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名探偵 佐々木小五郎の名演  作者: 妹山あおい
名探偵 佐々木小五郎の謎語
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23/32

第1話 依頼

「佐々木さんには、失踪したあたしの親友を探してほしいんです」


 というのが、神崎の第一声だった。


 場所は都内の喫茶店である。

 駅からほど遠く、そして日当たりも悪い。はっきり言って雰囲気の悪い喫茶店だったが、しかし、コーヒーの味は本物だった。小五郎は無職ながらに贅沢舌である。コーヒーにはうるさい男なのだ。その小五郎の舌をもってしても、この店のコーヒーは合格点を大きく上回る味だった。


 そう思ってみると、この喫茶店の立地の悪さも、静けさに直結していて悪くない。こういうのを穴場と言うのだろうか。

 大学生を相手に阿漕な商売をしている店だとばかり思っていたから、落差も激しい。


 小五郎は一見だったが、神崎は常連のようだった。

 彼女は小五郎に遅れること十五分、オフショルダーのシャツにプリーツスカート、ヒールサンダルの恰好でやって来た。

 で、小五郎の正面に座って、このひと言である。


「……まあ、まずは注文しろよ」


 小五郎はメニューを渡そうとしたが、神崎はそれを一瞥もせずに「カフェモカで」とマスターに注文を通した。マスターは言葉では返事をせず、頷いて応える。その接客のドライさがちょうどよかった。


 どうやら、神崎が小五郎を呼び出したのはまたぞろ探偵関連らしい。

 小五郎は辟易とする。

 神崎――神崎瑞葉は以前、山間のペンションで出会った女子大生だった。あれから……あの事件から半年以上経っているが、確か彼女は当時で二十歳だったので、まだ大学を卒業したということはないだろう。中退していなければ、彼女はまだ女子大生だ。


 白状すると、小五郎は女子大生に呼び出されるというシチュエーションに少しの期待をしていた。どのような期待だったのかは記さないのが彼のためだろう。なんにせよ、それは過剰な期待であり、過度な期待だった。


「……失踪した親友っていうのは?」


 正直なところ、気はまったくと言っていいほどに乗らなかったが、そういう風に問い返さない選択肢はなかった。


 へえ、そうなんだ。親友が失踪ね。ご愁傷様。それじゃあ、このあとホテルでも行く?


 ――なんて、どんな阿呆でも言いようがない。小五郎はそこら辺は弁えている質だったし、そして、情に棹差しやすい質でもあった。

 神崎は切羽詰まった表情をしていたのだ。

 だから、小五郎に無視するという選択はなかった。


「あたしの親友の宇藤れいなって子と三日前から連絡が取れないんですよ。同じ寮に住んでるんだけど、部屋にはいなくて……寮監に頼んで部屋に入ったんですど、意味わかんない書置きがあっただけで、れいなはいなかったんです」


「書置き、ね……」


 コーヒーを啜る。

 苦い。


「警察には?」


「もちろん言ったけど、あまり真面目に探してくれてる感じは……」


「ま、まだ三日じゃな」


 事件性は低いと判断されたのだろう。

 判断されたというか、事件性は低いと言わざるを得ない。正直、人が三日くらい音信不通になったところで変ではない。


「いや、変なんですよ。れいなはマメな性格なんです。連絡が返ってこないだけでもおかしいのに、部屋にもいないなんて……誰も行方を知らないんですよ? 授業も無断欠席してるし、誰にもなにも言わずにいなくなるとかありえないし――とにかく、そういう子じゃないんです」


「って、警察には言った?」


「言いました」


「で、なんて?」


「はい、そうですか――って」


 苦笑。

 まあ、そうだろうな、と。

 日本の警察は無能だ、なんて大言壮語を吐くつもりは小五郎にはないが、しかし、所詮はお役所だなと思ってはいる。小五郎はどうしてかこれまでに二度も殺人事件に巻き込まれていて、その度に警察のご厄介になってきたが、無能だとは思わなかったが冷然としているとは何度となく思った。


「その宇藤れいな? の、実家はどうだ?」


 神崎は首を振った。


「れいなのママも知らないって」


「実際に訊いたのか? 実家に突撃して? 行動力あるな、お前」


「いや、あたし、れいなのママと友達だから」


 友達の母親と友達というのも小五郎には理解が難しい感覚だったが、まあ、そういうこともあるのだろう。友情に年齢は関係ないとも聞く。実際にそうだとは思わないが。小五郎は先月二十六歳の誕生日を迎えていた。


