第4話 俄雨
「甘木さんの死因は焼死じゃない。火は服をちょっと燃やしただけで、甘木さん自体はさほど燃えてなかった」
全員でリビングルームに移動したあと、柚木はそう言った。
幸いにも――という表現は不謹慎だが――この別荘には医師免許を持った者が複数人いるので、甘木の検死は速やかに行われた。
「なら、甘木さんの死因は?」
「腹を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死。これはこの場にいる医師、全員同じ見解だよ」
「凶器は?」
柚木は首を振る。
見つからなかったという意味だろう。
「ただ、出火の原因らしきものは見つかった」
長谷川が言った。
その手にはハンカチに包まれた黄色い百円ライターが握られている。甘木の部屋で拾ったものだ。
「殺人、なの? あの執事さん、殺されたの?」
九条が怯えた声で言った。皮膚科医である彼女は人の死にあまり慣れていないのか、先ほどからああいった調子だ。検死にも参加していなかった。
「傷口の形状から見て、自分で刺したってことはないだろうね」
「でも、なんだかちぐはぐな印象ですね。犯人は甘木さんを刺した凶器は持ち去ったのに、ライターは置いていった。普通は、どちらも持っていくかどちらも置いていくものじゃないですか?」
小五郎が思ったことを口にすると、九条がキッと睨んでくる。
「どうでもいいでしょう! 警察が来て、捜査してくれるんだから。それで全部わかるわよ」
「警察には連絡してるんでしたっけ?」
「金親先生が今、電話部屋に行った」
「ああ……そういえば、ここ、電波が通じてないんでしたね」
柚木と長谷川が肩を竦めて応える。
志賀野と和泉は少し離れたところでそれぞれ座っていた。志賀野は難しい顔で黙りこくっていて、和泉は立ち上がったり座ったりとそわそわしている。そしてふと、和泉がなにかに気付いたように窓の外に視線を向けた。
「雨、降ってきたっすね」
その言の通り、雨粒が窓を弱く叩いた。
始めは一滴だったが、雨粒は次第にその数を増やし、瞬く間に豪雨となる。遠雷が鳴り、九条が小さく悲鳴を上げた。
「俄雨だろうね」
「山の天気は変わりやすいってやつですか」
山中の建物で雷雨による足止め。そして、殺人。
あまりにもあのペンションでの一件と似通った状況に、小五郎は眉を顰める。志賀野に視線を向けると、彼も同じような表情をしていた。
『二度あることは三度ある』という諺は有名だが、実は『一度あることは二度ある』という諺もあったりする。実際、殺人は起こってしまった。またしても。それもただの殺人じゃない。そう、甘木の部屋は――
「密室……」
だった。
「甘木さんの部屋は鍵がかかってました。そして、部屋の鍵は部屋の中にあった。マスターキーはありません。窓も施錠してあった。つまり、これは密室――」
「もうやめてよ!」
突然、九条がヒステリックな声を上げた。
「警察が来るからそれに任せるって言ってるでしょ! 探偵ごっこは余所でやって!」
「……なんだか思い出しますね、志賀野さん」
似たようなことを志賀野に言われた覚えがある。
あの時の彼もこんな風にヒステリックに見えたのだぞ、という意図での軽い皮肉を飛ばしたつもりだったが、志賀野はむっつりとした顔で言葉を返してこなかった。
その瞬間である。
世界が頽落するような音が聞こえた。聞こえたというか、鼓膜を打った。脳を直接揺さぶられるような轟音だった。複数の悲鳴が木霊する。小五郎は数秒の時間を要して、それが落雷の音だと理解した。どうして理解したかと言うと、電気が消えたからだ。
停電だった。
視界の先には、ただぼんやりとした闇が広がっている。真っ暗だった。
「なに! なんなの!」
九条の悲鳴のような声が聞こえてくる。
「落ち着いて! みんな落ち着いて! 危ないから下手に動かないで!」
柚木の声だ。
小五郎は柚木の指示に従って、その場でじっとしていた。下手に動いて誰かとぶつかりでもしたら、怪我をさせてしまうかもしれないからだ。ふと思い出して、スマートホンのライト機能をオンにした。眩い光源がリビングルームに浮かび上がる。
