第11話 推理開陳
志賀野が起きてきたのは、昨日と同じ八時頃だった。
部屋の扉を薄く開けて、警戒の針を飛ばしながら廊下を望む医者に、小五郎は苦笑しながら手招きをする。
「志賀野さん、出てきてください」
「考えたんがね――」
と、志賀野。
「こうなったら、警察が到着するまで部屋に籠っていた方が安全なのではないだろうか?」
「いえ、志賀野さん。そうとは限りません。雨は既に上がりましたから」
「……どういうことかな?」
「犯人はこのペンションにいる全ての人間を殺そうとしているとしたら、そのために一番手っ取り早い方策は、放火です――二階の部屋に籠ることは必ずしも安全とイコールではない」
「………」
扉はゆっくりと開かれた。
Yシャツにブルゾンを羽織った姿の志賀野が、右手をポケットに入れながら出てくる。内心で胸を撫で下ろした小五郎は、二〇一号室に赴き、神崎にも同じ説明をした。志賀野以上に警戒し、着替えるから待ってほしいと言われたが、なんとか二人を部屋から出すことに成功する。
「犯人、わかったんですか?」
白いブラウスに紺のブレザー、キュロットスカートという女子校生のようなファッションの神崎は、不安に揺れる声で言った。
小五郎はどうとでも取れる笑みを返しておく。
二人を先導して階段を下り、ダイニングルームに入った。そこには、既に秋島と妹山が座っている。窓から差し込む陽光に溢れる、神聖とも思うダイニングルームだった。どうやら外は完全に快晴らしい。
「お二人もおかけください」
小五郎が勧めると、志賀野と神崎は唯々諾々と座った。小五郎の名探偵の演技が効いている。
「さて、皆さんにお集まりいただいたのは――まあ、大体察しているところではあるでしょうが――この事件の真相に辿り着いたので、それを皆さんにお報せしようと思ったからです」
一同に激震が走った。
誰もが想定はしていただろう。しかし、犯人がわかったと声に出されると、生唾を呑まずにはいられないというものだった。
「誰が殺したのかわかったんですか?」
「もちろん」
「密室の謎も?」
「それももちろん」
小五郎は鷹揚に頷く。
「わかってしまえば単純なトリックでした。大胆な犯行といえば大胆な犯行ですが、数々の幸運に助けられているだけという捉え方もできる――まあ、難事件なんてどれもそうですがね。そもそも土砂崩れで警察の到着が遅れるという最大の幸運がなければ、今頃犯人は檻の中だったでしょう」
「その犯人というのは誰なんだね?」
「焦らないでください。順を追って説明します――まず、事件の概要はこうです。二〇五号室の御法川純司さんが何者かに殺害された。死因は窒息。顔に濡れた布を当てられての殺害だと思われます。死体の発見は十二時半頃、全員で発見です。秋島さんの証言と志賀野さんの医学的知見より、殺害時刻は十一時から十二時の間となります――今さらですが、その時間のアリバイを証明できる人はいますか?」
「………」
「結構です――秋島さんの証言によると、御法川さんは十一時頃にはリビングルームのソファにいらっしゃいました。しかし、死体が発見された場所は二階の二〇五号室の中です。では、御法川さんはどこで殺されたのか――これはおそらく、二〇五号室の中で間違いないでしょう。実は昨日、妹山と共に二〇五号室に入り、ベッドの下から凶器と思われるタオルを発見しました。御法川さんを殺したあとにそのまま遺棄したと思われます。御法川さんは身長が一九〇センチを超える巨体です。ソファで殺して二階に運ぶのは、この中の誰にだって体力的に不可能でしょう」
小五郎は椅子に浅く座り直しながら説明を続ける。
「ちなみに、人を窒息させるには呼吸を十分以上は止めなければいけないそうです。短い時間に思えますが、実際に犯行に及ぶことを想定してみると十分は長い。寝ている人間の鼻と口を十分も塞いでたら、普通は途中で起きてしまいます。御法川さんはさっき説明した通り大柄で、この中に彼を抑え込んで殺害を完遂できる人間はいません――つまり、彼は相当深い眠りにあったと思われる。おそらくは睡眠薬を盛られていたのでしょう。酒に混ぜられたと考えるのが最も自然です」
