第3話 女子寮の住人たち
くぅ――と、小五郎の腹の虫が鳴った。
宇藤れいなの部屋を出て、階段で二階に降りている最中のことだった。階段は内階段だが少し古い。踏み板を踏むときぃと悲鳴のような音を鳴らした。階段全体は折り返すように形になっている。中三階とも呼べるのか、窓のついた踊り場には窓枠にどこかの名産っぽい郷土人形が飾ってある。
そこで小五郎の腹が鳴ったのだった。
「佐々木さん、お腹減ってるんですか?」
神崎が階段を一段降りたところで振り返る。見下ろす角度となる彼女は、上目遣いで小五郎を見ていた。
「まあ、そういう時間だしな」
小五郎は言い訳がましく答える。
時刻はもうすぐ七時といったところで、窓から差し込む茜色も黒みを帯びてくる時間帯だった。そろそろ一番星が見つかるかもしれない。
「じゃあ、全員に話しが訊けたらご飯にしましょうか。あたし、作りますよ」
「マジで? じゃあ、遠慮なくご相伴に授かろうかな」
「料理得意なんで、ちょっと期待しといてください。あ、でも、うっかり惚れたりしないでくださいね? あたし、佐々木さんのことそういう目ではちょっと見れないんで」
「お前……味がそこそこだったら思いっきり笑ってやるからな」
そんな会話をしながら二階に降りると、丁度、二階から一階に降りようとしている人影があった。すらりと背の高い、女子だ。いや、女子寮なのだから女子なのは当たり前だが、しかしその少女は……なんというか、少し注目を惹く見た目をしていた。
顔の造形は、まあ、至って普通の女子だ。目を大きく見せ、頬が過剰に赤い、なんだかアニメチックな、イマドキっぽい化粧をしている。服はオフショルダーでフリルのトップスに、太腿の付け根が見えているくらいに切り詰めたミニスカート――全体的に煽情的な恰好だ。髪色は明るい茶色でポニーテール。手足は長いが、それ以上に細い。まるで枯れ枝のようだ。触れれば折れてしまいそう。つまりは痩せすぎである。
色々込みして、まさしく現代の若い子って感じ。余談にはなるが、小五郎はこういうタイプの女の子が余り好きではなかった。
「哀ちゃん、いいところに」
「ん? お、瑞葉ちゃん……と?」
瘦せすぎ女子は神崎にニコッと笑ったあと、小五郎に不躾な視線を向ける。初対面にしては無礼な反応だったが、正常な反応でもあった。ここは女子寮で、小五郎は男性なのだ。
「僕は佐々木小五郎。よろしく。神崎に頼まれて、失踪したらしい宇藤れいなの捜索をしてる」
「れいなの?」
彼女は神崎に視線を遣って、それから苦笑いをひとつした。
小五郎でもわかる――それはなにかに過剰な反応をしている人間に呆れている人間のそれだった。ジェットコースターで隣の人が絶叫してると怖いよりも苦笑が先立つときのあれのような。
「ちょっと色々訊きたいんだけど、時間いいか?」
「……はあ、わかったわかった。協力するよ。ウチは鈴木哀。よろしく探偵さん。ウチ、これからバイトだから手短にお願いね」
「わかった」
じゃあ、早速。
と、小五郎は口を開いた――口を開いてから、困った。なにを訊けばいいのだろう。小五郎は別に探偵ではない。失せ人捜しどころか、迷子の猫を捜索した経験すらないのだ。いなくなった人間を見つけるには、誰にどんなことを訊けばいいのかわからない。
小五郎は少し、ほんの一瞬だけ悩んでから、得意の演技を開演することにした。探偵のふりをすれば、なにか質問が浮かんでくるかもしれないと思ったし、訊くべきことがわからないままでもそれっぽい雰囲気を作ることができる自信があった。
「いなくなった宇藤れいなとの関係は? ただの友達じゃないよね?」
「……なんでそう思うわけ?」
「もちろんただの当てずっぽうだけど、図星みたいだね」
