灰狼城陥落
「秋とはいえ兵を連れて山を超えるとは、若いのにたいしたものだ」
スクトゥム王国山岳旅団旅団長ハロルド・セレヴィン将軍は穏やかな声でそう、敵将を称えた。
齢七十を越え、髪も髭も灰に変じた老躯に軽装鎧をまとい、槍を杖に身を支えているにもかかわらず、満身創痍の兵たちを率いて主郭の城門上に佇む姿は、老いを超越した武人の覇気に満ちていた。
「降伏を受け入れていただきたい将軍」
ヴィルヘルム・ヴァイスリッターは制止する幕僚の声を背に、兵たちをかき分けて一人、前に進み出る。
命を賭して戦い抜いた敵将と敵兵へのこの上なき敬意の証。
「黒髪に白銀の軍装、名高き帝国の『白騎士』殿か。これは引いた相手が悪かったな……だがの、いささか前に出過ぎではないか、若いの」
老将は杖にしていた槍を滑らかに回し、一転して投擲の構えを取った。同時に、城門の上の老兵たちも一斉に動く。
弓に矢がつがえられ、投石紐がうなりを上げ、そのすべての照準がヴィルヘルム一点に絞られた。
帝国軍の陣営も殺気立ち、無数の銃口が老将へと向けられる。 肌を刺すような静寂が戦場を支配した。
だが、ヴィルヘルムは何事もなかったかのように口を開く。
「降伏を。将軍」
ハロルドは目を細めた。
自身、わかっている。ここでヴィルヘルムを殺せば、待っているのは激昂した帝国兵による城内の蹂躙……容赦のない虐殺だ。
「(わしにおぬしを殺せぬと読んだか?それとも……わしを信じたか?) 」
だからこそ、この若者は平然とその身を晒している。
その知性と、底知れぬ胆力。
そして、兵を率いて万年雪に覆われる中央山脈を踏破せしめた、圧倒的な統率力。
「(殺すべきだ。王国のために、いまここで)」
強烈な殺意が老将の脳裏をよぎる。
若い頃のハロルドであれば、非戦闘員を犠牲にし、月神に召し上げられる名誉を捨てでもヴィルヘルムを殺しただろう。だが……
「(さて、アルの坊主が居たらどうしたかな?)」
ハロルドはゆっくりと槍の穂先を地面に下ろし、配下へ退くよう手で制した。それを見届けたヴィルヘルムもまた、自軍の兵たちを下がらせる。
「皆の退去を許してくれるかな?ならば……この老いぼれの汚い素っ首、いくらでもくれてやろう」
そう言い放ち、老将は豪快に笑った。
◇◇◇
その日の薄暮、スクトゥム王国山岳城塞「灰狼城」は帝国軍の急襲を受けた。
旅団の兵員たちは避難民の誘導と兵站任務についており、留守は旅団長以下、老兵と傷痍兵ばかりの一個小隊と飯炊きなどの雑事に関わる非戦闘員のみ。
とはいえ帝国側も、士気こそ高いが、山越えのために軽装で大型の火砲や攻城兵器の類は持ち込めていない。
兵数も山脈越えで疲弊した者たちは後方で待機させている状態だった。
もし灰狼城に充分な兵が残っていれば、帝国軍を撃退していた未来もあっただろう。
だが歴史に「もし」は無い。
外郭の城門が破られる、なだれ込まんとする帝国兵相手に旅団長自ら槍を振るうが多勢に無勢。
「お先に失礼しますぞ親父殿!」
「月神の御前でお待ちしておりますぞ!」
しんがりを請け負った兵たちが、一人また一人と斃れる。
外郭に続き内郭の門が陥落し、主郭に立てこもり抵抗を続けるが、夜通し戦い続けるだけの体力が老兵たちには残されていなった。
◇◇◇
「兵は死に損ないの爺、他はこの辺の山村に住んどる者たちだ、無体な真似はしないでもらえるか?」
ハロルドの言は懇願のように聞こえた、だがヴィルヘルムは居住まいを正し、忠告を受け入れた。
「もちろん非戦闘員は開放いたしますが、しばし拘束させていただきたい」
「誓えるかな?」
「太祖皇帝に誓って」
それは帝国の将兵にとって絶対の誓だ。
「では手打ちだ」
ハロルドが配下に武装解除を命ずると、主郭城門が内側から開き、老兵たちを助けながら非戦闘員たちが退去してくる。
皆一様に帝国兵を睨みつけながら、しかし粛々と隊列を組み城を離れていく。
「ハロルドさま!手筈通りでございます!」
最後の一人、かまど番のハンスが門扉を出てから振り向き、顔をくしゃくしゃにしながら叫んだ。
「手間を掛けたなハンス。皆達者で暮らせよ」
「将軍、何を」
主郭内に建つ城館が轟音と共に爆発し炎上する。
流れてきた煙に交じる、帝国兵には嗅ぎ慣れた硫黄と硝石、火薬の匂い。
さらには城内に建つ兵舎や厩など木造の建物が次々と火を上げ始める。ヴィルヘルムは不味い、と瞬時に悟った。
「将軍!」
「この汚い素っ首はくれてやる、とは言ったが、わしは降るとは言うておらんぞ?若いな、将軍」
ようやくヴィルヘルムに一矢報い、ハロルドは相好を崩す。
しんがりを引き受け先に逝った兵たちに誓ったのだ「わしもすぐに逝く」と。
懐から愛用のパイプを取り出しくわえると、ひとりでに火がつく。ハロルドが召喚した炎の精霊、火蜥蜴の仕業だ。
紫煙とともに解放された火蜥蜴たちが、次々と城内の可燃物を炎上させる。
「だが見事だ将軍、戦友たちと月神への良い土産話ができた」
召し上げるべき英雄として推薦しておこう。そう冗談めかして呵々大笑する。
傷つき倒れた老兵たちが剣や槍にすがりながら立ち上がり敬礼をする、皆泣いていた。
「すまんがこの城はくれてやれんのでな……焼け死にしたくなくば早めに逃げると良い」
「退避だ!負傷兵と非戦闘員を抱えろ!」
安全な場所まで退避した帝国の将兵が見たのは、燃えさかる櫓の上に立つハロルドの姿だった。
最期まで城を去る配下を見守ろうとする姿に将兵は居住まいをただし、城内努めの民は泣き崩れる。
吹き上がった炎がその姿を飲み込み、櫓が崩れ落ちる。
ヴィルヘルムは無言で王国式の敬礼を捧げる。
敵兵である帝国軍の将兵たちもそれにならうのだった。
大陸歴669年 九の月 第二巡 金の日 深夜
この日、王国軍国境要塞の後詰の要たる灰狼城は炎上、王国軍でも指折りの猛将と謳われた火炎将軍ハロルドは城を枕に討ち死にを遂げた。




