渡河
大陸669年 第二巡 水の日
山脈内を流れるドナエル河にの名も無き支流の一つ、先日までのスクトゥム王国による降雨の儀式の影響で秋口でも水量は多く、絶え間ない水音が渓谷に満ちている。
その近くに張られた簡易天幕の中には帝国軍工兵隊の一部隊が詰めていた。
「右岸の断層傾斜が三十二度か、岩盤の密度は出ているかい?」
「こちらです」
「ほい、仕事が早いの良いことじゃ」
天幕内に据えられた卓上には周辺の地形図や地質調査の結果が並んでいる。
この現場の親方である老ドワーフはまず無言でそれらを眺めた。地図を指でなぞり、数値を目で拾い、何かを確認するように小さく頷く。若い工兵たちがその横顔をそっと窺う。
親方が老眼鏡をかけなおし、愛用の算盤と計算尺で計算を始めた。
太い指が器用に算盤と計算尺を操り、必要な数字をはじき出し、リズミカルに書き出していく。
「こんなものかの」
爆薬をしかけるポイントを割り出し、使う火薬量まできっちり計算し、指示書に書き込み控える若い工兵たちに渡す。
一枚渡すたびに「わかるか?」と目で確認し、若い工兵が頷くのを見届けてから次を手渡す。
「すぐにかかります」
「慌てんでも大丈夫じゃぞ、正確に、正確にな、それと安全第一でな」
「はっ、承知しております。ご安全に!」
「よしよし、では総員かかれ」
「「了解!ご安全に!」」
太祖皇帝以来の伝統、帝国工兵のスローガンが渓谷に唱和する。
数時間後
「右岸よし!」
「左岸よし!」
「設置完了よし!総員安全位置まで退避完了よし、親方爆破準備完了よしです!」
「よしよし、ではいくぞ、10からな」
「秒読み10から!3で耳塞げ!2で口あけ!」
親方が秒読みを始める。
「3,2,1、ほい発破じゃ」
ボン!
大げさな掛け声とは裏腹に発破の爆発音はさほど大きなものではなかった。
しかし、要所を抑えた爆破によって生じた亀裂はまたたく間に広がり、ズルリと岩盤が剥がれ落ちる。
「両岸とも岩盤剥がしを確認!」
「第二次爆破」
ズガン!
再度の点火、巨大な岩盤に仕掛けられたより強力な爆薬がはぜて岩盤をバラバラに引き裂き、周辺の土砂を巻き込んで渓谷を埋めていく。
また一つドナエル河に流れ込む支流が埋まり、下流へと流れる水流が落ちた。
轟音が収まると、先ほどまで音立ててた流れは土砂の下に消え、渓谷に少し静かになる。
「爆破成功!」
「よし。撤収開始じゃ。火薬の残量確認、道具類の回収忘れずにな」
その声が終わらぬうちに、工兵たちはすでに動き始める。
「了解!」
「次の現場もご安全に!」
「「ご安全に!」」
◇◇◇
大陸歴669年 第二巡 金の日 夕刻
帝国軍本陣幕舎
「第四支隊より第五支流の中流域での堰き止め完了の報告、ドナエル河閉塞作戦完了です」
一気に閉塞するのではなく、一本ずつ慎重に水量を計算しながら潰し、王国側に悟られぬように水量を減らし、作戦決行の直前に複数本を閉塞することで渡河可能な量まで水を減らす。
優れた工兵隊と爆破による迅速な閉塞が可能だからこそ、帝国軍だからこそ可能な作戦、急激に流量の減ったドナエル河は今夜にも渡河可能になると計算されていた。
参謀の報告にレオンハルトは「よくやった!工兵隊に私の名前で感状と褒美をだしておけ」と上機嫌で言う。
発案はダグナルであり、計画を詰めたのはハンス以下第三軍の参謀なのだが、しっかり自分の名前で、というあたりが、この男の図太く、どこか憎めない所だ。
それを行儀よく無視しヒルダが作戦図の駒を手にとりドナエル河を横切らせる。
「休戦協定は本日の日没まで、予定通り、夜間のうちに先発隊を渡河させて橋頭堡を構築、合わせて中洲を要塞化。先発隊の指揮は私が執ります」
おおっ、と陣内がどよめく。
当然だが危険な任務だ、女の身、それも軍団の副将が直卒するようなものではない。
「無理をするな、部下に手柄を譲るのも上に立つものの美徳だぞヒルダ」
「あちらの哨戒は優秀ですので、正直露見する可能性は高いと見ますが、未明までなんとしても橋頭堡死守します。主力のうち軽装歩兵と軽騎兵は夜間のうちに、夜明けと同時に王国軍の防御陣地群に全力砲撃を開始、船橋を完成させ、要塞馬車、重歩兵、騎馬隊を渡河させます」