「ちなみに、宇藤れいなの家族構成は?」


「……どうしてそんなこと訊くんですかー?」


 間延びした語尾。

 そういえば、神崎瑞葉とはこういう喋り方をする女だったな、と小五郎は思い出した。半年ぶりの邂逅だ。彼女のことなど、正直あまり覚えていなかったというの正直なところだ。


 伸びた語尾とは対照的に、細められた目からは猜疑心が溢れ出ている。

 いや、これは警戒だ。


「はあん……」


 小五郎は息を漏らす。

 なるほどね、と思ったが、口にはしなかった。実際に口にしたら感じが悪いと思ったからだ。


「なんですか?」


「いや、なんでも――家族構成を訊いたのは、つまり、母親の方はともかく、父親の方はどうしてるのか聞きたかったからだよ。まあ普通、家庭内のことをより注意深く把握しているのは女親の方だから、母親が知らないなら父親だって知らないのが普通だけど……でも、父親が別居とかしてるなら、話は変わってくるだろ? もしかしたら、別居状態の父親の家に上がり込んでるのかもしれない」


「れいなに父親はいません」


「死んだの?」


「……明け透けに訊きますね」


「まあ、ちょっと前にな……空気を読んでそれを聞かなかったせいで、迷宮入りしかけた事件があったものだから」


 神崎は小五郎の頭の天辺から指先までじろりと眺めた。睨んだという表現が似つかわしい。

 そういえば、彼女はヒステリー持ちだったな、と思い出す。

 手元のカフェモカを顔にぶちまけられたらやけどじゃ済まないかも、と身構えもする。


「死んではないです」


 ややあって、神崎は粛々と答えた。

 苦虫を嚙み潰したような表情だった。


「『死んで”は”』っていうのは、意味ありげだな」


「死んだ方がいい人なんですよ」


「というのは?」


「それは勝手には言えないです。でも、とにかく、れいなのママとそいつは離婚してます。別居もしてます。そいつがどこにいるのかはあたしも知らないけど、れいなも知らないって言ってたから、だから、れいながそいつのところに転がり込んでる可能性はない、です」


「そう希望しているような口振りに聞こえるけど?」


「……佐々木さん、見ない間にメンタリストに宗旨替えしたんですか?」


「いや? お前がわかりやすいだけだ。人の心になんて興味ないよ。そんな中学生みたいなこと、この歳になって言ってても恥ずかしいけどね」


 犯行動機に露ほども興味を持たない探偵が小五郎だ。

 いや、もちろん、厳密には彼は探偵ですらない。

 ただのフリーターだ。


「まあ、じゃあ、そのメンタリストならざる僕が単刀直入に訊くけどさ――お前、その宇藤れいなって娘が好きだったのか?」


 神崎はゆっくりと瞬きをひとつした。

 意表を突いた言葉を言ったつもりだった小五郎だが、しかしその反応を見るに、神崎はその質問を予想していたようでもある。


「……れいなは女ですよ」


「だから?」


「………」


「否定しないってことは、合ってるのか?」


 もう一度、神崎はゆっくりと瞬きをして、それから口を開いた。

 少し掠れた声で、言う。


「……好きか嫌いかで言えば、好きです」


「好きか大好きかで言えば?」


「まあ、大好きです」


「それは恋愛的な意味で?」


「自分では違うと思っています」


 その回答の意味は小五郎には理解できなかったが、しかし、嘘を言っている様子はなかった。もちろん、小五郎に嘘を見抜く能力などないが……だが、他人の言葉を自分に不都合のない範囲で信じる度量くらいは、彼にもある。


 神崎が恋愛的なニュアンスがその『大好き』に含まれていないというのなら、そうなのだろう。

 しかし、だが。

 だとすると、先ほど家族構成を聞いた時の彼女の反応は、どういう由来のものだったのか。てっきり恋敵候補に対する警戒心だとばかり思ったのだが、やはり、人の心に興味のない小五郎の直感は当てにならない。


「もしかして、宇藤れいなは男性恐怖症だったのか?」


「え、なんでわかんの!?」


 うっかり敬語が抜けていることに気づいたのか、直後、神崎は「あ、ごめんなさい」と謝ってきた。

 もちろん、小五郎はその程度のことで柳眉を逆立てるような人間ではないので、片手のジェスチャーで返事をする。


「さっき、宇藤れいなの家族構成を訊いたとき、お前、僕のことを警戒しただろ。宇藤れいなに僕という人間が卑近することを嫌ったんだ。でも、それはおかしい。宇藤れいなの失踪からたった三日でお前は僕に相談してきたんだ。僕という人間を警戒してるなら、そもそも僕はここに呼ばれてない。つまり、お前が警戒したのは僕という人間ではなく、男という記号なんじゃないかと思ったんだ」