「全員、大丈夫ですか?」
小五郎はリビングルームの面々に光を当てながら、全員の無事を確認していった。
柚木、長谷川、湊、和泉、志賀野、九条の全員がいる。怪我をした様子もない。よかったと胸を撫で下ろす前に、小五郎はこの場にいないひとりについて思い出した。
「金親さんは?」
「私も無事だよ。ありがとう、佐々木くん。心配してくれて」
そんな声と共に、リビングルームの入り口から金親の声がした。オレンジ色を伴って。どうやら、蠟燭に灯した火を持っているようだ。揺らめく炎が、老医の影を揺らめかせる。
九条が立ち上がって、縋るように金親に近付いた。
「金親先生。警察は?」
「さっきの落雷で電話線もいかれてしまったようで、切れてしまった。途中までは説明したが、来てくれるかどうか」
「そんな……」
九条がへなへなと腰を落とす。失望のあまり腰が抜けてしまったらしい。
女医は悲愴的な表情で全員の顔を見回した。助けを求めるような表情だったが、誰も優しく声をかけたりはしなかった。彼女は頭を垂れるように項垂れる――かと思ったら、今度は幽鬼のような動きでゆらゆらと立ち上がった。
「……執事さんを殺したのは、誰?」
地獄から響くような、おどろおどろしい声音。敵意にも害意にも似たなにかが、その声にはねっとりと含まれていた。
「九条くん」
金親が咎めるように女医の名前を呼ぶ。
しかし、彼女は癇癪を起したように大仰な身振りで言葉を続けた。
「だって、そうでしょう! 執事さんが誰かに殺されたなら、その誰かはこの中にしかいないんだから!」
「この状況で犯人捜しをするつもりかい?」
「そうですよ、金親先生。だって、人殺しがいるんですよ? そいつを捕まえないと、あたし、一秒だって安心できません!」
口調は狂気的だが、言っていることは的を射ていた。
この豪雨では今から車を出して街に下りることもできない。つまり、小五郎たちはこの別荘に今しばらく滞在しなければならないわけで、そうなると、殺人犯を野放しにしておけないのは道理だ。
安心も、安眠もできない。
しかし、小五郎はその展開を避けたいところではあった。理由として、既に推理の一歩先を行っていた彼にとって、この議論がマズい方向に転がっていくことが容易に想像ついたからだ。
そして、小五郎の思った通り、議論はすぐに思わしくない方向に舵を切った。
「というか、犯人は明白なんじゃないか?」
と、湊。
その言葉に、全員の視線が彼に向く。湊はその視線を鬱陶しそうにすると、言葉を続けた。
「火災の警報が鳴ったとき、俺たちは遊戯室で一緒にいた」
「たしかに、俺と湊さんと長谷川さんと柚木さんと……えと、誰言ってないっすかね? ああ、佐々木さんと金親さんっすね。は、一緒にビリヤードしてたっす」
「いなかったのは、九条くんと志賀野くん……」
一同の視線が九条と志賀野を往復し、そのあと、再び湊に注がれる。
湊は喋るのに飽きたのか、面倒くさそうに顎をしゃくって長谷川を指すと、黙りこんだ。ここまで来て、残りの推理は他人に譲るつもりらしい。譲るというか、押し付けると言った感じだが。
長谷川は呆れたように嘆息して言葉を継いだ。
「……九条は俺たちが遊戯室から出てきたとき、バーカウンターの方から来た。方向としては、甘木さんの部屋とは逆だ。甘木さんを殺害したあとに、俺たちとあの方向から合流することはできない」
「そりゃあ、あたしは犯人じゃないからね」
「でも、そうなると……」
和泉が志賀野に視線を向ける。
矮躯の医者は厳めしい顔で抗議した。
「私は二階にいた」
「それを証明する手段がない。甘木さんを殺害したあと、急いで玄関ホールまで戻り、階段を半分ほど上り、俺たちが駆けつけるタイミングを見計らって下りてくれば、それで二階にいたように見せかけられる」
「………」
志賀野は言葉を返せなかった。