鈴木は眉を顰めた。嫌な奴、とでも言いたげだ。言われなくても自覚しているよ、と、ここで心を読んだようなことを言ってやろうかと思ったが、相手を嫌な気持ちにさせるのが目的ではないので、小五郎はその言葉を飲み込んだ。
「宇藤れいなとは仲良かったの? それとも悪かったの?」
「……よかったよ。そりゃ、同じ寮に住んでるし、多少はね」
「親友って感じ?」
「瑞葉ちゃんほどじゃないけど」
鈴木はへらっと笑いながら言った。しかし、そんなことを言う彼女の手が力強い握り拳を作っていることを小五郎は見逃さなかった。さて、拳を握りながら作った笑顔は作り物であると喝破していたのはなんの小説だったか。
「宇藤れいなの行方に心当たりはある?」
「ないよ」
「行きつけの場所とか、お気に入りのスポットとか、よく利用してたホテルとか」
「知らないって――そういうところは、仲良しの瑞葉ちゃんがとっくに探したんじゃないの? 探偵さんが考えるべきなのは……」
「僕が考えるべきなのは?」
「……犯罪、じゃないの? れいな、ストーカーに悩まされてたし。誘拐とか――もっと最悪の場合とか……」
「誘拐の場合でも、それより最悪の場合でも、それは僕の仕事じゃなくて警察の仕事なんだけどね」
鈴木はそこで、握り拳を解いた。小五郎はそれを意識しないようにしながら視界の端で捉えていた。
なにか意味があるのだろうか、ないのだろうか。
現実は小説よりも情報量が多い。ノイズが沢山あるのだ。ひとつひとつを取り沙汰していたら却って事態を深みに嵌めることになるかもしれない。
表情には軽薄な笑みを浮かべながら、小五郎は悶々と考えていたのだが、しかし、彼が発しようとしたどんな言葉も形になる前に、鈴木の方が機先を制した。
「もういい? ウチ、バイトなんだけど」
「ああ……ちなみに、バイトって?」
「ちょっとしたサービス業」
「ああ、そう。じゃあ、頑張って」
鈴木はさよならも言わずに背を向けて階段を下りて行った。踊り場で折り返す直前、鈴木はチラッと小五郎の方を見た。小五郎は名探偵の演技をしたまま、いかにも白々しい笑顔を寄越した。鈴木はそれを無視して去っていった。軋む階段の音が遠ざかっていく。
「気難しそうな奴だったな」
「うちの寮だと結構まとも枠ですよ、哀ちゃんは。他のふたりはもっと個性的です」
「そりゃあ……楽しみだ」
小五郎は虚勢を張った。
就活によって対人能力にはそれなりに自信がある小五郎だったが、歳下の女性との会話は楽ではない。鈴木とのちょっとした会話の応酬だって、決して楽しんでいたわけではないのだ。あれより個性的となると、小五郎としても身構えなければならない。
「哀ちゃんの部屋は『201』です。次は『202』の一千華ちゃんの部屋に行ってみますか。伏見一千華ちゃん。文学部……だったかな? の、一年生です。一千華ちゃんはコミュ強だから、いたら会話には応じてくれると思いますよ」
「いたら……ね。いない可能性があるのか?」
「まあ……いないことも多いですねー」
件の『202』のドアは……なんというか、非常にデコラティブだった。金色やピンクのシールかなにかが貼ってある。小五郎には理解のできないデザインで飾り立てられたドアだった。
そのドアを神崎が無遠慮に三度叩く。
「一千華ちゃん? いる? ちょっと話があるんだけど」
返事はない。
留守だろうか、と、神崎が振り返ろうとした瞬間、扉の向こうからドタドタと音がした。
「はいはいはーい」
扉を開けて出てきたのは……所謂ところの地雷系女子だった。小柄な体躯。ピンクのインナーカラーが入った黒髪はツインテール。メイクをすれば完成だろう。あと、服もか。現状の彼女はピンク色でふりふりのパジャマを着ている。
