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泥田坊(どろたぼう)

「友達が全くいない、っていうのは言いすぎかな。でも、仲良く学外までも付き合いの幅を広げる余裕はなかった」


「どうして?」


 純粋な疑問が頭をよぎる。家族に血のつながらない妹がいることと、友達を作れないことはイコールで結ばれないのではないか。それに、彼は間違いなく釦よりも友達が多かった。


 そんなことを思う彼女に、誠は薄く笑いかける。


「だってさ、考えてもみなよ。俺に仲のいい友達ができて、どうしても断れずに家に上げるようなことになったとする。そんな時、どうすればいいんだ? そいつが樹里に会って『お前の妹ってハーフなんだな』って言われたら、なんて返事をするのが正解なんだ。俺は、それだけは嫌だった。想像するだけで吐きそうだった」


 だから、と彼は続ける。だから誰もが口出しできないような立ち位置を築いたんだ、と。


「誰にも優しくて、完璧で、公平な人間ならば。それなら、深い付き合いをする友達を作らなくても、誰からも許される――不可侵の存在として学校で生活できると思ったんだ。『あいつは誰に対しても同じ態度だ。だから深入りはしないほうがいいかもしれない』ってね」


 彼は、学校の王子様だった。

 彼は、誰に対しても優しい人間だった。

 彼は、誰からも羨まれる完璧な存在だった。


「日本人相手に不倫してくれたんなら、まだどうにか隠しようもあっただろう。でも、現実にはあの子はハーフだ、それも金髪碧眼の。この世界の人間の方が樹里の容姿に近いんだよ」


 それでも、諸々の行動から彼の育ちの良さは垣間見える。もし家族に会わせたくないなら、単にぐれてしまえばいいだけだ。むしろ、そうした方が勝手なことばかりした親への仕返しになるのではないか、と。そのことを釦が指摘すると、異様なほど穏やかな表情でこう返された。


「そんな無駄なことをして何になるっていうんだ。俺はあいつらのために、自分の人生を1ミリたりとも無駄にしたくなかった。ただ反抗するだけなんて、無意味で無価値だ。それに、義務教育中に子供が変な方向に流されていたら、十中八九学校に親が呼び出されるだろう。あるいは不必要な家庭訪問なんかされて妹を――あの女の罪を、他人に見せるつもりは毛頭なかった。家の恥を外に知られたくなかった。それだけだよ」


 釦の前で薄く笑う青年は、かつての完璧な雰囲気はもう纏っていない。


 いつも人に囲まれていた誠。

 友達が多いように見えていた誠。

 たくさんの女の子から憧れの眼差しを受けていた誠。

 あの花純ですら認めていた誠。


 けれど、彼は孤独だった。実の母からの裏切りを、自分の振る舞い一つで露見させないようにすることで精いっぱいだったのだ。だから。


「何に対しても興味がわかなかった。俺のことを嗅ぎまわらないでいてくれれば、それでよかった。本当はね、誘われるクラスの出し物も、生徒会の雑務も、女の子からの告白も、学校の成績も、内申も、みんなどうでもよかったんだ」


「そんな……」

「ねえ、釦。知ってる? 俺の行くはずだった高校」


「行くはずだった」。もう彼の名前は消されてしまっているであろう高校。そのことを思うと、やるせない気持ちが釦を襲う。無差別だからこそ理不尽な召喚。一人の人間が、どうしてこうも様々な業を積まなければいけないのか。いや、理由はわかる。確かにミシェルの言う召喚の基準は合理的で便利なものだ。しかし、それをうまく呑み込めるかとなると話は別。誠が可哀想で、不憫で、誰かに訴えたくなる。


 けれど同時に、今はそれすらも意味のないことだということも、釦は知っていた。彼女だって、あまりに行方不明期間が長ければ――つまりはこの世界から帰れなければ、そのうちに高校の名簿から名前が削除されるだろう。夏休みの終了する明後日から、精々学期末まで。それまでに帰らなければ、きっと高校もそういう手段に出ざるを得ない。


 胸の中に湧きあがった不安をかき消して、釦は答えた。


「……たしか、すごく頭のいいところだったよね」


 彼は地元の学校ではなく、他県の有名私立に行く予定だったはずだ。確かに地元とは比べ物にならないくらいの進学校だったが、同級生はもとより教師までも、なぜわざわざお金のかかる他県の私立に行こうとしているのか疑問に思っていた。


「あの学校は寮があるんだ。あんな家からさっさと出て行きたかったし、私立なら親の懐も痛めつけることができる。都会の有名大学への推薦もたくさんあった。何より、俺の存在がみんなの記憶から消えるだろう」


 記憶から消える。


「俺は高校から人生をリスタートさせるつもりだった。あんな両親と過ごしていた時間なんて捨ててしまいたかった。だから、中学の友達もいらなかった」


 そこまで滔々と釦に語りかけていた彼が、不意にミシェルに声をかける。「なあ、神官」


「……なに?」

「ここには、いらない人間が召喚されたんだよな」

「厳密にいうと、『消えても気付かれにくい人間』ね。『いなくなってもさほど問題ない人間』」


 その言葉を聞いくやいなや、再び釦に話し始める。ほら、これでもうわかっただろう、と。


「俺は確かに誰とでも仲が良かった。けれど、消えても気付かれない人間だったし、いなくなっても問題のない人間だった。消えた時期も丁度学校がない時期だった上に、そうなるように振る舞っていたから。


