第5話 謎解きがしたい
そこから先のうんざりするほどのうんざりを、正直なところ、小五郎はもう覚えていたくもなかったのだけど、覚えていたくないことをすっぱり忘れられるような都合のいい脳みそをしているわけがないので、小五郎はそこからのうんざりをうんざりするほどに覚えていた。
「では、佐々木小五郎さん、聴取を開始してもよろしいでしょうか?」
小五郎は頷いた。
厳粛に。
取り調べを担当する警察官は女性だった。
取調室に入るのは、実のところ初めてではなかった。今まで二件、殺人事件に関わっている人間である。その度に取調室には招かれてきた男だ。お招きの小五郎と呼ばれても問題はない。
「ではまず、氏名と本籍地を教えていただけますか?」
そこから始まる基礎的な質問を、小五郎は慎重に答えた。もちろん、嘘は吐かずに。氏名、本籍、年齢、職業、犯罪歴……その程度のことは、きっと警察は訊くまでもなく知っているのだろう。だが、あえてそれを訊くのは、たぶん、小五郎が嘘を吐く人間かどうかを見極めるためだった。
だから、小五郎はたったのひと言も嘘を吐かなかった。話を盛ることもしなかった。
中には、身長や体重などパーソナルな質問も含まれていたが、それにも正確に答えた。正確に答えられないところは、もちろん、正確には答えられませんが、と付け足した上で。
「では、遺体発見までの流れを説明してください」
小五郎は昨日の話をした。神崎に受けた依頼を包み隠さず話し、そこからの行動の一切を細大漏らさずに説明した。それなりの時間を要したが、女性の警察官は聴取を取りながら根気強く聞いてくれた。
「それで……女子寮に宿泊したのですか? 管理人の許可も得ずに?」
ぐうの音も出なかったので、小五郎は黙秘権を行使した。
「……まあ、いいでしょう。民事不介入です。では、佐々木さん、あなたは被害者とは直接の面識はなかったということでよろしいですね?」
首肯。
「では、九月二十日の二十一時から二十四時までの間、どこでなにをしていましたか?」
アリバイ調査だ。
小五郎は察した。察して、ちょっと興奮した。これまで関わった二件の事件では、それらの聴取を受けることはなかったのだ。
九月二十日というと、一昨日の日付だ。
つまり、神崎から宇藤れいな捜索の依頼を受ける前日であり、神崎から呼び出しを受けた夜でもある。二十一時から二十四時。その時間は、小五郎は家にいた。
「それを証明できる方はいますか?」
小五郎は両親の名前を挙げた。もちろん、それがあまり意味をなさないことをミステリを読む小五郎は知っていたが、事実は事実なのでそう言った。
「では、九月二十一日――つまり昨夜ですね――昨夜の二十一時から二十四時までの間、佐々木さんは紅桜寮の三階にひとりでいらっしゃったのですよね?」
小五郎は頷く。
紅桜寮というのは、例の女子寮の名称だった。
「そのことを証明する手立てはありますか?」
小五郎は首を振った。
『303』に入ったところは神崎に見られているが、それから朝が来るまで、ずっと部屋の中にいた。誰かが訪ねてきたわけでもない。
「部屋からは出ていないという証言で間違いありませんか?」
どうしてそんなことを訊くのだろうと思って、それから、寮のエントランスに監視カメラがあったことを思い出した。当該の時間に小五郎が外に出ていないことを証言させたいのだろう。もしも二十一時から二十四時の間に小五郎がそのカメラに映っていれば、小五郎は偽証したことになる。嘘の証言をした場合にどうなるかは、事情聴取の最初に説明された。
はい、と小五郎は答える。
それから、おや、とも思った。
どうして昨晩のアリバイを訊くのだろう。一昨日の夜のアリバイと昨晩のアリバイ、ふたつを確認する理由はなんなのだろうか。
「佐々木さんは被害者の身辺について調査していたとおっしゃっていましたね? よろしければ、その子細についてお聞かせ願いますか? どうかお気を悪くしないでください。それらの情報が佐々木さんの成果物であることは我々警察も重々承知していますが、捜査にご協力お願いします」
そこまで丁寧に扱われると、小五郎としても悪い気分ではなかった。やはり、創作物は創作物でしかないらしい。ミステリなんかで出てくる警察はいつも傲慢で頓珍漢だが、現実の警察はそういうわけではないようだ。
ここまでの扱い――まるで王様にでもなったかのような言葉の遣われ方――は人生でも初めての経験である。若年求職者である小五郎は、いつだって誰かに見下されて生きてきた。そのことを苦しいとも悔しいとも思ったことはない。
プライドは職と共に捨ててきたのだ。とっくの昔に。
小五郎は一切合切を気前よく喋った。
