↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/18

震々(ぶるぶる)

 ミシェルが去った後、手紙で釦が倒れたことを知った誠が走ってやってきた。彼と目が合うやいなや『長谷川は?』と短く問われ、『部屋にいます』とナディアも急いで返す。こくりと頷き、誠はノックもせずに部屋に入っていった。


 随分と大切にしている。


 忠実に誠の望みをかなえようと努力しているナディアだが、その実どうして彼が釦をあんなにも大切に扱うのか理解しかねていた。もともと知り合いだった、と誠は言っていたが、彼らの間には明らかにそれ以上の親密さが滲んでいた。しかし、釦に聞いても茫洋としていて関係性が見えてこない。彼女は学生時代に誠に精神的な意味で助けられたと聞いたが、むしろ現状を見ると誠が釦に恩義を感じているように思えてならないのだ。彼の望みは一途であり、それは他方面から見ると執着として映る。


 誠の望みは単純明快だ。釦に幸せになってほしい。辛い現実を見せたくない。たったそれだけの願いは、けれどこの世界ではかなり難しいといえた。同時に、ナディアの願いも。


 世界はそれほど優しくなく、人間は他人に対して残酷だ。




 ゴーン、ゴーンと鐘の鳴る音がする。


 さて、とナディアは扉に目線を移した。半日はここで待っている。


 扉は分厚く、中で釦が目覚めたのかどうかさえわからない。だが、もうそろそろ夕襲の時間だ。彼女がこのままだというのなら、流石に医師を連れてきた方が賢明だろう。


 ミシェルにも言ったが、ナディアは別に釦のことが嫌いなわけではない。ここ数日、彼女が必死で魔法を習得しようとしていたのは誰よりも見てきたし、日を重ねるごとに表情が硬くなっていく様は哀れだとさえ思った。誠が嫌がりさえしなければ、一人の人間の責務として医師を呼んだだろう。


 扉が小さく開き、誠がゆっくりと姿を現した。入った時と同じく真っ青なかんばせを見て、何があったのかとナディアが口を開こうとすると、その前に『長谷川が起きた。すぐに寝たけど』と呟きながら、丁寧にドアを閉める。そうか、ならよかったとほっと息を吐くと、冷たい視線が送られた。


『……もうやだ、だってさ』


『?』

『もうやだ、帰りたいって。子供みたいに泣いてたよ。俺、あいつとは仲が良かったと思ってたんだけど、あんな状態の長谷川、初めて見た。他人から理不尽に辛く当たられてる時でさえ、涙なんて見せたことがなかったのにな。すぐに気持ちを殺すあいつが、こっちにきてやっと願ったのが帰ること、か。残酷だな』


 誠は下を向いたまま、ぼそぼそと言い募る。自分を責めるように。


『俺は、長谷川に幸せになってほしかった。なんであんなに優しくて弱いあいつが、いつもいつも辛い目に合わなきゃいけないんだろうって、ずっと思っていた。だから、あっちの世界で守れなかった分、俺は、あいつを。

可哀想だった。見てられなかった。知らない世界に連れてこられて、訳がわからないまま魔法を習わなくちゃいけないなんて』


 誠は譫言のように可哀想だ、可哀想だと呟く。


 本当にかわいそうなのは釦なんかではないのに。


『それに、ナディア神官。お前に長谷川を任せるんじゃなかった』


 憎々しげに言われ、ナディアは一瞬息が詰まる。いつか見た、獣のような目。


『なんで長谷川を止めなかった? どうして休ませなかった? あんなボロボロになるまで働かせまくって、何にも思わなかったのか』

『私は止めたわ。彼女があなたの期待に添いたいと、自分で練習量を増やすように言ってきたの』


 つい、言い訳めいた口調になってしまう。


『吐くまで練習させて、それで責任は全部あいつかよ』

『そういうわけでは』

『もういい』


 聞きたくない、と吐き捨てられる。人形のような表情。


『この世界の人間は、俺たちのことを使い捨ての雑巾ぐらいにしか思ってないんだもんな。汚れを拭いて拭いて、使えなくなったらすぐに捨てるつもりなんだろう。できるだけ最小限に、低コストで妖怪退治をさせたい。本当はこんな身元も分からない餓鬼を、城に住まわせたくなんてないんだろう』


『でも、ボタンにはいい生活を提供しているでしょう。危険なことだってさせてない』

『それが対価だとでも言うつもりか? 必要最低限の生活を与える代わりに、具合が悪くなるまで練習させてもいいって?』


 ナディアは、釦だけがこれほど優遇されているのはおかしいと思う。誠の方がもっと丁重に扱われるべきだと思うし、釦はもっと彼の現実を知るべきだと。しかし、彼は訴える。


『確かに、俺たちは向こうの世界でも爪はじきものだった。長谷川の家族からの虐げられ方は、傍から見ていても痛々しいくらいだったよ。俺も裏切り者と一緒に住んでいたし、生きづらいことは確かだった。けど、望郷の気持ちは消えない。まだあっちの方が、未来に希望が持てたからだ。

 それなのにお前らは、無理矢理連れてきて、疑わしいと思ったら牢屋にぶち込んで、家畜のように扱っても問題ないと? 自分たちの都合よく働かせて、俺たちには感謝しろっていうのか。虫のいい話だな』