小五郎が苦手とするタイプの女子だ。
それに、非常に香水臭い。いい香りではあるが、強烈すぎては興醒めだ。香水は軽く薫るくらいでいいのに、と、思わないでもない小五郎だったが、もちろん初対面でそんなことを口にするほど強烈な性格はしてない。
「ごめーん、瑞葉ちゃん、ちょっと取り込みちゅー……およよ? お兄さんはだぁれ?」
腹の立つ喋り方だと思ったが、もちろん言わない。喉元まで出かかったが。
この子アニメとか好きそうだな、と漫然と思いつつ、小五郎は顔面に名探偵を張り付ける。
「神崎の……まあ、友人? の、佐々木小五郎です。いなくなった宇藤れいなって子を探してます」
「ああー、前に言ってた名探偵さん? 一千華でーす、よろしくー」
伏見はチャラチャラとした口調で言いながら部屋から出てきて、後ろ手に扉を閉める。その足は素足だ。そこでひとつ、小五郎は疑問を得た。後で神崎に確認しようと心にメモをしながら、伏見に向き合う。
「じゃあ、伏見――二、三、質問いいか?」
「どうぞ、どうぞ」
「なら、遠慮なく。まず、宇藤れいなの行き先に心当たりはないか? できれば、寝泊まりできるところで」
「ないかなー。れいな、外泊とか全然なかったし。だよね?」
伏見は神崎に視線を寄越した。神崎はひとつ首肯する。
「なら、宇藤れいなの交友関係について心当たりは? 特別仲の良かった友達とか、付き合っている恋人とか」
「あれれ、知らないの? れいなって男性恐怖症だったんだよ?」
「知ってるよ。でも、恋人が必ず異性である必要はないだろ?」
「ああ、そういうこと? でも、ま、それもないかな。恋人はいないって言ってたような気がしないでもないし――れいなって、確かサークルにも所属してなかったし、いつもこの寮にいたような気がする。一番仲良かった友達も、わたしか瑞葉ちゃんなんじゃない?」
「ふぅん。お前も仲良かったのか?」
「大・親・友」
掲げられるピースサイン。
小五郎は苦笑いを返す。溜め息を飲み込みながら。
「じゃ、最後にその大親友ちゃんに訊くけどさ、宇藤れいなの趣味ってなんだった?」
「カメラでしょ、そりゃ」
「と?」
「――と?」
「カメラだけじゃなかっただろ? カメラが趣味なのに、いつも寮にいたっていうのは変だ。写真好きなら、もっと色々出かけて写真を撮って回るはずだろ。推察するに、宇藤れいなには室内でできる趣味がもうひとつあったんじゃないか?」
「……ふーん。探偵さん、やるね」
伏見の目が細められる。
「そうだよ、うん、そう。れいなは読書も趣味にしてた」
「読書」
「電子のね。スマホでいつもなんか読んでたよ。主にミステリ……とか? 私にはよくわからないけど」
「はあん。ミステリね……初めて宇藤れいなに共感できるな。ひと口にミステリといっても色々あるが、宇藤れいなはなにが好きだって言ってた? 作家名とか、作品名とか、なんか言ってなかったか?」
「クリスティ? が好きとか言ってたかなー」
「海外か……」
小五郎は日本の本格ミステリが好みなのだが、もちろん、クリスティだって読んでいる。ドイルもエラリーもカーもポウも読んでいる。
読書の傾向とはその人の人物像だと小五郎は思っている。宇藤れいなという写真でしか見たことのない女の子のことを、小五郎はやっと実在の人物だと思えるようになっていた。
「ねえ、お兄さん、わたし、もういい? そろそろ」
「ん? ああ、時間取らせて悪かった」
「次は哀ちゃん? 博美ちゃん?」
「鈴木とはもう話した」
「じゃあ、博美ちゃんかー。それはご愁傷さまー」
なにか気になることを言いながら、伏見は部屋に引っ込んでいった。