宇藤れいなの趣味、家族構成、男性恐怖症だったこと、ストーカー被害に遭っていたこと、失踪したっこと、そして謎のメッセージについて。
一切の私情も私見も挟まず、事実だけを淡々と説明した。我ながらよくできた説明だったのではないかと、語り終えてから思うほどに。論理性なんてものが、この無職の頭蓋骨の中身にもしかしたら欠片ほど入っているのではないかと、小五郎は一瞬だけ自惚れた。
もちろんそんなのは、ただ、この女性警察官の聞き取り能力が高く、こちらの説明を引き出しているだけにすぎないと小五郎は理解している。自分がどうしようもないほどに凡人であることは、小五郎自身が誰よりも理解しているのだ。
ああ、昔は神童なんて呼ばれていたのにな。
小五郎は懐古する。
幼い頃はなんでもできた。一番にこそなかなかなれなかったが、どんな分野のなんにでも一定以上の成果を上げ、努力せずとも労なく熟せた。そつない、というのとはまた違う。他人に羨まれる程度の結果を出すことができた。
有体に言って、小五郎は天才だった。神童だった。
神童も二十過ぎればただの人、というのは、果たして誰の言葉だったか。そこはかとなく中国みを感じるアイロニーな言葉だが、それはまさしく小五郎のことを称していると思っていた。まるで遥か太古の人物に見透かされているような気分になって、ドキリとする。
「佐々木さん?」
昔を懐かしんでいた小五郎はその声で現実に帰ってきた。すみません、少しぼーっとしてました。頭を下げる。大丈夫ですよ、長い時間ありがとうございました。そんな風に気を遣われる。
「それでは、申し訳ないのですが、最後に指紋とDNAの提出をお願いします」
有無を言わせないというか、断る選択肢を与えない口吻だった。
令状がなければ法的強制力はなく、断ることができるお願いであることを小五郎はもちろん知っていたが、知っていなければ、断れば違法行為になると思わされるような口振りだった。
こういうところで、やっぱり警察は油断ならない。いい刑事と悪い刑事をひとりでやるような女性だった。この人、できる。そう思わされた。たしか名前は……氷室――氷室サラという名前だったか。サラ? そういえば、そこはかとなく洋風な顔立ちでもある。よく見れば瞳の色がグリーンだ。ハーフだろうか。今はミックスと言うのだっけ。
どうでもいいか、なんて考えながら、小五郎は指紋とDNAを提出した。
指紋は専用のシートに五指を押し付けて採取した。右手と左手。普通に手をつくと親指が横になるので気をつけてくださいね、と言われた。実のところ、指紋を取られるのは初めてではなかったので、ここは慣れたものだった。
DNAは唾液から採取された。こちらは初めての経験だった。口腔内を綿棒でごしごしと削られる。存外に乱暴で、痛かった。ここまでしないとDNAとは採取できないものなのだろうか。だとしたら、事件現場に犯人のDNAが残ることなんてなかなかないのではないだろうか、と思ったが口にはしなかった。綿棒を突っ込まれていたからである。
「それではご協力ありがとうございました。お気をつけておかえりください」
警察署から放逐されたとき(放逐――この表現でまちがっていない)、既に昼を大きく過ぎた時間だった。もちろん、事情聴取中に昼飯なんて食べさせてもらえない。お腹が減っていたが、今から食べると夕食に響きそうだな、というような時間でもあった。
色々悩んだ結果、小五郎はまず、両親に連絡を取った。電話はワンコールで繋がった。諸々の事情を色々と端折りながら説明し、今夜は帰れないことを伝えた。それから、警察から九月二十日のアリバイを訊かれるだろうけど、正直に答えること、と言い置いた。
それから、神崎に連絡を取った。神崎も事情聴取を受けていたはずだが、小五郎より早く終わったのか、電話は繋がった。
「ああ、神崎か? ちょっと、もう一回、紅桜寮に僕を招いてくれないか?」
「……なんでですか?」
悄然とした声が返ってきた。
それはそうだろう。話に聞くに、神崎となくなった宇藤れいなは仲のいい友達だったらしい。親友だと本人が言っていた。もしかしたら、無二の友人だったのかもしれない。
そんな子が無残に首を絞められて鬼の形相で亡くなり、さらに公園の花壇に死体を放置されていた――なんて、とても半日で受け止められる事実ではないだろう。
だけど、だからこそ。
現実と向き合わなければならないのだろうか。
という、お題目とはまったく関係なく、小五郎はただの好奇心で、九つ命を持つとされる猫すらも殺すらしいその感情で、無感情に、無機質に、ノーデリカシーに、言った。
「宇藤れいなの死について謎解きがしたい」