 これが俺の昔話。誰にも言いたくなかった、知ってほしくなかった秘密だよ」


 誠はすべてを捨てるつもりだった。中学校の思い出も、家族も。いらない人間に自らなることで、恥に塗れた唾棄すべき過去をも捨て去ろうとしていたのだ。


 誠は再び釦の手を取り、自身の頬にそっと当てる。いつも通り暖かいそれは、誠が間違いなくここで生きている証ともいえるし、秘密を言っても大して後ろ暗さを感じていないような、異様な状態とも取れた。


「これで俺が言うべきことはすべて言ったよ。もう何も言うことはない。だから、釦は今まで通りにしていればいいんだ」


 見かけからは緩やかに繋げられた手のひら。しかし、いくら彼女が引き抜こうとしてもびくともせず、光の消えた黒真珠のような瞳に捕らえられる。


 これは多分最終通達だ。誠はこれ以上話す気はないし、釦はこれ以上知る必要がない。こんなにつらい過去を話したのだから、それ以上聞くなんて無粋だ、と。もし反抗すれば、おそらくミシェルとの会話を絶たれる以上の不自由が待っているのだろう。今の誠なら、ミシェルを傷つけるくらいのことは平気でやってしまいそうだ。そんな剣呑さがある。


 だから、釦は頷く。わかったよ、体調が戻ったら妖怪退治に行くから、と約束する。


 誠は嬉しそうに微笑んだ。


       §


「ナディア神官!」

『一体どうしたの? マコト』


 釦の部屋を出た後、誠はまっすぐナディアのいる神殿に向かった。この時間帯に手が空いてるかどうか、実のところ定かではなかったが、気にする余裕もなかった。


『あのオレンジ頭の神官に勝手なことをさせるな!』

『オレンジ頭……ミシェルのこと? あの子が何かしたの?』


 金髪の神官は首を傾げる。事態を全くわかっていない様子に、それはそれで腹が立った誠は、癇癪を起した子供のように喚きたてる。


『「何かした」どころじゃない。余計なことをべらべら喋って、唆して、釦を迷わせるな。怖がらせるな。まるで洗脳だ!』

『待って、何があったの』

『この世界のことを自分で調べようとしているんだよ、釦が。あんな変な女が周りをウロウロしているから……なんでお前が傍にいないで、別の女が釦と話してるんだよ。俺は聞いてない』


 誠の言うことに諾々と従っているだろうと思っていたのに。予定外の人間が参入してきたせいで、彼の理想から脱線してしまっていた。


『この世界に呼び出された理由を、あの神官は喋っていた。あいつ、余計なことを』

『ミシェルが? 一体どうして』


 まだ状況が理解できていないナディアが問うと、誠はチッと舌打ちをした。


『知らない。釦は自分から聞いたって言っていたけど、そうさせるまでの何かがあったんだろう』


 愚かな釦。誠の言うことだけを信じていれば、傷つくことなんて何もないのに。すべての問題を排除するのに。


『それで、どうしたの? まさか、ミシェルを』


 誠の尋常では無い怒りを見て、ナディアが恐る恐る聞くと、誠は平然と


『何もしていない。釦の前で人殺しなんてするはずないだろう』


と返す。一見冷静さを保っているようにも感じるが、裏を返せば釦さえいなければ殺していたということ。その事実に気付いたらしいナディアが、はっと息を飲んだ。


『お前には本当に失望したよ、ナディア神官。彼女の体調すら気にかけられないし、変な女をうろつかせる。何の役にも立たないんだな』

『すみません』

『釦が万一危険な状況に陥ったら大変だ、と俺は言ったはずだ。知識は自分の身を守る盾にもなるが、中途半端に持っていれば持ち主の体を傷つける刃になる。それを――』

『すみません』


 理不尽な暴言に対して、ひたすら頭を下げ続けるナディアを見ていると、誠の頭もだんだんと醒めてきた。ここで彼女に文句を言い続けても、気が晴れることなどないだろう。ならば、さっさと話を切り上げて今後について考えたほうが、よっぽど精神衛生的にもいい。誠は口を開き、目の前の少女に端的に気持ちを伝える。


『もういい。もう――お前たちは頼れない』

『どうするつもり?』


『釦は魔法が使えるようになったんだろう。体調が回復したら、当初の予定通り俺と一緒に妖怪退治に行くことにする。そうすれば王側の人間も文句はないだろう』

『でも、まだ彼女はそれほどうまくは……』


 ごちゃごちゃと言い募るナディアを、誠は『煩い』と低い声で一蹴する。


『身元もよくわからない神官がそばでうろついているより、多少危険でも俺の近くにいた方がお互いに安心できる』

『でも、』


『まだわからないのか? お前たちが信用できないって言ってるんだ!』


『……』

『これ以上とやかく言うようだったら、こっちもそれ相応の手段を講じる。いいな』


 ナディアが悲しげに目を伏せるのを無感動に見遣り、誠は背を向けて歩き出す。


 釦を不安にさせる奴は、絶対に消す。そう固く誓いながら。

遅くなりました。すみません。

また、本日『美術室の獣』という短編も投稿しました。よろしかったらそちらもどうぞ。執着心の強い男の子に捕まる女の子の話です。

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