デコった扉が閉じる。鍵がかかる音がする。女子とは言っても、そこら辺のリテラシーはちゃんと高いらしい。
「一千華ちゃん、どうでした?」
「正直、苦手」
小五郎は声を落として言った。
神崎が忍ぶように笑う。
「でしょうね――じゃ、最後は博美ちゃんですね」
「その前にひとついいか?」
「なんでしょう?」
「靴だ。宇藤れいなの靴はどうなってる?」
「どうなってる、とは?」
「部屋からなくなってるのかどうかを聞いてる」
「なくなってますよ。お気に入りって言ってた水色のスニーカーがなくなってます」
「……そうか」
もしも靴が一足も欠けることなく揃っていて、それで本人がいなくなっているなら、それは充分に事件であり、警察に事情を話せば捜査してくれるレベルの話になるのかもしれないが……まあ、そのくらいは警察もとっくに調べていることだろう。もしかしたら、失踪者捜索のマニュアルに書かれているかもしれない。
「じゃあ、最後の部屋に案内頼む……いや、まあ、案内っていうか、ただの顔繫ぎなんだが」
「そのつもりですけど、上手くいかなくても怒らないでくださいね」
「というと?」
「博美ちゃん――関博美ちゃんは気難しくて、あたしも別に仲良くないんですよ。それにちょっと……おかしな子だし。医学部だから頭は良いんでしょうけど」
「医学部ね……」
以前招待された医者のパーティーを思い出す。
思えば、彼らは全員医学部卒なのか。
小説の中では、医学部の学生生活は地獄のように忙しいと書かれていることも多いが、実際のところはどのような環境なのだろうか。
「そういえば、神崎は何学部なんだ?」
「人文科学部です」
「知らない単語だ」
「そうですよねー。人間の文化とかを勉強する学部です。ぶっちゃけ、あたしもなに勉強してるのかあんまわかってません」
「それはわかっとけよ」
そんな会話をしているうちに『203』の部屋の前に到着した。
先と同じように、神崎がノックを三度鳴らす。
「博美ちゃん、ちょっと話があるんだけど」
扉は十秒待って、二十秒待って開いた。
甲高い悲鳴のような音を鳴らして、軋む扉が開く。
中から出てきたのは、黒髪に寝癖を付けた少女だった。黒縁の眼鏡にそばかすが印象的な顔立ち。ハッキリ言ってそれほど整っていない。メイクをすれば化けるのかもしれないが、しかし、メイクをする印象もない……有体に言って、いかにも陰キャ然とした少女だった。
なんとなく若々しさはない。神崎や伏見からはまだ高校生然とした気配を感じるが、彼女は完全に大学生の風格だ。四年生だろうか? 医学部は六年生と聞くし、それ以上の可能性もありうる。
「……男?」
関は神崎を見て、小五郎を見て、眉を顰めた。
「な……なに? 瑞葉ちゃん、男連れ込んだの?」
「言い方気をつけてくださいよー、博美ちゃん。れいなの捜索を手伝ってもらうために招待しただけです。別にそういう関係じゃないですよ」
「だとしても、女子寮に男入れるのはマズいでしょ」
道理であった。
小五郎はなにも言う権利はないと見て、黙って事の成り行きを見守る。
「でも、佐々木さんは本当にすごい人なんですよ。この人だったら絶対にれいなのこと見つけてくれます。博美ちゃんも協力してくださいよー」
「いや、知らないし。私に関係ないじゃん」
「でも、れいなが」
「だから、知らないって」
半分開いていた扉が、それきり閉ざされた。また、悲鳴のような音を鳴らして。鍵のかかる音。閉ざされた扉に向かって、神崎が何度か呼びかけたが、返事はなかった。
神崎は小五郎に視線を向けて、シニカルに肩を竦める。
「なるほど」
「なにかわかりました?」
「関が怪しい」
「安易ですね……」
小五郎は神崎の真似をするみたいに、シニカルに肩を竦めて答えた。




