいなを殺したのは……れいなの父親なんですか?」


「僕が勝手にそう言ってるだけだ」


「れいなは父親に……殺されたんですか! 殺されて、レイプまでされたんですか! そんな……そんなふざけたことが、どうしてれいなに……!」


「早まるなよ。僕の推理が正しいとするなら、宇藤れいなの父親は今頃警察に身柄を拘束されてるはずだ。そしたら、お前にできることはない。もしも宇藤れいなの父親が警察に拘束されてないなら、つまり僕の推理は間違ってるっていうことだ――どっちにしろ、お前が宇藤れいなの復讐をする機会はない」


「ふざけんな! ふざけんな!」


 神崎は絶叫した。これをヒステリーと呼ぶのは、彼女に対してあまりにも不公平というものだろう。ある種、当然の反応だった。


 神崎のやり場のない憤懣は、余すことなく小五郎に向けられた。そのことを小五郎は理不尽だとは思わなかった。甘んじて、その怒りを引き受けた。そうすることで、自分が罰せられているような、転じて、赦されているような気分になれた。


 これは自分に酔っているだけだ。

 小五郎は罰せられているわけでも赦されているわけでもないし、そもそも、彼は赦されているべき罪など犯してはいないのだから。


「れいな……れいなぁ……」


 しまいには、神崎は泣き出してしまった。その気持ちはやはり小五郎には理解できなかったが、こればっかりは、きっと他人には誰にも理解できないものだったのだろう。


 余計なことを言った。

 小五郎はもう一度後悔した。後悔はいつだって先に立たず、役に立たない。


 もしかして、僕は自分の推理を他人に聞かせることで、自らの賢さを証明しようとしていただけなのではないだろうか――小五郎は自問した。もしもそうなら、そうなら、小五郎はどうしようもなく自分のことを嫌いになるしかないのかもしれない。


 なんて。


 そういうのをナルシズムというのだと、本を読む小五郎は知っていた。

 知識としては。

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