「御法川さんが自分で飲んだ可能性は?」
「それはないでしょう――御法川さんは秋島さんに寝酒を注文していました。睡眠薬を自前で持ってきているなら、そんなもの頼まないでしょう」
「………」
「睡眠薬は、おそらく規定量を超えて盛られたと思われます。それにアルコールの作用が相まって、呼吸器を塞がれても目覚めないくらい深い眠りに落ちたんでしょうね――医学的になにか間違いはありますか、志賀野さん」
「いや、たしかにアルコールと一般的な睡眠薬は、互いの作用を強める関係にある」
「ありがとうございます――しかし、薬の力で眠らされていたとしても、呼吸を止められているときに御法川さんが目覚める可能性は充分にあった。これも犯人の幸運の一つですね」
そして御法川にとっての最大の不幸でもある。
「御法川さんは飲んでいた酒に睡眠薬を混ぜられ、急激な眠気に襲われて、自分の足で自分の部屋に向かった。睡眠薬がどのくらいの時間で効果を発揮するかは種類によるので、犯人が睡眠薬を酒に混ぜたのは秋島さんが寝酒の注文を託る十一時の前かもしれませんし、後かもしれません――ただ、おそらくは十一時より後に飲まされたと思われます」
「それはどうして?」
妹山が進行を促す。
「御法川さんの酒にどうやって睡眠薬を混ぜたのかを考えると、そっちの方が自然だからです――犯人はおそらく、御法川さん一人しかいないリビングルームにやってきて、一緒に飲もうとでも誘ったのでしょう。で、御法川さんのグラスが空になる頃合いを見計らって『僕が新しいお酒を作りますよ』とでも言った。あとはもう、グラスにウイスキーを注ぎながら睡眠薬を混入するだけです」
小五郎はグラスの中を指でかき混ぜるパントマイムをした。そういうちょっとした演出を入れながら、探偵は推理の開陳を進める。
「十一時、秋島さんが御法川さんに寝酒を注文された時点では、リビングは御法川さん一人でした。犯人が十一時より前に御法川さんを晩酌に誘ったなら、そこに犯人の姿がないとおかしい。よって、犯人が御法川さんに睡眠薬を飲ませたのは十一時より後だと予想できます――まあ、犯人が御法川さんを晩酌に誘ったのではなく、トイレにでも立った隙にこっそりと薬を混入したと推理するなら、それは十一時より前でも成立しますが……問題の本質はそこではないので別にどちらでもいいです」
「問題の本質は、御法川様のお部屋が密室だったことでございますね?」
「その通りです、秋島さん――二〇五号室はどうして密室だったのか。部屋の鍵は部屋の中にあり、窓は嵌め殺し。マスターキーが持ち出された形跡はなく、それ以外の出入り口は存在しない――しかし、犯人はこの一見難解な密室を、極めて簡単な方法で実現したのです」
「極めて簡単? やっぱり糸ですか?」
「糸ね……いいや、違います。もっと簡単な方法を使って、犯人は二〇五号室に外から鍵をかけたんです」
「もっと簡単な方法?」
「最も簡単な方法とも言える」
小五郎は部屋の中を見回した。志賀野も神崎も秋島もわかった様子はない――いや、秋島だけはやはりなにを考えているのか皆目見当もつかない。或いは、眠っているようにすら見える。
探偵は小さく咳払いをして、その解答を提示した。
「御法川さんに閉めさせたんですよ。内側から」
「……え、でもそれじゃあ犯人は御法川さんを殺せないんじゃ……」
神崎が困惑したように呟く。
「そう、殺せない――犯人はこの時点では御法川さんを殺してないんです。一方、御法川さんは自力で部屋の鍵を閉めて、鍵を机の上に置いて、睡魔に負けて着替える間もなくベッドに眠った。睡眠薬の影響でぐっすりと。ノックの音じゃ目が覚めないくらい深く――十二時になると、秋島さんが寝酒を持って二〇五号室の扉をノックする。けど、御法川さんは目覚めない。そこで僕たちは心配して、管理人室のマスターキーを使って扉を開錠した」