リビングルームに緊張感が満ちる。長谷川と和泉は志賀野が暴れ出すと思っているのか、注意深く志賀野を睨んでいた。
「別に、甘木さんを予め殺害しておいて、自動発火装置かなにかを仕掛けておけば、この中の誰にだって犯行は可能でしょう」
小五郎は弱弱しく助け舟を出す。
しかしそれはあまりに弱い反論だった。船としては、泥の船に近い。
「自動発火装置? それはどんな? そして、その残骸はどこにあった?」
「わかりませんけど、志賀野さんを犯人と断定するのは性急すぎます」
「わからないなら、志賀野を犯人と断定する根拠になるのではないか? 人をひとり殺した人間がいるんだぞ。悠長に他の可能性を検証している場合じゃない」
「……密室の謎がまだ解けてません。志賀野さんが犯人なら、どうやって密室を作ったんですか?」
「それは志賀野に訊けばいいだろう。簡単には口を割らないかもしれないが、警察に尋問されればきっと吐く。そこら辺はプロに任せればいい」
「そんないい加減な……っ!」
小五郎が言葉を途中で止めたのは、志賀野が手で制したからだった。
彼は項垂れたまま、弱く首を振っている。
「佐々木くんありがとう。だが、結構だ。私は断じて犯人ではないが、弁解する方法がないのも確か。どこかに外から鍵をかけられる部屋はないか? わたしをそこに閉じ込めてほしい」
「志賀野さん……」
「あらぬ誤解を受けたとき、余計な抵抗をするべきではないと私はあのペンションで学んだ。警察の捜査に委ねようと思う。日本の警察は有能だし、科学捜査は万能だ。きっと、私の無罪を証明してくれる」
そういうのは学んだというのではなく、懲りたというのではないだろうか。
それは成長ではなく諦観だ。
彼が犯人なわけがない。殺人に怯えてフリーターに同道をお願いするような人間が、どうして殺人なんて犯すのか。小五郎はそう思うが、一度決した流れを変えるだけの方法を彼は持たない。
「キッチンに食糧庫があるっす。ただの閂だけど、外から鍵もかけられるっすよ」
和泉が哀れっぽい口調で言った。
志賀野はゆったりと立ち上がると、キッチンの方向に爪先を向ける。その後ろを、燭台を持った金親が付いていった。九条を最後尾にするように並んで、一同はキッチンに向かう。
食糧庫は雑然とした空間だった。電灯も豆電球ひとつで、それも今は点いていない。窓はなく、扉を閉じればただの倉庫になる。とても、人が過ごせる空間とは思えなかった。食べ物だけは無駄にあり、生きることはできるが、生きること以外はなにもできないといった様子。
「すごいな……こんなに食べ物を溜め込んでるのか」
「災害が起きたときに飢えて死なないように、色々備蓄してるんだ」
小五郎の呟きに、金親が答える。
「それでも、これだけの量の食糧、維持するだけでも大変でしょう」
「甘木が月に一度、買い出しに行ってくれていたから」
「ジープっすから、余裕だったんじゃないすか? 一回乗せてもらったことあるっすけど、めっちゃパワフルっすよ、あの車」
小五郎が言及したかったのは、運送の大変さではなく金銭面での話だったのだけど、そんなことはどうでもよかった。
その暗い食糧庫の中に、志賀野がゆっくりと踏み出す。その背中は絞首台に登る死刑囚のように見えた。
「悪いけど、一応、所持品を渡してくれないか」
長谷川が言うと、志賀野は少し迷ったあと、無言のままポケットを漁って、それを柚木に渡した。スマートホンと部屋の鍵だった。長谷川にではなく柚木に渡したのは、志賀野なりの抵抗だったのかもしれない。柚木はそれらをズボンのポケットに押し込む。
扉を閉める直前、志賀野と視線が交わった。
小五郎は目を背ける。どうしてか、申し訳なさで胸がいっぱいだった。求められた役割を果たせなかったような――そんな感覚、小五郎にとってはバイト先を変える度に味わっている感覚だというのに、どうしてか、今回に関しては胸に迫るものがある。
小五郎はなにか言おうとして、言わずに口を閉じた。
そして無情に扉が閉まる。閂が扉を固定し、志賀野は食糧庫に監禁された。




