暮露々々団(ぼろぼろとん)
ちょうど昼時。炎の根元のような明るいオレンジ色の頭が、ひょっこりと現れた。
「遅くなってゴメン。仕事がどんどん入ったの」
「こちらこそ。呼び出してごめんなさい、ミシェル神官」
ここ3日間、誠の言葉に甘えて体を休めていた釦は、専らベッドの上で一日を過ごしていた。今日も例外ではなく、傍から見ればミシェルがお見舞いに来たような図になっている。
「いいよ。で、話って何? っていうか、その他人行儀な喋り方やめてくれない。あたし、多分アンタより年下なんだしさ。『神官』もいらない」
確かにそうだ。釦は頷いて、ミシェルが何の断りもなく部屋にあった椅子を使うのを見ながら、早速話を切り出した。
「聞きたいことがあるの。私たちって、妖怪退治をし終わったら本当に元の世界に帰してもらえるの?」
釦はてっきり、ここでミシェルが曖昧にお茶を濁すか、はっきりと帰れないと言い切るものだと思っていた。彼女は釦たちが帰れないことを知っている、という確認をしようとしたに他ならなかったのだ。
しかし。
「ナディアが帰れるって言ったんでしょ。なら帰れるんじゃないの」
予想を裏切り、ミシェルはこともなげに帰れると言い放った。
「帰れるの?」
「だって、この世界にはあたしたちより遥かに強い力を持つ魔法使いがいるもん。イメージの幅が壮大なの。その人とコンタクトがとれるのは王家の人間だけだけど、無事に妖怪退治が終わったらちゃんと報酬はもらえるでしょ。そこまであくどい人間じゃないし」
ナディアもミシェルも、元の世界に帰せると思っている。信じている。他意はなく釦たちを保護している。
釦は迷った。もしかしたら、私の勘違いなのかもしれない、という疑念が湧きおこってくる。彼女たちの意見は統一してまっすぐで、釦よりも魔法が使える人間だ。たった一度、しかもよくわからないまま使った彼女よりも、ずっと信憑性の高い発言をしているのではないか。直感を信じるべきか、ある程度は裏付けのある意見を信じるべきか。
しかも、ここで釦が帰れないんじゃないかなどと騒いだとして、一体果たして何の益になるというのか。誠を困惑させるだけ、ナディアを突き放すだけではないのか。彼女はあんなに心を砕いて世話してくれたというのに。
不確定要素が多い中、むやみやたらに騒いでもいいことなど一つもない。
このことは、黙っておこう。
保留という結論を下した釦は、小さく頷く。
「そうだよね、ちょっと気になっただけなんだけど」
「もしかして、話ってそれだけ?」
ミシェルが溜め息をつく。そんならナディアに聞いた方が確実じゃん、と。
「ううん、あともう一つ」
あと2日で夏休みは終わってしまうが、それ以前の大きな疑問が生じてきた今、細かいことは気にしていられない。今すぐに帰ることはあきらめた。仮に強制的な永住ではなかったとしても、しばらくはこの世界で過ごすことになる。
とすれば、何でも誠頼りにしていてはいけない。できることは自分でしなくては、そのために。
「この国の言葉と、私たちの状況を教えてほしいの」
「言葉はまあいいとして、状況って?」
「私は今のところ及川くん――誠と、ナディア神官としか会話してないの。二人とも目の前に課題は出してくれるけど、全体像ははっきりと言ってくれない。私は指示を待つばっかりで、自分の意思で行動することはできていないのよ」
「二人なりの考えがあるんじゃないの?」
「そうかもしれない。でも、私だって当事者なの。何にも知らないままでいるのは怖い」
ミシェルは少し考える。そして
「あんたは甘ったれだよね」
フン、と馬鹿にした表情で言い放った。
「二人が守ってくれてるのに、それを無視してまで自分の意見を通そうとする。無知は罪だけど、それ以上に、知るってことにはすべて責任が伴うんだよ。知識を持つだけ持って知らんぷり、は許されない。その覚悟もなしに権利だけ主張すんな」
「……ごめん、なさい」
確かに、釦は甘ったれだ。彼女の言うことは正しい。誠やナディアが恣意的に情報を隠しているのは、きっと何か理由があるからなのだろう。それを無視して部外者であるミシェルに問うのは、ルール違反であり裏切り行為だ。しかも、ただでさえ忙しいミシェルを面倒なことに巻き込んでしまう。釦が我儘さえ言わなければ、万事誠たちの思い通りに事態は進むのかもしれない。
それでも。
「誠はね、私に言ったのよ。自分の価値観のものさしを大切にしろ、だけどそれにそぐわないものを排除してはだめだって。今のまま曖昧な現実じゃあ、何も測れない。責任はきちんと負うわ。
だからお願いします。この世界のことを、教えてください」
はっきりとミシェルの若葉色の瞳を見つめる。意志の強そうな目が、釦を見つめ返す。そして。
「あたしは、公平で正しいことが好きなんだ。あんたのことを大切にする気はないし、優しいゲンジツを見せるつもりもない。傷つけること残酷なこと、厳しいことも平気で言う。それでもいいんだね」
「ありがとう」
「で、何が知りたいの?」
てきぱきと話題を変えるミシェルに、釦は質問事項を明確にしていなかったことを思い出した。帰れるのか帰れないのかということで、頭がいっぱいだったのだ。