小五郎は指をパチンと鳴らす。
「つまり、御法川さんは僕らが部屋の扉を開けた時点では生きていた。厳密に言うと眠っていた。泥のように。犯人は衆目の前で堂々と御法川さんに近付き、隠し持っていた濡れタオルで御法川さんの呼吸を止めた――蘇生をかけるふりをしながら」
「……それって、つまり……」
神崎の声が震える。
一同の視線が御法川に蘇生をかけた医師、志賀野に向かう。志賀野は蒼い顔をしてプルプルと震えていた。瞬きが増え、土気色の唇は同じ言葉を繰り返す。
「違う、違う、私じゃない……」
志賀野は向けられた視線に怯えるように俯く。そしてまるで本能に刻まれた行動かのように、右手をブルゾンのポケットに突っ込んだ。
「マスターキーで部屋の鍵を開けたとき、ベッドに横たわった御法川さんは眠っているように見えた――死んでるってわかって死体を見ると、眠っているようには見えない――眠っているように見えた御法川さんの身体は、だから、実際に眠っていたんです」
「違う、違う、違う、違う違う違う、私じゃない……私じゃない」
「……志賀野さんは御法川さんに心肺蘇生をかけるふりをしながら窒息させ、隙を見てタオルをベッドの下に放り込んだ。例のメモ用紙も同じく。下顎が硬くなっていたっていうのは、だから虚言でしょうね。土砂崩れがなかったとしても、警察がこのペンションに到着するには数時間はかかる。死んでから三時間も経てば、十二時半に死んだか十一時半に死んだかは医学的には特定できない――実際にはこれは密室殺人ではないわけだけど、僕たちの証言によって密室の中で死亡したように見せかけることができる。そうやって、志賀野さんは犯人の候補から外れようとしたんでしょうね」
「違う!」
終には、志賀野は立ち上がった。
「違う!」
もう一度吠える。
「志賀野さん」
「近寄るな!」
小五郎が落ち着かせようと立ち上がると、志賀野は金切り声を上げて、ポケットから黒い塊を引き抜いた。
バチバチッ、と鈍くも鋭い音が響く。
実物を見るのは初めてだったが、それがスタンガンと呼ばれる物であることは小五郎も知っていた。
「私は犯人じゃない!」
「……なら、どうしてそんな物を持ち歩いているんですか?」
「護身用だ! 私のような身体の小さい人間には、武器を持ち歩く権利がある!」
「それは無理があるでしょう」
「黙れ!」
半狂乱になった志賀野は、近くに座っていた秋島に襲い掛かる。
それは、小五郎にとってまったくの慮外の展開だった。心臓が逸り、急激に嫌な汗が噴き出す。
神崎が鋭い悲鳴を上げた。当の秋島は無反応だったが。
志賀野は秋島を人質に取ろうとしているのだろう。秋島の年齢を考えれば、スタンガンでも充分以上に致命傷になり得る。
志賀野の腕が秋島に向かって伸びていく。人を救うための腕が悪意を孕んで老女を捕えようとする――その魔手が秋島に触れる前に、板状のなにかが回転しながら飛んできて、志賀野の手首を強かに打ち据えた。飛んできた物体はスマホだった。志賀野の手からスタンガンが零れ落ちる。
スマホを投げたのは妹山だった。間一髪で最悪の状況を防いだ妹山は、そのまま志賀野に飛び掛かる。
投げたスマホが志賀野の手首に命中したのは、おそらくただのラッキーだったのだろう。だから、次の幸運は志賀野に舞い下りた。子供の癇癪のように振り回された腕は、肘で以って妹山の顎を捉える。
「……っ」
声にもならない悲鳴が聞こえた。
マグレにマグレを重ねたようなラッキーパンチ。しかし、妹山は冷静だった。軽い脳震盪でフラフラしながらも、志賀野に向かって距離を詰める。そして頭突きをした。硬質な音が無残に響く。
妹山と志賀野は、お互いに自分の額を押さえて悶えた。
先に回復したのは、妹山だった。根性が違うのだろう。妹山は志賀野のブルゾンを掴んだ。そして、そのまま志賀野の身体を壁に向かって勢いよく――
バチッ
首筋を走る電流の熱を知覚するより疾く、妹山の意識は闇に落ちた。