レオンハルトを堂々と無視しヒルダは駒を次々と動かし説明をすすめる。
レオンハルトが若干顔を引き攣らせたが、どうしようもない、ヴァルデリートとはこういう一族なのだ。
「ヴィルヘルム様の山越え部隊が、予定通りなら山を超えているはずです、渡河後、速やかに連絡を取り、援軍を送る必要があります」
休戦協定の受け入れは帝国軍とっても諸刃の刃であった、河川閉塞の時間確保と、将兵のリフレッシュはできる。しかし連絡の取れない山越え部隊が敵中で孤立する可能性がある、いつまでも休戦は結べない。
四日は帝国側がひねり出せるギリギリの時間でもあった。
王国側は援軍が到着し兵力が増したようだが砲兵の支援のある帝国軍を真正面からぶつかり合って勝てるはずなどない。
ヒルダでさえ、そう思っていた。
◇◇◇
深夜。
ドナエル河の水量は支流が閉塞されたことにより急激に落ち込んでいた、また日中秋の太陽が照らしたお陰で夜間は急激に冷え込み川霧が発生。
それを隠れ蓑に帝国第三軍の精鋭部隊が粛々と渡河を開始する。
声 を漏らさぬように将兵は猿轡を自ら噛み締め、火薬を濡さぬよう頭の上にくくりつけ、歩をすすめる、水量が減ったとは言え大陸有数の大河、深い位置ならば腰まで浸かる、銃を持ち上げ、足をすべらせぬよう慎重に。
陣地構築用の資材と、背が低く渡河が不可能なドワーフ工兵を載せた小舟を引くのは鍛え上げらた軍馬、こちらもきつく轡を噛ませ、従兵が鞭ではなくしっかりと口取りしなだめながら引いてく。四つ足で人間より夜目の効く馬は案外平気そうであった。
馬具や軍装の立てる僅かな金属音やザブザブという水音以外、人馬が漏らす音はなく静かに静かに、わずか200m程の距離、それが気が遠くなるほど遠くに見える。
集団の先頭は、渡河作戦の経験が豊富な熟練兵と夜目の効くダークエルフの斥候。
その真後ろにヒルダは居た。
前身をずぶ濡れにしながら、軍馬にまたがることもなく、兵たちと共に河を渡る。
指揮官先頭こそヴァルデリート家の武人の誉、とはいえ限度というものはある。
しかし、そこにヒルダが居るからそこ、第三軍の精兵は一糸乱れぬ行軍で粛々と河を渡る。
男というのは、そういう生き物、といってしまえばそれまでだが、女の前で情けない姿を見せたがらないものだ。
ヴィルヘルムやハンスが前線にぐいぐい出るようなタイプの指揮官でない分、ヒルダがこうして先頭に立つことに大きな意味がある。
それをヒルダはよく理解していた。
◇◇
「ラ、ライラさん」
「静かにエリィ」
帝国の尖兵がドナエル河を渡っていく光景を最初に目撃したのはエリィとライラであった。
急に要塞に呼び出されたアルベルトを護衛して迎えの部隊の所まで送り届け。
いくつか気になるからとヴァネッサへの指示書を預けられて、中隊が潜伏している雑木林に戻る途中のことだった。
ライラが素早く草むらにエリィを押し倒したので大きな声をあげそうになったが、すぐに静寂の結界を張られたことでエリィも察した。
ライラに被せられた外套のフードをちょこんと草むらから出して川面も見ると、そこには粛々と河を渡る黒衣の帝国軍の姿が見えた。
「ど、どうしましょう、帝国軍が」
「随分水量が落ちているのを隊長も気にしていたけど……何かしかけたのね」
「隊長に知らせないと」
「……そうね、ただもう遅い可能性があるわ、とにかく一度中隊に合流しましょう、姐さんの指示が必要だわ」
「は、はい」
その日、灰狼城急襲の知らせを受け、分厚くドナエル河周辺に展開していた斥候を後方へ振り分けたのは偶然であった。
残った僅かな斥候も、帝国側が大規模な斥候狩りを行ったことにより報告が遅れた。
結果、国境要塞に渡河の知らせを告げるのはエリィの役目になったのだ。
渡河を発見した報告を受けたヴァネッサは迷わず風竜を召喚、エリィを載せて要塞へと文字通り「飛ばした」
悲鳴を上げる暇もなく一瞬で気絶したエリィが地面に落ちた衝撃で目を覚ますとそこは国境城塞の見張り塔だった。
突然空から女の子が降ってきた見張りの兵が軽くパニックに陥っているが、気力を振り絞りエリィは叫んだ。
敵が河を渡っている、と……