それを敏感に察知したミシェルが「あたしも忙しいんだけど」と文句をつけてくる。
「ご、ごめん」
「今日のうちに聞きたいことがなかったら別の日でもいいけどさ。いつ時間が空くかわかんない」
聞きたいことはたくさんある。しかし、どれにしようどれにしよう、という焦りは、お約束のようにどうでもいい質問を生み出した。
「ミシェルは何歳なの?」
「はあ?」
間の抜けた声が部屋に響き渡る。あきれたような視線。
「あ、どうでもいいことだよね。ごめんなさい」
時間がない時に無駄な話をされるのは勘弁だろう。
「別にいいけど。14歳だよ。ちなみにナディアは16歳」
「ナディア神官って年下だったの!」
ミシェルは何となく想像がついたが、金髪の神官は予想外だった。立ち振る舞いの落ち着き方は、もっと年上のように感じたのだが――正直なところ、20歳くらいには。ヨーロッパ系の人間は、年齢よりも大人っぽく見える人が多い、というのはこの世界でも当てはまる法則らしい。
「あいつ、婆くさいからね。老成してるっていうか」
「ミシェルも、年の割には難しい言葉を知ってるわ。語彙量が多いのね」
そう釦が褒めると、ミシェルがまんざらでもなさそうな顔をする。
「まあね。ナディアは古代文献を読むのが苦手だから。代わりに魔法は上手いけど。あたしはその逆」
「向き不向きがあるのね」
「そういうこと。それよりさ、聞きたいことはこれで終わりなの? だったら仕事に戻るけど」
「ごめんね、もう少しだけ待って」
それよりも聞きたいことがあったはずだ。再び考え始める釦に、ミシェルは不機嫌そうに一言。
「あんたさ、その謝り癖なんとかならないの」
「え?」
釦が首を傾げると、ミシェルは自覚ないんだ、と呟いた。
「さっきからごめんごめん、ってそればっかり」
そうだろうか。日本は、乗り物で席を譲ってもらっても「すみません」と返す文化があるから、謝り癖なんてものを自覚したことはなかった。
「それって、やっぱりあっちの世界での経験が原因なの?」
「……どういうこと?」
謝るのは文化や慣習であって、経験ではない。そして「やっぱり」とは何なのか。
「そっか、それも言われてないんだっけ」
「?」
「あのさ、ボタン。これから嫌なことをいうけど、聞く?」
厳しくするだの何だの言いつつ、ミシェルは優しい。こうやって確認してくれるのだから。
微笑みながら釦は言った。「聞きたい」ミシェルは頷く。
「あんたたちは大屋八郎の本によって、この世界に連れてこられたんだっけ」
「うん。開いたら本が光って、いつの間にか」
「どういう魔法でこっちに連れてきたのかはあたしにはわかんないけど。でも、その時に条件を付けた、ってのは聞いたんだよね」
「条件?」
「そ。状況的には、あっちの世界から無理矢理連れ去っちゃうわけでしょ。こっちの環境に対応できないと困るから、概念が固定されてない――考えが柔軟な若い人間がいい。だから20歳以下の子供を希望したり、とかね。色々あったみたいだよ」
確かに、理にかなっている。あんなに薄汚れた本でも、手にする人間は一定数いるだろう。それを適当に連れてきてしまっては、後々問題が起きてしまう。
「そういう風にして条件を重ねていく中に、一つ、他はなんとか寛容になれるけど、これだけは外しちゃいけないっていう、大切なポイントがあった」
「……どんな?」
誠が召喚されてから、おおよそ2年。その間に誰も該当者が出なかった。ということは、よほど難しい条件を出したのだろう。
「社会的な身分があって、いなくなった後に大騒ぎされるのは困る。
だから、消えても問題ない人間を対象にしたの」
消えても、問題ない人間。
「あっちの世界で生きていきにくい、言わば人生に問題を抱えた人間。いなくなったことが気付かれにくい人間だよ」
そうか、だからあの時。
『魔法なんて習って妖怪退治するよりさ、のんびり今後の生活のことを考えた方がいいんじゃない』
あれは、帰れないから、という意味で発された言葉ではなかった。ならばどういう感情が込められていた?
帰れない、ではなく、帰らないという選択肢があるという、言外の申し出。
ミシェルは気遣っていたのだ。例え元の世界に戻っても、居場所がないことが知られていた。だから、彼女は「こちらで生活をしないか」という内容の言葉を放ったのだろう。
「不必要な人間、ってことね」
それは間違っていない。
釦には、世界がひっくり返ったとしても勝てない、美しく有能な姉がいた。彼女さえいれば、釦を取り巻く世界は、釦がいなくても機能していただろうというほど、完璧で優秀な姉が。
ならば、ならば。
「誠も、あの世界には、いらない人なの……?」
無意識に言葉が流れ落ちる。その時。
「そうだよ」
突然、低い男性の声がする。確認する必要もない。この問いかけに答えられる人間はただ一人。
「おいかわ、くん……」
彫像のように美しい青年が、扉の前に立っていた。
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