 色々と穴のある理論だったが、しかし、これは別に外れていても本人が正してくれるだけの話だったので、小五郎は思ったことを思ったままに言った。正解を一発で引き当てたのは、だから、ただのたまたまである。


「じゃあ、そこから推測するに――宇藤れいなの母親と父親が離婚した原因っつぅのは……」


「言わないでください。聞きたくありません」


 硬質な声。

 さしもの小五郎もそれ以上追及することはできなかった。


 まあ、おそらく肉体関係的ななにかがあったということなのだろう。娘を抱く父親。よく聞く話ではあるが――たしかに、聞きたくない話だ。


「宇藤れいなっていうのは、どういう人間なんだ? お前の通ってる大学って、たしか女子大じゃなかったよな? その宇藤れいなは日常的に男性恐怖症のせいで困ることはなかったのか?」


「問題はありませんでした。むしろ人気者でしたよ、れいなは。男子にも女子にも。れいなの病気はそこまで酷いものではなくて、日常会話くらいなら熟せるものだったので」


「ん? じゃあ、さっきはなんで僕を警戒したんだ?」


「れいなは最近、ストーカーの被害に遭ってたみたいで……つけられたり、変な手紙が投函されてたり、とか」


「ストーカーね……それは警察には?」


「れいなは言ってません。でも、失踪してからあたしが言いました。だけど警察は、本人から相談を受けた記録がないからって相手にしてくれなくて……」


 お役所仕事しやがって。

 小五郎は心の中で毒づく。記録がないから、書類がないから、うんたらかんたら――とにかく相手してくれないのが行政というものだ。怠けるために面倒な手続きを用意しているのではないかと疑いたくもなる。


「ねえ、佐々木さん。れいなのこと、見つけてくれます?」


「対価次第」


「対価?」


「僕はそういう面倒事は仕事として受けることにしてるんだよ。行政的な意味の仕事じゃなくて、もっと広義な意味での仕事ね。既にひとり、そういう事情で金銭を受け取ってる。お前の頼みごとを無償で引き受けちゃったら、その人に申し訳ないだろ」


「お金を払えばいいってことですか?」


「なんでもいいよ。後払いの出来高でね。お金じゃなくてもいい」


「……暗に身体を要求してます?」


「してねぇよ」


 思わず張り上げそうになる声を抑えながら小五郎は答えた。如何せん、ちょっとだけそういう期待をしていなかったこともないだけに、痛い腹を探られているような気分だった。神崎の視線は冷たい。小五郎は諸手を上げて、溜息を吐く。


「わかったわかった、わかりました――じゃあ、金でいいよ。歳下から金を取るのも気が引けるけど……まあ、社会勉強をさせてあげてるんだと思えば、僕の気も休まる」


「フリーターがほざきますね」


「鋭すぎるだろ、お前の舌鋒――まあ、いいや。金が払えるなら仕事は受ける。ちょうど求職中だったしな」


「佐々木さん、まだ求職中なんですか?」


「最近まで働いてたんだぜ、サラリーマンとして。でも、会社が肌に合わなくて一カ月くらいで辞めた」


「ホントにどの口が社会を教えるとかほざいてるんですか」


 でも、ありがとうございます――と、神崎は続けて言った。


「佐々木さんが手伝ってくれるなら、百人力です」


 志賀野もそうだったが、どうしてあの山荘の一件だけでここまで厚い信頼を得ているのか。

 小五郎には甚だ疑問だが、まあ、他人の心は考えても仕方ない。人の心は目に見えないし、そうでなくても、小五郎は他人の考えを理解するのが苦手なタイプなのだ。だから、社会で上手くやっていけないのだとも言える。


「で? その、宇藤れいなの部屋にあった書置きっていうのは、どういう内容だったんだ?」


 照れ隠しのように、小五郎はそっぽを向きながら訊いた。


「写真ならあります」


 神崎はスマートフォンをしばし操作したあと、画面を小五郎に向けて差し出してきた。

 そこに映った一枚の写真。

 なんの変哲もないメモ用紙に、ボールペンで以下のようなことが書きつけてある。



紀元前よりの解放


 

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