『感謝なんて望んでないわ』


 そんなもの、初めから望んでいない。むしろナディアが願うのは許してほしいというただそれだけ。


『なあ、ナディア神官。俺たちがここにいるのは、妖怪退治さえし終われば、元の世界に帰すと約束したからだ。それまでの生活は提供すると言われたからだ。もし、それができないなら』


 誠がぐっと近寄る。こちらの人間のようにはっきりとしたものではないが、神聖なものを感じさせる彫刻のような顔立ちが、目の前にある。無意識に息をのんだ。


 この世界には、ナディアなんて到底及ばないような、信じられないほど強い力を持った魔法使いがいる。その人たちに頼めば、造作もないことだろう。


『帰すわ。必ず。この国には、それだけの力をもった魔法使いがいるのだから』


 そう言って、誠が釦を慰める姿を真似て触れようとすると。


『触るな。――お前たちを、許したと思うな』


 低い声で、宣告された。そのまま舌打ちをして、誠は遠のいていく。


 広い背中、でも、この世界の人間に比べたら、その肩は折れそうなほどに細い。彼の荷物は大きすぎる。


       §


 大泣きした後、いつの間にか眠っていたらしい。次に目覚めた時はすでに朝で、当然のごとく誠は傍にいなかった。


 わかっているけど、悲しい。この世界で、本当の意味で同じ人間だと感じられるのは彼しかいないのだ。傍にいてほしかった。


 動揺してるのかな。甘やかされてばっかりで、自己中になってるのかも。


 もしこの場にあの絶対の支配者がいたなら、釦は意地でも自分の気持ちを吐露することはなかっただろう。そう考えると、彼女もあれはあれで釦の忍耐力の礎になっていたと考えてもいいのだろうか。


 コンコン、というノックの音で、釦の考えは遮られた。返事をする前に金髪の神官が入ってくる。


「ボタン、目覚めたのですか。具合はどうですか」

「ああ、うん。大丈夫」

「マコトから伝言です。『大丈夫か。疲れが出たんだろう、気付けなくてごめんな。ゆっくり休んで。こっちのことは心配しなくていいから』とのことです」

「そっか……彼は、今どこに?」


 釦がそう言うと、一瞬、ほんの一瞬だが、ナディアの眉根がぎゅっと寄せられた。だが、それを指摘する前に淡々と話し続けられてしまう。


「私にはわかりませんが、恐らく妖怪退治の準備をしているのでしょう。それより、ボタン、湯あみでもしますか? それとも食事を?」


 普段と同じように、丁重にもてなしてくれるナディアを見ながらも、釦の心の澱は沈んだままだった。 そうやって優しくしていても、結局は私たちを騙していたんでしょう?


 この人は信じていいのか。


 帰れないなら帰れないと、初めから言ってくれればよかったのに。そうしたら、妖怪退治なんて無駄なことをせずに、今後について冷静に考えられたのではないか。


 そこまで考えて、ようやっと彼女はミシェルの発言の意味を見出した。


『魔法なんて習って妖怪退治するよりさ、のんびり今後の生活のことを考えた方がいいんじゃない』


 つまり、彼女は知っていたのではないか。釦の努力が何の役にも立たないことを。それを、教えようとしてくれていたのではないか。


 それに、釦たちが帰れないと知ってしまったら、妖怪退治をする人がいなくなる。せっかく自分たちの生活を守ってくれそうな駒を用意したというのに、エサがなくなってしまえば元も子もないのではないか。


 釦は思い出す。彼女が倒れた時、自分の服が汚れるのも意に介さず駆け寄ってきてくれたのは、ミシェルだった。目の前の神官は、むしろ距離を作っていたのだ。


 そうだ。この人は信じられない。


「ボタン?」

「どちらも今はいいです。それより、確認しておきたいことがあるんです」


「確認しておきたいこと?」

「ええ。もし、私たちが妖怪退治をし終わったなら、元の世界に帰してくれるんだよね?」


「それは何度もマコトに言われています。必ず、帰します」

「それだけの魔法が使えるの? イメージできるの?」

「私ではなく、ずっと高位の魔法使いならそれが可能です」


 嘘つき。どんなに力が強い魔法使いでも、釦たちの世界がイメージできるわけがないではないか。


「その保証は?」

「あなたがたをこちらの世界に連れてきた魔法がある、ということからも明らかだと思いますが」


 そこまではっきりと言われて、釦の胸に不安がよぎる。もしかして、ナディアは本気でそう信じているのではないか。


 自身でも制御できないナディアへの感情に、とりあえずは釦の心に疑問を持たせた人物と会うべきだと思う。


「そっか。ありがとう、変なことを聞いてごめんね」

「いえ、心配になるのも当然です」


 微笑むナディアに、釦は一つ伝言を頼む。


「ミシェル神官に、伝えてほしいの。いつでもいいから、私のところに来てほしい、って」

「ミシェル、ですか。私では役に立ちませんか」


「ちょっと、気になることがあって」


 ミシェルが来たのは、それから3日後だった。


短い気がしますが、区切りがいいのでここまでです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。